タイムトラベル
翌朝、物騒がしい音で目が覚めた。ソファーで寝ていたオレは起きて見渡したが、瞳の姿は見えない。
まだ寝ているのだろう。そのままベランダへ朝陽を浴びに出た。すると、先程の騒がしい原因が分かった。
それは隣の部屋からのもので、何人もの人が話しているのと、嗚咽のような声が聞こえてきた。
ベランダ越しに中を覗くと、そこは大勢の人の声がしていた。確か隣は蝶子の部屋でこんな朝早く、何をしに来ているのだろうと思った。玄関に回って外に出てみた。
すると、廊下にもたくさんの人がおり、その中に瞳がいて男性に腕を掴まれている。ベランダで聞こえた声は廊下から部屋を通り抜ける程の大きさで泣いている瞳のものだった。
瞳は部屋に入らないように男性に制止されていた。
程なく全身に布が掛けられた担架が部屋の中から出てきた。そこに近づく瞳は泣きながら叫んだ。
「美紀さん、美紀さん。起きて!ねぇ、起きてよ!どうして?どうしてなの?」
今度は刑事と思われる男性に聞いている。
「どうなっているんですか?美紀さんは?」
刑事は瞳を落ち付かすよう壁にもたれ掛けさせ、冷静に言った。
「まだ今のところ何とも言えませんが。おそらく自殺でしょうな」
「そんなはずありません!美紀さんと私はこれから大事な仕事に取り掛かる予定だったのですから…」
「その辺も含めて、まだこれから捜査するのですが状況から言って、その線が濃厚だということです」
「どうして?」
「彼女の横には薬のビンと酒が転がっており、まぁ、おそらく大量の睡眠薬とアルコールを同時に摂取したのでしょう。お気の毒です」
放心状態の瞳を連れて、刑事は部屋に入りイスに座らせた。
「後ほどお話を伺いに来ます」
「・・・」
うな垂れて座る瞳に声すら掛ける事が出来なかった。
オレは気配を消すように部屋の隅にあるイスに腰掛けた。
昨夜、瞳が一度蝶子の部屋を覗いた時はまだ帰宅しておらず、彼女はそれから僅か数時間の間に戻って来て、睡眠薬と酒をあおって自らの命を絶った。瞳の話によると、その直前まで別れ話をしていたらしい。
蝶子は失恋が原因で自殺を図ったのか、それとも他の理
由も重なった上での事か。今となってはそれも分からない。
ミラの話をよく考え直すと、一九八六年、つまり来年の夏に前年亡くなった蝶子を偲んでいたということは、今日が九月十一日だから今から三カ月の間しかなかったというわけだ。まさか、昨日蝶子に出会って僅か数時間後にこんなことになるとは…。せめて蝶子の命日でも知っていれば、瞳に伝えて何か手が打てたかもしれない。
今になってそう思っても、後の祭りである。
イスに座っていた瞳はリビングの窓を全開した。
朝まだ早いが生ぬるい熱気と時折冷えた空気が部屋の中を通り抜けた。そのまま瞳はベランダに出て、京の山々を眺めている。何度か蝶子の部屋を見て唇を噛みしめている。
しばらくして部屋に戻ってきた瞳が言った。
「美紀さん、どんな思いで部屋に戻ってきたのだろう。壁一枚を隔てたこっちに私がいたのにね…。あの人のことだから、遅く帰ってきて私を起こすのが忍びないと考えたのだと思う。切なくて、やり切れないね。寂しかっただろうな、美紀さん」
瞳は蝶子の部屋のほう、壁に向かってそう呟いた。
「瞳さん。こんな時に言うことじゃないかも知れないけど、蝶子さんは少なくても孤独ではなかったんじゃないかな?こうやって、隣人の瞳さんが泣いてくれる。それに、昨日鳥羽の話をしたの、覚えている?」
「ええ。幼馴染の子たちの話よね?」
「そう。その中に、ミラという娘がいたのだけど、彼女は鳥羽の海でかなりの量の線香花火で蝶子さんを偲んでいたよ。今から十カ月後の話だけどね」
「そうなんだぁ。ミラさんって確か美紀さんの後輩の人だよね?」
「そうだよ。知ってるの?」
「ええ。一度、美紀さんに紹介してもらったことがある。凄くキレイな人でよく覚えている。歌手だよね?そうかぁ。よかった」
「今日起きた出来事は戻せないけど、少しでも未来の事を知っている僕に話すことはできる。それが僅かでも瞳さんの希望に繋がるなら、いくらでも伝えるし、なんなら僕はこの世界に残ってもいい」
そう言ったあと、オレは急に恥ずかしくなった。
何を血迷ったのか、瞳の寂しげな顔を見ていて、思わずそう口走ってしまった。昨日彼女に出会って、能力者ゆえの親近感と同情、それに過去の出来事を聞いたことで感情移入が多かっただけではないようだ。
今回オレは今までにない気持ちで瞳の前にいる。
その総決算のような言葉が心の奥に仕舞っていなければならないのを、隠しきれず口に出してしまった。
しかし、そんな思考停止のオレに瞳は冷静な感情を持って補正してくれた。
「ユウジくん、ほんとありがとう。本心を言えば私にとってそれは有難いことで、できるならそう願うところだけど、ユウジくんにはもっと大事なことがあって、そのためには絶対元の世界に戻らないといけない。だから恩返しの意味もあって、私が持っている力を最大限に使ってあなたを送り返す」
その瞳の言葉と表情から、蝶子の悲しみを少しだけ乗りこえたような気がした。瞳は準備に取り掛かった。
オレは彼女に言われ部屋の隅に置いてあった、リクライニングチェアをベランダ近くの窓際に移動した。
瞳は水筒に入れていた下鴨神社の小川から汲んだ水を
桶に移し替えた。
「これでよし。じゃあ、ユウジくん、イスに座って背もたれを目一杯倒して!それから、拾ってきた石を左手で握ってくれる?」
言われた通りオレは横になって石を握った。
瞳はオレの傍らに近付いて膝をついた。
「この石に何か意味があるの?」
「ええ。これがなければトラベルできないの。この石はいわば、ユウジくんの位置情報で出発地点の時代と場所を示すものなの。その時代のモノなら何でもいいのだけど、石はその土地に長い間あるものだから測り易い。それを手にした瞬間から、その人とリンクしてそれが道標の役割を果たすの」
「へぇ。窓際にも理由があるの?」
「それは太陽の恵みをいただくってこと。これは別に意味はないけどね。それから、一番大事なこれ!」
そう言って瞳は桶に手を入れて、まるで水を揉むように手を擦り始めた。
「少し濡れるけど我慢してね」
桶から手を出した瞳はそのまま左手をオレの額に当て目を瞑った。顔を横に向けていたオレは真っすぐ戻し、同じように目を瞑った。
「ユウジくん、本当にありがとう。もし、無事に戻れて時間があったら、ここに寄ってくれる?ユウジくんにもう一度逢いたいよ」
「ああ、必ず逢いに来るよ」
「ほんと?」
「約束する」
瞳の指先に一段と力が加わり、オレの眉間は温かくなった。指が離れると、今度は目を瞑っているのに一層辺りが暗くなった。それは瞳がオレに顔を近づけてきたからだ。
そして、瞳は自分の額をオレの額にくっつけて聞こえるか聞こえない程度の声で何か言っている。
彼女の息がかかるほどの距離でオレは目を開けることが
出来なかった。
「ユウジくん。また今度、デートしようね」
嬉しい瞳の言葉に返事をするため目を開けたが、もう目の前に彼女はいなかった。




