夜の喫茶店
都会の夜空のもと、ひとり取り残されたオレは空っぽの心を抱いてトボトボと歩いた。もう二度と小夜に会えないのだろうか。あれほど未来のことを聞きたがっていて、気さくな子だったのに金沢と話したあと別人のようになってしまった。原因はそこにある。
それに確か、最初に会ったときオレのことを何か変な連中と勘違いしていた。すべての謎はそこにある。
逃げたように見えた小夜は「今は言えない」と言っていた。ならば必ず帰ってくる。
微かな期待を持ってオレは夜の六本木を歩いた。
しばらく歩いていると目の前に看板が飛びこんできた。
そこには〔金沢クリニック〕と書かれてある。
ビル一棟まるごと病院のようで、上の階でひとつだけ灯りがついている。瞬間ピンときたオレはそれが金沢譲の家が経営している病院だと思い、その下に佇んだ。
きっと小夜はこの中にいる。そう確信したオレはここで
また特権を生かすことにした。病院独特の匂いに混ざりながら階段をゆっくり上り、エレベーターは使わず、外階段を上った。おそらく六階あたりだろうか、立派な門構えの玄関が出てきた。扉を開けずすり抜けると、そこは高そうな調度品がいっぱいあって、いかにも医者の家といった趣である。
階下は病院で上層階に住居を構えその上、おそらくここは本宅ではなく、別なところに高級な家があるのだろう。
中に進むと微かに声が聞こえてくる。独り言のように低い声だけが聞こえ、小夜がいる気配はない。
大きな背もたれのソファーに頭だけが出て見えるのは声を発している金沢だ。その向いに座ってオレからは顔が見えている小夜だが、彼女は始終俯いて何も話していない。
金沢の話にただ唇を噛みしめ聞いているだけである。
薄暗く照明を落としているその部屋は、まるで室内
にある民族工芸品を強調するかのように照らされ、金沢の語り口調と共に小夜を催眠術にでもかけているかのようだ。
オレはゆっくりと二人の顔が見える位置まで進んだ。高価な品々に囲まれた部屋ではあるが、いずれも八十年代のものなので骨董品に見える。透明人間だとはいえ、静かに行動しなければならない。何より小夜が一番驚くだろう。
「小夜ちゃん。今度は今日のようなことはないように頼むよ。クライアントを宥めるのに結構な労力とお金を使ったから、君にもそれなりの負担をしてもらうよ」
「・・・」
金沢は小夜を使って何か善からぬことをしている。
まるで二人の関係は雇い主と労働者のようだ。
小夜に初めて会った時、彼女が何かから逃げていたのは金沢だったのだ。
「あと…さっき会場で言ったけど、例の男には今後絶対接触しないように!」
強い口調の金沢に押し黙っていた小夜が俯いたまま口を開いた。
「もし約束を破ったら?」
「小夜ちゃん。勘違いしないでくれ!これは約束じゃないんだ。命令なんだよ!」
非情な笑みで語る金沢はとても大学生には見えない。
部屋の雰囲気と金沢の態度に小夜は返す言葉がないようだ。この男は一体何者なのだろうか。それと「例の男」とはおそらくオレのことを言っているのだろう。
そう思った瞬間オレは思わず冷や汗が出た。
そして素早く部屋の隅に移動した。そう金沢にはオレが見える。それは取りも直さずヤツが能力者だということだ。
だから、小夜は耳打ちされてから態度が変わったのだ。
いま金沢に気づかれていないのだろうか。
もしそうなら、こんな悠長に小夜と話しなどしていまい。
「アタシはいつまでこんな事をしないといけないのですか?」
小夜のその言葉はそれまでの辛い言い知れぬ出来事を端的に語っていた。
「う~ん、そうだな?僕も小夜ちゃんのことを気に入っているから、君の辛い顔を見るのも忍びないのだけれど、それには何分障害が多くてねぇ。まず、僕の事業計画、それに小夜ちゃんのお母さんの事、最も大きなのは小夜ちゃん自身のこと。分かるだろ?それに小夜ちゃんが好きな例のカレ、その人に知られたらマズイだろ?」
はっきりとは分からないが小夜がとても苦しい立場なのは理解できる。彼女はこの金沢という卑劣な男に命運を握られているようだ。金沢は何を企んでいるのだろう。
おそらく何かの能力を有しているのを悪用している。
早くここから小夜を連れ出さなければ…。
無力なオレにはそれくらいの事しかできない。
その時ちょうど天の恵みがもたらされた。
黒電話のベルがけたたましく鳴り響き、金沢は小夜の横を通り過ぎ隣の部屋へ向った。絶好のチャンスに今までずっと俯いていた小夜が顔を上げた。
「小夜ちゃん。早く、早く」
「ユウちゃん!」
オレは小夜の手を引っ張り、野獣の館を後にした。とりあえずオレたちは走ったが追手がないことを確認するとゆっくり夜の街を歩いた。ふたりとも喉が渇いたので二十四時間営業の喫茶店に入ることにした。逃げて来てはみたものの、相変わらず小夜は浮かない顔をしている。
オレが炭酸ジュースを飲み干しても、小夜はまだスト
ローに口を付けておらず、氷だけが音を立てている。
店内での見かけ上、オレの姿は誰にも見えないので小夜の目の前に手つかずのアイスコーヒー横の席に氷だけが残っている空のコップが置かれてある状況。
「小夜ちゃん。なんとなくなんだけど、キミが辛い状況なのは分かった。良かったら話してくれないか?」
オレがそう言っても小夜は首を横に何度も振るだけであった。そこでオレは人生の先輩と異質な経験をした者として小夜にこれまで出会った能力者たちの話をすることにした。
「今まで僕が会った四人の女性たちもそれぞれ辛い思いをしていた。親友と恋人の狭間で苦しんだ子。ある人以外の人と接触するのに制限がある子。幼馴染で親友の夫を愛した子。亡くなった人と手放した子供を忘れられない子。いずれも彼女たちは動機がどうであれ、自分の能力を使って独りで悩んでいた。でも、彼女たちは決して希望を捨てなかった。もがき苦しみ、悩んでいたけど、何とか能力と向き合い、一歩ずつでも前に進もうとしていた。そして、僕と別れ際には全員が同じ事を言ってくれた。みんな、何て言ったと思
う?小夜ちゃん」
しばらく考えて小夜は言った。
「ありがとう、じゃない?」
「それもそうなんだけど…僕にとってはこっちの方が嬉しかった。〔また逢える?〕それは将来に希望を持っているからこそ言える言葉
だよ」




