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幻詛使いの心臓に宝石の弾丸を  作者: 炉心メルト
第一章 血よ、錆びることなき鉄となれ
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夜は泣き、老人はそれをあやすことなく Ⅱ

「馬鹿な。ありえぬ。何故――」


 アルビィスは手に持つ《老いたウェルテルの苦痛》を落としそうになった。目が見開かれ、口がわなわなと震える。


「何故、鉄血の一族が……アイゼンブルトがここに」


 視線の先にはアイゼンブルト家当主、フェールム・コルバルド・エフ・アイゼンブルト

。かつて一つの国を焼き尽くし、あらゆる財宝を強奪の限りを尽くした悪竜(ファフニール)を討ち取った血縁。その功績から領地を与えられ、貴族となった英雄の末裔。


 護衛を始末し、安全を確保した廊下から

扉を薄く開いているアルビィスは信じられない気分でいた。

 気を強く持たなければ、卒倒していたかもしれない。それほどまでに、彼がこの黒い噂が絶えない屋敷にいるという事実がどれほど異常であるかを雄弁に物語る。


 老人が廊下で睨んでいるとは露知らず、アイゼンブルト家当主が切り出す。


「此度は、貴殿に息子を救っていただいた対価を支払いたい」

「よいぞ! して、その対価はどこに!?」


 フェールムの顔が苦渋に満ちる。ルドルフトフは喜悦で歪む。

 フェールムが自身の従者に目で合図すると、旅行鞄を持ってこさせ開封。中にはキッチンにいたのと同年代の少女が寝息を立てていた。


 膝から崩れ落ちそうになる。老人はあの当主と面識があった。自身に厳しく誠実そのものであり民から慕われる姿はアルビィスよりも年下であったが純粋に尊敬していた。

 だというのに。あの誇り高き鉄の血が、尊敬すべき彼が、人身売買をしている。それも最悪の相手と。


「これにて、失礼する」

「お出口はいつも通り裏からでよろしいでしょうか?」


 ルドルフトフの使用人がうやうやしく尋ねる。

 フェールムは顎を引き、肯定を示す。そうしてアルビィスがいる廊下とは別の扉を通り去っていく。

 夢ではないかと思った。それもとびっきりの悪夢。

 覚めるならば、早く覚めてほしかった。

 そうすれば、きっと妻が隣で寝ていて、好奇心旺盛な子に振り回される幸福な現実(フィクション)が待っているはずなのだ。


「は、はははは……あは。ぐぅ……ぅう……!」


 全身から感覚という感覚が消える。地面が消え暗闇に延々と落ち続ける幻覚。そして老人はついに膝をつき、嗚咽する。


「ああ、アイゼンブルトが帰ったならば、警備を元に戻せよ」

「承知いたしました」

「まったく、奴め何様のつもりだ。たかが大昔巨大な爬虫類を始末した程度で」

「しかし、ルドルフトフ様はお優しい。一介の下流貴族ごときの申し出を受諾されたのですから」

「がははは! そうだろう、そうだろう! 程度の低い連中でも要望を叶えてやる。これも世渡りよ! 処世術というものだ!」

「流石でございます」


 使用人が褒めちぎり、ブランデーのグラスを渡す。気分を良くしたルドルフトフは一気に煽った。


「どれ――おお……! なんと愛らしいのだ。この寝顔、何ともそそるぞ」


 ルドルフトフが服を脱ぎ捨てる。隠れきれていない肥えた肉体が露となる。

 下卑た笑みが未だ眠る少女へ向けられる。


「この娘の名は? 初物か?」

「パン屋の娘フィアラにございます。(よわい)は十三。勤労的な娘で毎日家の手伝いをしているとのこと。故、学友はおれど特別親密な男はおりますまい」


 ほう、と感嘆の声を漏らし少女の全身を舐めまわすように凝視。簡素なワンピースの上からでも分かるまだ膨らむ気配のない胸、細い腰、男を受け入れたことがない股とそこから伸びるシミ一つない小麦色の日焼けした足。

 下卑た笑みが濃くなる。


「フェールムめ。頭は名の通り固いが、女の趣味は良い。くく、後数回の支払いが楽しみであるぞ」

「大変喜ばしいことです。ルドルフトフのお言葉を聞けばこの娘を献上したアイゼンブルトも感激することでしょう」

「それにしてもフィアラ。ああ、フィアラか。今宵はなんと良き日よ。胸が高鳴る」

「フィアラという娘にとっても良き日となるでしょう。下流階級でありながらルドルフトフ様の抱かれるなど上流階級の方々ですら受けられぬのですから」

「そうだろう、そうだろう!」


 ゲラゲラと下品に笑う。


「ああ、やはり女は未成熟に限る。成熟した女など勝手に子を孕み、腹を膨らませた上にすることもできなくなるのからな」

「おっしゃるとおりでございます」

「ああ、そういえばあの女。ルイースと言ったか。なんでも妊娠したそうだな」

「はい、おっしゃる通り」

「堕ろさせておけよ。あれはなかなかに名器だ。次が手に入るまでは使い潰す」

「心得ました」


 絶望という病魔が老人を蝕む。

 ――なんだこれは。

 尊敬していた者に裏切られ、自身から妻を奪った男は何の呵責もなくあろうことか相も変わらず女を陵辱することしか頭ない。

 アルビィスは自分がどんな表情をしているかわからなかった。


 違うだろう。そうじゃないだろう。

 そう告げる声が己の内から聞こえた。

 いつまで膝をついているつもりか?

 何をしにここへ来たか思い出せ。


「そうで……あったな。この程度で絶望するなどあってはいけないものだった……!」


 ふつふつと何かが込み上げてくる。今まで蓋をしてきたどす黒い、沸騰したコールタールのような抑えようもない気持ちが。

 妻を犯すあの男を思い出させ、流産した我が子思い出させ、首を吊る我が妻思い出させ。

 明確な感情を成す。


 怒りを、憎悪を、殺意に。


 温かい涙が賢者の皺を伝い流れていく。その度に身体からごっそりと体温が消え、死者に近づいていく気がした。


 ならば、良し。これでいいのだと、老人は嗤う。

 ――元より死してでも成し遂げると決意した身。

 人であることをやめねばこの刃届くことなし……!


 老人の目に更なる狂気が宿る。

 ゆらりと立ち上がる。

 幻刀器の刃を扉に向け軽くつつくと、紙切れのように吹き飛ぶ。

 室内のルドルフトフは突然の事態に言葉もなく立ち尽くし。執事は主の守護のためナイフ型の幻刀器を構え前へ。


「であえぇぇぇぇぇぇえ!!」


 アルビィスは鞄の中の少女を抱え、壁際へと移動。執事の救援を受け、黒服が窓から扉から統率のとれたアリのように己が主人を守るために集結した。

 肌を刺すような緊張感が張り詰める。

 ルドルフトフ含め総勢十人が老人と相対している状況。多勢に無勢。圧倒的に有利な立場。しかし、アルビィスから発せられる幻力の圧が全員に伸し掛る。

 呼吸するたびにズンと鉛じみた重たい空気が肺に落ちる。呼吸が整わなくなる。異質な空気は毒となって正常な思考を漂白させた。

 対する老人は涼しい顔で一瞥する。その責め立てるような眼光の鋭さに護衛たちは完全に萎縮した。


 そんな中で彼らの主人がか細い声をあげる。


「……ア、アルビィスせん……」

「貴様に師と呼ばれる筋合いはないぞ。ルドルフトフ」


 ルドルフトフは師の変わり果てた姿を見る。

 老いてなお盛んな知識欲に飢えた光をたたえ理知に富んていた瞳は憎悪の炎がちらつき――。

 顔に刻まれた皺は趣深かい樹木の年輪のようであったが、いまや皺の一本一本からエネルギーが発せられ――。

 波一つない湖のような落ち着きと森のような独特の静けさは大嵐と対峙させるほどの威圧感に変貌していた。


 かつて教鞭をとっていた頃には"賢者先生"と呼ばれていた彼はもういない。それは"復讐者"。


 否、復讐と呼ぶべき現象(、、、、、、、、、)


「我が妻、子の仇を取る。我が名は、アルビィス・エルドウッド。貴様を殺すためだけにある悪鬼羅刹なり……!」


 ルドルフトフは自問する。何故、殺されなければならないのかと。

 私は選ばれた人間だ。在学中、私が恋したアリーシャを掠め取ったのはアルビィスのはずだ。愛し合っていたなどというのは老人の勝手な妄想だ。この老人は調子に乗っているのだ。何より、裁判結果はこのルドルフトフに味方したじゃないか。検察は死刑などとのたまったが我が権力と金が司法を超越したのだ。

 私は選ばれている。こんな風に殺される覚えなどない。

 ルドルフトフにふつふつと不条理な憤りこみ上げる。それは彼に開き直りを与え、鈍感にさせた。


 アルビィスを睨む。魔法使いめいた格好は時代遅れでセンスの欠片もない。なにより、こちらは何人いる。何故か一人足りないがそれでも自分を除き九人もいる。


「何をしている貴様らぁ! 賊を殺せ! 数はこちらが圧倒しているだろう!」


 主人の一喝は護衛たちにかかるプレッ シャーを跳ね除けさせた。各々が実弾武器、幻刀器を取り出し、侵入者へと向ける。

 戦いの幕が切って落とされる。

 彼我の距離は五メートルほど。

 まず二人が瞬きの間に詰める。続いて幻詛術による拘束が賢者の四肢を捕縛しにかかる。


「程度が低いわッ!」


 アルビィスから青の奔流。青褪めた死人を彷彿とさせる不吉な幻力が殺意の刃となる。

 幻力放出と呼ばれる基礎。攻撃、防御の瞬間的な増強(ブースト)。アルビィスほどの使い手ならば強度の低い術式は力任せに引きちぎる。

 老人に対する戒めが強引に解かれる。


「拘束したくば――」


 何発かの弾丸と幻刀器ではないナイフが襲いかかる。アルビィスには何の動作(アクション)もない。それは既に行動を終了していることを意味しているからだ。

 硬質な音が響く。火花が飛び散る。刃がアルビィスが幻詛術で作り上げた鎖で防がれる。

 戦闘・戦術系拘束系統第二層縛鎖(プロキオン)。ただ鎖で捕縛するだけの術式を設置し、銃弾と斬撃を弾いたのだ。そして、鎖は銃とナイフに絡みつき銃口を塞ぎ、刃を覆い隠し性能を損なわせる。

 それだけでは終わらない。後方で構える残りのルドルフトフの親衛隊の首にも鎖を巻きつける。


「――この程度はしてみせろよ」


 多重術式行使(マルチプル・キャスト)


 次々と鉄鎖が現れては体に巻きついている。何重発動したのかアルビィス以外に知る者はいない。

 これが、幻詛使いの(いただき)。傲慢な者とすら揶揄される第一位階(スペルビア)――その一端。

 ルドルフトフたちには至れなかった境地の一つ。


「な、何をしている! その程度の鎖外してみせろ!」


 ルドルフトフがだぶついた頬を震わせながら叫ぶ。護衛たちは主人の恫喝と想像以上に高いアルビィスの技量に恐慌する。

 賢者を舐めてかかっていた。単なる老いぼれであると侮った。数で叩けば元とは言え第一位階(スペルビア)でさえも赤子同然にひねれると考えた。

 結果、授業料は高すぎた。自身の命をもって支払わなければならないほどに。


 鎖の中でもがき続ける光景を見て復讐者がほくそ笑む。

 そして、懐から弾丸を取り出し、見せつけた。

 無色透明な石に金銀の装飾をした芸術品。ダイアモンドの弾丸。賢者の復讐を完結させる切り札だ。


 それがなんであるか理解したルドルフトフたちの恐怖は最大に達する。幻詛使いであるならばその後の地獄を予想できるのだ。


「ま、待って。待ってくれ。待ってください……先生……!」

「貴様などもはや生徒にあらず! 生まれながらの悪よ! 生きながらえる罪人よ! 貴様に教えることも教えたこともない!馬鹿は死なねば治らぬ!」


 弾丸が《老いたウェルテルの苦痛》の回転式弾倉に装填される。老人が鬼の形相で切っ先を向ける。

 アルビィスの幻刀器の刀身が可変。大粒の涙状に加工されたサファイアの演算装置が露となる。

 幻刀器の十ある枷。

 賢者は復讐のために今こそその全てを取り除く。


 制限解除形態(リミット・オフ)――最大解放(フルドライブ)


「妻と子の苦しみを――我が悲しみを! 我が怒りを知れ! ルドルフトフぅぅぅぅう!」


 撃鉄が叩かれる。

 切っ先に何重もの光輝陣とそれを構成する複雑な詛成式(そせいしき)

 多重術式行使(マルチプル・キャスト)。今度は縛鎖プロキオンだけを同時に発動させ続けるものではない。異なる系統・術式が合わさり混じり一つとなっていく。

 複数の低位幻詛術式を同時に発動させることにより複雑で高度な一つの術式と成す。高位幻詛使いならば修めている高位幻詛術式。

 憧れと畏れが入り混じった視線の中、光輝陣の輝きが空間を飽和していく。


 絶望が、復讐の業火が――


 アルビィスが選んだルドルフトフたちを裁くためだけの術式が今ここに。


罪過問う煉獄の焔(フォルナクス)――!!」


 大気が焼け付くほどの力が膨れ上がる。


 幻詛術式の全十に分けられた内の第八層。

 複数の幻詛術式を合成し、一つにまとめあげた膨大な情報とエネルギーが増幅され老人の言霊(ひきがね)で発動した。


 轟、と(まぶた)越しに網膜を焼き尽くすほどの光量が迫る。護衛たちが恐怖心から反射的に防御を開始。鈍色の壁が生成される。

 極光はまず前衛に出ていた二人を飲み込む。黒服に仕込まれている幻詛術加工された特殊繊維がささやかな抵抗(レジスト)を示したが、無情にも上半身が消し飛ばされた。

 防衛を担う者たちの顔には恐怖。多重展開された鈍色の防壁が指向性を持った業火を受け止めた。

 幻詛術式に干渉し無効化する術式も付与された防壁によりアルビィスの罪過問う煉獄の焔(フォルナクス)は虹となって元の幻力に霧散。

 拮抗状態に陥る。

 アルビィスにとっては不利な状況。

 これが最初で最後のチャンス。このまま力尽きれば二度目など許されるはずがない。


 なれば死力を尽くせ。この錆び付いた血に決意した想いを燃やせ。

 ――ここが我が墓標。ならばこの命は不要。

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