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創世のアロ・アディナ  作者: ツマゴイ・E・筆烏
「開幕の福音」
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第三章

第三章


        1


 ――『ヤルクスゾルヴ』。

 アロ・アディナ、エヌレ・トウス大陸のエクセン・ディジーリヴ王国に代々伝わるとされる天下屈指の偉大なる剣。『聖剣(カイベクス・キォークス)(トール)』の銘を冠する一振りであり王家の長き歴史に於いて伝説として伝えられている。この世界に於いての最強武器――それが聖剣だ。

 世界と言う枠組みに於いて、最高峰の権能の一角。

 天変地異を彷彿とさせる脅威を前にしたとき、使い手の元で絶大な力を振るったとされる最強の武装。神話にて謳われ、伝承にて綴られ、口頭にて語られる――アロ・アディナ、と言う世界に於いて極めて重要な意味を持ち、価値を背負う常勝の剣――。

「そしてこの『聖剣・棹』は我が国が保有するとされる聖剣の一振りになるわけだ」

 顎髭を軽く左手でさすりながら国王は淡々とそう述べた。

 重臣達が何故かそんな国王を冷めた目で見ているのが気がかりだが……。

「……聖剣」

 仲津留琥太郎は普通の高校生だ。刀剣に関しての知識は左程、語られる様なものは持ち合わせていない。あえて刀剣類を挙げろ、と言われたらどこぞの博物館で見た記憶のある展示物の日本刀や夜道で疾走していた黒髪美少女が持っていた血の様に赤い刀らしきものやネット画像の中の刀剣類くらいだろう。故に刀剣に関して見識は持ち合わせておらず、また審美眼も研磨させた事など一度たりともありはしない。

 されど、この剣はそんな琥太郎でさえ理解る程に壮大美麗な剣であった。

 全体的な長さは軽く見積もって150センチメートル前後。黄金色の柄をしており、装飾は輝かしい宝石がいくつも散りばめられた目にも鮮やかなものだ。長く、細みな白銀に輝くその刀身は見る者を圧倒させ、同時に力強さをまざまざとこちらへ与えてくるようではないか。

「これが――聖剣っすか……!」

 キラキラと目を輝かせて感嘆の声を上げる。男子高校生らしいというべきか。やはり、こういった武器。それも剣の実物を見ると心が沸き立つ様に感動を覚えるものだ。台所の包丁名dとは大違いだ、と琥太郎は当然ながらそんな事を考える。

「……これが聖剣?」

 そんな琥太郎とは相反する様子で音花が訝しげに呟いた。

 国王が何故か愉快げに音花へ問いかけを投げる。

「どうした、オトカ。何か、気にかかる点でもあるかね?」

「まあ、そうですね。ぼくとしてはこれが傍目には――鑑賞用の剣にしか見えないから少し違和感を覚えている――だけ、なのかな……」

 呟く音花は何故だか、自分でも要領を得ない。そんな様子であったが、最後まで言葉を紡いだ。だが、やはりその顔には何処か不思議そうな色が浮かんでいる。

 鑑賞用。音花のその言葉が示すものとは、つまり見て愉しむもの。そう言った意味合いで述べられた言葉である。そして概ね、彼女の発言は間違っていない。なにせ、宝石細工の数は県が剣として機能しなくなる寸前まで装飾され、その洗練された剣の装飾は戦いの為に造られたものではない様に見えてしまう。血に染まるべき剣ではなく、瞳に見初められるべき、壮麗なる聖剣――そのように音花は捉えた。

 その反応に国王はニヤリとした反応を持って返す。

「なるほど。コタローと違い、オトカ。お前は、剣に関して見識がある様だな?」

「生憎と西洋の刀剣に関しては知識程度しかないけれどね」

「ふむ、そうか。ならば、その知識に一つ新たな項目を付け加えてみるも一興」

 音花は不思議そうに柳眉をしかめた。

 目の前にあるのはどう見ても、戦いの為の剣ではない。芸術品としての剣だ。そう、音花は知識で考えている。だが、どうにも国王の様子を見る限り、その判断に一考の余地があるかの様に感じられた。ならば、それは何であるのか? 音花は黙考の後にぽつりと呟く。

「――魔法」

 可能性として。無限の可能性として浮かべるならば。

「もしや、何らかの魔法がかかっているのではないですか? 王様がそこまで不敵な笑みを称えると言うのならば、ぼくにはこれがただの刀剣とは思えない。だが、これはどうみても唯の刀剣だ。――と、すれば差別化を図るには何らかの特殊な力が宿っている――なんてファンタジックな推論を述べてみるしかないのだけれどね」

 アークソルは拍手と共に返答した。

「見事。そう、その通りだオトカよ。――お前の言う通り、この剣にはある特殊な能力が宿っているとされる。伝承によるとかつて――このアロ・アディナに招かれた勇者の一人が、この剣を握って敵と戦ったと聞き及ぶ。この剣は如何なる魔法をも跳ね除け、また一度も折れる事は無かったと言う」

「おお! 聖剣っぽい!」

 琥太郎が拳を握りながら興奮からその身を震わせる。その様子は歓喜と、感動、そして未知に感激している様であった。

「やっぱり男の子だね」

 そんな様子に音花は微笑ましげに微笑を浮かべている。

「う。悪いかよ。だって聖剣だぜ、聖剣! 勇者に聖剣はつきものだろ!」

「そう言うものなのかな?」

 音花はそこで不思議そうに疑問の言葉を浮かべた。

 どうもそこらへんの感性は琥太郎とは違うらしい。琥太郎としては異世界に招かれて、勇者になって、その上、聖剣まで手に入れる――と言うのはとてつもなく激震すべき感動だと思うだけに彼女の淡白な反応は少しむっとした感情が浮かんだが内心に押し留める。

「門に興味が無いなら俺が貰っちまうぞ?」

「構わないけれど」

「そうだろう。初めから最終武器。RPGで言うところの最強武装なんて門だって喉から手が出る程欲しいよな。わかる、わかるぞー門。なんせどんなモンスターもイチコロの最強武器なんて誰だって欲しがるもんさ。お前も素っ気ないふりして実は手に入れたくてうずうずしてるって事くらい見抜けないと思ったか? バカめっ! お前の内心何て御見通しに決まってんだろうが! 大方、横から上手く掻っ攫う魂胆をばりばり練っているんだろうが、そうはいかないぜ、なにせこの聖剣は俺にこそ相応しいって思うからな! ああ、いや、思うって言っても相応しいかどうかで言われるとちょっと不安ではあるけどさ? やっぱ、俺も男だし、こんだけ格好いい剣、目の前にすると興奮してヤバイっつーか、正直お前が素っ気ない反応してると疑心暗鬼な部分が出ちまうっていうか、お前だってこういう最強武器欲しいのは当たり前の心情だろうからさ。不安なんだよな、取り合いになる事を想像すると……。だって、そうだろ? 王様の話じゃこの武器って一振りしかないんだよな? 「うむ、まあ、そうだが、さっさと耳を傾けた方がいいと余は思う」――ほら、王様だってこの通りの事言ってるわけだし。一つのものを半分子なんて出来ないからさ。だから、頼む! わがままだってわかってるけど、この剣は俺に譲ってくれないか、門うぇえええええええええええええええええええええ!?」

 長々と一人語りしていた琥太郎であったが、ようやく音花の発言が耳に届いたのか驚愕に目を見開き、目が飛び出さんばかりの驚き用で彼女を見つめた。その顔は、言っている意味が信じられない、と言う気持ちをこれ以上なく体現している。

 そんな様子に音花は溜息交えて呆れた様子で苦笑する。

「琥太郎。きみは今少し、ぼくの言葉に耳を傾けた方がいいと思う。きみの熱心極まる聖剣への熱き血潮は理解を示すが、その発言の前のぼくの言葉が届くまでにざっと一分十秒の時間を有したのは頂けないな」

「うぐ」

 琥太郎が気まずそうに呻きを零す。

 事実、言葉が脳内にしっかり到達したのはおおよそ、それくらいである事を理解し二の句も告げられず押し黙る。

「――それとぼくに対するきみの見識がよーく分かったよ。どうにも、僕が虎視眈々と機会を窺う性悪に思われている様で、涙ちょちょ切れてしまうよ」

「それは嘘くせぇなっ!」

 シクシク、と泣いたふりをする音花に漫才コンビのツッコミ役の如く振る舞う琥太郎に対して音花は「おや、バレてしまったね」とからからと愛想のいい笑いを返す。

「……けど、本当にいいのか?」

 琥太郎はそんな音花に対して申し訳なさそうに問い掛けた。

 音花は「何をそんなに遠慮した風なんだい?」と平然とした様子で問い返す。

「だってよ……。……聖剣はこれ一振りなんだぜ? 俺とお前のどっちかしか手に入れられない。そうなると不平等じゃんか」

「大量生産品ならともかく、至高の一品となれば不平等は必然だよ」

「俺だって、わかるよ。仲良しこよしで分け合えないものがあるってさ。俺達の目の前にある聖剣は紛れも無く、それだ。絶対に分け合えないものだと思う」

 琥太郎の考えは事実、当たっていた。国王アークソルがその答えを差し出す。

「事実、そうだな。聖剣は世界で一人しか所有を認めない。認めるもの以外には、拒絶を持って示し、それでも尚振るおうとするものには罰を持って威を示すと言われる。まあ、聖剣以外にも世に名剣、宝剣と言われる代物もまた、その例に漏れないが――。聖剣には聖剣に認められたもの――『聖剣使』しか所有は出来ないのだ、とな」

 彼の言を信じるならば、聖剣使いは一人しか生まれない。

 つまり琥太郎が手に入れてしまえば、音花は聖剣を得られないと言う事になるのだ。同じ勇者として最強武器により明確な差が出てしまう。その事実を前に、琥太郎は二の足を踏んだ。本当に自分が手に入れるべきなのか。二人の体躯を見比べてしまえば音花は小柄だ。それに対して琥太郎もそれほど富んだ肉体を持つわけではないが――ここは音花の安全の為にも譲るべきではないかと言う思いと、それでも聖剣が欲しいと言う我儘で子供の様な二つの感情でせめぎ合っている葛藤があった。

 そんな葛藤を、門音花はいともたやすく均衡を傾ける。

「いや、心配しないでいい。ぼくはその聖剣を欲しくはないからね」

「……へ? こんな格好いいのに? 聖剣だぜ? セイント・ソードなんだぞ? なのに欲しくないってどういう事だよ!」

「そんなキレ気味に言わないでおくれよ……。ぼくとしては素直な感想なんだけどね? いや、世間一般で言う格好いいは間違いないと思う。遜色ないと思っている。――ただ、その剣は、ぼくの手には馴染みにくそうだから、ぼくは必要ないと考えただけなんだ」

「……馴染みにくい?」

「ああ、そうだよ。直剣だし、どうしてもね……。だから、それは君に譲るとも琥太郎。君が君なりに好きに使えばいい。――そう思うよ」

 どうにも違和感の残る解答だが、いらないと言うのなら貰ってしまおう。

 言葉に嘘が篭っている感じはしない。音花の持っても扱えない――そんな風に思える苦笑からそれを信じる事にした。となると、琥太郎にはもう悩む必要はまるでない。


 ならば手に取れ。

 常勝の剣を高らかに掲げ、ここに新たな英雄の物語を始めよう。


 仲津留琥太郎は大きく深呼吸した後に剣へと振り向いた。煌びやかに輝く刀剣を前に勇者の一人が立ち向かう。周囲が固唾を呑んで見守る中で決意を決める。アークソルが、レイラムが、エイザが、セドーネが、クダンレックだけが悔しげに唸っていたが――皆が見守る中で勇者コタローは剣に向け、その右腕を伸ばした。

 黄金の柄を、その手に掴む。しっかりと。力を込めて。

 抜身の刀身は銀光を輝かせて、新たな主を向かい入れ――、


「ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 ――る、事は無かった。

『……』

 断末魔。絶叫。罅割れる様な悲鳴。

 雷が走る、電気が放たれる、と言う現象こそ起きなかったが琥太郎は手の平から全身に叩きつけられたその衝撃に大きな悲鳴を上げながら、部屋の床を盛大に情けなく転がった。体中を掻き毟るその姿は憐憫の感情を拭えない。

 音花は「ふむ」と感心した様子で頷いた後に。

「中々、興味深い現象だけれど、これはどういう事かな王様?」

 ジト目で王様を射抜く。

 国王アークソルは肩をすくめると。

「いや、ダメだったか、と言う感じだな。もしかしたらいけるのではないか――と、考えたがやはりダメであったか」

「一人感心していないで教えて欲しいのだけれど」

「ああ、すまん、すまん。――とりあえずコタローがこうなった理由はまず紛れも無く拒絶反応によるものだ」

「持てはしたようだけれど?」

「『持つ』だけは、この剣は許す。しかし、それ以上をしようとした場合、認めていない相手にはこの通り、拒否を見せる。罰を下す、と言う事なのだよ」

「……その罰とは?」

 音花が視線を鋭くしながら問い掛けた。

 国王はその視線とは別の意味。かつての記憶を思い出しながら体を震わせる。


「――全身を山芋で塗りたくられた様な『痒さ』を味わうのだ」


 その言葉に音花が蒼褪めた表情を浮かべた。

 山芋をすった事がある者ならば、誰でもわかるあの痒さ。それが全身をくまなく凌辱すると言う非道な罰則。それを今、琥太郎は身を持って痛感していると言う事になるのだ。かゆい、と言うのは時に痛みすら凌駕する。そんなものを全身で受けるとなれば、それは果たしてどんな領域の罰なのか。

「そう言う事は初めに言ってくれよっ!!」

 琥太郎が当然の反応をもって返す。

「いや、言ったらお前達挑戦しないかな、と思ってな」

「何でそこんところ隠すんだよ!」

 勇者召喚の一件は誠心誠意謝罪したのに、どうして微妙なところを隠すんだって!

「いや、勇者ならば平気で持てるものなのか興味関心で、つい、な」

「『つい』が多すぎるこの国王!」

 琥太郎の発言に先程紹介を遮られたレイラムとクダンレックが賛同する様に頷いていた。

 ただ確かに反動がこれであれば二の足を踏んだかもしれない、と琥太郎は思う。彼の脳内では電光が『バヂッ』と弾けて拒絶される光景を想定していた。漫画などでよくある拒否反応はそれが一番メジャーであった為だ。精々、痛いけれど耐えきれない程ではない痛みだろう――そんな目論見が大きく逸れた感じだ。痛み以上に持続するこの痒みが鬱陶しくて仕方ない。

「まあ、良かったじゃないか。痒みも死なない程度で済んでる様だし」

「今にもくたばりそうだわ!」

「そうやって大声張り上げられている間は死にはしないさ」

「そう言う問題!? こ、これ……! どうにかなん、ねぇのか、よぉ……!」

 一番ピンチなのは掻いたら拙いところだった。衆目の視線が集う中、例えば股間とか掻いた日にはどんな視線に変わる事か。なにせ全身くまなく痒いのだ。むずむずむず、うずうずうずと痒さが這いまわって、のた打ち回る――なんと鬼畜な事か。

 その様子を流石に見兼ねた様で音花が彼に代わって問い掛けた。

「で。王様、この罰則はどうすると解けるのですか?」

「解く方法は一つ。――剣に謝る事だな」

 人差し指を立てて、国王はそう述べる。

 そうすると琥太郎の行動は早かった。目の前に存在する剣を前に痒みを押して、深く深く頭を垂れて誠心誠意謝罪する。その姿は土下座であった。まさか異世界召喚されて、一日も経たない間に土下座する羽目になるとは思いもしなかった――だが、ここは土下座するしかない。そうしなければ痒みが消えないのであればプライドなど捨ててしまおう。そんな心境の琥太郎の想いに報いたのか、はたまた憐れんだのか定かではないが、途端に琥太郎は全身の痒さが突然に消え去った事を理解する。

 それはあまりにも突然であり唐突だった。先程までの全身の脅威が嘘のように消えてしまった事にある種の感動すら覚えてしまう。あの痒さが欠片程も残されていないのだ。

「どうだい、琥太郎? 痒さは消えたのかな?」

「お、おう……。嘘みたいに綺麗サッパリだ……!」

「……その反応を見る限りだとどうやら本当に消えたみたいだね」

 琥太郎が痒さを一切見せていない事から回復した事を理解し音花はにっこりと微笑んだ。

「――よし、これでぼくは数秒、受けるだけで済みそうだ」

「ちょっと待て」

 さて、とばかりに剣に手を伸ばす美少女の肩をガシッと掴んで掛かる琥太郎。

 笑顔を保ったまま、こめかみに怒りを携えながら静かに優しく問い掛ける。

「……どういう意味かな、門さんや?」

「言ったままの意味と理解すべきだけれど?」

 しれっと音花はそう返す。

「自分は数秒で済むってどういう意味だコラ!」

「だからその通りと言うやつさ」

 あはは、と可憐な笑顔を浮かべながら音花はこう返す。

「先に言った通り、僕はこの聖剣に興味は無い。興味はないけれど、聖剣が出てきた以上、琥太郎がダメなら僕も試さないと皆が納得しないと思ってね」

「……ああ、それは確かにあるか」

 勇者の一人が失敗した。ただし、もう一人の勇者が残っている。だが、その勇者は聖剣が不必要だから試さない。――それは周囲が納得しないだろう。呼び出した側は当然。

「だがぼくは少し不安に思ってね。何も拒絶がないならいいけれど、あった場合を想定するとどう対応すべきかがわからない。だから――」

「……俺を毒見役に使った、と?」

「いいね、琥太郎。物分りが良い子は好きだよ」

「殴っていいか?」

 ほぼ初対面だがここまで殴ってもよくないだろうか、と思わせる奴はそういまい。

 聖剣の影響で拒絶反応が起きたケースを想定し、自分を毒見役に使ったのだ。そして自分にも同じ反応が起きた際にことを数秒で終わらせる為に事前に策を練っていたと言う事になる。なんだこの性悪は。

「ただ、まあ」

 そこで音花は小さく声を発しながら聖剣から目を離す。

 そして彼女は信じ難い事を呟いた。

「――試すにしても、これが真に聖剣なら、の話だけれどさ」

 その、呟きと共に彼女は伸ばしていた手を引っ込めた。

「…………は?」

 何を言っているんだ、と琥太郎は思った。

 目の前の剣が聖剣ではない。――何をもって、そんな言葉を述べているのか。琥太郎は思わず国王の方へ視線を向けて驚いてしまった。国王が楽しそうに苦笑しながら「参ったな、バレてしまったか」と悪戯をした子供の様な様子で呟いた。

「どういう事!?」

 場にただ一人取り残された気分の琥太郎は憤慨をもって反応を示す。

 見れば、大臣達も何とも言えず苦笑を浮かべているではないか。その様子から言って音花の言葉が信憑性を持った発言であると琥太郎は感じ取った。

 即ち、目の前の剣は聖剣ではない、と。

 ならば、どういう事なのか?

「説明してくんない、門?」

「まあ、ぼくも半分賭けの様な発言であったけれどね。実の所、握ろうとしたところまではコレが聖剣なんだろうな、と思っていたんだ。ただ、途中、大臣や王様の『あ』と言う様な気まずそうな表情が視界に入ってね。クダンレック公爵だけは何故かガッツポーズではあったけれど……。まあ要するにそれはつまり、二人も試したところで意味が無く、一人にドッキリを仕掛けた様な場面なのではないか――と思う様になった」

「カッハッハ! 正解だ、オトカよ。それその通り――いや、折角だからどっちか片方に剣の拒絶反応は厄介だぞ、と教えようと言う意味も込めたドッキリでな」

「ふざけんなよ、このクソ国王!」

「悪い、悪い。つい、悪戯心が芽生えてな」

 周囲ががっくりとしている。「また国王様は悪ふざけを……」と臣下の一人が呟いた。

 その様子から察するにやはりこの国王は只者ではない。一筋縄ではいかず、時にぶっ飛んだ事もやらかす王様だと認識した琥太郎である。なおクダンレックが宝剣と知りつつも嫌そうな顔であったのは宝庫でも群を抜いた一品故に聖剣でないまでも音花に入手してほしかったという気持ちの表れであった。

「……けど、どういう事なんだ? サプライズにしても聖剣ですら無いって……試す意味がないじゃないですか? それに、そうなるとこの剣が退魔の剣ってのも違うって事でしょ?」

 がっくりと項垂れつつ愚痴を零す様に呟く。

 退魔効果が無いと言うのは少し残念だ。そしてこれが聖剣じゃないと言うのはもっとがっかりである。ならば、この剣は何なのだろうか? ただの拒否反応発生装置とかではない事を祈りながら国王を一瞥する。

「いや、それは違うな、コタロー。先程言った伝承はこの剣のものだ。それは、間違いない」

「へ? でも、これは『ヤルクスゾルヴ』じゃないでしょう?」

「ああ、銘は『ヤルクスゾルヴ』ではない。聖剣ではない。けれど、伝承は本物であり、この剣がその伝承の体現なのも真実だ――違うのは、この剣の銘でな。本当の銘は『宝剣(デビークベド・キォークス)(ゼヴィース)勝利の栄光を握る剣(ヴィーバック・キクセ)」』と言う剣だ」

「宝剣……『砕』?」

「ああ。恐らくは『魔法を打ち砕く』事が由来だと思うがな。――まあ、つまりはこれは聖剣ではなく宝剣と言う事だ」

「じゃあ、本当の聖剣は何処にあるんですか?」

 琥太郎は心からそう問い掛けた。

 何故、わざわざ宝剣を見せたのか。ならば、聖剣で十分ではないか。それなのに『宝剣・砕』と言う全く別の剣を見せた事は不可解でならない。拒絶反応も聖剣なら納得できるが、宝剣で試したのは何故なのだろうか。確かに、先程『名剣・宝剣』も同様に拒絶を見せる事があるとは言っていたがわざわざそちらを使う意味が見えてこない。

 そんな琥太郎の疑問に国王アークソルは頭の後ろを掻きながら、こう告げた。


「いや、すまん。紛失して何処にあるんだか、見当もつかなくてなっ!」


 琥太郎は開口一番。

「アホかっ!」

 と、叫んだ。

 国王は「いやー、すまん、すまん」と謝罪になっていない謝罪を零しながら、反応を見せるばかりである。聖剣ではない。それはまだ良しとしよう。ただのドッキリサプライズだ。あの痒みの所為で許す気は無いが、そこはいい。

 ――だが『聖剣』が無い、は洒落にならないのではないだろうか?

 先程の話を信じる限り、王族の代々伝来してきたものと言う聖剣。それが何処にあるかわからないという事態は果たして看過できるものなのか。

 国王は溜息交じりに弁解を述べた。

「まあ、本当にすまんがな。実は聖剣は紛失しており、何処にあるかわからんのだ。宝庫に存在するすべての武器を確認したりもしたのだが、どこにもそれらしきものはなくてな。城から出ていないとは思うのだが……それでも、どこにあるかはわからん。何代も前に無くなってしまった様だからなあ……」

「何代も前って……それ、本当に城から出てないって言えるのか?」

「外部にそう出すものではないからな。門外不出の剣であった事からそう容易くは城外へ出ていると言う事はないと考えている。歴代国王の記録書にも、そのような記録は記載されていないからな。――ま、お前の言う通り憶測の域を出ないがな」

「じゃあ、本当に聖剣は無いのかよ……」

 愕然とした面持ちで国王を見つめる。

 アークソルも気まずそうだ。

 そこから話を訊くとどうやら王家の記録書に書かれている限り、『宝剣・砕』が一番の聖剣に近い武器の一つであると国王は語った。実際に勇者に使われた実績を持つ事から、数ある武器の中でも一際抜きん出た性質を秘めているのだと彼は語る。

 だが、それでも当然ながら『聖剣』には及ぶべくもなく。

 このエクセン・ディジーリヴ王国には現在、肝心の聖剣が行方不明であると言う状況が浮き出ただけに過ぎなかった。一時的に『宝剣』を扱えればそれでもいいが、生憎と琥太郎は拒否された上に音花に至っては使用する気配が無い。とすれば、これはお払い箱にしかならない事だろう。もったいない限りではあるが使用者がいないのでは剣も意味を成さない。

「……誰か、他にこの聖剣――いや、宝剣を使える担い手はいないのですか?」

 音花が静寂の中、そう問い掛けた。

 国王アークソルは静かに首を振る。

 それはそうだろう。いればさっさとその人物に剣を譲っているはずだ。

「勇者二人のどちらかが適性を示せば、これを渡したのだが……使えない、使わない以上は仕方あるまいな。この剣に関しては別の担い手を探す事にしよう」

「うう、聖剣じゃないとはいえ凄い残念無念な気分だぜ……」

 琥太郎ががっくりと項垂れる。

 あれだけ剣にご執心であったのだから当然の反応だろう。聖剣でないランクは下の武器だが宝剣も十分、希少価値の高い武器。貰っておけるならば貰って置きたいのもまた本音だ。

「さて、今宵はこの辺りになるかな……。大体の事は話したと思うしな」

 項垂れる琥太郎を余所にアークソルがそう声を発した。

 次いで国王は二人に向けて告げる。

「勇者二人に関しては部屋を用意した。なぁに有り余っているからな。すぐに用意出来たわ! 今夜はそこで疲れを癒してくれ」

「は、はい! ありがとうございます!」

「感謝申し上げます」

 琥太郎はすっかり今日の寝床を度外視していた事もあって、部屋を用意してくれた事に関して素直に感謝を述べる。勇者と言う立場で招かれた身を保証するのは王国側としては最低限の事なので感謝する程ではないと国王は言うが、臣下二人が今日勝手にやったことだ。準備はかなり急ぎになったに違いない。音花もまた素直に頭を下げていた。

「それとお前達二人の保証人なのだが……」

「保証人?」

「お前達二人が何かに巻き込まれたあるいは困った際の後見人だ。そこに関しては――召喚した側としての責任を持って、しっかり支援せよ。セドーネ、クダンレック!」

 その力強い言葉に二大公爵が畏まった様子で『ハハッ!』と頭を下げる。

「――と、言う事でコタローはセドーネ公爵に、オトカはクダンレック公爵が後見人としてつく形になるが、それで構わんか?」

「え、ええと……? いいんじゃない――の、かな?」

 そこを訊かれるとよくわからない。その二人の事を詳しく知らない為に当然だ。

「……一応、尋ねますが御二方の地位はどれほどですか?」

 音花が代わって質疑を発する。

「当然の質問だな。――二大公爵の地位は相応に高い。爵位の中では最高のものだ。故に国に於いての発言権も強いし、権力も大きく持っている。まあ、政治的発言権では右大臣、左大臣の方が大きいが……それでも最上位だな。別に余でも構わんのだが――それだと些か、お前たちに権力を預けすぎる事になる。それは行き過ぎだ」

 なにせ、とアークソルは呟いて。


「余は、お前達を信頼していないからな」


 むしろ笑顔でそう言い切った。清々しい程の笑顔で彼はそう断言したのだ。

 信用していない、と。

 琥太郎は「うぇ!?」と呻き声を上げた。

 音花は「なるほど」と納得の声を上げた。

 臣下が、姫君が、共に頬をひくつかせた。空気が一瞬にして凍結したのがわかる。勇者を前に国王がそう告げた意味が、価値が、重さがそのまま空気を誡める鎖となった。

「し、信頼してないって……」

 琥太郎が混乱した様な。困惑した様な表情で狼狽する。

 その中、音花が「まあまあ、落ち着こう琥太郎」と穏やかな表情でなだめてくるが。

「お、落ち着けって言われてもさ! 信頼されてないんだぜ? それってヤバイだろ!」

 一国の王がそこまでハッキリ告げてくるのだ。混乱しない方が変だ。

 だが、音花は静かな声で彼の思考に冷静な波を巻き起こす。


「――いや、だから落ち着いて考えてみるべきだよ、琥太郎。君は、今日召喚されたばかりの何処の誰かも少し知ったかどうか程度の相手を果たして信頼に足る人物と言い切れるのかい?」


 その言葉に。冷や水をかけられた如く。脳が落ち着きを取り戻す。

「……あ」

 音花のいう事は最もだ。

 勇者を召喚した。そこまではいい。頼りにすべく力として招いた。そこもいい。

 けれどその勇者を信頼し心酔するか。

 それも先程招いたばかりで今、軽く会話を、それも事情説明をした程度の相手に信頼を置くかどうかで言えば琥太郎だってノーと答える。だから間違っていないのだ。国王が『信頼していない』と言う発言はそのままその通りの意味でしかないのだ。別段、落ち込む事でも何でもない。何故ならば、初対面の相手を急に信頼する事などで出来るわけもない事だからだ。そしてそれはそれを指摘した音花自身がよくわかっているのだろう。

なにせ、彼女と琥太郎もまた初対面なのだから。

 逆に、その内面を隠さずこうも打ち明けた国王は果たしてどんな心境なのか。

 もとより勇者を使役する事を否定的であった事を考えればここで激憤し元の世界へ帰ると告げる事態でも望んでいたのか。果たして、それはわからない。けれど、こうも包み隠さず爽やかなまでにそう告げた国王は一分も間違った反応ではなかった。

 だとするとこの発言の意図は……。

「ま。信頼はまだしてないとだけ覚えておけ。お前達が、純朴そうな顔を装った悪漢と言う事態も余は想定しておかなくてはならないからな」

 くるりと背を向けて歩き出す。

「以上で本日は解散だ。今宵の緊急収集に集まってくれた皆には感謝する。明日からもせわしいが頼りにしているぞー」

 背を向けたまま左手で手を振りながらアークソルはその場を後にした。

「……あの言葉の意味って……」

 琥太郎がすでにいなくなった国王の背中を見るかの様にぽつりと呟く。

 ――どういう、意味だったのかな?

 隣で佇む小柄な美少女はただ優しい声音で、こう述べた。

「――好きな意味合いで捉えればいいさ。なにせ発言者があの好き放題な王様だからね」



 その後の流れは実に淡々としていた。

 王がいなくなった事で緊張感も解けたのだろう。重臣達は欠伸を噛み殺しながら立ち上がり、物珍しそうに勇者達を一瞥したが訊きたい事より眠気が勝ったのか一様に部屋を後にした。後に残されたのは琥太郎に音花。それに第一皇女、第二皇女。加えて二大公爵と従者の双子であった。まず動いたのは従者の双子であった。

「お初にお目にかかります、勇者様。自分は国王陛下にお仕えする従者の一人、名をスメア=アルザ・ロンヴァと申し上げます」

 白人族の特有の美白に優しい色合いをしたブロンドの髪の美少女がメイドの衣装に身を包みながら恭しくその頭を仲津留琥太郎へ向けて下げた。

「同じく。お初にお目にかかります、勇者殿。自分も陛下にお仕えする従者であり名をスルモア=アルザ・ロンヴァと申し上げます」

 その隣では音花に対してこれまた仰々しく深緑の頭髪をした美少年が頭を下げている。こちらは燕尾服だ。

「勇者は止めてくれるかい? ぼくには少し似合わぬ尊称だからね。音花で構わない」

「ハ。では、音花殿、と」

「固いなきみは。では、ぼくはきみを何と呼ぶべきかな?」

「お好きな様にどうぞ」

「じゃあスルスルと呼ばせてもらう事にするよ」

「おい、ふざけ――了承、しま、した……!」

 ああ、怒っている。あれは間違いなく怒っている。ギリギリと歯軋りしながら音花を睨んでいる始末だ、間違いない。そりゃあ『スルスル』なんて綽名微妙すぎて気に入らないだろう。

 その様子に満足した態度を見せて音花はこう促す様に言った。

「さ。ぼくは何と呼べばいいのかな?」

「……」

 従者スルモアは何処か呆れた様な表情を浮かべた後に、

「――スルモアで構いません」

 肩を落としながらそう答えた。

「結構だ」

 満足げに頷く音花。

「ところでスルモア。そっちの娘――スメア、と言う従者は君の妹さんかな?」

 次いで彼女はスメアに視線を投げ掛けながら、そう問い掛けた。

 その時の移り変わりは目を見張るものがあった。スメアが何故か明後日の視線になったかと思えばスルモアが途端に大仰な身振り手振りになったのだから。二大公爵もまた何とも言えぬ表情を浮かべているではないか。

 そんな中でスルモアは言葉を紡ぐ。

「その通りでございます。スメアは私の妹――完璧な美貌を持った完全無比な美の結晶にして何人にも犯し難い清廉潔白にして純朴かつ純情な天使であり女神にして世界の光とも言うべき存在に他なりません」

「……」

 思わず無言になる琥太郎。彼は悟った。

 ――コイツ間違いなくシスコンだ……!!

 一瞬の妹紹介であそこまでつらつらと流れてきた以上はまず間違いないだろう。片る最中のあの溢れんばかりの感情をどうにか押し留めようとしても押し込み切れず漏れ出した輝きは彼がシスコンである事をこれ以上なく語っていた。

 隣では音花が「……何かぼくが引き金になってしまってすまない」とスメアの肩に触れながら謝罪しており「……いえ、いいです。一日に何度かは発症しますから、にーさん」と諦観した微笑を浮かべている。まあ、その間にもくるくる回りながら、妹への賛辞を述べている辺りそろそろ止めるべきだろうと考えたのか音花が手で彼の肩を掴む。

「きみの妹への愛情深さは良くわかった。さっきの琥太郎と同じくね」

「嘘を言え。まだ俺の妹の良さは語り尽くして尚、語り尽くせんのだぞ!」

「待て、門。俺とコイツを同列にするのは止めろ!」

 辟易した様子で「あーそう」と簡素な返事を零す音花。その態度に取り合う様な気配は全く見受けられない。

「まあ、ともかくだ。きみたちがこうしてぼくらに話しかけてきたって事は用があるのだろう? 先にそちらを説明してはくれないかな?」

「いや、俺の妹の良さをまだ語り終えていないから――」

「それに関しては私からお話し致しましょう」

 ふわりとした笑みを浮かべながらずぃっと兄の眼前に横入りする形で音花の前に出たスメア。後方で「スメアの髪の匂いが……! ふわりって、ふわりってぇ……!」と興奮した様子の兄がいるのでさりげなく足で実兄の足を踏みつけつつ、ブーツの踵で。

 断末魔めいた悲鳴をBGMにスメアは語った。

「本日の勇者様達の宿泊場所として国王陛下からお二人に部屋を用意させて頂きました。本日はそちらでお休みし、疲れを癒してくだされば僥倖でございます」

「ああ、確かに言ってたな、そういう事」

「加えて、お二人の後見人は二大公爵様がそれぞれ担当する形を取る事から、今後公爵家にも部屋が用意される事かと思われます。その際に部屋を移動した場合でも、部屋はそのまま確保、と言う形を取る事を予め述べさせて頂きます」

「それはありがたい話だ。感謝するよ」

 部屋が複数用意してもらえると言うのはかなり贅沢な話だ。

 それも王城と公爵家に、だ。発言通り、二大公爵が「もちろんです」と返答を述べている。

「それでは、お部屋へ御案内させて頂きます。オトカ様はスルモアが。コタロー様は私がご案内させて頂きます。加えて申し上げまして、御用の際には我々が専属として王国内に置いて働く事になっておりますのでご理解くだされば幸いです」

「専属メイド、だと……!」

 琥太郎に激震が走る。専属のメイドさんである。それも美少女だ。

 これで萌えずして何が男か!

 琥太郎は内心で高らかに勝者の拳を掲げた。遥か壮大に流れる青空の下で高く突き出た岩盤の丘の上、誰にも届かぬ高みに至った心地で感涙と共に拳を衝く。

 そんな心境を他者は知る由も無く、音花にレイラム、クダンレックの三名は部屋を後にする形で出て行く。その後をすぐに案内役のスルモアが琥太郎の隣を通り過ぎる。

「――妹に変な事しやがったら眼球抉るからな」

 復讐が具体的過ぎて凄い怖かった。



「さ、琥太郎様。琥太郎様のお部屋はこちらになります」

 案内は程無くして完遂した。

 王室、玉座のある部屋から遠のいた場所。結構な数、歩いたと思われる。実際、客間として区分された場所は王城の中でも別棟に当たる場所であった。案内は音花の部屋とは左程離れていない様でそれほど距離があるわけではない。しかしそれでも二部屋の距離が隔たれていた。

「どうぞ、こちらになります」

 スメアに促され、彼女が開けた室内を見た琥太郎は感嘆を発した。

 広く、明るく、そして程よく豪華な内装であった。

 成金のごとく絢爛豪華ではなく、ほどよく贅沢であると言うべきか。室内に飾られた家具の良さに内装の明るさは目にみはるものがあり、ベットはふかふかだ。天井は驚いた事に光り輝く水晶が使われており薄水色の発光を放っている。

「……いい部屋だな」

「お気に入り頂けましたか?」

「そりゃもう。絶対、そんじょそこらの家よりよっぽどいいんじゃないか?」

「王城ですから。飛び抜けて適度な裕福さを演出しております」

 確かにその通りだ。豪華すぎて落ち着かないと言う事のない贅沢さがある。ホテルでくつろぐ様な裕福感が満ちている。

「ふむ。部屋はここか……」

「ですね。これで覚えました」

 そんな風に感激を覚えていると公爵セドーネと皇女エイザが微笑ましそうに琥太郎に視線を送りながら話していた。

「何、してんですか?」

 琥太郎は不思議そうに問い掛ける。

「おや、これは失礼、コタロー様。いえ、なに。コタロー様と話すにも部屋がわからんでは示しがつきませんからな。場所だけ覚えておこうと」

「これでもう覚えましたから大丈夫ですね。では、公爵。私はこれで」

「あれ、行っちゃうんですか?」

 てっきり話しかけてくるかと思っていたがことのほか、あっさりとエイザは引き下がる様子を見せたので思わず引き止める琥太郎。エイザは小さく破顔してこう答えた。

「今夜はもう遅いですから。コタロー様を疲れさせてもいけません。ですので大まかな話は明日以降にさせて頂きます。……構いませんか?」

「あ、はい! 全然オッケーっす!」

「ありがとうございます。では、コタロー様。私はこれにて」

「はい。おやすみなさい」

 琥太郎にそう告げられるとクスリと微笑みながら小さくお辞儀するエイザ。

 しっかり気を配れる人なんだな、と感心しながら琥太郎はエイザ皇女が御淑やかに去っていく何ともそれだけで目を奪われる光景を最後まで目に焼き付けながら見送った。続いて、公爵セドーネもまた「では、私も明日また。それでは」と律儀に告げてその場を後にする。

 そうなると必然、その場にはスメアと琥太郎の二人だけが残された。

 両名共に、本格的な会話は明日以降になる、という事だ。そして最後に残ったメイドのスメアは部屋の構造をあらかた琥太郎に解説してくれた。ベットの機能性やら風呂場の使い方、大浴場の使用方法、暖房器具の使用方法等様々だ。

「なお大浴場は王城の六階に存在しております。入浴の時間帯になりますと、私の同僚や大臣の皆々様。それに国王様がお目見えになる広大で雄大な造りとなっておりまして、おすすめの場所でございます」

「うん、それは凄そうだな。――ただ、何で王城にそんなのがあるのかと王様も入ってるのとかツッコミ入れたいけどさっ!」

 確かにあの王様なら納得の振る舞いではあるが。

 しかし部屋の造りといい、大浴場といい、高級ホテルみたいな王城だなと思ってしまう。だがそれくらいの豪華さが一番適度な為に琥太郎に文句と言う程のものは無かった。

「それと部屋の造りなのですが、天井付近の壁にあるボタンを御覧ください」

 スメアに促され、そちらを一瞥する。なるほど確かに壁の上の方に緑色のボタンがあった。

「ん? ああ、確かにあるな。なんでまたあんな高所に――」

「押すと床が抜ける仕組みとなっております」

「何でだよ!」

 何がしたくてそんな装置を付けたのだろうか。スメア曰く「押すと大変危険ですので滅多な事では押さない事をお奨めします」とのことだ。全く答えになっていないが、とりあえず押さない様にしておこう。

「また、部屋の奥の壁際に存在するレバーがおわかりでしょうか?」

「え、ああ……。確かにあるな。なんだこれ?」

「引っ張ると壁が開閉し、入居者を遥か彼方まで吹き飛ばす装置が起動しますので、緊急の際以外には決して使わない様にしていただけますと幸いです」

「だから何でだよ!」

 何故この王城はこうも住人を吹き飛ばす勢いの装置が点在するのか甚だ疑問の琥太郎だ。

 その後も驚きの仕組みが数多く紹介されたり、当然の部屋の仕組みが解説されたりなどを繰り返した後に部屋の説明は終了した。

 その後に口をついて出た言葉はコタローにとって唯一、元の世界から持ってきたもの。つまりは白いタオルであった。あの時の所為で幾分汚れている様に見える。

「後、洗濯が入用でしたら、従者の何方かにお申し付けください。洗濯大臣のゼアディウルと言うものが至高の一品として仕上げ致しますので」

「って言うか、何でスメアがそれ持ってるの!? それだけしか荷物が無い状況の俺ってすっげぇ恥ずかしいんだけど! って言うか、洗濯大臣って何!?」

「王城で全ての洗濯を任される、技能『洗濯S+3』の洗濯の現人神ですね!」

「何で技能で初めてお目見えになったSランクがよりによって『洗濯』なんだよ!」

「なめてはいけません。臣下の反対を押し切って王様が『洗濯大臣造るな!』とそれはもう素晴らしい笑顔で言われた程に洗濯に、洗濯だけに、洗濯のみ長けた青年なんですよ?」

「一周回って可哀そう過ぎやしないだろうか!? それと臣下の反対最もだと俺も思う!」

 確実に乗りだけで発足された大臣職に違いあるまい――。

 そんな形で色々と王城の内部について耳にしていた琥太郎であったが、いよいよ最後の様でスメアは小さく頭を下げてこう述べた。

「これで最後にございます。琥太郎様、明日のご予定を申し上げて構いませんか?」

「明日の予定って言うと……何がどうなんのかな、確かに。おう、よろしく」

 セドーネ公爵等と話し合いが設けられるのはまず間違いないと思うが、それ以外がよくわからない。わかっていない。琥太郎は素直に気にかかったため、スメアの言葉に耳を傾ける。

「了解致しました。まず申し上げますと初めは、公爵様達とお会いする形になります」

「朝一番か。まあ、順当かな」

 彼女らとそれほど会話を出来ていないし、当然の帰結だろう。

「次に、語学勉強になります」

「うげっ」

 あからさまに嫌そうな呻き声を洩らす琥太郎。現役高校生である琥太郎は英語でさえダメな少年なのだ。その上で新たな言語となると嫌気の一つも然してくる。しかし、会話は成り立つが文字が読めないでは話にならないのも事実。仕方なく「が、頑張ります……」としぶしぶながらも奮闘する意をみせた。

 スメアがくすっと微笑を手で隠しながら、琥太郎に優しい声色で告げた。

「御安心ください。覚えると言っても多種多様な言語ではなく、全大陸共通言語です。それさえ覚えてしまえば世界各国で通じますよ?」

「うー……。そうかな? だと、ありがたいんだけど……」

「はい。それにプー・テイワイの民族言語である日本語は会得しておりますから、本当にそれさえ会得してしまえば後は問題ないかと」

 訊けば、倭人族はどちらかと言えば日本語が公用語らしく、無論共通語を覚えている者も多いが、日本語が使えるのはやはり強みになるらしい。

 琥太郎は少し肩の荷が下りた気分で「頑張ってみるよ、うん」と頷いて見せた。

 スメアは「頑張ってください」と朗らかな笑顔で琥太郎にエールを送る。

「それと次は全大陸共通通貨の価値を事前に教えておく形になると思います」

 それに関しては明日軽くなぞって本番は明後日になるとのことだ。

 つまり現場。王城の外へ赴くと言う事になる。琥太郎は内心でガッツポーズを握りながら歓喜した。初めてのファンタジーの世界突入と言う形になるのだろう。王城も十分、琥太郎にとっては異世界だが外も見て見たくてたまらない。

「楽しみだな! けどまあ、確かに金の価値もわからなけりゃ外は出歩けないよな」

 事前に通貨価値を教えておくのもそれが大きいのだろう。

 金の価値がわからなければ買い物以前の問題だ。

「そして、最後になりますが……。全てを一段落した後は王城に存在します、魔導訓練場にて魔法の勉強をして頂く事になります」

「おお……!」

 琥太郎の眼が再び輝く!

 待っていました、とばかりの輝きだ。魔法。ファンタジーならではの一番の魅力である事は言うまでもない。火を起こしたり、風を渦巻かせたり、格好よく幻想的な世界が待っていると訊いては男として燃えずにはいられまい。

 だが急に琥太郎はしおしおと萎びていった。

「ああ……でも、ダメだ……。俺、固有魔法だけだったんだ……」

 他の魔法属性は明記されていなかった。つまり、琥太郎はたった一つの魔法しか使えないと言う事だ。当然、『天地一指にて不動の理』が多種多様な効力を持っていれば可能性はあるが、なんとなく限定的な効果の魔法に思えるのでそれは難しい様に感じられた。

 そんな風に若干失望気味の琥太郎にスメアは優しくこう述べた。

「そんなに悲観される事はありません、琥太郎様。魔法属性が『固有』だけだとしても、『日常魔法』と言う誰でも使役できる魔法が存在しますから」

「……え?」

 それは思わぬ言葉であった。

 スメアの口から零れた『日常』魔法と言う聞きなれぬ単語に意識を覚醒させる。それは果たしてどう言った存在なのか気にかかって仕方がない。

 だが、スメアは「それは明日のお楽しみにされた方がよろしいかと」と柔らかな笑顔で告げて口を閉じる様子を見せた。確かに明日教えられる――それも本格的に、だ。そうすると感動は明日以降の方が大きいかもしれない。そう考えると琥太郎は聞きたくて仕方ないが、我慢して明日を迎える事に決めた。

「それではお休みなさいませ、琥太郎様」

 その言葉と共にスメアは静かに部屋を後にした。

 そうして一人残された琥太郎はしばらく部屋中をぶらぶらと観察し、随所を見て回った後にただ、静かに柔らかなベットの上に突っ伏す様に、崩れる様に、盛大に横になった。

「……異世界で、勇者で、聖剣かあ……」

 琥太郎の口から三つの単語が零れる。

 どれも元の世界では空想の産物にしか過ぎなかったものだ。だからこそ、思う。

 まだ実感が湧かない。異世界に来たと言う実感がまるで湧いてこない。それは現実逃避なのか、はたまた脳が事態の処理に追いついていないのか。すでに魔法も見た。日本とは全く違う景色もみた。全く違う情勢を訊いた。だけど、それでもまだ琥太郎は実感が湧いたかどうかで言えば半信半疑であった。

 なにせ、どれも嘘の様な出来事だ。

 明日、目を覚ませば泡沫の夢に消えてしまうのではないか、と言う気持ちすらある。もしそうなれば自分は夢だったのか、と安堵するのか。それとも夢、だったのか、と悲嘆に暮れるのかそれは今の自分には全くわからない。それだけ怒涛の連続だった。ただ風呂場を目指していただけだったのに気づけば異世界だ。これは果たしてどういう理屈なのか。なんて無駄に思考を吟味して苦笑が零れる始末だ。

 今更、そこに焦点を当てても仕方がない。

 召喚されてしまったものは召喚されたのだ。この夢の様な現実に招かれた。渦巻く内心ははたして感動によるものか、不安に苛まされたものなのか、どちらにも思えて、どちらにも当て嵌まらない様にも思える――不思議なものだ。

 この不思議な感覚を彼女は――門音花は今、どんな風に感想を抱いているのだろうか。

 あの飄々として何処か掴みどころのない人物はどうしているのだろうか。脳裏に今日であった様々な人物の顔、様々な出来事、そして。

「――願いが、叶う、か」

 切望を。願望を。希望を胸に抱きながら。

 仲津留琥太郎はそっと瞼を閉じた。


        2


 ――翌朝。

 仲津留琥太郎はスメアの声に目を覚ました。

 昨日までの世界は幻想に過ぎないのではないかと言う危惧は目覚めた朝に消し飛んだ。

 昨日と変わらない部屋。一瞬だけどこだここは、と思いはしたがスメアの声を訊いて実感と共に声を零す。

「ああ……そうだっけ、異世界なんだよな、ここ」

 寝ぼけ交じりに顔を抑えた。思考が取り留めなく渦巻きそうな感覚をどうにか押し留めながら琥太郎は起き上がると部屋の外のスメアに顔を出す。スメアは柔らかな声で、

「おはようございます、琥太郎様。よくお眠りになられましたか?」

 朝一番でこんなかわいい子の声が聴ける辺り、間違いなく異世界だ。琥太郎はそう断言できると感じた。それが理由でいいのかよ、と問われたら『いいだろ別に! だってこんなかわいい娘に朝にお早うとかギャルゲだぞ!』と返す事だろう。

「お召し物のご用意を致しても構わないでしょうか?」

 琥太郎は素直に任せた。なにせ機能も全裸召喚だったのだ。衣服に関しては自分ではどうしようもないのも事実。幸運だったのはこちらに存在する衣服が現代の洋服と大差ない程の高水準であった事か。難なく着替える事が出来るのである。

彼女が用意してくれた衣服を着用した後に自室を出た後に、向かった先は王城の一室であった。そこにはセドーネ、並びにエイザ王女がすでに集まっており、会話を交わした。大まかな内容は昨晩と相違ないものである。改めて勇者として動く意思があるかどうか。それに関して琥太郎はイエスと答えた。他に告げられた事は公爵が後見人として立つ、と言う事。

 ただ、一つだけ気になった事があった。

「それでコタロー様。その……昨夜に何か変わった事は起きたりしなかったでしょうか?」

 遠慮がちにエイザから投げ掛けられたその質問。

 琥太郎は不思議そうな表情で問いかえす。

「不思議な事って?」

「そのですね」

 エイザは少し困った様な微笑を浮かべた後にこう述べた。

「隠す事でもないので説明申し上げますとコタロー様を召喚したのは私なんです」

「うんうん」

 それは理解る。召喚者が彼女か公爵かの二択しかないのだから。

「それで――実は、勇者召喚ではコタロー様と私の間に一種の繋がりの様なものが厚生されているんです。これが昨晩、お父様から話された以外の勇者召喚の特徴の一つです」

「……む?」

 まだそんな不可思議要素が残っていたのかと琥太郎は驚いた。

「なら、昨晩に王様も教えてくれりゃーいいのに」

「多分、これに関しては特殊ですからお父様が私たちに説明を投げたのではないかと思います、私としては。召喚者ではないお父様では上手く説明出来るかどうか、というのもあったのではないかと思いますし……」

「なるほど」

 で、と一拍隙間を置いて。

「それって何かメリットあるんですか?」

 召喚者と召喚された者に一定の繋がりが出来る。それはいい。むしろ、王道的な要素であると琥太郎は考える。ただ、それがどう言った要素を発生するのかに関しては琥太郎は未知の要素だ。エイザは「はい」と頷いた後に答える。

「まずはお互いの所在がわかると言う事ですね」

「お互いの所在が?」

「緊急の際や余程強く念じた時に限るそうですが。互いの現存場所の把握が感覚的に可能なんだそうです。私も昨晩、それはもうつよーく念じたところ確かに何かこう……光の様なものが感じ取れたので間違いないかと」

「へえ、それは便利そうな……」

 ――互いの位置がわかる、だと? それはつまり――風呂に入ってる時はそれがわかるって言う事なのか? 見えはしないまでも今入っているって言うのが感じ取れるわけなのか? 美少女皇女様が……風呂に!

 等と言う、下賤な思考を包み隠したつもりで琥太郎は冷静に答えたつもりである。

 当然、つもりというだけであって、琥太郎は完璧に隠せたと思っている様子だが若干鼻の下が伸びている事実に彼は気付けていなかった。エイザが「琥太郎様……なんだかいやらしい表情していませんか?」と頬を朱に染めむくれた様子で呟いているが彼は訊いていない。脳内はお風呂一色だ。

 少しして落ち着きを取り戻した琥太郎は、二人がジト目の中で、

「ええ、と、それでさ? その他に何かあるわけ?」

 と、再び問い掛けた。

 流石に互いの居場所がわかるだけでは何だか弱い気がした為だ。折角、互いに繋がりが生まれているのならもう少し勇者っぽい機能が欲しいところなのだが。

「ええ、ありますよ。効力として召喚者側から召喚された側へ魔力譲渡が可能になります」

「おお!」

「それに加えて、どうやらコタロー様へ私が回復魔法等を送った時は効力が大きくなる、とも文献には記載されておりました。ここは後日確認が必要ですが……」

「いや、魔力譲渡だけでありがたいっすよ! どれどれ、どんな感じに?」

「申し訳ありません。現在、コタロー様の魔力はマックスですから、多少減らないと私から送ってしまうと魔力暴走――パンクしてしまうと思われますので今は……」

「お、おお……そいつは怖いな……。うん、なら、止めておくよ……!」

 魔力を注がれた。ぼーん。木端微塵だ。では、話にならない。

 つまり、魔力を送るのは琥太郎の魔力が枯渇した際と言う事になるのだろう。それもどうやら召喚者側に余裕があったらの場合だ。だが、魔力が供給されると言う意味では素直にありがたい。

「そして最後に、これが重要なのですが……」

 そう呟きながらエイザは自らの右肩を触れる。そして何か力の様なもの――おそらくは魔力だと思われるが、魔力を込めた様だ。

 すると彼女の右肩が淡い発光と共に幾何学的な魔法陣を空中に構成した。

 何だ――と、驚くよりも先に琥太郎の体にも異変が起きる。彼の右肩にもまた魔法陣が浮かび上がったのだ。それもエイザと同じ紋様のものだ。

「……な、なあ、何だこれ……?」

 琥太郎の素直な質問に、率直にエイザは答えた。

「私と琥太郎様との間に構成される絆の具現――とでも言うものでしょうか」

「絆の……?」

 はい、とエイザは頷く。

「端的に言えば召喚者の証明の様なものです。魔法陣の形状を見て頂くとわかる様に五芒星で構成されてものの上に私と琥太郎様独自の紋章が構成された形状になります」

「そうだな……何か模様が……何だろう、複雑な形だけど綺麗なもんだな」

 光り輝く魔法陣は何度見ても美しかった。光の線が織り成すその構築式は卓越した芸術家の芸術品を思わせる美しさがある。賛美すべき美の結晶体の様であった。

「つまりこれが俺と姫様の間の契約証明――って感じなのかな?」

「そう捉えてくださって構いません。そしてこれの特筆すべき点がこの紋章の下の五芒星だと聞き及んでおります」

「と言うと?」

「何でも、五回まで勇者の力を強化する魔法を起動させる事が可能なのだそうです」

 それを訊いて琥太郎はおお、と感心した。

 なるほどこの魔法陣が勇者の証明であり契約の証であり、勇者の力の体現と言うわけになるのだろう。その強化がどれほどのものかはわからない。五回と言う回数を考えると強過ぎる強化と言う可能性は若干薄い。だが、それでも十分だ。なにせ琥太郎の身体能力は一般人と同等なのだから。それを考えてしまえば、強化魔法――それも勇者特権の強化魔法があると言うのはとてもありがたい話に感じられた。

「こうして魔力を込めた間は輝くのですが、普段は輝きません。目立ってしまいますからね」

 エイザは苦笑気味にそう答える。

 確かに常時魔法発動状態の様なものだ。目立ってしょうがないだろう。それを考えれば魔力を込めた際に発現する仕組みは隠れ蓑の役割を担っているのだと推測出来た。

「って、事はピンチの時とかは、その強化魔法で勇者パワー爆発って事なんだな!」

「ええ、そうなります。文献でも窮地に追い込まれたり、戦いを五分に持っていく為にこの魔法陣を起動させた、と言う話がよく出てきますので」

「なるほどなぁ」

 感心した様子で頷く。

 正直なところ自分の身体能力でどこまでやれるのか漠然と不安を抱えていたが、そう言う隠し玉があるのであれば琥太郎としてはありがたかった。

 そうしてあらかたの説明を終えた様子でエイザは部屋を後にし、セドーネもまたそれに続いて出て行った。すると次いで入ってきたのはスメア。そして頭部が若干薄いメガネを掛けた教師風な男性であった。スメアと、そしてその男性を見た瞬間に琥太郎はさっと顔を蒼褪めさせる。そんな琥太郎にスメアは苦笑を浮かべながら、こう述べた。

「さ、言語の学習の時間ですよ琥太郎様」

 仲津留琥太郎の何とも言えない情けない呻き声が発せられたのは言うまでもない。



 さて時間にしてざっと五時間程が経過した。

 その為に、琥太郎はすでにふらふらになりながらもある場所を目指し、スメアに引きずられる形で向かっていた。その口からは異世界の言語と思しきものが呪詛の様に零れては消えてゆく。すでに心身共に疲れ切っているのが目に取れた。やった事は簡単に言ってしまえば起訴中の基礎と言うべきものだ。自己紹介から店での買い物方法、簡単な質疑応答。喋れる分、そこは左程問題無いのが救いな程度か。

 そして語学が終われば次は金銭の勉強であった。

 どうやらこの世界で『お金』と言うのは『ウバニー』と言う語で表されるらしい。そして琥太郎が教えられたのは『小銭』と『紙幣』の存在であった。小銭がこちらの言語、正確には『世界協同交易共通言語(ナイヒコーネ)』と言うらしいのだが。

『ムートネック』――これが小銭の単位らしく通称『ムート』で表され『M』と略される。

 通貨価値は1、2、5、10、20、50、100、200までが小銭扱い。端数でEムートと言う額があるらしいが、それは地球で言う欧米、ヨーロッパなんかで見受けられる様なチップ文化扱いだったりする様だ。要は細かいから取って置け、と言う様なものらしい。当然、返金出来るそうだが。

『クナル』――こちらは紙幣の事を意味するらしく『C』で略される事があるらしい。

 通貨価値は5、10、20、50、100、200、500、1000までが紙幣扱い。1000クナルにまでなると相当な額らしいので気をつけておく様に言われた程だ。バカみたいな質問だが『百万円っていくらくらいになるの?』と尋ねたところ『1000クナル六枚に500クナル一枚、200クナル一枚が総額で大体、百万円相当ですな』と返ってきた。お札八枚で百万円だ。確かに気を付けた方がいいようだと実感せざるを得ない。

 跡は実際に城下町で買い物でも満喫すればいい、と言われて通貨面での勉強は終了。実物で対応した方が経験になると言うのは事実だし、城下町に出られるのは嬉しいので素直に了承する形でお開きとなった。だが、同時に通貨単位と言語と言う二重の圧力に潰された琥太郎は御覧の通り、メイドにひきずられる有様となったわけである。

「琥太郎様。しっかりしてくださいねー、次はお待ちかねの魔法ですよー」

「わかってるよ……わかってるよ、スメア……でも、でもさ……頭の中が数字と英語とエイザ様の谷間でしっちゃかめっちゃか何だよ……後、スメアのスカート中の神秘……」

「……『異名』通り、助平ですね、琥太郎様」

 引きずるスメアがジト目で琥太郎を一瞥する。何をさり気無く、皇女の胸の谷間を目に焼き付け、自分のスカートの中を神秘と告げているのだろうか。余程、頭が機能していない様に思われる。脳内ダダ洩れだ。

 そんな風に呆れながらもスメアは目的地に到着した。

 そこにはスメアの実兄であるスルモアともう一人の勇者である門音花が待っていた。スルモアの服装はいつも通りの燕尾服だが、音花は違って艶やかな黄色い衣服と赤の脚絆に代わっている。その出で立ちは実に流麗なもので。

「や。スメア、こんにちは」

「あ、は、はい。こんにちは、オトカ様」

 同性であるスメアも見惚れる佇まいであったのは否定出来ない。確かこの衣装は倭人族が織り成す伝統工芸『和服』の『小袖』と『袴』であったと記憶している。黄色い鮮やかな小袖に赤い艶やかな袴。その二色が織り成す色はさながら倭人族の『巫女』の様であった。

「そちらのお召し物は……?」

 あまりにもしっくりとくる姿に思わず感嘆を抱き疑問を浮かべる。

 音花は朗らかに笑いながら。

「これかい? どうだろう、似合っているかな? スルモアに頼んで、和服が無いかと訊いてみたんだけれど、嬉しい誤算と言うやつさ。流石、王城と言うべきかいい品があったよ」

 くるり、と一回転してみればふわりと花弁が舞うかの様な可憐さがそこにはある。

 自分ではここまで着こなす事は出来そうにないのでスメアは素直に称賛した。

「大変、似合っておりますよ、オトカ様」

「それはありがとう。いやあ、スルモアに無理言った甲斐があったと言うものさ」

「本当にな……。和服なんて王城でも数少ないし、お前が気に入ったのがよりにもよってレイラム様に昔、倭人族国王から送られた品だったから手間取ったわ! レイラム様が『もう着れなくなったし何より動きにくいから構わん』って言ってくれなかったらどうなったかわかりゃあしねえ!」

「嫌だな。一番、君が対応に追われそうな品を選んだぼくの気持ちを察してくれよ」

「何でよりにもよって一番困るもの選ぶんだよ、アホか!」

「きみの教育の一環になればと思ってね」

「教育研修なんてずっと前に終わってるっての!」

「久方ぶりに緊張感があったんじゃないかい?」

「全くその通りだよ! って言うか、それで終わらず、ゼアディウルの奴に洗ってもらう手間までかかったんだから感謝くらいしやがれ!」

「ゼアディウルにはちゃんとしたよ? きみで最後だ。ありがとう、スルモア」

「俺後回しかい!」

 ……事態は大体呑み込めた。

 とりあえずスルモアが勇者に振り回されたと言うのだけはキッチリ伝わってくる。すでに言葉遣いなど礼儀からかけ離れた素の言葉遣いに変わっている始末だ。余程、王女様の服を勇者様に譲ってもらってもいいですか、と言う内容で胃を痛めた事だろう。

 やがて二人の掛け合いが終息に向かうとスルモアが懸念を示す形で問うた。

「って言うか、本当にいいのかカド? お前、その和服で動けるのかよ?」

 確かに、とスメアも思う。

 なにせレイラム皇女が動き難い、と言う様に和服は動き難いのだ。それ故にレイラムも音花に譲り渡したのだろう。それ以前に確かに古い衣服故にすでにレイラムは身長の問題で着る事は出来なくなっているだろうが……。あの姿で音花は動く事が出来るのだろうか?

 その不安に対して音花は不敵な笑みを浮かべて返す。

「問題ないさ。ぼくはむしろこっちの方がしっくりくるからね」

 それはさながら和服に着慣れていると言う様な発言であった。

 倭人族の衣装は元々、日本人伝来の品故に慣れているのだろうか? だが本人がここまで言い張る以上はそれだけ自信があると言う事か。スルモアも「……なら期待してやる」と小さく呟いて返す。

「お、おお? アレ、ここどこだ? 風呂場は?」

 何故か召喚された時と似たような言葉を吐いて琥太郎が意識を取り戻す。

 そんな様子の琥太郎に苦笑しながらもスメアが「ここは魔導訓練場ですよ、琥太郎様」と優しい声で語りかける。瞬間、スルモアから殺気じみたものが放出されたのを感じて琥太郎は本能的に飛び起きた。

「な、なんだ今の寒気は……! って言うか、魔導訓練……っと、おお? 門、お前それ和服じゃんか。なんかすごい似合ってるな……」

「おや、うれしい世辞だね」

 ありがとう、と告げて佇む音花。琥太郎は和服姿の美少女と言うものに感激している様子で食い入る様に見ていた。和服など現代社会そうそうお目にかかれるものではないからなおさらの事だ。見れるとすれば初詣、神社で巫女さんくらいか成人式が関の山だろう。

「ところでスルモア」

「あん? 何だよ?」

「いや、集まったはいいのだけれど魔法の教官は何時に成ったら来るんだい? 予め指定された時間はもう少しばかり過ぎている様だけれど」

「あー……教官ね」

 スルモアも時間を確認しそれから顔を上へ向ける。魔法が使用しやすい様に巨大に作られた空間の天井は吹き抜けになっていた。ただし、音花は事前にスルモアから訊いているがここは決して吹き抜けではなく、魔法を防ぐ結界がかかっているらしく、外への被害を抑え込む役割を持っているそうだ。

「……何で、上見てるんだ?」

 琥太郎が不思議そうに呟く。

「まあ……そうですね……」

 スメアが何とも気まずそうな表情で苦笑を浮かべている。

 わけがわからない。そんな内心のまま二人同様に太陽の光差し込む天井へと目を向けた。すると高所――かなり高所に何か点の様なものが存在した。黒い何かがある。

「……んん?」

 そしてそれは徐々に近づいてくる様であった。

 黒い何かがだんだんと大きさを生んでいく。

「……んんんん?」

 琥太郎は訝しむ様に柳眉をひそめた。距離があってわからなかったが、それは何か人の様なもので――同時にこの距離でそんな大きさを保っている事から結構な体躯の持ち主であると見て取れて――まあ、早い話が。とどのつまり。


 ――人が、振ってきた。


 琥太郎が大声で叫ぶ。

「スルモアー! 空からおっさんが!」

「わかってるよ、うるせぇな勇者コタロー。俺だってどうせそうくるだろうから心構えしてたんじゃねぇか」

 やっぱりそこから来たか、と呟く辺り場所を予期していた様だ。

 そして琥太郎の言う通り、空から降ってきたのは女の子でなく50代程と思しき男性。もっと言えば空からではなく天井付近にある高台からである。

 そしてその人物は両の足でしっかりと大地を踏みしめ着地した。

 おおよそ三十メートルはあるであろう高所から大地を踏みしめ、揺るがすその体躯は一言で言って巨漢であった。目元まで被った漆黒のマスク。それはさながらプロレスラーのマスクを思わせ、両肩に装着された赤い布はさながらマントのごとく。そして極め付けは黒一色の全身タイツと胸元に輝く六芒星のエンブレムは蒼穹の色に良く似ていた。そんな彼の姿は一言で言ってしまえば――ヒーローだった。

「何だこいつはっ!?」

「エクセン・ディジーリヴ魔導教官マハルバ=リニーオルン様です」

「ホワッツ!?」

 琥太郎の条件反射の様に発生した疑問がこれまた条件反射の様に淡々と返してくるスメアの声にさらに条件反射の様に首を回して信じられない様な声を紡ぎだす。

 だがスメアはそれが真実です、と言わんばかりに有無を言わす気配は無かった。

 つまり彼が。

 この男が。

「アークソル王から話は聞いておる! よくぞ参られた異界の勇者よ! わたしの名前はエクセン・ディジーリヴ王国魔導教官のマハルバと言う! 今後、諸君らの魔導指導を一手に引き受ける形となったので、よろしく頼むぞ! ヌガーッハッハ!」

 濃い。これは濃い。

 目の前でヒーローの衣装に身を包む魔導教官に対して抱いた感想はまずそれだった。まさかこんなに筋骨隆々な魔導教官が現れるとは全く思わなかったのが本音だ。出来たら美人の魔導教官とか現れないかなとこっそり内心願っていたものが全て全て打ち壊された様な感慨になる程であった。

「……ちゃんと優秀ですよ、教官」

 フォローか何かだろうか。スメアがこっそりそう付け足す。

 優秀……なのだろうか。魔法使いの教官だから理知的な人物が現れるかと思っていただけに目の前に現れたこの人物をどう評価すべきか。プロレスラーか、アスリートか、チャンピオンか……何にせよ肉体派、と言う言葉で表現する方が遥かに容易い。

「さて! それでは諸君らの名をあらためて聞かせてもらおう! そちらの見目麗しき勇者は門音花。そっちのむっつりスケベに見えてヘタレっぽい勇者が仲津留琥太郎だな?」

「ちょっと待てえ!」

「ええ、よろしくお願いします、教官」

「うむ!」

「だから待てやあ!」

 だが二人全く意に介した様子が無い。

 何だ自分はそんなにスケベ臭が漂うとでも言いたいのか? そんなにヘタレっぽい少年に見られているのか? 何か凄い不安なんだが! と、琥太郎の内心を疑心が渦巻いてゆく。

「大丈夫だ、琥太郎。そんなに混乱しなくてもぼくはきみをある程度理解している」

「門……!」

「きみがスケベと言うのは『異名』で確認済みだからね」

「どうでもいい判断材料を信じるな!」

 それで言えばお前の異名も相当なもんだぞ!

 内心で悪態つくも当然聞こえるわけもない。ただ様子から察したのかクスクス笑いながら「確かにその通りだね」と答える辺り読心術でも持っているのだろうか?

 琥太郎が憤慨し、音花が愉快そうに笑う中。

 そんな二人を見ながら微笑ましげな表情を浮かべていたマハルバがニッと口元に笑みを浮かべて彼は告げた。

「では勇者達よ。二人が揃ったことだし、いよいよ始めようではないか」


 ――『魔法(アイガム)』と言う神秘をな。


 その言葉に琥太郎は表情を引き締めた。

 届いた言葉に音花が目を鋭く輝かせた。

 魔法。

 それは元いた世界には決して有り得なかった産物。未知の世界にして無限の世界。科学に対する神秘の具現。手にするはずなどなかった神の差し出した選択肢の一欠片。

 ――よき表情だ。

 マハルバ魔導教官は二人の表情を見てそう評価をつけた。魔法に憧れを抱き、そしてそれを手に入れたいと言う欲求に満ちた輝きだ。それでいい。自分の為に何か新たな力を得ようとする姿勢をマハルバが称賛する。

「では、手始めに魔法について語ろうか。魔法とは何か――それは奇跡を成し得る力と言って過言ではないだろう。魔法で出来ない事は限りなく多い。万能とまでは言い切らんが、それでも数多くの可能性を具現する。アロ・アディナに於いて神から賜った神秘。それが魔法だ。魔法は人々と密接な結びつきを、歴史と切っても切れない関係を紡ぎ出している。魔法は万人が扱える人の手足であり道具であり、願望なのだ」

 マハルバはそう述べながら左手を翳した。

「ぬんっ!」

 唸り声と共にその手に輝きが灯る。白光の煌めき。見ているものの気持ちを安らげる様な神秘的な輝きは彩色豊かに揺らめいていた。

「――これが魔力だ」

「これが……」

「ああ。ある程度凝縮しなければ目視は通常不可能であるがな。アロ・アディナの住人はみなこれと同じものが宿っておるのだ」

 なんと神秘的な輝きなのだろうか。

 琥太郎は、音花はほぅ……と感嘆の息を零す。

 朝の暁光の様に、夜空の綺羅星の様に壮麗な煌めき。

 二人の反応を見て満足そうに頷いてから、マハルバは更に続けて右手を翳した。同じ様に掛け声を発してその手にまた力がこもる。だが、それは左手の光とは別種の輝きであった。

 その色彩は実に威風堂々足る――黄昏色に輝く黄金だ。


「加えて――これが『真星力(エアルツサ)』、と言うものだ」


 彼は黄金色に光り輝く力を指してそう告げた。

 訊いた事ない響きに不思議そうな表情を浮かべる琥太郎。

「……魔力はわかるんすけど、何ですか真星力って?」

「うむ。真星力とは一言で言えば魔力の上位互換と言えよう」

「上位……!?」

 驚きに目を見開く琥太郎に対して重々しく頷きマハルバは言葉を続けた。

「今から約二十年程前から確認された新種のエネルギーでな。魔力の大よそ倍以上の数値を叩きだす事が可能な更なる神秘とも言うべきものだ。その性能の高さから現在では多くの魔法使いが魔力と併用し用いている。――まあ、魔力と区分するのが面倒くさい事から、こちらも魔力と呼ばれる事は多いがな」

「すげぇ……! そんな力まであるのかよ……!」

「うむ。とはいえ、こちらは初心者向きではない。負担がそこそこあるからな。中級以上になった時にでも切り札に活用すればいい。日常でも魔力の潤滑油代わりに用いられるしな」

「おお、覚えておきます!」

 琥太郎の声にうむ、と頷いて返す。

「そして次に魔法に関してお前さん達も実感してもらわなくてはならん。自分達の手の平にでも魔力を込めてみるといい」

 マハルバの言葉に琥太郎は手を上げて答える。

「あの、すいません。どうやって込めるんですか?」

「『ぬんっ』だっ」

「擬音じゃなくて! もっとこう信憑性の高い様なやつで!」

「無数に張り巡らされた糸を想像してみよ。その糸に手を絡め、そして引き寄せる。そして糸を駆け巡る光を連想してみなさい」

「何かそれっぽいの来た!?」

 てっきり『考えるのではない、感じるのだ!』とでも帰って来るかと思ってただけに結構適確なアドバイスらしきものが来た事に少なからず驚く琥太郎であった。

 そして思い切ってそれを実践する。

 他の方法もわからない以上は、それを頼りにするしかないだろう。

「――ん……。こういうところかな?」

 そう思って目を瞑った矢先、隣から音花の声が零れた。

 軽く目を開けて一瞥してみると、そこには確かな彩色豊かな輝きが灯されている。

「おお、呑み込みが良いではないか、門音花よ! そう! それが魔力だ!」

「凄いですね……! 一発ですよオトカ様!」

「まあなあ。アイツ、呑み込み速そうだし」

 ……ぐぬぬ。これは負けてらんねーな。

 隣で成功した気配を見せる音花に対して琥太郎の闘争心に火が付いた。琥太郎も脳裏に連想する。教官に言われたイメージ。無数の糸。無限の琴線。張り巡らされた糸と糸が絡み合う世界に思い切って手を突っ込んだ。そして軽く動かすだけで大量の糸が手に絡みついてゆく。そしてそれを思い切って引っ張った。くんっと張った音がする。糸の果てから引き寄せられる様に光が走って来た。それは淡くもあり、強くもある様で。冷たくもあり、暖かくもある様な不可思議な感覚――。

 右手に、宿る。

 途端に白い輝きが手の平を満たした。明るく彩るその輝きの名は魔力。神秘を具現し、奇跡を体現する始まりの福音――。

「出来た……!」

「おお!」

 教官がバシン、と背中を叩いて褒めてくれた。スメアがやりましたね、と嬉しそうに破顔した。スルモアが勇者ってのは流石だねーと嫌み交じりに肩を叩いて称賛した。音花がただ静かに嬉しそうな笑みを浮かべて祝福を彩った。

 魔力の生成が出来ただけ。

 ただ、それだけ。

 けれど、自分が異世界に今ようやく飛び込めた――世界と合致した様な感覚に琥太郎は嬉しさを表現しきれず、けれど拳を強く握りしめて吼えた。

 スルモアが「ったく、うるせえ」と苦笑気味に呟く声が聞える。

 マハルバは琥太郎の心境がわかる様で口元に笑みを生んでいた。そして琥太郎が落ち着いたところでマハルバは「よく出来たな」と肩を叩いて褒めた後にこう述べた。

「うむ。二人とも、魔力の生成――まずは見事! いや、これが出来なくては拙いと思っていただけに一発で出来た事は称賛に値する!」

「はい!」

「ありがとうございます」

 元気よく琥太郎が頷き、音花が小さく頭を下げた。

「よし、では次の段階へ移ろう。次は魔法属性の話になるのだが……」

「……あ」

 琥太郎がしょんぼりと項垂れる。

 そう、彼には魔法属性が『固有』と呼ばれるものしかない。それだけしかない琥太郎は不安で仕方ない節があった。対して音花は確か三つの属性を保有していたはず。圧倒的な差ではないのだろうか。

「そう、落ち込むな仲津留琥太郎!」

 教官はそんな琥太郎に声を掛ける。

「何もそれだけが全てでは無いからな」

 そう呟きながら魔導教官マハルバが出したものは一枚のプレートであった。ホワイトボードの様なもので何やら文字が書かれている。異界の言語だろう。いくつかは琥太郎にも解読できたが、それ以外は少しわからなかった。

「ここに記されているのは主な魔法属性だ。上から稀少度C、稀少度B、稀少度A、稀少度Sのランクに分かれている」


 稀少度C:『開錠(アンロイジン)』『封印(キアル)』『鑑定(アイティレープ)』『変身(ディベンクウォープ)』『念力(シセニコーチースプ)』『召喚(クポン)

 稀少度B:『火焔(シンギ)』『流水(アウカ)』『風雲(ストネヴ)』『大地(アレーテ)』『雷電(スルティノート)』『氷雪(セイカルグ)』『樹木(ローブラ)』『錬鉄(ムラーテム)』『劇物(ムネーネヴ)

 稀少度A:『光明(ネムール)』『闇夜(エアルベネト)』『重力(サティバルグ)』『精神(スティリプス)』『爆発(ノイトプレ)

 稀少度S:『時間(アロヒ)』『空間(ムイタプス)』『固有(クティエル)』『消滅(エレクセナーヴェ)


「――見てわかる通り、合計二十四個。これが主な魔法属性だ」

「……結構、多いんすね」

 てっきり王道的な六属性かと思っていたらその四倍の数が飛び出てきた。これは多い。かなり分類されていると言ってもいいだろう。それもどうやら各属性が希少性で分類されている様である。

「うむ、多かろう。だが特例足る、特殊属性もたまにおるから一概にこれが全てとは言えん辺りが奥深いのだよ、魔法は」

 そう言いながらマハルバは何故か視線をスメアへ投げ掛けた。琥太郎は気付いていない様子だが音花はめざとく気付いた様子だが一瞥しただけであった。

「そして魔法で最も万人が保有する属性が稀少度Bに当たるものだ。これは万物の構成元素としても有名であり、特に六属性と呼ばれる中の四つ『火焔』、『流水』、『風雲』、『大地』は特に知名度の高い魔法属性に当たるな。早い話が、稀少度Bが一番メジャーと言う事だ」

「え? じゃあ稀少度Cは何なんですか?」

 琥太郎が不思議そうに問い掛けるとマハルバはニヤリとした笑みを浮かべて答える。

「稀少度Cはな、仲津留琥太郎よ。言ってしまえば、証明手帳に記載されない通常魔法。俗に『日常魔法(ヨポン)』と分類される魔法体系なのだよ」

「日常魔法……?」

「そう。これに至っては万民が才能の大小こそあれど保有する魔法と言える。誰でも使役できる魔法と言うわけなのだ」

「誰でも……!? って、事は、魔法属性が手帳に明記されてなくてもって事!?」

「うむ。日常魔法が証明手帳に明記されるのはおおよそ、その魔法に対して巨大な才能を有する者に限られるな。それより下の場合は記載されておらんだけで、使用可能なはずだ」

「マジですか!」

 つまり、これの事なのだ。

 スメアが可能性として言っていた事は。昨晩、彼女がもったいぶって秘密にした事はこれの事を指しているのだ。『日常魔法』と言うジャンル。それがあるから一概に魔法が使えないと彼女は断言しなかったのだ。

「そう言えば、二人の属性は国王から訊いておったな。仲津留琥太郎よ、お前さんは確か『固有』単体。門音花よ、お前は『風雲』、『光明』、『闇夜』であったな?」

「そうなるね」

「おう!」

 音花の冷静な声に続いて琥太郎の溌溂とした声が後に続く。

「うむ。どちらも稀少度、と言う観点だけ捉えれば中々ではないか? 見ての通り、『風雲』は稀少度B。『闇夜』と『光明』は稀少度A。つまり、門音花は中々優秀な魔法属性を持つと言う事になるわけだ」

「……うん、じぶんでも中々いい属性を引き当てたみたいでほっとしたよ」

「誇ってよいぞ。そして仲津留琥太郎の方は……残念ながら属性単一と言うのは才能が少ないと言えてしまうが……属性は『固有』、稀少度Sだ。それを考えれば十二分に強力なものを持っているのではないかと考える」

「だよな、だよな、ですよね……!!」

 琥太郎は目の前に再び希望が降臨した気がして拳を握り緊めた。

 稀少度S。その言葉の輝きが琥太郎に活気を与えたのだ。

「では軽く、全属性について解説を述べておこうか」

 そうマハルバが告げてから説明した内容はこういったものであった。


『開錠』――解除特化型魔法。呪い、封印、扉と言った閉鎖的な状態を解放する魔法。

『封印』――束縛特化型魔法。万物を封印する。故に術者の才能で大きく変動する魔法。

『鑑定』――識別特化型魔法。別名、識別魔法。物質の真髄を確認する商人必須な魔法。

『変身』――変化特化型魔法。身体に直接反映する肉体変化魔法。稀少度が高い魔法。

『念力』――念動特化型魔法。大抵強化魔法と呼ばれる物体を強化、自在に動かす魔法。

『召喚』――使役特化型魔法。契約者を呼び出し力の代行者として操る崇高な魔法。

『火焔』――攻撃特化型魔法。発動により防護力低下を差し引いても強力な代表的魔法。

『流水』――全面特化型魔法。攻撃・支援・防護の三つに於いてバランスの良い魔法。

『風雲』――速度特化型魔法。攻撃・補助に於いて強力だが反面、防護に難を置く魔法。

『大地』――防護特化型魔法。物理・防護に於いて強靭な堅牢さを発揮する守護魔法。

『雷電』――破壊特化型魔法。破壊力・速度に於いて風雲の上位互換であり稀少魔法。

『氷雪』――両立特化型魔法。剛と柔を併せ持つ技巧派であり流水に性質が似た魔法。

『樹木』――技巧特化型魔法。植物育成・特殊効果を見込める可能性の広い魔法。

『錬鉄』――変化特化型魔法。別名、錬金魔法と呼ばれる性質変化・物体変化の魔法。

『劇物』――異常特化型魔法。毒素・麻痺・睡眠の主な三種類に分かれる特殊な魔法。

『光明』――万能特化型魔法。攻撃・補助・防護の三拍子が揃った強大な魔法。

『闇夜』――凶悪特化型魔法。攻撃・補助・防護の三拍子が揃うが負荷が大きい魔法。

『重力』――軽重特化型魔法。闇夜とも異なり異質。だが応用の範囲が広い魔法。

『精神』――心理特化型魔法。催眠・洗脳・心療の三種に分かれた特殊な効果魔法。

『爆発』――火力特化型魔法。何か爆発する。

『時間』――神聖特化型魔法。その効力から最早、魔法の域としては最高峰の魔法。

『空間』――特殊特化型魔法。時間と同じく高い稀少性を誇り次元を自在化する魔法。

『固有』――個人特化型魔法。所有者により千差万別の形態に分かれる最たる特殊魔法。

『消滅』――滅却特化型魔法。対象を永久的に排斥する異形の力を持った魔法。


 以上が、この世界を構成する魔法体系と言う事らしい。

 稀少度こそ同じだが、訊いている限り、稀少度Bでは『雷電』魔法が稀少度がその中でも高く位置づけられている様子だ。それを考えるとつまり、同じランクでもやはり、そこから更に分け隔てが存在しているのだろう。

 ただ、琥太郎はどうしても拭い去れない疑問を叫んだ。

「爆発魔法の説明がおかしいっ!!」

「そこなのか!?」

 マハルバが口を開けて愕然とした態度を見せるが、あえて言おう。

「いや、おかしいだろ! 何で爆発魔法だけ『何か爆発する』なんだよ! 他は結構、ちゃんとしたなぞりかただったのに、爆発魔法だけおかしいだろう!」

「いやー、何とも……。何かが……そう、何かが爆発するとしか言えなくてなあ……」

「何でだよ! そもそもさ、おかしくないか? 爆発魔法が分類されてるけど――それなら火焔魔法でもいいと俺は思うんだけど」

 琥太郎は不思議に思った。火焔魔法があるのに関わらず、爆発魔法で区分されている点についてである。爆発と言えば火焔魔法の十八番の様に思える魔法だ。それが爆発で分類されているのが素直に疑問であった。

 ただしマハルバはこう返した。

「いや、密接にはそれは違うな。火焔魔法は『ただ火を巻き起こす』魔法。爆発魔法は『ただ爆発を起こす』魔法なのだ。火焔魔法で言うところの爆発が周囲のものに引火したり、風雲魔法により補正した結果引き起こるものに当たる。それは火焔魔法の上位互換として俗に『爆炎魔法』とも呼ばれておる」

「……なら、爆発魔法はいったいなんなんだ?」

「うむ。実の所、爆発魔法は『固有』の派生であったと言う見解が強い。元々は固有であったが担い手が増えた事で『爆発』として定着したと言われておる。火焔魔法との大きな違いは『一定のもののみ起爆する』というものらしいな」

「……一定のもののみ?」

 どうやら爆発魔法は発動が一定に絞り込まれる様だ。

「そう。それも魔力を込めた対象になる。私の知る爆発魔法の使い手は泣き叫んだ事があったのを良く覚えておるよ。なにせ爆破対象が『お金』だったそうだからな」

「……うわあ」

「それとは別の担い手も悲惨な事に『宝石』であったりしたらしい」

「……うひゃあ……」

 何とも言えぬ声を上げる。

 それは悲しい。折角存在する爆発魔法の対象が人生で高価な付加価値を常に有する存在であるとなれば、それを武器に使えるかどうかで言えば大抵にして否だ。金持ちならともかくにして一般人には出来ない芸当だろう。

「ともかく理解しましたよ。つまり、爆発と火焔は似て非なる魔法って事だな?」

「その通りだ。この二属性は結果的な効力こそにかよるが厳密には違う。最も大きい点は『爆炎』と違い『爆発』は『熱量』と『炎』が発生せず炸裂する点であろうな。――後は何か質問はあるかね?」

 その言葉に手を上げたのは今度は音花である。

「『日常魔法』――これに関しては全般、もう少し詳しい説明が欲しいのだけれど、構わないだろうか?」

「構わんとも。よい、質問だ。――そうだな、順に語ろう。長くはなるがそこは許せよ。まずは『開錠魔法』。これはピンキリで言ってしまうとアレだが『タンスの引き出しを開ける』から『古代遺跡の封印結界を破る』まで、全てが『開錠』に属す。その事からわかるとは思うが開錠魔法は個々人の才能に大きく比例するのだ。特に危険性の高い封印物に関しては必然、能力の高いものは危険視されてしまう弊害があるが……だが利便性の高い魔法だな」

 次いでマハルバは『封印』の文字を指差しながら、

「次に『封印魔法』。これはまさしく『開錠魔法』と対を成す魔法体系だ。あらゆる万物を封印し束縛する――例えば漏れ出てはいけない力。あえて封印し力を抑え込む修行僧。太古に至っては神話で語られる魔王封印等様々な場面で活躍しておる。後は扉の鍵替わりに使っているなんていうケースもある為に日常魔法に分類されておるな。力が異様に強いものでは『封印魔導師』などとも呼ばれておる」

 そのまま次へ進み今度は『鑑定』を指示した。

「それに『鑑定魔法』。これは便利だぞ。掘り出し物や武器等の稀少度を識別出来る魔法だ。商人なんかにゃあ必須の魔法属性と言えるだろうな。事象のあらゆるものに対して判断を下す事が可能。ある意味、知識魔法とも言えるだろう。とにかく応用範囲の広い魔法だ。人間相手にも効力を及ぼすが、こちらが上位のランクでなくては機能しない。または阻害魔法でも同様に機能しないな。まあ、対人相手では相手の気を悪くしかねんから、そう使わない事がおすすめでもある」

 マハルバはそこで説明を区切って、次へ進む。

「『変身魔法』。これは面白いぞ! なにせ動物へ変身できるからな! とはいえ才能がないものでは体の一部分が限界。出来て獣人族程度が関の山だ。上級者になると完全に動物の姿を取れるようにもなるがな。ただし魔力を常時ガツガツ喰らっていく為に持続性は乏しい。また稀少度もそこそこ高いのだ。あとは、そうそう。変身と一概に言っても、特殊な身体強化も可能でな。その際には『狂化魔法』とも呼ばれており、全ステータスを強化する事も可能だ。これに関しては他属性魔法との併用が求められるがな」

 そこから更に話は続き次へ指が動く。

「これはポピュラーなもので『念力魔法』。効力は物体を自在に動かす念動力と、物質を強化する『強化魔法』が有名だろうな。特に強化魔法に関しては時折必須でな。ランクの低い魔法に斬撃性を、物理攻撃性を帯びさせる為にはこの『強化』が欠かせない。ランクが高くなれば十分強力な威力を発揮する様になるがな。一般人はこれを食器や器具にかけて壊れない様にしておくのが一番の使い道だ」

 ようやく最後。マハルバ魔導教官も少しほっとした様子だ。

「では最後だな。『召喚魔法』。これは効力が稀少魔法だ。単純に言ってしまえば、契約者を魔法陣より呼び出すと言う代物なのだがな。様々な動物、幻獣、はたまた竜種と言った存在を使役する高度な魔法になる。昨今は召喚獣を使い魔として使役している辺りが日常魔法に区分された要因であろうな。これの才能が大きく熟達したものになれば召喚魔法だけで戦う事が可能となるだろう。その場合『召喚術師』とも呼ばれたりしておるよ」

 終わった。やり遂げた! マハルバは清々しく額の汗を拭い去る。

 音花は「長々とお疲れ様でした」と素直に頭を下げてお礼を述べた。

「構わん! これで日常魔法が理解出来たのであれば安いものだ! さて、後は大体……わかるだろうかな? 中々、効果が想像しやすいものばかりであるし……」

 マハルバがそう呟く通り、琥太郎も音花も他は想像し易かった。

 ただせっかくの機会と言う事で、琥太郎は手を上げて問い掛ける。

「すいません。属性『劇物』って具体的にはどんなのなんですか?」

 その言葉にうむ、と頷いて返した後に述べる。

「『劇物魔法』。これは簡単に言って状態異常魔法と呼べるものだ。大まかに分けて『毒素(スーリヴ)』、『麻痺(エレプロート)』、『睡眠(スヌモス)』の三種にわけられる。証明手帳では『毒素』持ちならば『劇物・毒素』等と明記されるはずだ。これがわけられたのは一応理由があってな。毒による影響と言えば麻痺もまた毒なのだが、毒素に関しては『体力に影響を与えるもの』と言う事になり、『身体機能に阻害を与えるもの』を麻痺。『身体意識を一時停止させるもの』を睡眠と呼んでおる。まあ、中で人気の高いのは『毒素魔法』なのだがな」

「え? 何でなんですか?」

 毒、と聞けば一概に危険なイメージを連想する様に思われるのだが……。

「それはな、仲津留琥太郎。『劇物・毒素』が逆転され時に治療薬ともなる事から研究者たちの間では人気なのだ。その意味で回復役の意味も兼ね備えている」

 つまりヒーラーか、と琥太郎は納得した。

「無論、回復として不動の人気は『流水』と『光明』だがな。この『劇物・毒素』もまた効果の期待出来る魔法として人気なのだよ。『劇物・麻痺』や『劇物・睡眠』の効力と比べ、応用範囲も広いからな」

「なるほど!」

 魔法では無く、科学的な側面だが確かに回復役は重宝する。それにその原理ならば回復薬、ポーションの様なものを創造する事が出来るのだろう。確かにそれは機能性の高い魔法と言わざるを得ないだろう。

「仲津留琥太郎はもう質問はないか?」

「そうっすね。これくらいでオッケーっす」

「ふむ、では門音花よ、お前はどうだ?」

 そう呟きながらマハルバが視線を向けると音花は少し思案した後に、

「それでは最後の質問をさせてもらいたいんだけれど、平気だろうか?」

「構わん。訊きたいだけ訊け」

「では、遠慮なく。稀少度Sの魔法。つまり『時間』、『空間』、『固有』、『消滅』はどれくらい稀少価値の高いものなのだろうか?」

「ふむ、そうきたか……」

 感心した様子で腕組みしつつ頷くマハルバ。

 彼は「そうだな」と呟いてから解説に着手する。

「稀少度Sとは言うが、一番稀少度が不明確なのは間違いなく『固有』になる。これに関しては稀少度をランク外のDとも、最高のSとも言うものがおる。それは当然だ。なにせ個々人で能力が左右されるからな。故にこの魔法程ランク分けが難しいものはない」

「じゃあ俺のも使ってみないとわかんないよな……!」

「そうなるな。お前さんの固有魔法が如何なものかわたしとしても興味がある!」

 そう言われて悪い気はしない。

 なにせコイツは度肝を抜く様な魔法だ。琥太郎にはそう感じられる。名前の風格から言ってまず間違いなく稀少度Sはいくだろう大魔法だと!

「話を続けるが、稀少度S。これに関しては本当に稀少でな……全世界探してもほぼ数名……いたとしてもソレを隠している者が多いだろうと私は踏んでいる」

「確かに……それだけ強力な魔法だと何かしら呼び寄せてしまいそうだからね」

 時間に空間。それに消滅。

 どれをとっても破格の魔法だと感じられる。時間を操れさえすればほぼ無敵。空間を使役できる事もまた強力な武器となり、消滅魔法に至っては畏怖すら感じようものだ。

「故にこの三つに関しては固有魔法と比べて現存者が限りなく少ない。または不明であったりするのが大半なのだ。確か科学者でもあり傭兵でもある異色の人物、ヴェンクス・ワークス博士と言う男が稀少な『空間』属性使いとして有名であったが彼もここ数年、所在不明と言う話だからな……」

「……そうか。……けれどまあ、話を纏めると、その三つを持つ者は限りなく少ないと言う事になるわけか……」

「うむ。そうそう出会う相手ではないな」

 マハルバはしっかりと頷いてそう答えた。

 音花は「ならばいいんだ」と答えて話題を区切る。琥太郎としてはそんな凄い魔法を見て見たかったが大半が仙人状態では仕方ない。もしも機会があって会えたなら行幸。ラッキーであったくらいの話になるのだろう。

「――さて」

 二人が質疑を終えたところでマハルバは言葉に力を込めた。

「座学だけでは流石に飽きた頃だろう、諸君?」

 腕組みしながら、そう語りかける。

 その言葉の意味は――音花にも琥太郎にも理解った。

 開始の合図が鳴ろうとしているのだ。自分達にとって未知の世界の扉を開く合図が。唾を呑み込んで程よい緊張感と興奮の手汗を握り緊めながら高鳴る胸と共に次の言葉を待つ。待ち構える。歓喜と共に。

「いよいよ、本番だ。魔法の講習と洒落込もうではないかね」

 その言葉と共にマハルバ=リニーオルンから膨大な魔力があふれ出した。叫び声すら上がらない程の威圧感にどうしてだろう、立ち向かうだけで胸の鼓動が高まるのは!

「さあ、基礎的な手解きから始めようではないか!」

 その言葉と共に二人は新たな世界へ足を、一歩踏み込む事となる――。



 強い魔力を感じながら国王アークソルはこう思った。

「新人に対して初めから戦い腰とは相変わらずだな……」

 窓の外から見える吹き抜けの魔法訓練場に輝く六種類の光を見ながら冷や汗を垂らす。

 そんなアークソルに穏やかな微笑と共に紅茶を注いでいるのは右大臣のラペック=ライムトゥールであった。彼はにこやかな笑みをもって発言する。

「それもマハルバ教官の良いところかと存じますが」

「カハハ。まあ、その通りだな。奴には立ち向かいたいと相手に思わせる特殊な気迫が存在するからな。初心者用の気迫と上級者用の気迫を使い分ける、あ奴は流石だよ」

 弱者を立ち向かわせる気迫と。

 強者を威圧する破壊の気迫の二種類。それを操るのが魔導教官マハルバだ。無論、それだけではない凄味が彼にはあるわけだが。

「……しかし、勇者二人はどこまで強くなれるものか」

「不安ですか、陛下?」

「おお、不安だとも。少なくともコタローの方は戦いを経験した事のない、研鑽を詰んだことのないずぶの素人と見た。強くなれるかどうか以前に、現実に立ち向かえるかどうかが余は不安でならないよ。知らずとも良い事を知らないかどうかが、な」

「なるほど、最もな懸念ですな陛下」

 二人から見て仲津留琥太郎は頼りない。

 大人に頼るべき子供だ。そんな子供が勇者となってどこまで戦えるのか――それが懸念材料でないと言えば嘘になるだろう。

「オトカの方は左程、不安ではない。やはり、問題はコタローであろうな……」

 対して門音花は何処か違った。

 飄々とした態度の奥に確かに輝く刀剣の煌めきを国王は見ていた。だから彼女が動く事に関してはそれほどの心配を抱いてはいない。無論、動かずに元の世界へ帰った方がいいのではないか、というのが国王の第一希望だが彼女はそれをよしとはしなかった。

 そこに何らかの事情が絡んでいるのは間違いはない。

 無論、そこに首を突っ込む程の事を国王はする気はさらさらないが。

「ところで、王様」

「む?」

 国王がラペックの紅茶を一口すすったところで、ラペックの口から疑問の色濃い声が上がった。国王は「何だ?」と呟いてまた一口喉の奥へ通す。鼻孔をくすぐる薔薇の風香が味わい深い。紅茶のカップを縁取る黄金色の鮮やかな色彩足るや。宝石の様な輝きの紅茶に心をくすぐられながら国王はラペックに耳を傾ける。

「ああ、最中に申し訳ございませぬ。ただ、お聞きしたいのですが……これは真で?」

「む。ああ、これか? 文字通り、その通りだよ。余の提案だ」

「……相変わらず容赦ないですなあ」

 一枚の紙に描かれた文面に目を丸くするラペック。

 確かに、理には適っているかもしれないが……。

「なに。勇者二人がどちらも使わない。と、すれば必然。お払い箱の剣だ。それでは如何せん可哀そうと言うものであろう? ならば、せめて、認めるに相応しきものを選別してみる場面と言うのを作るのも愉快かと思ってな」

「だからと言って……日にちが幾分、短いのでは?」

「仕方あるまい。急募だからな。だが、まあ――」

 国王は紙を手に取りながら口元に笑みを瞳にしっかりとした火を灯しながら呟く。

「――優勝賞品が『勇者の剣』であれば、国の若手猛者も集うと思わないか?」

 そこには、


『エクセン・ディジーリヴ王国闘技大会開催決定緊急告知! 優勝賞品3400クナル贈呈! ~勇者の剣添え~ 』


 と、書かれていた。まるで桃のコンポート添えの様な文面である。

 ラペックは額を抑えて天を仰ぎ見る。

「絶対に贋物に思われますぞ王国主催でなければ……」

「え、そうか?」

 そんな家臣の心中を国王はぽかんとした様子でわかっていない様であった。



        3



 時刻は宵闇に閉ざされた頃へ移りて。

 エヌレ・トウス大陸。最大国家、エクセン・ディジーリヴ王国から離れた場所に存在するアイナクアラール村に隣接する都市、アイヴィ・ドラーヴ。その近隣にはノイペクノック森林と呼ばれる魔物の生息地帯が存在していた。その森林内部での事だ。

 夜の闇の中で何者かが動いている。

 暗く閉ざされた世界の中尚、血の色よりも赤黒く。夜の輝きの中で一切損なわれない真紅の輝きを放つ体毛を生やす何者かがいた。

 何者かは森の奥から視線をすっと一点へ向ける。

 その視線の向こうにはあるのは――エクセン・ディジーリヴ王国に他ならない。

 何者かは舌で唇を獰猛な乾きと共になぞり。

 木々の枝が弾ける音が鳴り、葉々が舞い散る姿があり、大気を突き抜ける怒涛が起きた。ただ一直線に獰猛な烈風は吹き荒れる。

 ――それはまるで国に降り懸る災禍の凶風の様であった。









第三章

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