アジト
離れた距離が埋まることはなく、一定の距離を保ったまま暗闇を下っていく。ほどなくして辿り着いたドアを、ウェインは躊躇いなく開けた。
「長いこと歩かせたな、ここが俺達のアジトだ」
「ここが、アジト?」
倉庫か何かじゃないの? という言葉は、脱力感に阻まれて出てこなかった。
代わり栄えのしない灰色のコンクリートが覆う、真四角の広い部屋。中央に大きなテーブルがあること以外、目につく場所は何もない。注意して隅を見れば生活感が見えるのだが、部屋の広さにしてはあまりに物がなかった。
上の鉄格子から、うっすらと光が見える。時折挿す影の形から、直線外と繋がっていることがわかった。
落ち着かない様子で周りを見るアメリアを尻目に、ウェインは中央のテーブルに向かう。固定されたベンチの片側に座ってアメリアを呼んだ。
駆け足で寄ってきたアメリアは、ウェインと向き合うようにして座る。
「アジトにしては何もないのね」
「ここにはな。奥にはちゃんと、お客様用の部屋がある。安心しろ」
「人を呼ぶ時は玄関から綺麗にしておくものよ」
「次からは気をつける。枕が変わると寝られない質か?」
「それは大丈夫だけど……やっぱり、ここに泊まるの?」
不安を抱え続けている様子のアメリアに、ウェインはバレないようにため息を吐いた。右手の人差し指で、テーブルの表面を2回叩く。
決して心情が理解できない訳では無い。ただ、そういった感情を解決するための器用な言葉を、ウェインは知らない。
「今夜はな。上手くいけば明日にでもお家に帰してやるよ」
考えても気の利いたものは出てこず、逆にぶっきらぼうになってしまう。そんな言葉でもひとまずは安心してくれたようで、アメリアはそう、と小さく答えて笑った。
だがその表情もすぐに陰る。一度根付いた不安の種は、中々取れないらしかった。
「上手くいけばって、そうじゃない可能性があるって事?」
「そうだな……」
言いづらそうに濁った言葉が、アメリアの顔を更に曇らせる。乱雑に頭を掻きながら、ウェインは慌てて喋り始めた。
「ただの心配性だ。今夜あんたの両親に確認して、大丈夫そうなら明日帰してやる」
「何、お父様とお母様が危ないかもしれないの!?」
予想外にネガティブな受け取り方をされて、思わずピクリと眉が動く。どうやらアメリアは、一度悪い方に考えてしまうと中々抜け出せない癖があるらしかった。
少し語気を強めて、ウェインが訂正する。
「待て、そんなことは一言も言ってないだろ」
「でも大丈夫か確認してって」
「折角お前を助けたのに、またお前が攫われたりしたらただの無駄骨だろうが。もう一度今回みたいな事が起きても、今度は逃げるなりできるぐらいの準備はして貰わなきゃならねぇ」
「それは、そうだけど」
「その確認だよ。依頼された時にその件は問題ないと言われたが、念には念を入れるべきだからな」
「そうね」
何とか上手くいったようで、ウェインは肩から力を抜いた。自然と肺から押し出された息が溢れてくる。
「その、私を攫った相手はどういう奴らなの?」
「おや、知らなかったのか」
「ごめんなさい」
「責めてるわけじゃない。こっちじゃ知らない奴の方が珍しいから、驚いただけだ」
半笑いで返しながらウェインは体勢を変えた。背もたれに体重を預け、軽く腕を組んで考える。
親にも危険が及ぶかもしれないと思っての質問か? 全く良い子が板についてるじゃないか。
すぐに浮かんだ底意地の悪い考えは、軽く頭を振って捨てた。らしくないぞ、と自分に言い聞かせてから、頭の中で組み上げた説明を語る。
「サルヴァトーレ。壁の外では名の通った組織だ。というか、壁の外の勢力争いでは恐らくコイツらがトップだな」
「へぇ、そんな風には見えなかったけど。あのレディって人が一人でやっつけてたみたいだったし」
「あれは末端も末端だ。じゃなきゃ俺達はあんな強行策に出てない。それにレディは特別だからな」
「誰が、特別だって?」
示し合わせていたかのようなタイミングで、階段に続くドアからレディが現れる。血を落とせ、と言われてきた割には、服にも肌にも赤が目立っていた。手には真っ赤になったハンドタオルが何枚も握られている。
視線を集める登場に、引きつった声と大きなため息が向けられた。
「で、何の話をしてたのさ」
「待てレディ。その前にシャワー浴びてこい」
「えー、良いじゃないか」
「良くない。ここまで血生臭くなると飯がマズくなるだろうが」
「うーん、わかった。もう少し待っててね」
「ついでにおやっさんも呼んできてくれ」
あいよー、と気の抜けた返事を寄越して、レディは中央を避けるように奥のドアに向かう。二人は何故か一言も喋らずに、その後ろ姿を目で追っていた。
ガチャン、というドアの閉まる音を合図に、互いに緊張の糸を解く。
「確かに、あの人が特別なのは充分にわかったわ……」
「だろ」
「それで、いきなりで申し訳ないのだけれど、着替えの服があると助かるわ」
「ん? ああ、そうだな。忘れちまってた。すまん」
アメリアがぐったりした様子で笑いながら、自分のシャツを引っ張る。お嬢様が着るにはシンプルなデザインの物だったが、へその辺りが真っ赤に染まっていた。レディがアメリアを抱えたときに着いた血だ。
慌てて立ち上がろうとして、その途中でウェインは止まる。半端に上がっていた腰をベンチに下ろして、アメリアに向き直った。
「え、替えのシャツ、無いの?」
「いや、レディのサイズでいいならある。それよりも1つ、気になるんだが」
「何?」
キョトンと首を傾げるアメリアに、ウェインは妙に険しい顔で問う。
「レディに抱きかかえられてたよな?」
「ええ、まぁ」
「よく吐かなかったな。アイツは全身血まみれだっただろ」
「そういうことね」
ウェインの表情にようやく合点がいった、というように呟いて、アメリアはどこか自信ありげな笑顔を浮かべた。
「私ね。壁の向こうでは、医学を学んでたの。軽くだけどね」
「医学か」
「人に自慢できるほどじゃないけどね。本当に基礎の基礎。私は、そんなに頭が良くなかったから」
「なるほどな。それで、血の臭いには慣れていたと」
「ええ。人の死体も一度だけなら見たことがあるわ。それには慣れて無いけどね」
悲しそうに目を伏せるアメリアに、ウェインの口から自然と息が漏れていた。似た表情は見たことがあるが、そのどれとも同じではない。根本にある何かが、決定的に違う気がした。
深く考える前に、普段はしないような問いを投げてしまう。
「そういう道に進んだのは、何か理由があるのか」
「うーん、誰か人の役に立ちたかったから。助けられる人は助けたい。じゃ、駄目かしら?」
覇気が無い笑顔を添えた答えを、ウェインはわざとらしく鼻で笑う。
「いいんじゃないか? 随分と立派な建前で」
「あら、やっぱりわかる? そうね。多分、お父様に認めて貰いたかったから。本当はそうよ」
「親も医者だったのか」
「ううん。でも、よく医療機関に投資していたわ。自分の時間を削ってまで研究施設を見に行ったり、医学書を読んだり。私には見せてくれなかったけど」
「尊敬してるんだな」
「勿論。自慢のお父様よ。誰だって、少なからず親は尊敬するものでしょ?」
今度は淀みのない動作でウェインは立ち上がる。先程までの笑みを潜め、その表情は真顔に戻っていた。
「すまないが、そういうことは俺にはわからない。替えのシャツを取ってくるから待っていろ」
「え、ええ」
吐き捨てるような言葉は、同意以外の返事を許さない。一人だけの硬い靴音が部屋の中を反響した。アメリアがやっと言葉の意味を理解して顔を上げた頃には、もうウェインの姿は無い。
「少し考えればわかるじゃない。孤児なんて向こうでもいっぱい居たのに、壁の外はどうなってるかぐらい……」
後悔の積もる頭の中に、傷だらけの機械義手が強く残っていた。




