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セシリア王女に、ヴェロニカとの面会を許されたレキは、城の地下牢へとやってきた。
地下牢の奥深くには、とりわけ厳重に結界が施された独房が存在する。
何百年も昔からあるこの独房には、これまで様々な者達が収監されて来た。
窓が一切ない石牢には太い金属柵が敷き詰められ、その向こう側で壁にもたれて座る、雪の精霊のような少女がいた。
少女はマフラーで口元を隠し、眠るように目を閉じていた。
「…………ヴェロニカ」
と、レキは鋭い視線を向けた。
〝六大凶殺〟のリーダーであるレキが、かつての仲間に襲撃された今回の騒動。
現場にはこの国の英雄たるマリアもおり、彼女を暗殺するのが目的であればカルネギア帝国との国際問題は避けられない事態となるだろう。
レキがこうしてヴェロニカと面会していること自体が、王女の特別な計らいであった。
たが、一人で面会する事は許されず、この場には、十三使徒であるヘヴィディアと、王女護衛隊のケレブリルの姿が。
二人の監視の元、レキはヴェロニカを問いただす。
「ようやく来たね。レキ」
捕えられてから一言も声を発する事のなかったヴェロニカが、ゆっくりと目を開いた。
「回りくどいのは嫌いだ。だから、単刀直入に聞く。何が目的だヴェロニカ? いや、何を企んでいる?」
「私はただ、命じられたままに動いているだけ」
「命令か。つまり……君の背後には別の誰かがいるんだね?」
「正解だよレキ。私は〝六大凶殺〟に入る以前から、あなたを監視し、いざとなれば殺せと命じられている。この命令はあらゆる権限を越えた最上位命令」
「君に命令しているのは『誰』だ? 何故、僕を監視する必要がある?」
だが、
「……………………」
ヴェロニカは話は終わりだと云わんばかりに、目を閉じると、再び壁にもたれて沈黙する。
「貴様ッ、ふざけているのか!?」
と、ケレブリルと名乗った女騎士が怒声を放つ。
ヴェロニカは完全に無視して、マフラーで口元を隠す。
ケレブリルはなおも言いつのろうとするが、レキはそれを制するように片手を上げた。
そして、
「――――〝北の暗剣殺〟として、ヴェロニカ……君に『命令』する」
レキがそう言った途端。牢獄の中の少女から、絶大な殺気があふれ出したではないか。
ヘヴィディアと、ケレブリルは同時に武器に手をかける。
全身に冷たい汗が浮かび上がり、カタカタ――と、音が聞こえた。
それが恐怖に震える自分の歯の音だと気が付いた時、二人は牢の向こうに見える儚い少女が、得体のしれない化け物である事実に、ようやく気が付いた。
悲鳴を上げずに済んだのは、血が凍てつく殺気を浴びてなお、顔色一つ変えず、平然とたたずむ一人の少年のおかげだろう。
「――――オーダーを」
ヴェロニカは、突然殺気を霧散させると小さく呟いた。
「知る限りの全ての『情報』を、僕の『権限』で許される限り開示しろ」
「そう。それが正解。私は……『命じられた』事しか出来ない。そして、私に命令出来るのは『二人』だけ」
ヴェロニカは立ち上がると、コツリと石床に足音を響かせ、金属柵の前までやって来た。
「北の暗剣殺に許される権限で情報を開示する。私の名はヴェロニカ。称号名は《審判の矢を射るもの(ジャッジメント・オブ・アーチャー)》。家名はラト。爵位は伯爵」
「ラト家……?」
カルネギア帝国の全ての貴族名を把握しているレキであったが、ラトという名の伯爵家には覚えがない。
「ラト家は、百年前に滅びたクリサリス王国の近衛を務めた一族であり、王の首を土産にカルネギアに寝返った裏切りの一族。我々はカルネギアに従属し、この百年間クリサリス王家の生き残りを監視して来た。その目的は……王家再興を目論む輩の誅殺」
「――――ッ!」
ヴェロニカの口から発せられた予想だにしない事実に、レキは言葉を失う。
そんなレキをしり目に、ヴェロニカは喋り続けた。
「ラト家は、クリサリスの末裔に括りつけられたスレイプニルの首輪。そして、私はフェンリルを殺すために送り込まれたヴィーザルの使者。王家の末裔であるレキが〝暗殺者〟の称号を得た時から、運命の歯車は動き始めたのよ」
「暗殺者の称号が? 父さんが僕に闘争を禁じた事と何か、関係があるのか?」
ノーザンクリサリス家は、百年続く騎士の家系である。
そう両親から教えられた。
故にレキは、《黒騎士》として名を馳せた父に憧れ、騎士になる将来を夢見た。
だが、女神が与えたのは、暗殺者の称号であった。
「五百年前の終末戦争で『終末の獣』と戦った六英雄の一人に、『夜の女神』の祝福を受けた鬼人族の〝暗殺者〟が居た事をあなたも知っているでしょう?」
「ああ、僕が住んでいた北部では、とりわけ有名な伝承だったからね」
「邪神を屠りし暗殺者は王になり、鬼人族は〝火の一族〟と名前を変え、暗殺者の王が作り出した国は、彼の名にちなんで『クリサリス』と名付けられた。そして、クリサリス王家の直系は、代々〝神纏〟と呼ばれる『七耀の星』を操る闘術を、自在に使いこなせた」
「聖術が発達した今でこそ使う者は絶えたけど、かつては〝火の一族〟以外にも〝神纏〟の使い手は居たはずだ」
実際、レキの技を見取り、マリアは神意の門を解放して見せた。第一の開門にすら程遠いものであったが、確かにあれは〝神纏〟であった。
「クリサリスの末裔が使う〝神纏〟は、実際に『神』を『纏』っている」
「どういう意味だ?」
「邪神を屠った鬼は、七星剣の一振りである〝災厄を撒き散らす焔の剣〟を宿していた。鬼は王となり沢山の子を残して死んだ。そして、焔の剣は天へ還ることなく王の子供達に、クリサリスの血に宿り続け、一族に強大な炎の加護を与えた。故に、あなた達は〝火の一族〟と呼ばれているのよ」
「僕の一族が生かされ続けたのは、『その力』を利用するためなんだね」
「ええ、そうよ。レーヴァティンの加護を持つ〝火の一族〟は、戦争の切り札になりえた。実際、あなたの祖父も、父も、カルネギアを守る番犬としてよく戦ってくれたわ。でも、あなたは駄目だった。暗殺者の称号を得て、五百年前の鬼と同じ《神を喰らうもの》になってしまった。このままでは遠からず、あなたは〝災厄を撒き散らす焔の剣〟の力を完全に引き出すようになるでしょう。だから――」
ヴェロニカはそこで言葉を切ると、牢ごしに手を伸ばしてレキの眼前に掲げると、まるでレキという名の炎を握りつぶすかのように手を閉じる。
「――皇帝暗殺という謀反の濡れ衣を着せて、あなたの名声も、存在も、一族も、何もかも全て消す事にしたのよ」
「嘆きの谷で待ち伏せを受けた時から、不思議で仕方なかった。あの撤退ルートがどうして知られたのかとね」
「あなたに戦術を教えたのは私。絶対にあのルートを通ると確信していたわ。だから、あの場で待ち伏せするようオプリーチニキに命じ、さらに念を入れてゼノビアにあなたを殺させるようイヴァンに進言した。ゼノビアまで失敗したのは想定外だったけれど」
「僕の故郷を焼き払い、民を皆殺しにしたのも……君なのか?」
「私が命じたわ」
「まだ、あるだろう。それとも『それ』は僕の権限を越える情報なのか?」
「開示できる情報」
「言え、命令だ」
「死蝋病で静養中だったあなたの母を、人質として嘆きの谷に連れ出し、見せしめに殺せと命じたのも私よ」
次の瞬間、レキの拳が唸りを上げて、牢獄の柵に叩きつけられた。
ズドンッ! と、城が揺れるほどの衝撃が走り抜け、レキの拳から血が吹きあがる。あまりに強い力が己の拳を破壊してしまったのだ。
「これが最後の命令だ。ヴェロニカ、君は……『何者』だ?」
レキの表情は、前髪に隠れて窺い知ることは出来ない。
だが、血がしたたる拳を打ち付けたまま、血反吐を吐くように絞り出された声には、拭い去れない怒りと悲しみが籠められていた。
そんなレキを嘲笑うかのように、挑発するように、手の届かぬ牢獄の中でヴェロニカは両手を広げてこう言い放った。
「――――私が、私こそが、オプリーチニキの上級将校よ」