溶けた蟠り
花梨は窓を開けて都会の夜景を眺めている。さっきまでの重厚な話がまるで、幻想のように静まり返った部屋に生温かい空気が流れた。それは羅音が玄関ドアを開けたからだ。
金属音と共に静かにリビングへ入ってきた羅音はオレの方を見て頷き、そのまま窓際に向かった。
外を眺めていた花梨が振り返った表情を見て、羅音は不思議そうにしている。唇を噛みしめながら花梨は羅音に抱きついて言った。
「私イヤだからね!このまま羅音と忍がケンカ別れになるのは…」
「どうしたのよ!花梨。そんなわけないよ」
「ホントに?」
「うん。大丈夫!」
「見えてるの?」
「ううん。そうじゃない!見るんじゃなく、相手を思いやることが大切だ!って、ある人から言われた」
そう言って羅音は振り向きオレに微笑んだ。
「でも、どうしたの?花梨。忍、帰って来たんでしょ?」
「うん。疲れているみたい!部屋にいる。忍、この家を出るって言ってるよ」
羅音は花梨の頭を撫でて忍の部屋に向い扉をノックした。
「忍、わたし忍に謝ろうと思って…」
「どうしてよ!それは私のほうよ」
部屋の中から忍が言った。
「私はヘンなモノに頼って周りがよく見えなかったの。ちゃんと向き合ってこなかった。聞くばっかりで、ちゃんと考えなかった。どうして忍があんなすぐバレるようなことをしたのか?そんな風に考えたら、何となく分かった。忍は私に何か気付かせたかったのよね?方法がいいか、悪いかは別にして…」
玄関に移動したオレは部屋の前でそう話す羅音の横顔を見ている。花梨もリビングから様子を伺っている。
すると、扉が開き羅音は部屋の中に入った。オレもふたりの様子を見届けようと部屋の中を覗いた。
忍の部屋はそこら中、デザインを描いた紙が散乱しており、マネキンに服が掛けられている。
どうやら忍はファッションデザイナーのようだ。
「本当に出ていくの?」
「うん」
忍は荷作りをしながら答えた。
「急ぐの?」
「羅音。私たち暮らし始めて三年になったね。何回か私が出て行ったこともあったけど」
「そうだね」
ふたりとも微かに笑みがこぼれている。
「私、夢にまた一歩近づけた」
「何か、いいことあったの?」
「やっとパリに行けることになった」
「えっ、そうなの?よかったじゃない。これでようやく念願叶うってわけね。早く忍のデザインした服が着たい」
「そんな甘いものじゃない。これからが大変なんだよ」
「そうだろうけど、忍ならきっと大丈夫」
「どうして?見えているの?」
「ううん。私の大切な親友だから・・・」
「何それ。答えになってないよ」
ふたりに再び笑みがこぼれた。
「羅音、お願いがあるの」
荷作りをしていた手を止め忍は、羅音が腰掛けているベッドの横に座り言った。
「祥司のこと頼むね」
「えっ、私が?」
驚きを隠せない羅音。
「そう。私、こっちにいなくなるし…それよりも私たち別れたの」
「え~!いつ?」
「羅音が新潟に行ってる時だったかな?」
「どうして言わなかったの?あっ、そうか」
そう言ってすぐ羅音は言うのを止めた。おそらく、さっきふたりでケンカしている時に忍が言っていたことを、羅音は思い出したのだろう。
「でも…」
煮え切れない羅音の代わりに忍が言った。
「大丈夫よ!さっき言ったことはそれほど思ってないから安心して。そうは言ってもあんなキツく言ったのに説得力ないかぁ?」
「そんなことはないけど…」
どうやら羅音は忍が別れたことを不思議に思っているようだ。
「さっき、あんな風に言ったけど、内心イイかなぁ!なんて思っているの。だって、羅音と祥司は私を救ってくれた恩人だもの…。だから、その大好きな人に幸せになってほしいの」
「どうして?私たちが、忍の恩人?」
「いいの!いいの!そういうことなの!あとひとつお願いがある」
「なに?」
「私、羅音がステージで歌うのを見たい」
そう言われた羅音は忍の顔をじっと見て言った。
「そうなのよね。いつまでも他人のCDを作ってばっかりじゃイヤなのよね。忍はデザイナー。花梨はレースクイーン。ふたりともやりたいことができて幸せだよ。長すぎる夢は早く卒業して、私も頑張らなきゃ!」
とりあえずは一件落着した羅音と忍。
忍はこのまま羅音に本当の想いを告げないで旅立つのだろうか。お節介心が芽生えたオレだが、一応は未来から来た人間として、将来の出来事を語ってはいけないというお約束と共に、胸に仕舞いこんでおこう。
忍が再び荷作りを始めた頃、リビングから花梨がふたりを呼んだ。どうやら、テレビのニュース番組を見ているようだ。テレビに映っていたのは見慣れたニュースキャスターが訃報を告げていた。
「今日、俳優の松田優作さんが膀胱ガンのため都内の病院で亡くなりました…」
一九八九年十一月六日。
元の世界で優作の訃報を知ったのは翌朝。大学に通うため、歯を磨いていた時にラジオのニュースでそれを聞いた。あまりのショックでその後のことは覚えていないほど。
芸能人の死はその数年前にアイドルの岡田有希子が自殺して以来のショックであった。
優作が死んだ数日前の文化の日に当時付き合っていた女性と、彼の遺作「ブラック・レイン」を見たばかりだったので、その驚きは言葉で言い表せないほどであった。
テレビの前にいる三人も驚いているようで、オレにしてみれば二度目のことだが、今ここでまたこの経験をするほうが、本当の驚きである。オレは目の前の三人を見ていて、つくづく思った。いや、正確には今日一日を振り返ってと言ったほうがいい。嬉しいことや悲しいこと、色んなことがあるが、そんな時に気の置けない友達とあれこれ語り合う。
なんと幸せなことか。思えばオレにもそういうヤツがいたが失ってしまった。その後にも友達はできたが、ヤツほどの出会いはまだない。
あの十一月六日も、そして今も思った。
こんな時にオレたちが好きだった優作を偲んで彼が好きだったタバコや酒を酌み交わしたかった。
そんな懐かしさと夢を思い出させてくれた羅音、忍、花梨。まずはこの三人に礼を言わなければならない。
羅音が「今日一日を思いかえせ」と言っていたのはこの事だったのだ。オレは三人の背後に立って頭を下げ大きな声で言った。
「ありがとう!」
そう言ったあと、もちろん羅音だけが振り向き、満面の笑みでオレに言った。
「ユウジ。こちらこそ、ありがとう!また逢えるよね?」
そう言いながら羅音が左手を出したのでオレは彼女の手を目一杯両手で握り返し言った。
「ああ。きっと逢えるよ」
その瞬間、眉間あたりが熱くなり、目の前に閃光が溢れ、羅音が見えなくなった。あまりの眩しさに目を瞑っていると、それは緑色に変化した。




