カレの行方
公園に着くまでと、ここを離れたあとの車内は天国と地獄のようで、降り積もる雪は心の壁のように高くなり、降って来る雪はこのまま車の天井をも押しつぶすかのように、重い固まりを頭上に感じた。
雪希のカレは昼過ぎに早退して、家にも不在であるという。心配という心のブレーキと路面の雪が、左程遠くない家路を遅らせた。難なくこの地域では御殿と呼ばれる雪希の家に入ったオレは、沈む彼女のあとについた。
池を見下ろす長い廊下を歩いていると、お手伝いさんと思われる女性が雪希に付かず離れずの距離で話しかけた。
「お嬢様。客間に沢良木様がお待ちです」
「そうですか。お父様は?」
「はい。本日は遅くなるとのことです」
「ありがとう。美枝さん」
お手伝いさんはそう言い終わると、離れて行った。
ちょうどそこで障子が開き、部屋の中から声がした。
「雪希さん、こんばんは。今日は随分お帰りが遅いようで…」
雪希はその部屋を通り過ぎようとしていたのだろう。
振り返って部屋の中にいる声の主に急ぎ早に答えた。
「こんばんは。着替えてきます」
そう言って小走りで廊下を歩いた。その先は突き当たりで池を囲むよう左に廊下は続き、奥にある離れが雪希の部屋のようだ。障子の開いている部屋を覗くと、そこには如何にも高級なスーツを着ている長身の男が立っており、歩いていく雪希を眺めている。
オレは雪希を追いかけて離れに向かおうとしたその時、男はポケットから大きな携帯電話を取り出してどこかに掛けている。まだ一般にほとんど普及していなかったこの時代、月額基本料だけで数万円もし、バッテリーの替えを持っていないと一日持たない。
しかもあまりにも重くてかさ張るので胸ポケットには入れられない。金持ちか仕事で使う者しか使用せず、一般の者がまだ携帯電話という名前すら知らない時代だった。
オレは透明人間をいいことに男の前で堂々と懐かしんでいた。すると男は話しだした。
「もしもし、ああ僕だ。どうだ、そっちは?ちゃんとヤツを見届けたか?いま、上西邸にいる。彼女はまだ気付いていないようだ。少しいつもと様子が違ったから、いないことくらいは知っているかもな」
話の内容から雪希と彼の事を言っているのだろう。あまりいい話をしているとは思えない。
その時、後方からバタバタと廊下を走る音が聞こえた。
雪希が慌ててこちらに向かって走って来ている。
それを見て男は言った。
「どうやら、お嬢様は気付かれたようだ。それでは僕も動くとするか。そこで待っていてくれ。三十分はかからないだろう」
電話を切った男は廊下の前へ出た。
男の前で息を切らした雪希が言った。
「ゴメンなさい、沢良木さん。用事ができましたので出かけます」
「残念です。じゃあ、また来ます」
沢良木に頭を下げ、雪希が走って行ったので、オレは追いかけながら聞いた。
「どうかしたのか?」
「カレから手紙が来てこの町を出るって」
「え~!」
玄関を出て駐車場に走る雪希は軽装のままであった。
それがかなり急いでいることを物語っている。
それはそうだ。不在だったカレが突然、町を出ると聞けば後先など構っていられない。そこでオレはさっき沢良木が言っていたことを思い出した。
あの男は雪希のカレがいなくなったことを知っている。
いや、それだけではなく何らかに関与している。
雪希に付いていこうと思ったが沢良木の方が気になったので、そちらに付いて行くことにした。
「雪希ちゃん、気をつけてね。僕は確かめたいことがあるから、沢良木を追う」
そう言って着ている上着を雪希に渡して屋敷に戻った。
雪希は頷いて車で出て行った。ちょうど玄関に着くと沢良木がゆっくりとこちらに向かってきた。
やけに余裕で薄笑いすら浮かべている。
沢良木が車に乗り込んだので後部ドアを開けようとすると、車が動き出し慌てたオレはドアに体を預けると、ス~っと車内に入る事ができた。気付かなかったがドアも透き通ることができるようだ。今まで律儀にちゃんと手で開けて入っていたのがバカらしく思えた。
考えてみればそうなのだが、オレは未来からきた人間だ。
この沢良木という男は一体何者なのだろう。
名前に聞き覚えがあったが、高価なスーツに外車。
上西家に出入りするぐらいだから、それなりの職業に就いているか、出がいい男なのは間違いない。
すると沢良木はおもむろに自動車電話をかけ始めた。
「もしもし、僕です。陵です。首尾は上々です。例のモノを雲畑から預かり次第、東京に戻ります。すぐに婚礼の準備に取り掛かります。それでは後ほど」
沢良木は東京の人間なのか。それにしても雪道の運転には慣れているようだ。話を整理してみよう。
雪希のカレが約束を破ってまで、仕事を早退し彼女に手紙だけで用件を伝え、町を出て行った理由とは何か。
そして、そのカレの行動及び何らかの事情を知っている沢
良木はこの後、誰かと会って何かを受け取り、東京に戻るという。沢良木が電話を掛けた相手は目上のようで、ヤツが持ち帰るモノを待っている。
そして最後に「婚礼」と言った。急いでいるようで、この一連の流れに関係しているかもしれない。




