確執
それから羅音と花梨はビールを三本ずつ飲んで酔いが回っているようだ。オレが来るまでの間、どれほど飲んでいたか分からないが、かなりの量を飲んでいるはず。
それにしても、この娘たちは見かけによらずよく飲む。出来ればオレも混ざって盛り上がりたいところだが、今のオレはいったいどうゆう立ち位置にいるのか。
元の世界なら早く帰って明朝の出発準備をしなければいけない。だが今はそんな出張よりも、いまこの世界から戻れるかどうかというところ。それなのにここにいれば、ここの世界の住人のように目の前の盛宴に参加したいと思う。
この世界では羅音にしかオレは認識されないというのに。
「忍、ちゃんと帰って来るかな?」
思い出したかのように言った花梨だが、おそらくふたりとも心配をしていて、お互いがいつ切り出そうかと思っていたに違いない。
「帰って来るよ」
気だるそうに羅音は言った。
「そういえば前にもこんなことあったのよね?」
羅音とは対照的に明るく花梨が聞いた。
「うん。これで三回目。一回目の時はそれぞれ実家に帰って、次にここへ入居して前回忍が出て行ったとき私は住み続けた」
「ここ家賃高いでしょ?だから二人でシェアしたんじゃないの?」
「そう。ふたりで最初に暮らした部屋がとんでもないところだったし、ここに決めるとき少々高くても気にいった所だったから、頑張ってやっていこうって話し合った。忍はいなかった二カ月、ちゃんと家賃を入れてくれた」
そう言いながら羅音はテレビボードに置かれてある二人が映った写真を手に取った。
「だったら心配いらないね。今回も…」
花梨はそう言って笑っているが、オレは不思議に思った。そこまでしてどうして一緒に暮らしているのか。ただ家賃が安くなるからそうしているのか。
それとも他に理由でもあるのか。
オレには到底女心というものが分からない。
「たぶん、これで最後かも…一緒に住むのは…」
羅音は写真を元の場所に戻して言った。
「どうして?それも見えてるの?」
花梨の問いに羅音はただ首を横に振るだけであった。
そして、涙を流して言った。
「わたし、分からない!忍のことが分からない。私たち何でも言い合える仲で、今までずっとやってきたのに…一緒に暮らしてきたのに…なんで、あんな事を・・・」
羅音は俯いたり、天井を見上げたり何度も繰り返しながら涙を流した。
「羅音、何があったの?」
羅音はすぐに答えなかったが意を決したように呟いた。
「忍は私が祥司くんに未練があってカレと別れたって言うけど、そうしたのは忍なのに…」
「えっ、どういうこと?」
そう花梨が言ったと同時に羅音は立ち上がって言った。
「ゴメン花梨。留守番頼むわね」
そう言って部屋を出て行った。あまりにも早い行動に残された花梨は唖然とした。とりあえずオレは羅音の後を追った。マンションを出て羅音はタクシーを拾い、それに飛び乗った。羅音はドアが開くと奥まで入った。
続いてオレも入り座った。運転手からすればひとりなのに何故手前に座らないのかと思っただろう。
実際ミラー越しに不思議な顔をしているのが見えた。
「お客さん、お客さん、どちらまで?」
乗ってはみたものの、中々羅音が行き先を言わないので運転手は大きな声で聞いた。
「あ~、そうですね。じゃあ、とりあえず中目黒までお願いします」
なんとも頼りない答え方だ。慌てたわりには決まってなかったようだ。オレは半笑いで羅音を見ると彼女も微笑んでいるが、なにか落ち着きがないように見える。
つい先ほどまで涙を流していたからそのせいだろう。
「すいません、停めて下さい」
車が出てすぐに羅音は言った。
「ちょっと、冗談はやめてくれよ!」
「ごめんなさい…」
しかめ顔の運転手に謝り、羅音は支払いを済ませ車外へ出た。目の前には公園があり、羅音はおもむろにブランコに座った。オレは横の柵に腰掛け聞いた。
「どうして急に降りたんだよ?」
少し肌寒い秋の夜空を眺め羅音は言った。
「おかしいよね、私。さっきカレに来るなって言ってたのに自分が行こうとしてたなんて…」
「まだ、カレの事を?」
「ううん、違う。ひょっとしたら忍がいるかなぁって思ったから」
オレは一瞬、羅音が言っている意味が分からなかった。羅音の言うカレとはさっき電話で話した自分のカレのことだろう。それなのになぜ忍の名前が出たのか。
先ほどの家での会話を思いかえしてみると、忍の彼のことかもしれないが、まさかそんな事はあるまい。
だったら何故、別れたとはいえ羅音のカレの家に忍がいると思うのだろう。オレの疑問に羅音はすぐに答えてくれた。
「よく考えたらそんなわけない。だから、すぐにタクシーを降りたの」
でも逆に考えれば、そう思う何か心当たりがあったから、そんな行動に出たのだろう。
「それって、さっき言っていたオレが来たことで分かったことと関係があるのか?」
それは羅音と初対面の時に言われたことだ。
「ねぇ、ユウジ。わたしヘンなのよね。知っていると思うけど…先は見えるんだけど、肝心なことが見えない。最も重要なことが…」
オレの質問の答えにはなっていないが、そのまま聞いた。
「先の事なんて分からなくていい!わたしは人の心が読みたい!知りたい」
そう言って羅音はブランコを漕ぐのをやめて、砂をひと握りしてそのまま放り投げた。
「それは間違っているよ!おそらくキミは忍のことを言っているのだろうけど、そんなこと知ってどうする?人の心は読んだり、見たりするものではない。人を思いやることが大切なんだ」
羅音は唇を噛みしめている。そして、話し出した。
「半年前、私は仕事で新潟に出張したんだけど、家に帰って来るとカレがいたの。ふたりの取り決めで家には絶対、男を泊めないってことを約束してたの。もちろん忍も自分の彼を泊めたことがなかった。それなのに私のカレを、しかも私がいない時に・・・」
その時を思い出したのか、羅音は少し興奮気味に語った。
「それって、まさか…」
オレは羅音を逆なでしないように言葉を選んだ。
すかさず羅音は答えた。
「見たわけではないけど…。前の晩、ふたりでどこかに飲みに行って、そのまま一緒に家に帰って来たんだって」
「前にもふたりきりで飲みに行ったことあったのか?」
「私が知る限りない。もちろん、私も忍の彼とふたりで行ったことなんてない」
「その後ちゃんとカレに聞いたのか?」
「ええ。酔っ払って全然覚えてないんだって!」
「だったら、大丈夫なんじゃないか?」
そう言ったオレだが、もちろんコトがあったか、どうかのつもりで言った。
「何が大丈夫なの?ユウジはしたか、どうかっていうことを言ってるのよね?やっぱり男って都合よく言うわね」
「い…いや、そういう意味じゃなく…」
オレは動揺してそのあと言葉が出なかった。
「何もないって言われても同じ部屋で寝てたのよ。信じられないよ!」
「忍は何て言ってたんだ?」
「言い訳もなにも言わなかった」
夜空を見上げながらオレは何か引っかかっていた。あれほど自分の彼を羅音に取られたくないように言っていたのは、忍自身が羅音のカレとのやましいことがあったからなのか。
もしそうなら、なんて身勝手な子なんだろう。
「ひとつ聞いていいか?」
「うん」
「忍はキミが出張に行くことを知っていたのか?それと、予定より早く帰ってきたってことはないのか?」
「うん、ちゃんと話した。それに予定通り帰ってきた。だから、なおさら分からないの!なんで忍がそんなことしたか」
確かに妙な話だ。男を泊めないという約束もして、帰って来ることも知った上で羅音のカレとそんな危険を冒すだろうか。たとえ、お互いが分からなくなるまで飲んでいたとしても。
夜は更けて秋だというのに生温かい風が一瞬吹き抜けた。
風が都会特有の匂いと一緒に羅音の髪を揺らした。
「ユウジ、先に家へ帰って。私、もう少しここにいるから…分かるよね?ほら、あの建物の一四〇一号室」
羅音はそう指さして言った。
「いいや!戻らないでこのまま、帰れる方法を探してみる」
そう言ってはみたものの、もちろん当てはない。
「ダメ!ちゃんと私の家に帰って!」
「どうしてだ!」
オレは思わず声を荒立てた。もうそろそろ帰る方法を見つけないと、本当にオレはこの世界の住人になってしまう。このまま羅音の家に戻ると、彼女たちに感情移入してしまい帰れなくなってしまいそうで恐ろしい。羅音たちのことは気になるが、いつまでもそうは言っていられない。
そんな渇いた心のオレに羅音は微笑んで言った。
「あ~あ、ユウジが彼氏だったらなぁ!」
「えっ?」
「冗談よ、冗談。ユウジ、顔が赤くなっているよ。カワイイ!」
どこかで聞いたことあるセリフだ。焦ってそれ以上言葉がでないオレだが、羅音の無邪気な顔を見てふと思った。
そうだ、彼女には未来が見えるのだ。
「家に戻ったら、帰る方法が分かるんだよな?」
オレの問いに羅音は首を横に振った。
「どうして?キミには見えているんだろ?」
「ゴメンなさい。なんでも分かるわけじゃないのよ。それに手を握った時だけなの」
「じゃあ今ここで…」
そう言うと同時にオレは左手を出した。
「ダメなのユウジ。今は…でも、きっと戻れる。それまでにユウジ、今日という日を思いかえしてみて!そうすればきっと、あなたがいた元の世界へ戻れる」
そう言うと羅音はニコっと微笑み、再びブランコを漕ぎだした。彼女の言葉に勇気づけられたオレは一日を振り返りながら、羅音のマンションに向かった。