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レベッカ  作者: 橘晴紀
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謎の少女

 ふたりで同時に出発してカーブを一本二本と攻めていく。長い直線を風の抵抗から避けるため、顎をガソリンタンクにつけて前傾姿勢をとる。横目で見ると同じく達也もそうしている。すると、甲高い音が後方から聞こえてきたと同時にバックミラーが光った。

 心の中でアル子の名前を呼ぶ暇もなく、すぐ後ろに彼女の気配を感じた。直線が終わりカーブに差し掛かったとこで、アクセルを戻した。左に達也、オレはセンターラインぎりぎりに走っていたので、高をくくっていたが、なんと彼女は反対車線にはみ出しオレを抜き去った。

 そして抜き際にピースサイン後、手を振り白い煙とオイル香を残して行った。呆気にとられスピードダウンしたオレたちは、アル子が今日はもう帰ったと思い、国道までの峠を攻めて帰ることにした。

 平日と日が暮れたこともあってギャラリーの姿もなく、ふたりだけのレースは終盤を迎えた。山を下り、道が重なり合って見える先に、ラストのヘアピンカーブも見えてきた。

 やはり予想通りオレは達也の前を走っている。長い下りのあと、ヘアピンをクリアした先に大きな木があり、いつもそこをゴール地点にしている。ハッキリ覚えていないが、これで対戦成績が4対50ぐらいになり、達也から四回目のご馳走になりそうだ。

 ヤツはちゃんと約束を守っているけど、オレが約束を果たしたのは負けた数に全然及ばない。達也も自分が圧勝しているのを分かっていて、いつも許してくれている。

 そしてコーナーに差し掛かり、アクセルを戻してブレーキをかけたその時、オレの横を何かが通り過ぎた。

「なに?またアル子?」

 ヘルメット内に自分の声が響き渡った。コーナーを出た時、大きな音がしてバックミラーを見たオレは夢を見ているようだった。小さなミラーの中に映ったものを確認するため、バイクを停め振り返った。

 瞬時にミラー越しに映った光景が夢と願ったが、それは叶わず大きな音と一緒に現実を突き付けた。

 ヘアピンカーブのすぐ下は岬に向かう崖になっており、安全のため道路に沿って大きな壁が築かれて、まるで要塞のようにそびえ立っている。

 オレは全力疾走で壁のところに向かった。大きな音の正体はバイクが壁にぶち当たり、大破したためで少し煙も出ている。それから数メートル先に人形のように横たわる達也

がいる。それがどういうことか、頭では理解できても体がそれ以上動かず声も出ない。同じ動かないといっても、目の前の達也とオレでは雲泥の差ほどある。

 それからどうなったのかオレの記憶はない。ないというより、現実逃避をして自分で消し去ったといった方がいいかもしれない。罪の意識と大切な親友を失ったという、恐ろしさと哀しみの裏返しである。自分のエゴが招いた取り返しのつかない言動。後悔というそんな単純な言葉では片付けられないことをしてしまった。

 それは女手一つで育てた達也の母親、最近達也と付き合い始めた彼女、あいつを慕っていた友人や後輩。直前の事情を知らない彼らにオレはどう話したらいいのか、それすら分からず、達也の葬儀が終わると家に引きこもって、それからふた月もの間一歩も外へ出ることはできなかった。

 もちろんバイクに跨るどころか見ることさえも拒んだ。

体重も十キロ近く落ち、このまま高三の夏を終えて中退しようかと考えていたある日、達也の母親が家に訪ねてきた。

 オレを心配してくれていた両親や兄、友人たちから事情を聞いてやってきたという。この二ヶ月間誰とも合わず、家族ともほとんど口を聞いてなかったオレだが、なぜか達也の母親には話さなくては、と思った。

「友二くん、痩せたね。ちゃんと食べなきゃダメだよ」

「おばさん、オレ…その~何て言っていいか…オレのせいで達也は…」

 達也の母親は俯いて泣くオレの目の前に自分のハンカチを出した。

「もう泣かないで友二くん。この間四十九日が終わって、もうあの子も天国に着いていると思うから言うわ。友二くん、あの子が亡くなったのは自分のせいだとか思っているんじゃない?それは違うよ」

 オレは驚いた。あの日のことは誰にも言っていないのに、達也の母親はどうしてそんなことを言うのか、何か知っているのか。

「友二くんはたぶん、あの子が鳥目だと思っていたんでしょ?」

「えっ、どうしておばさんがその事を…」

「違うの。こんなこと言ったら友二くんに悪いけど、あの子が生前いつも言っていたの。自分は本当にレーサーになるつもりだけど、友二くんは向いていないって言っていたわ」

 もうひとつオレは驚いた。達也がそんな風に思っていたなんて。達也の母親は続けた。

「あの子が友二くんに初めて負けた日のことを覚えている?」

「はい。その日の帰りに達也にラーメンをおごってもらいました」

「あの子、暗いからって言い訳していたでしょ?その日に負けたのは本当だったらしいけど、そのあとはわざと負けてたんだって」

「え~、なんでぇ?」

 オレは驚いて聞いた。圧倒的に少ない四回の勝ちが一回だったとは。

「あんまり友二くんが喜んでいたんで、言いだせなかったんだって。いつも言おう言おうと思ったら日が暮れて言えなかったって」

「そうか、だからあの時も…」

「あの子、すごく勘のいい子だったから」

 達也は本気でレーサーになるつもりだった。そしてオレの才能まで見透かして、親友ゆえに言いづらかったことも今となっては、空しく心に響いた。

 帰り際達也の母親はオレに、いつまでもいじけていないで早く学校に戻って、自分の将来に向かえと励まされ同時に活を入れられた。ほんの少しだけホッとした気持ちと達也の思いが、その時のオレを突き動かしてくれたような気がした。

 あれから十五年の歳月が過ぎ、あの事故以来はじめてケープロードを走っている。操っているのはバイクではなく車だ。峠の入り口に看板があり、そこには< 休日前夜間二輪車通行禁止>と書かれている。

 達也が死ぬ前に一件の死亡事故があり、アイツの死の二カ月後、ギャラリー四人を巻き込んで五人死亡の事故が原因だ。若さゆえ怖いものもなかったあの頃、オレたちには制限速度は存在せず、右に左にまるで体の一部のようにバイクを転がしていた。今は慎重にハンドルを握ってワインディングロードを進んでいる。

 それは年を取ったことや守るべきものが増えたことがそうさせているのだが、一番の理由はまもなく近づくあのヘアピンカーブがそうさせている。

 普段車の運転でハンドルを持つ手は片手だけで、今この時は教習所以来の八の字握り。あとふたつカーブをやり過ごすと、長い坂の先にあの地点がある。

 唾を呑み込み額と手のひらの汗を拭うのに、ハンドルから手を離すのも緊張する。幸い後続車もないので停まるほどのスピードでヘアピンを迎えた。

 余裕はなかったが一瞬、あの壁を恐る恐る見た。

そこにいるはずもないのに、なぜか達也がいるような気がしたからだ。当たり前だが、普通に通ることができた。

 オレは何もこの場所を克服するために来たんじゃない。本来の目的に向かって車を進めた。岬にある達也の墓参りに来たのだ。ひとりで里帰りするのは大学以来で、結婚後は妻や娘と帰省していた。妻が嫌がっていたので、仕事を理由にいつも慌ただしく東京に戻っていた。

 今回もすぐとんぼ返りで、ゆっくりはしていられな

いが、どうしても達也に報告しなくてはならない事があった。緊張のドライビングも無事に終え、ようやく目的地に到着した。

 海がよく見えるところで墓地というよりは公園といったほうがいい。生温かい風がその場所の雰囲気をより一層引き立たせている。段々、日も暮れはじめオレは達也の墓の場所を探した。

 なんせ十五年ぶりなのと、当時人前にも出たくないほどの状態で、無理やり兄に引っ張ってきてもらったぐらいだから。ようやく達也の墓を見つけて前に立った。

 わりときれいに掃除されていて、誰かが頻繁に訪れているようだ。達也の母親はあの事故のあと、この地を離れたらしいがたまに来ているのだろうか。

 あの頃、オレと達也はバイク以外に夢中になっていたものがあった。俳優の松田優作が好きで特に彼が主演した「探偵物語」というテレビドラマを、ビデオテープにダビングして、テープが擦り切れるほど見て、ふたりでよくマネをして主人公に成りきっていた。

 いつかあんなカッコイイ大人になりたいと、いつも話していた。おそらく今のオレは主人公と同じくらいの年齢だが遠く及ばない。だから、せめて達也はあの世でそうなってほしいと、主人公も、演じた優作本人も好きだったタバコのキャメルと、オールドクロウという銘柄のバーボンを墓前に捧げた。

 箱からタバコを一本出して火をつけ、線香代わりにした。

 さすがに酒を墓石にかけることは遠慮した。

「達也、すまない。本来なら結婚前にここへ来て報告をしなきゃいけないのに、それどころか、通り越して離婚しちまった。しかも一年前に…」

 オレは墓石をさすってヤツに謝った。

なぜそんなことをするのかというと、達也が死ぬ一カ月前、峠にギャラリーとしてよく来ていた女の子の一人と、達也が付き合い始めた。二つ下の子でアイツのファンだった。

 当時オレたちや他のライダーと一緒に仲のいい子もたくさんいて、それでよく遊びに行き、その後付き合うカップルも結構いた。皆いろんな地域から来ていたので、遠距離で付き合っていた奴らも多くいた。

 達也と付き合っていた彼女は亜衣といい、当時高校一年生。付き合って一カ月で恋人を失うという悲しい目にあった。達也は時間があれば彼女が住む名古屋までバイクを飛ばした。ガソリン代がかかるからと、亡くなる一週間前にまたバイトを始めたところであった。

 一度だけヤツらのデートにオレと亜衣の友達が、誘われて遊びにいったことがあった。あとで分かったことだが、その友達がオレを気にいっていたらしく、どうも達也と亜衣がオレたちをくっつけようとしていたらしい。

 そして時間は流れ、東京に出たオレは大学を卒業後いまの会社に就職し、ある時偶然に父親の仕事で東京に戻っていた亜衣に再会した。達也の葬儀で会って以来である。

 何度か会う内にいつしかオレたちは惹かれ合い、そして結婚した。五年間の結婚生活のあいだ達也の話をしたことは一度もなかった。それはお互いワザとそうしていたのか、それとも忘れていたのか、まぁ今となってはどうでもいいことだが・・・。

 逆にいえば、そんな関係でよく五年もったものだ。

 そんなことを考えている内にタバコは消え、二本目に火をつけ立ち上がった。ふと海のほうを見ると、水平線に日が沈んでいくところだった。その光景を見てオレは思わず叫んだ。

「みどり、緑色の太陽!」

 それは太陽が半分姿を隠したところで、赤いはずの色が確かに緑に見えた。あの日、達也が見たのは本当だったのだ。

 冗談で全く取り合わなかったオレだが、いま目の前の太陽は間違いなく緑色である。でもおかしい。

 だいぶ後になって分かったことだが、仕事で海外に行く機会が増えて判明したことであるが、緑色の太陽というのは< グリーンフラッシュ> という現象で空気のよく澄んだとこでしか見えないらしい。

 日本では小笠原などの離島でしか見えなく、そこでも年に数回しか拝めないといった、極めて珍しい現象だそうだ。

 それがどうしてこんな所で見えるのだろう。そうこうしている内に太陽は沈んだ。携帯のカメラでも撮っていればよかったが、暇はなかった。でも確かにいまそう見えた。

「ねぇねぇ、おじさん!」

帰ろうとしたその時、後ろでそう聞こえたので、振り返ると女の子が立っていた。オレは逆方向を見渡し、誰もいないのを確認すると自分を指さしその子に聞いた。

「オレのこと?」

「当たり前じゃん!おじさんしかいないでしょ?」

 その呼び方にムっときたがここは押さえた。それにしても、いくらオレが考え事をしていたとはいえ、こんなに近くに来るまで気配を感じないのもおかしい。

 場所柄もしかしてと思い、オレは女の子の足元を確認した。

「どこ見てんのよ!いやらしい」

「いやいや、そうじゃなくて・・・」

 まさか幽霊かとも聞けず、それ以上言わなかったが今の彼女の勢いなら、そんな訳はないだろうと思いその場を離れかけた。

「ねぇ、駐車場にある白い車、おじさんの車だよね?」

「あ~、そうだよ」

「助かった~。東京に帰るの?」

「そうだけど、何で分かったの?」

 やはり、この子はこの世のものではないのか。

「だって、墓地の駐車場に車が一台、ここにはアタシとおじさん、車は品川ナンバー。これで十分でしょ?」

 確かにそうである。不思議な太陽を見た後に現れた少女。墓地という場所に自分で勝手に思い込み、気が回らなかっただけだ。そう思うと笑みがこぼれ、少し恥ずかしかった。

「ところでキミひとり?確かさっき助かったって言わなかった?何かあったの?」

 半笑いのあとの言葉に彼女も少し警戒したのか、眉をひそめて言った。

「おじさん何か企んでいるの?アタシがひとりだったらどうするつもり?」

「ちょっと待て!声をかけてきたのはキミのほうだろ?何でオレが企まなきゃいけないんだ!」

 オレは少し声を荒らげて言った。

「冗談よ、冗談。そんなにムキにならなくても…逆に怪しいよ」

「まぁ~そうだな」

 彼女の言う通りだ。大人気ないのと同時に完全に相手のペースに乗せられている。こんな短時間に二度も恥ずかしい思いをするのは初めてだ。それにしても不思議な子だ。

 こんな所にひとりでいるのもそうだけど、それでいて何か憎めない感じで、初めて会った気がしない。

 高校生ぐらいだろうか。あまりジロジロ見ていると、また何を言われるか分からないから、とりあえず車のほうへ向かいながら彼女の話を聞いた。

 彼女によると、墓参りに来たが帰りのバスがなくなり途方に暮れていたという。何度かこの周辺にも来たことはあるが、バスが運行していたのは知らなかった。

 そらそうだろう。この辺りは墓地以外には展望台があるくらいで、ほとんどの人が車で訪れる。

 それゆえに、バスも一時間に一本程度、しかも十六時が最終だという。オレは彼女がなぜひとりで墓参りに来たのか、しかもこんな若い娘が誰を参りにとも思ったが、それはマナーとして聞かずにいた。もちろん彼女もオレに何も尋ねなかった。

 辺りは暗くなり、他の場所よりも灯りが少ない所なので、とりあえず車の中に入った。室内灯をつけ改めて彼女に聞いた。

「それで、どこまで送ったらいい?」

 そう言って彼女のほうを見ると、口元が緩みイヤな予感がしたので慌てて言い直した。

「いや、ヘンな意味じゃなくて、その~どこら辺りかっていうことだよ」

「なに慌てているの?まだ何も言ってないよ。フフッ、なんか、おじさんカワイイ」

「コラっ、大人をからかうんじゃない!」

完全に見透かされている。

「それに、キミが思うほどおじさんじゃない!年だって、三十を回ったところだし、それに娘もまだ五歳で・・・」

 後半オレは小さな声になって、必死に言う自分がバカらしく思えた。

「またまたムキになって、ホントかわいいんだから…。下の名前は?」

 また少女にからかわれた。しかも唐突に聞かれたのは名前。どうして名字じゃないんだと思いつつ、素直に答えるオレであった。

「友二!」

「へぇ、顔のわりに平凡な名前ね」

「ほっといてくれ!悪かったな、どこにでもある名前で!それで

キミは?」

 またムキになっている。

「@¥*#&%。レベッカでいいよ!」

 エアコンが効くまで窓を全開にしていたので風が車内を駆け抜け、肝心な前半部分が聞こえなかった。

 それにしてもレベッカって、どう見ても日本人じゃないか。どうやったら、そう呼ぶような名前になるのか。もう一度聞くのも、しゃくだからそのまま聞かないでおいた。

「それで、どこまで送ったらいいのかな?お嬢さん」

「あ~、そうだったね。え~っと、そうだね~、渋谷でいいよ」

「わかった。じゃあ出発するよ」

「ヨロシクね!友二。それより、お腹減った。何か食べさせて」

 なんだかんだ言っても子供だ。手を合わせてねだる顔は、まだ幼さを残している。


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