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セイントアークの王都エーデンベルグの中心には、壮麗たる白亜の城がそびえ立つ。
いや、そびえ立っていた――というのが正確だろう。
美しい白亜の城は、龍の襲撃により見るも無残に半壊し、現在は再建が進められている真っ最中だ。
機能を失ったのは政務や、謁見、儀式などを行う『朝廷』と呼ばれる部分であり、王とその家族などが生活の場とする『宮廷』の部分は辛うじて難を免れた。
そのため、病に伏せる王や、王妃などは、もろもろの安全を考慮した末に今も宮殿で暮らしている。
幾つものフロアにわけられた宮殿の中に、客人をもてなすための離宮が存在し、西の離宮には《剣帝》ジョセフと、《舞姫》アナスタシアが滞在していた。
そして、
「改めて紹介します、お婆様。こちらが、レキ君です」
と、マリアは若干緊張した面持ちでレキを紹介し、
「本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます」
どこかすっきりした表情のレキが頭を下げる。
太陽の休日である今日、レキとマリアは来月に予定されている受勲式に向けて、挨拶回りをしていた。
士官学校の学生という身分もあり、二人とも制服姿である。
畏まる若い二人に、マリアの祖母であり、《舞姫》の称号を持つ聖女アナスタシアは、
「座ったままの無作法を許してね。よく来てくれたわマリア。それにレキさんも。再び会うのを凄く楽しみにしていたのよ。どうぞお掛けになって。歓迎するわ」
白いソファーに腰かけたまま柔和な笑みを浮かべて、嬉しそうにマリアと、その恋人であるレキを迎い入れる。
若かりし頃は西欧随一の美姫と称されたアナスタシアは、老いてなお美しく、エレガントで優しい笑顔は、ただそれだけで人を癒す力を持つように感じられた。
白くなったブロンドの髪を後ろで束ね、上品なベージュのドレスを纏う。
ソファーの横には、白樺の杖が立てかけられていた。
「お婆様、またお膝が?」
「ええ、昨日までなんともなかったのに、今朝から急にね。レキさんも若いからって無茶ばかりすると、私のように歳をとってから後悔するわよ」
アナスタシアは五十年前の《英雄戦争》で、百人を超える勇者達と攻め入ったウトガルズの城にて、かつての親友である少女と戦い、その際に右足を喰い千切られた。
聖術により回復はしたものの後遺症が残り、戦争後は国が安定したのを見届けてから一線を退いた。
「肝に銘じます」
「同じように無茶をしたジョセフは今もピンピンしているのに、不公平だと思わない? でもね、《舞姫》としては戦えない身体になってしまったけど、弟子を育てる喜びを知る事は出来たわ」
アナスタシアがそう言うと、お茶の用意を持って一人の少女が現れた。
一目見て〝剣の一族〟だとわかる黒髪黒目の少女は、髪を後ろで一本に纏め、腰に二振りのシミターを差し、青い『聖十字騎士団』の制服を纏っていた。
レキは、彼女に見覚えがった。
ヴェロニカとの戦闘の際、あの場にいた十三使徒の一人である。
「お茶の用意が出来ました、マスター」
少女はそう言って、テーブルの上にお茶を置いていく。
白い素焼きの茶碗には、鮮やかな緑色の抹茶が点てられていた。
「紹介するわ。私の弟子の中で《舞姫》の称号を継ぐに足る実力を持つ子よ。挨拶なさい、ツバキ」
アナスタシアが促すと、少女はこちらを向いてきっちり七十度の角度でお辞儀をする。
「レキ様に、マリア様。先日はご無礼を。私の名はツバキ。聖十字騎士団の一員にして、〝十三使徒〟の第七席を務めさせております。以後、お見知りおきを」
「顔を上げて下さい。迷惑をかけたのは、僕らの方だ」
「ツバキさん、貴女の名はお婆様から聞いています。《舞姫》の称号が受け継がれれば、これほど喜ばしい事はありません」
レキとマリアはツバキと挨拶を交わす。
ツバキは隣で控えていますと、部屋から退出していった。
その後ろ姿を見送るレキは、ミーミル士官学校で出会った大切な仲間の一人であるシラユリとツバキが、やはりとても似ていると再確認していた。面立ちや、佇まい、なにより隙の無さが、同じ剣の一族というだけではない別の繋がりを感じさせた。
「お爺様は、ご不在なのですか?」
「庭で鍛錬中よ。あとで会いに行って来なさい」
アナスタシアは開かれた窓から、庭の方を目を向けた。
マリアは納得した風に頷き、レキは釣られるように庭を見る。
《剣帝》ジョセフに会うのは、オディールを守るために戦ったあの日以来となる。
どんな鍛錬をしているのか、どうすればあの高みに至れるのか――レキは知らずの内に拳を固めていた。
「ふふ、まるでジョセフの若い頃を見ているよう。良い殿方と出会えたわね、マリア」
そんなレキの胸の内を、アナスタシアは見抜いたのあろう。楽しげに微笑む。
「はい!」
マリアは嬉しそうに頬を染めた。
アナスタシアは仕切り直すように、パチンと両手を合わせ、
「さて、それじゃあ本題に入りましょうか。ここへ挨拶に来たという事は、獅子勲章を受勲する事に決めたのね?」
「はい。僕はこの身に流れる『血』と向き合い、マリアさんと共にある未来のために戦うと決めました」
レキはマリアの手を取ると、誓いを立てるように宣言した。
「私もまた、生涯をかけてレキ君を支え、どんな時であっても側にいると決めました」
マリアは手を握り返すと、レキを愛しげに見つめる。
「レキさん。あなたが選んだ道には、とても厳しい試練が待っているでしょう。それでも、行くと決めたのですね?」
「身分を偽り、正体を隠したままでいれば、確かに試練は避けれたかもしれない。ですが、それではいずれ必ず、僕はマリアさんの側にはいられなくなったでしょう。僕にとってその未来こそが終焉です。どんな試練より耐え難い地獄です」
「レキ君……」
「敵国の暗殺者であり、謀反の罪を着せられた僕が、この国で身を立てようとするならば、当然、血の宿命に立ち向かわねばならない。この先、多くの試練が待ち受けているでしょう。ですが、もはや迷いはありません。邪魔する者は誰であろうが噛み砕きます。例えそれが、かつての仲間であろうとも」
夕暮れの草原で、レキはそう決心したのだ。
「ふふ、それほどの覚悟があるのであれば、もうなにも言いません。この国に一人の英雄が生まれた事を祝福しましょう」
「後ろ盾になって頂いきありがとうございます。ですが、どうしてこれほどまでお引き立て下さるのですか?」
無礼とわかっているが、レキは甘える事にした。
「クリサリス王家の末裔だから、特別に目をかけられていると?」
「違っていたのならすみません」
「勘違いなさらないで。あなたが獅子勲章に選ばれたのは、獅子の金十字に足る働きをしたからです。それだけ多くの命を救ったからです。例えあなたが名もなき奴隷であったとしても、私達はあなたを推挙したでしょう。逆に言えば、どれだけ優れた血筋を持とうとも、結果を出さない者を私達は評価しません。誇りなさい。そして胸を張りなさい。あなたは英雄と呼ばれるに相応しい行いをしたのです」
優しくも厳しいアナスタシアの叱責。
「――――はい!」
それを真摯に受け止めたレキは、姿勢を正して答えた。
「聞きたい事は沢山あるでしょう。でも、クリサリス王家に関しては、私の口から語るよりもフィーネに聞く方がいいでしょう。この後に行くつもりなのでしょう?」
「そのつもりです」
「是非顔を見せて上げて。フィーネはずっと……あなたに会いたがっていたから」
「わかりました」
「私達のように老いたる者にとって、未来を託せるあなた達の存在はまさに希望の光よ。技を、志を、想いを、そういった目に見えない光を継ぐ存在がいるからこそ、安心してあの世に行けるというものだわ」
アナスタシアは満足げに目を細めると、肩の荷を下ろすようにソファーにもたれ込んだ。
「滅多な事を言わないで下さい! お婆様はまだお若いです!」
「あら、もちろんよ。まだまだ神の元に召される気はないわ。弟子は沢山いるし、可愛い孫娘の晴れ姿も目にしないとね」
と、
「アナスタシア様。その事で、一つお許し頂きたい事があります」
レキが真剣な表情で、ソファーから立ち上がった。
「あら、なにかしら?」
アナスタシアはレキの様子になにかを察したのだろう。
期待に満ちた表情で姿勢を正す。
マリアは予定には聞いてないレキの行動に、どうかしたのだろうかと首を傾げ――
「――――マリアさんを、僕の妻に下さい!!」
一切の迷いなき結婚の意志が示された。
お茶の変えを持って来たツバキが目を丸くして驚き、アナスタシアは満足げに微笑む。
そして、
「はわわっ!? れ、レキ君!?」
当然ながら、当事者であるマリアは驚くどころの話ではなく、両手を頬に当て、真っ赤な顔であたふたする。
そんな孫の姿を見て、アナスタシアは楽しくて仕方ないという風に笑う。
「あらあら、覚悟が足りていないのは、うちの孫の方だったかしら?」
「今の僕はまだ、何者でもありません。ですが、必ずマリアさんに相応しい男になってみせます。だから、どうか婚約の許しを!」
「ふふ、本当にジョセフの若い頃に似ているわ。これはそうね……今はもう、一握りの者しか知らない事だけれど、あなた達にならいいでしょう」
アナスタシアは言葉を切ると、若かりし日を思い返すように左手の薬指にはめられた指輪を見やると、
「ジョセフと最初に出会ったのは忘れもしない、私が十二歳の誕生日を迎えた日だった。彼は、王の前で振る舞われる御前試合に参加していた――『奴隷剣士』だったのよ」
「え!?」
レキとマリアは、衝撃の事実に言葉を失う。
「御前試合で優勝したジョセフは、王の褒美に『私』を願ったの。もちろん、そんな願いが叶うはずはない。奴隷と王族。住んでいる世界があまりに違い過ぎた」
「それで、どうなったのですかお婆様?」
「もちろん、ジョセフは諦めなかったわ。次の彼に会ったのは私が十五歳の時。ジョセフは奴隷からミーミル士官学校の生徒になっていたわ」
目をキラキラさせて話に食い入るマリアと、興味津々な様子のレキに、アナスタシアはクスクス笑うと、
「ふふ、一介の奴隷剣士だったジョセフが、どうやって歴史あるアーデンブルグ侯爵家の跡目を継いだかを語るには、長い時が必要となるわ。でも、今のあなた達に、年寄りの昔話に付き合っている時間はないでしょう? だから、前置きはこれくらいにして条件だけを伝えるわ」
アナスタシアは白樺の杖でカツンと床を叩くと、
「王女である私を欲するがために、我が夫は、奴隷から侯爵に登り詰めた。ならば、侯爵家の娘であるマリアを欲する、レキさん、あなたには――『王』を目指して貰いましょう。一国の王になった暁には、マリアを妻にする事を許します」
王となれ。その凄まじき条件を受けても、レキは顔色一つ変えなかった。
「……わかりました。僕は、いま、この時より王を目指します」
「女神イリスの名においてここに契約はなされた。マリア・フォン・アーデンベルグ。私の可愛い孫娘。あなたは立場は婚約で結ばれた。意義があるならこの場で申し立てなさい」
「意義など、あるはずがありませんッ!」
マリアは感極まった様子で、両手で顔を覆い、喜びの涙をあふれさせた。
レキはそんなマリアの肩に優しく手を置く。
「よろしい。とても有意義な話が出来たわ。さあ、ジョセフに会ってきなさい」
アナスタシアはそう言って微笑むと、目尻の涙を拭うのであった。