プロローグ 百年の願い
プロローグ 百年の願い
暗い部屋に、蝋燭の炎が揺らめく。
うず高く積まれた書に囲まれ、数多の地図が散乱する机の前で、水煙管のパイプを咥える一人の老人が、椅子に深くもたれて紫煙を吐いた。
肺を患っているのだろう。
煙と共に、ひゅー、ひゅーと、いう苦しいげな呼吸音が響く。
それでも、深いしわの刻まれた老人は、百年前に滅びた王国の伝統的な彫刻がなされたパイプで煙を吸いながら、眼前に立つ一人の少女を睥睨する。
雪の精霊でのように、冷たい印象の少女を。
緑龍石のように輝く翡翠の瞳に、白銀の髪を肩口で切り揃え、全身を包む特殊なスーツに、口元を長いマフラーで隠す。
老人にとって少女は孫であり、駒であり、一発の『弾丸』であった。
「時が全てを解決してくれるなどというのは、真の憎しみを知らん愚か者の幻想じゃ。彼の国が滅びて、もう……百と、有余年の時が流れた。たかが百年。されど百年。一言で語るにはあまりに短き言葉の中に、どれほどの遺恨が渦巻いておるか、どれほどの怨嗟が満ち満ちておるか、そなたにわかるかヴェロニカ?」
しわがれた老人の声が、まるであの世からの亡者のように、不気味に木霊する。
「はい、お爺様……」
ヴェロニカと呼ばれた少女は、冷たい声で応えた。
「親の怨みは子へ受け継がれ、何代にもわたって成熟されていく葡萄酒のように、ラト家に流れる復讐の血は、研ぎ澄まされ、洗練され、その究極の完成系がそなたじゃ」
「はい、お爺様……」
「クリサリスの血は百年の時を経て再び目覚めんとしておる。〝暗殺者〟の称号を得てしまった忌み子は、予言通りに『災厄』をもたらすだろう。奴を殺せヴェロニカ。例え、再び『王』を殺す事になったとしても、ラト家百年の悔恨を晴らすのじゃ。ラト家百年の悲願を果たすのじゃ。そのためにそなたは審判の矢となり――見事に死んで来るがいい」
「はい、お爺様……」
死を命じられてなお、少女の声に乱れはなかった。
老人は自ら鍛え上げてた復讐の駒を、その完成系たる少女を、白濁した瞳でしばらくの間めねつけると、満足したように椅子に深くもたれた。
「明日からはそなたは〝六大凶殺〟じゃ。そうなれるよう手配はしておいた」
「はい、お爺様……」
少女はその言葉を最後に、雪の結晶が溶けて消え去るように、音もなくその場から姿を消した。
蝋燭の炎が微かに揺らめき、老人は静かにパイプを置くと、眠るように目を閉じた。