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幻詛使いの心臓に宝石の弾丸を  作者: 炉心メルト
第一章 血よ、錆びることなき鉄となれ
3/4

夜は泣き、老人はそれをあやすことなく Ⅲ

「お、ぐぅぅぅぅぅぅう……!」


 護衛たちは必死だった。その中で最も実力のある第三位階(イーラ)たるオルレリアン・ニコラフは目尻に涙を浮かべ、迫り来る死の恐怖に耐えていた。

 己が主人を起因とする恨みなど買い続けた。死線は幾度もくぐり抜けている。ここにいる全員で連携し、自身よりも格上の第二位階(インヴィディア)だって退けたことがある。

 だが、これはもう次元が違う。

 一秒、コンマ一秒、あらゆる刹那が死で埋め尽くされるなど悪夢以外の何者でもない。


 過度な負荷(ストレス)に脳が現実を否定し始める。


 そうだ、これは夢だ。起きれば学校に通う娘を妻とともに送り出し。その後、ルドルフトフがいつも通り少女をさらって来いと難題を申し付ける。そうして連れ去って来た少女をまず主人が何度も犯し、おこぼれに預かる。ああ、娘と同い年を強姦するのはなんと背徳的で甘美なのだろうか。家族のもとへ帰ったとき己が娘を見て、今日のことを思い出し罪悪感とともに欲情するあの日々に戻りたい。


 しかし、夢は醒めない。

 オルレリアンは肩に走る激痛で現実に回帰させられる。

 砲弾さえ防ぎきる防護壁が虫に食い荒らされたかのように穴だらけとなっていた。そこから罪過問う煉獄の焔(フォルナクス)の炎が漏れているのだ。

 恐る恐る肩を見て気絶しかける。肉が炭となり、骨の白さだけが不自然なほど浮いていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■――!!」


 オルレリアンは絶叫した。何を叫んだかわからないほどに。

 体が熱い。腕が重い。罪過問う煉獄の焔(フォルナクス)の出力が上昇している。


「あ……ああぁぁぁあぁぁぁあ!」


 防護術式の維持のために脳が無理やり拡張され、人格が崩壊する音が聞こえる。

 考えること全てが漂白される。

 視界に収まる全てを正常に認識できなくなる。

 術式が崩壊しつつある中、一つ余さず焼き尽くそうと極光が膨れ上がった。





 膝をつき、倒れ込みながら血の塊が吐き出される。口から心臓を吐き出したかのような錯覚。

 もう死に体という意味では間違いあるまい、とアルビィス・エルドウッドはもう欠片しか残っていない思考能力で思った。

 指一本動かすのがやっとの状態でルドルフトフたちを見る。

 目の前に自身が作り上げた地獄が広がっていた。炭となり灰と化した調度品。炎をまといボロボロと崩れ落ちる壁。

 いずれ全焼するであろう空間に黒焦げの彫像が六つ。それらが音を立て崩れるとルドルフトフがヒィと怯えた。

 ああ、失敗したのか。

 犬死するのか。

 口惜しや。ああ、口惜しや。

 後、一歩のところだというのに。あの無抵抗な豚を屠殺できるというのに。


 賢者は自身の全てをもって焼却するつもりであった。罪過問う煉獄の焔(フォルナクス)から身を守る防護機能を必要最低限以外殺し、全てを攻撃に充てる。

 自ら発動した地獄の業火に曝されながらも仇を討つために力を注いだ。

 だが――


「この躯が忌まわしい……」


 脳を締め付ける痛みだろうとも、右腕が燃えようとも、彼は耐えられるだけの精神力がある。

 ――ただ、肉体が耐えられなかっただけで。

 前線から離れ、老いてからは幻刀器を握ることすらしなかった。そのツケが今払わされたのだ。

 睨む。睨みつける。せめてこの視線で殺せないものかと。


 賢者の鋭い眼光にルドルフトフはたじろいだ。

 それしかできないことを理解すると顔から畏怖を示す歪みが消えた。

 動けないのだと確信すると勝ち誇ったいやらしい笑みを浮かべ歩み寄り、


「あははははははは! なんと無様なものだなぁ! アルビィス!」

「ごっ……!」


 無抵抗な老人の頭を踏み付ける。敗者はただ屈辱を受け入れることしかできない。勝者が生き残った従者を顎をしゃくる。

 生き残っていたオルレリアンは体を引きずるようにしながら唯一焼却からまぬがれている強化ガラスケースを開け、中に入っている幻刀器を取り出しうやうやしく差し出した。

 ルドルフトフは満足げに頷くと、金の両手剣に宝石を取り付けただけの芸術性のないそれをアルビィスに突き付ける。

 その顔は下品さを極めた醜悪な微笑。


「アァァァァルゥビィィィィス? 残念だったなぁ? 仇討ちとか申したかぁ?」

「か、ふ……っ」

「私とアリーシャは愛し合っていたぞ? 口では嫌だ嫌だ言いながらも下の方は咥えて離さなかったのは、貴方が見ていたではないか。なぁ? 賢者先生」


 思い出さされる。

 赤子が流産し、ベッドの上で静々と泣くアリーシャのことを。

 絶望し胸が張り裂けそうになった時、元凶であるこの男が病室に来たことを。

 アルビィスはルドルフトフの護衛に押さえつけられ獣のように吠えることしかできなかったことを。

 この男が、アリーシャを押し倒し、目の前で強姦したことを。

 そして、妻の悲鳴を。


「き、さ……まぁ……!」

「それに貴様の貧弱な子種より、私の子種の方がアリーシャのためだったろう。なのにあの女は自殺などしおって。今頃は私が潰した赤子の代わりを身ごもっていただろうに」

「それが……人の言葉か……!」

「貴様こそ人のやることかこれが。私の罪は何もない。この国の司法が保証したというのに!」

「貴様は、我が妻を殺した――!」

「女など吐いて捨てるほどいるではないか。性欲の捌け口が欲しかったのならば言えばよかったのだ。そうすれば、使い古しをくれてやったというのに」

「貴様は……我が子を殺した――!」

「は。何だそれは。腹に収まっているだけの重しを堕ろさせただけだろうが」

「――――ッ!!」


 全身の筋肉が断裂するような痛みを怒りで噛み殺し《老いたウェルテルの苦痛》へ手を伸ばす。ルドルフトフは従者を目配せする。

 復讐の火を再び熾し老人がようやく掴んだ幻刀器をオルレリアンが奪い取ると回転式弾倉から弾丸を引き抜き捨てていく。続けて《老いたウェルテルの苦痛》を地面へと投げるとボロ炭と化した肩をかばいながらも自身の幻刀器で何度も殴りつけた。高位幻詛術の反動と絶え間無い破壊に老人の復讐の刃が変形し分解されていく。

 反撃の糸口が失われた。

 幻詛術以外でルドルフトフの息の根を絶つ方法などもうない――この瞬間、賢者の復讐は潰えた。


 それでも闘争の意志を失わないアルビィスにルドルフトフが投げかける。


「最期に良いことを教えてやろう――貴様の子の処女はたいそう気持ちが良かったぞ」

「――――殺す。殺す! 殺す殺す殺す殺してやる……! 死ねルドルフトフ――!!」

「何も出来ぬ老害が吠えるな!」


 金色の剣の先に光輝陣。

 金属片が射出され、賢者の頭部の右を抉った。叡智の塊たる脳が半分近く喪失。復讐に煮えたぎった血が溢れる。


 ルドルフトフはその光景を鼻で笑う。オルレリアンは少女が収まっている鞄を回収し燃え尽きようとする屋敷出て行く。


 死へと落ちる直前、老人は願った。

 この身を竜に変えたまえ。

 それが叶わぬならば、悪魔よ我と契約したまえ。


 ごぼり。場違いな何かの泡立つ音に避難しようとしたルドルフトフが立ち止まる。

 そして、


「な――!? 何故だ! 何なのだお前は!」


 驚愕する。

 問われたそれは言葉を理解しなかった。理解するための部品を失ってしまったから。


 金色の剣から金属片が飛び出す。しかし、受け止められる。

 ポートフ邸を飲み込もうとしていた炎が鎮火する。単純な話だ。この程度の熱量など■■■■の前には星の瞬きよりも弱々しい光でしかない。

 正気を失い恐慌状態に陥ったルドルフトフは己が運命を、死を見つめている。


 それは自身の想いを――偉大なる王から拝借した冒頭的な名を語った。


 ”我が怒りよ、湖を犯せ(ク・リトル・リトル)


 怯える人間に漆黒が覆いかぶさる。ポートフ邸からこの世のものとは思えない悲痛な叫びが閑静な住宅地に響く。

 外に出ていた従者は屋敷が呪詛で塗り固められた禍々しい黒で覆われる様を直視した。


 そうして生きる者全てが死に絶えたかのような不吉さを孕む静寂が訪れる。

 残されたのは竜に食いちぎられたかのようにぽっかりと穴があいたポートフ邸。強要されたかのように何時間も呆然とその穴を――深淵を見続けるオルレリアン。眠り続ける鞄の少女。


 深淵から何かが飛び出す。肉が地面に叩きつけられる生々しさが鼓膜に貼り付く。

 それはかろうじで生物の原型をとどめていた。ガス灯の灯りに照らされているインスマルス面と呼ばれる魚のような醜い顔。膨れ上がっている肉塊のような体からは落下の衝撃で突き出した骨。カエルになる前のオタマジャクシのような短い四肢はねじ曲がっている。

 オルレリアンは何故インスマルスの町の人間が降ってきたか疑問に思う前に気がつく。

 

「ルドルフトフ、様……」


 それが、変貌した己が主人であることを。


 かくして、老人の復讐は幕を閉じる。

 それでも――夜は泣き止まなかった。

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