出発
墓地へ向かう行きは気も重く、過去の記憶と緊張が入り混じった単独走行だったが、どこをどう間違ったのか、帰り道は見知らぬ娘とふたり車内にいる。
レベッカの希望でファミレスを探していたが近くにはなく、高速の乗り口はすぐあるが、次のインター近くのほうに飲食店が多いので、国道をひた走った。
どこもそうだが、高速のインター付近はラブホテルが多く建っており、それなりに用事のある人はいい。
しかし、そうでない人たちには気まずくなるところである。今がまさにその通りで、さっき会ったばかりの若い娘と通る道ではない。ここは道路の両サイドに六軒も並んでいて、ハンドルを握りながら横目で見ると、レベッカは食い入るような眼差しでネオン街を見ている。
「ねぇ、友二。最近いつ行った?」
やっと通り過ぎてホっとしたのも束の間、レベッカは後ろを見ながらそう言った。
「えっ!ホテル?」
突然のことと、まさかそんな事を聞かれるとは思わなかったのでオレは焦った。
「そうよ。あっ、そうかぁ!友二、子供がいるんだね?奥さんとは、あまり行かないか?」
「まぁ、そうなんだけど、どちらかと言うと行く人がいないって言った方が正解かな」
オレはなに真面目に答えているんだ。
「セックスレス?」
なんとストレートな娘だろう。
「いや、そうじゃなくて、別れたんだ」
「へぇそうなの。じゃあ友二溜まってるんでしょ?かわいそう!」
その言葉にドキっとした。レベッカが僅かながら的を射ているのと、この場所では余計淫靡に聞こえたからだ。
「友二。東京まで車に乗せる代わり、オマエに乗せろとか言ってもダメだからね。可哀想だとは思うけど、アタシは愛のあるセックスしかしないから・・・」
「ちょっと待て!いつオレがそんな事を言った?って言うか、そんなこと思ってないし、何でそういう流れになってるんだ?」
オレはそう言いながら、レベッカがもうそういう経験があるのか気になった。自分の娘も十年ほど経ったら、そんな年頃になるかと思うと少し寂しくなった。
「冗談だよ、友二。ゴメンね!からかって。ただ、最近思うんだ!援交とか言ってるけど、あんなのただの売春だよ。言い方をぼやかして罪の意識を軽くしてるだけだよ。ズルイよ、大人って・・・でも、友二は違うよね?」
「そうかな?分からないぞ!キミはオレのこと何も知らないじゃないか」
「分かるよ!ズルイ人は、そんな何回もからかわれないよ」
「それもそうだな」
妙に納得したオレであった。しかし、この娘は本当に不思議だ。オレより半分ぐらいの年月しか生きていないのに、オレより多くのことを知っている気がする。
オレも結構いろいろあったのだが。
そうこうしている内に、隣町に入り店もチラホラ出てきた。今日は昼抜きだったから腹がすごく減った。
ちょうどファミレスが見えたので迷わず駐車場に車を停めた。
「何にしようかな?」
「何でも好きなもの頼んでいいよ」
「ホントに?じゃあ極上ステーキにしようかな?エビフライもつけていい?」
「あ~、いいよ!」
席に着いたオレたちはメニューを見ながら、そう話した。小生意気な娘だが、独り寂しく帰京するよりは話し相手がいたほうがいい。それにここを出て、高速に乗れば三~四時間で東京に着く。朝には成田からマレーシアへ向かい、地獄のような忙しさに見舞われるだろう。
その前のほんの少しの息抜きだ。
いつのまにかオレはレベッカのペースに乗せられ、からかわれ、ヘンな快感を覚えたのだろうか。そんなM体質ではないのだが。注文を済ませ、オレはトイレへ向かった。
用を足し手洗いして扉を開けた。
するとおかしな光景になっていた。目の前にはファミレスの広い店内ではなく、壁が見えるだけであった。扉を間違えたと思い、もう一度トイレの中に戻り見渡した。
普通のトイレで扉はひとつしかない。いま自分が開けたこの扉だけだ。見間違いではないが、振り返ってもう一度扉を開けた。やはりさっきと同じで目の前は壁である。
不思議に思いつつ外へ出てみた。左を見ると玄関で右はガラスの扉で灯りが漏れていて、笑い声が聞こえる。
そこはリビングのようだ。どうしてファミレスのトイレ
を出ると全く違う景色になっているのか。
もちろん酒を飲んでいるわけもなく、勘違いでもない。
考えていても仕方がないから、とにかくもう一度トイレに戻ってみようとしたその時、笑い声とともに人がこちらへ近づいてきた。オレはドアノブを握って回そうとした。
すると・・・。
「もう、羅音ったらぁ~ちょっとトイレに行ってくるから続きはあとで」
そう聞こえたので慌てて、玄関の方に向かい外へ出ようとした瞬間、目の前の扉が開き中の電気が消えた。
ヤバイと思い体をのけ反ったが、もはや間に合わない。
部屋の中から人が出てきた。一方、リビング側の扉も開き、人が出てきた。< 万事休す>
「ほら、花梨。あったよ!これでしょ?」
部屋から出てきた女性が言った。
「そう、それだよ!忍。懐かしい」
そう言ってリビングからきた女性が返した。ちょっと待て。廊下で話すふたりの女性は目の前のオレに気付かないのか。部屋から出てきた方とはいま目が合った。
いくらオレが玄関に逃げたからと言っても、手を伸ばせば触れる距離だ。明らかにおかしい。
通常、その家に誰かいると分かっていても、ドアを開けてその前に人が立っていると驚く。実際いまのオレも声は出なかったが、表情は強張り目を丸くして驚いた。
その女性も一瞬オレと目が合ったはずなのに、何事もなかったようにスルーした。いやそうじゃなくて、見えていないのだ。リビング側からきた女性もオレに気付いていない。
玄関なので隠れる場所もなく、気持ちだけは小さくなっているオレだが、廊下に見知らぬ者がいれば大声で叫ぶはず。そんな素振りは一切なく、やはりこちらも見えていないようだ。
「あの~」
オレは彼女たちがリビングに行こうと扉を開けた瞬間、小さな声でそう言った。それは目には見えなくても、ひょっとしたら耳では認識されるかもしれないという不安からだ。
しかし同時に確信も少しあったから、あえて危険なマネをおかして賭けに出た。案の定、彼女たちは何事もなかったように扉を閉めた。暗い廊下で一連の出来事を振り返った。
トイレから出た先が全く違う世界でそこにいた人間にはオレの存在が分からない。これはどういうことか。
「クックックッ!」
思わずオレは普通のトーンで笑った。
三十二年間も生きてくれば、それがどういうことか大方の見当はつく。理由は分からないが何かの拍子で、違う世界へトリップしたのだろう。ここでのオレは透明人間であり、誰にもその存在を気付かれない。これが笑わずにはいられようか。誰もが一度は考えたことのある夢のような出来事だ。
男なら女風呂に入ってみたいとか、どんなに悪い事をしても捕まらないとか、実際そんなテーマで製作された映画やテレビがいくつもあった。一瞬オレもそう思ったが、今の段階では本当にどこまでそうなのかまだ分からない。
それよりも、もし本当にそうならここから帰れるのか。
元の世界に戻れるのか。明朝にはマレーシアに発たねばならない。いや、それよりもこのままもし戻ることができなければ娘に二度と会えない。
それだけは絶対に避けなければいけない。娘をこれ以上悲しませるわけにはいかない。そのためにも、ちゃんと確かめてみよう。もう一度オレはトイレの扉を開けたが、そこはファミレスのものではなく、この家のトイレになっている。
次にさっき女性が出てきた部屋の扉を開けてみた。電気を付け部屋を見渡した。そこは一目で女性の部屋だと分かる。さっきの人の部屋だろうか。
「これじゃ泥棒じゃないか!」
どことも知らないところでの独り言は空しさより、恐ろしさのほうが勝っている。そこでオレは閃いた。
玄関ドアを開ければ分かることじゃないか。もしかしたら、そのまま元の世界に戻れるかもしれない。
期待と不安の中、玄関ドアを開けて驚いた。
「東京!」
思わず大声で叫んだ。だがオレの声などいくら大きく発したところで周りには聞こえないだろう。
なぜならここは少し離れているが、目の前に赤く光る東京タワーが見え、高層マンションの共有廊下で、クラクションを鳴らした車と風の音がするだけだ。
「ダメだ!出口がない。どうしよう」
そう思うと途端に恐ろしくなってきた。さっきまでの半分楽天的な考えを改めなければならない。これが現実ならば、いくら今ここが家のある東京でも極めて危険なことだ。
ほんの数分前までは東京より数百キロのところにいて食事をしようとしていた。そんな数分で移動したというのにオレは、いまのところ体には何ら異常はないし、思考も正常に働いている。なにより、いまここでは存在していないことになっている。ちょっと待て。ということは場所だけではなく、ひょっとしたら時間も超えているかもしれない。
幸い目の前の景色を見ると、古代や江戸時代ではなさそうだ。さっき出逢ったとはいえレベッカも心配しているだろうし、何よりあんな子供がひとりで夜のファミレスにいるのも不思議に思われるだろう。
でも、むしろそっちの方が彼女も安全に保護されていいかもしれない。見ず知らずの男といるよりは・・・。