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創世のアロ・アディナ  作者: ツマゴイ・E・筆烏
「開幕の福音」
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第一章

第一章


        1


 絢爛豪華に装飾されたある一部屋で言葉は交錯していた。

 一部屋、と言ってしまえば一部屋だが、果たしてこの部屋を見て一部屋と言う言葉で表しきれるかは定かではない。仮に何も知らぬ人一人をこの部屋へ招き入れたとするならば、その人物は何と呟くのだろうか。感嘆だろうか。それとも無言で茫然とするのだろうか。この部屋の内装はそう言い表せる程に華やかさに彩られた黄金の空間であった。

 赤と黄金を基調とした内装。天井を飾る金のシャンデリアは何本もの蝋燭に美しき青の焔を焚かせており、なおその内装を明るく優美に見せている。壁には巨大な絵画、金の額縁に入れられたこれまた豪勢な代物だ。中でも目を惹く絵画は部屋の一番奥に飾られる神々しき茶褐色の竜の絵だろうか。そんな中、一際目立って風格を放つものがある。一際豪華で、一際圧迫感さえあるこの部屋で、否、この場所で一つしかない椅子――玉座だ。何代にも渡り座すべき主を持ってきたその玉座に座るものは眼前で片膝をつき頭を垂れるもの――赤き外套を羽織る騎士姿の男の言葉に対して重々しく口を開いた。

「――つまり潰された、と言う事か」

 玉座に座る男はただ一言、やるせない様に呟いた。

 その小さな呟きを決して聞き逃さず、騎士姿の男性は確かに頷いた。

「――ハ。その通りにございます、国王様」

「……そうか」

 背凭れに深く腰を掛ける。天を仰ぎはしない。されど、くしゃりと顔を僅かに歪める。不愉快な気持ちが胸中に湧き上がってならない。何とも腹立たしい事であった。同時に今、直面している出来事に対して違和感が大きく反映されている為、と言うのは真実だ。

「何とも――何とも、言い難いなぁ……」

 眉間に刻まれた一筋の傷痕が走る顔を大きな右手で抑えながら嘆息を浮かべる。

 騎士が告げる内容はただ一節にて単純明快だ。

「――昨日、昼過ぎ。西方のはずれに位置するアイナクアラール村にて新生魔族の強襲を受けて壊滅――幸いにして住民の避難は成功。ですが隊士一名が殉職致しました」

 それは一言で表せば村が魔物に襲われて滅ぼされた、と言う過去に訊いた代表例だった。

 アイナクアラール村はごく小規模の小さな農村だ。

「それでは魔物に攻められれば太刀打ち出来ない――か」

「……ハ。不運にも今回は数が多かったと言う事もあります」

 故に、小さな村など新生魔族の集団が押し寄せれば敗北は必死であっただろう。それは当然のように明確な話であった。唯の魔族であればまだ持ったかもしれないが、新生魔族相手では荷が重い事だろう。

「――王様」

 騎士が乞う様に玉座の男の称号を呼んだ。

 男はその視線を受け、静かに口を開く。

「――まず、何よりも村の民達への食糧物資を急げ。次いで居住地となる場所の確保及び精神と流水の歓護師と魔法使いを連れてゆけ」

「了解致しました。人員は如何な様に?」

「一級歓護師以外に誰を連れていく気だ、阿呆。ああ、志願者がいればそやつらを連れて行っても構わん。そしてザルグオード、帰ってきて早々だがお前にもしっかり働いてもらう」

「御意に」

 ザルグオード、と呼ばれた堀の深い強面の騎士は仰々しく頷いた。

 緊急の救難信号を受けたのは昼。そしてすぐさま騎士を引き攣れて出立し、任務を達成し王城へ報告の為に戻ったのはつい先程である。それを考えれば身体に相応に負荷がかかっている事は明白だが、それを感じさせない様にザルグオードの挙措に一切の曇りは無かった。

「お前はこの後すぐに物資を持って現場へ戻れ。そしてアイナクアラール村の担当である騎士団駐屯所――一回、鍛え直してきてやれ。加えて、現地に何名かお前が選んだ騎士を駐屯させてから後に王都へ帰還せよ。よいな?」

「ハッ、王の御心のままに!」

 騎士としての整然とした礼を見せた後にザルグオードは迅速に王室を去った。

 王の命令を実行する為に他ならない。

 部下は今頃、食糧物資と一時的居住地の確保にあくせくしている頃だろう。そして玉座に座る男――国王もまた動かなくてはならない。とりあえず食糧確保に加えて騎士団の駐屯。そして肝心のアイナクアラール担当の男爵を呼び出さなくてはならないだろう、と国王はぱきぽきと拳を鳴らしながら考える。

 そんな国王を誡めたのは一人の年老いた男性であった。国王ほどでは当然ないにしろ金色のチェーンを肩に軽くながす燕尾服の男である。

「王様。あまり怒気を発しません様に」

「む。おお、すまんな。だが、どうしてもな……」

 憤りを感じる部分があるのだ。

 アイナクアラール村の担当は隣町のアイヴィ・ドラーヴと言う街を収める男爵の仕事だ。騎士団派遣も男爵がしなくてはならなかった。――にも関わらず、騎士団が村へ出立する事が無かった故に村が壊滅してしまった。事情をしっかり訊くほかにない。そして事情が事情であれば国王は拳骨の準備を怠ってはならないと考える。

「おお、それとラペックよ」

「は、何でしょうか?」

 ラペックと呼ばれた壮年の男は小さく頷き問い掛ける。

「いや、なに。――村の者への食糧に王城の倉庫から幾らか出しておいてくれ。なるべく美味そうな、精の尽きそうなものをな。新生魔物に襲われて恐ろしい思いをしたままではいかん。美味いものでも持っていってやれ。美味い物は心を和やかにする魔力がある」

「ははっ、了解致しました」

 穏やかに微笑を浮かべてラペックは破顔と共にしかと頷いた。

「足りなければ、そうだな。クダンレック公爵の食物庫から適当に拝借して構わん」

 常に屋敷の倉庫に大量の食材を備蓄している公爵の食糧庫には美味な食材がある。それを解放すればそれはもう民草が喜ぶことであろう。王室で先程まで王と共に、騎士の報告を神妙な顔で訊いていた40代前後と思しき肥満体の公爵が『国王陛下!?』と顔を青ざめさせて喚き声を上げている。仕方なく『冗談だ』と返すと本当だろうか、という疑わしげな視線が漂ってくるが、そんなものは気にしないのがこの国王である。

「さて、冗談はともかくとして」

 問題が多い――と感じざるを得ない。

 国王は玉座からすっと立ち上がると腕組みをして思考を巡らせた。

「やはり――何か得体のしれないものが動いている……様な感覚だな」

「……ええ」

 隣に佇むラペックも賛同を示す形で重々しく頷いた。

 得体のしれないもの――それが何であるか、この場のほぼ全員が理解している以上、議論を交わす必要はない。何より、状況が漠然としていて今一つ掴めないと言うのが彼らの感想であった。だからこそどこか後手に回ってしまう。何とも忌々しい話だ、と思う。

「やはり何処か――おかしいですからな」

「その通りだ。だが、それが何であるかわからない。全く忌々しい――そして不気味で不可解でならないよ、余はな」

 左右に小さく首を振り、参ったと言わんばかりに身振りする。

 かと言って諦めて事の成り行きを見守っているだけの平行線も許されない。せめて事態の進行がある程度推察出来ればいいのだが、参った話だが危機は一つに限らない。余剰戦力を分配し現状をゆるやかに保っているしかない事態に歯噛みの一つもしようものだ。

「国王陛下、私に良案がありますぞ」

 そんな均衡を保つ情勢を少しでも良き方向へ動かすとすれば果たして何が国王足る自分には出来るのだろうか。迅速に浮かべなくてはならない解答だ。

「王様、私の妙案をとくとお聴きくださいますよう」

 諦める。等と言う選択肢は選べない。

 最良を、最優を、最適を見据えて行動しなくてはならない。実験的な選択肢を選ぶにはまだ時間がある。だからこそ限られる時間の中で限界を見極めなくてはいけない。

「陛下、陛下、陛下! 耳を御貸しくだされ!」

 隣のラペックが『一応、訊いてあげては?』と哀れなものを見る様な目で国王へ眼で語りかける。七面倒臭い。訊くだけ変わらない、と理解しつつも嘆息交じりに国王は王室にて左側の最も玉座に近い位置に居座る公爵クダンレックに目を向けた。

「…………………………………………………………………………………………………何か?」

「よくぞお聴きくださいましたな!」

 周囲から『間が長い』と言うジトッとした目つきのツッコミが入るが国王は気にしないでおくことに決めた。皮肉的に無駄に込めた間の長さを若干こめかみに怒りマークを浮かべて口元をひくつかせながらも笑顔を保っている公爵がいるのだ。国王足るもの、臣下の心情を慮らなくてはならないだろう。きっと。

「さて。クダンレック……大体分かるが、何だ?」

 結論も変える気はないにしても訊くだけ訊いて――それで終いにしなくてはならない。

 何度か討論してきた事なのにこの公爵は一様にその案を下げないから困りものだ。一考の余地はあった。一考して斬り捨てるだけの余剰しかなかった。それをクダンレックも国王の思考を理解している事から問題無い。だがしかし王への法案というのも何度も申請をして通るものである。今回もそれと大差ない事なのだ。

 さて、肝心のクダンレックは尊大な態度を浮かべながら唯一言、胸の前で握った左拳を軽く掲げながらこう告げた。


「――勇者だ。勇者を呼び招きましょうぞ、国王陛下!」


 勇者。

 その単語が意味するところは実に大きい。大きい――それはもう頭を悩ませる程に大き過ぎる題目だ。そして、こう言った苦境に於いてはまず間違いなくいの一番で浮かび上がる模範解答であったとも記憶している。事実、クダンレックから相向かいに位置する公爵やせ形の高身長イケメンと言う二大公爵の一角、セネード公爵が溜息を浮かべた。

「また、その話か。往生際が悪いぞ。悪すぎるな、ザイア・ズランヤ公」

「随分な言いぐさをしてくれるではないかヨンヨビクシア公」

 そんな呆れた様な態度が腹に据えかねたのかクダンレックはその顔を怒りに歪める。

「相変わらず沸点の低い。低すぎる男だな……」

「何だと貴様……!」

「勇者――その事を一体何度言う。言いすぎるつもりなのやら」

「そんなもの押し通すまでに決まっておるわダボがっ!」

「おまけに口が悪い。悪すぎる。気品がない。ないな公爵」

「だーまーれっ、二言目めが!」

 二人の間を走る空気が過熱し、視線が紫電を弾けさせる寸前になってして国王は本当に二人の間に雷電魔法による落雷を落とすと「あー、やめやめ! 騒ぐなみっともないぞ、二大公爵が」とわずらわしそうに制止を入れる。隣で「国王の落雷も相応にやかましいのですが……」と耳をふさぎながらラペックが物申しているが国王は馬耳東風を志す。

 国王は淡々とした態度のままその言葉を切り捨てる。

「クダンレックよ。それはもう何度ともなく話し合ったが――廃案だ、阿呆。勇者召喚はやらん。これは決定事項だ」

 にべもなく国王は言って捨てる。

 だがクダンレックは「ですがっ」と強い語調でまくしたてた。

「今後の事を考えれば今、勇者召喚を行っておくべきではないですかな? まだ些かの猶予があるうちに勇者を召喚し、鍛え上げ、そして魔王討滅の為に動かす。古よりの慣例的側面も併せ持つのですから」

「昔の話だ。今はもう危険が大き過ぎる魔法儀式であろうが」

 確かにクダンレックのいう事は正しい。

 勇者を召喚するのであれば鍛え上げられる猶予がある今の時期しかない。それを過ぎれば勇者育成にかまけている暇などないくらいに事態が悪化する危険性は高いだろう。古の慣例と言ってしまえば正しくその通りだ。この国のみならず勇者は世界に点在してきた。

 だが、しかし。

「何度も言うが、勇者召喚は拉致強要の犯罪と同じ様なものだろうが。余に犯罪王にでもなれとでも言うつもりか? まぁ、力の加護を得る分マシな方やもしれんが――それでも呼ばないのが一番得策だ」

「それは織り込み済みです。万が一の時は失態を償えばいいのでしょう――王が」

「だから何で余に回ってくるんだ!? そこで! そこで余に回ってくる理屈がわからん!」

「正直に申しましょう――それで憤怒を浴びせられれば私の命が危険だからです」

「余の命の心配をせんか、この小心者めが!」

 対してクダンレックは「部下の失態は上司の失態ですぞ、陛下」と胸を張って宣言する。殴りたい。とても殴りたい……!

「ともかくだっ」

 そんな憤慨を押し留めて腕組みをしながら大きく息を吐き出して国王は告げる。

「勇者召喚――そんなものはせん。失敗のリスクも然ることながら、成功後もどう転ぶかわからんのだからな――危険行為過ぎる。何より……」

 その先の言葉を紡ぐかどうかで国王は一瞬思考を巡らせた。言うか言わないかで黙考を僅かに重ねた後に小さく首を振って口の中に押し留める。

「――何にせよ、だ。今は勇者召喚よりも最優先すべき事案がある。余はもう行く故に、議題はここまでだ。もしも本当に妙案と言うものがあれば次回、訊く」

「ですが、陛下。本当に差し迫った時になっては後の祭りですぞ!!」

 だがクダンレックは食い下がらない。

 勇者召喚魔法で勇者を召喚するにしても時期が必要なのだ。それはもうすぐであり、故にこの機会はあまり逃せない。今日ここで言質を取りたい。認可を得たいのがクダンレックの心情であった。だが国王は首を振って拒否を示す。

「却下だ」

「陛下!」

 嘆きすら込めた声が背後に響く。けれど、国王は一切振り向かず部屋を後にすべく足を進める。クダンレックが如何に思案を張り巡らせたとして、それだけは人道の元、下してはならない決定だ。それが国王の解答であるのだから。

「却下だよ」

「陛下!!」

「却下しか下せん」

「陛下ァっ!!」

「却下だ、却下」

「却下!!!!」

「――待て、呼称が酷い事になってるのを直せ!」

 陛下から却下はあんまりにもな称号変更だ。思わず足を止め、顔を振り向かせる。

 クダンレックは「これは失礼を」と咳払いを一つ。振り向かせるのにあえて無礼を働いたと言うのであればまさかの策士なのかと思えば顔を青ざめさせてもいる。相変わらずの素で少し安堵を浮かべた。

「陛下。事態打破にはやはり勇者と言う奇跡に頼るのが得策だと言うのが私の考えです。どうか勇者召喚の認可をくだされ! 必ずや最強の勇者を呼び出してみせますゆえ!」

「最強の勇者等呼び出せん。勇者になる奴は何処からか、ふらっと現れて知らぬ間に勇者になるものだ。呼び出した奴が勇者になるわけがなかろうに」

「ですが受け身の体勢で何が変わりますか!」

「攻めに転じろ、か」

 言いたいことはよくわかる。

 だが、頑なであろうと、頑固であろうとも、国王の答えは変わらない。

「勇者は呼ばん。例え、窮地に追い込まれたとしても――勇者などに頼らずに生きる。それが国王足る余の決定だ……」

 それだけ告げて国王は部屋を後にする。扉越しにクダンレックの「陛下!!」と言う痛切の叫びが聞こえたとしても耳に入れない様に必死に勤める。

「――ああ、何とも言い難くて適わんな」

 国王は唯一言、胸の中のわずらわしさを少しでも追い払おうと。苦々しさを口の中から追い出そうと躍起になりながらカーペットの敷かれた王城の廊下を歩き進める。村一つ、小規模とはいえ滅びたならば国政に関わるのも当然。さっさと執務室へ出向かなくてはならない。王としての仕事がある。そんな思考が次々に頭の中に浮かんでくるのに困った事に悩みはとても消えてくれそうにない。自嘲の笑みすら浮かんでくるではないか。歯痒くて堪らない。

 そんな王の前にすっと一人の陰が現れた。

「――父上」

 ――だから無言で通り過ぎる。

「待ちなさい、父上!」

 当然の様に止められた。

「ちっ」

「娘に対する反応ですかそれがっ!」

「普段ならな。それはもう愛でてやろう。だが、今は嫌な予感しかしないんでな」

 そうは言いながらも「やれやれ」とばかりに手と首を振りながら会話に応じる。

 国王足る、彼が対話する相手は女性――少女。煌びやかな深緑のドレスに身を包むその姿は御姫様の様――と言うか、本当に姫君だ。更に言えば国王足る彼の娘である。それだけ言えば完全に一国の姫君だが、誰かがその容姿を――雰囲気を見たのならば少し相違がある。なにせ深緑のドレスはスカートの部分が動きやすい様に細工されており、見た目とは裏腹に機動性を確保されている。そしてそのドレスを纏う少女の顔立ちは凛々しかった。鋭い目つきにしっかりとした佇まい。加えて短めに切り揃えられた頭髪。それはまさしく動きの阻害を起こさない為であり、そんな彼女の雰囲気は何処か鋭い刃の様ですらあった。

 国王の娘にして第一皇女、名はレイラムと言った。

「大体、分かってると思いますが、話をさせて頂きますよ父上」

「大体、分かっちゃいるが予め溜息は零すぞ、余は」

「大体、予想はつきますから構いません、父上の態度くらい」

「大体、討論し尽くしたんだけどな」

「大抵、この世に討論し尽くす議題等ありませんよ、父上。あるとすればそれはもう『かわいいは正義』と言うくらいです」

 可愛いもの好きな奴め、と内心わが娘ながら可愛いところがあると微笑を浮かべる。

 対してレイラムははっとした表情を浮かべた後に「と、とにかく」と呟いて、

「話と言うのは勇者召喚の一件ですが……」

「お前もやはりその話か」

 壁に背を預けながら国王は難しく唸る。

「クダンレックに賛同――ってとこだな?」

「ザイア・ズランヤ公側と言う認識は若干不愉快ですが――勇者召喚と言う案に関しては賛同ですよ、私は。過去の文献を遡っても勇者は世界に良い影響を与えてきたのは事実です」

「そりゃあな。英雄譚の奴らは得てして民草に勇気を、活気を与え続ける。そりゃ否定しないともさ、余もな」

 国王足る彼自身――いや、世界中の種族が英雄譚を知り、勇者を識り、希望と羨望と夢を抱く事だろう。幼き頃からずっと胸の奥に燻る篝火として。大人になって、成りえない存在と知って諦観し、夢を見るのを御終いと確信づけても――尚。勇者を見れば人は鼓舞する心を何処かに抱き続けている。

 だが、しかし。

「勇者に背負わせていいもんではないぞ、レイラムよ」

「理解しております」

「世界の事情に、異世界人を巻き込むって事だぞ。何の関係も、関わり合いも、やる価値もありゃしない戦に何も知らない相手を巻き添えにする。拉致して戦いに送り出す――やる事は戦場で子供兵士作って金儲けする傭兵組織と大差ないぞ」

 誡める様に静かで、冷淡で、強い語調でそう告げる。

「重々、承知の上ですよ。それを踏まえて進言していますから」

「――だろうな。だから頭のいい我が娘は性質が悪い」

 唯の馬鹿が夢見る様に勇者召喚を叫ぶのであればいっそ外道なまでに断罪してくれると言うのに目の前の自分の娘はそれを全部理解した上で進言している。罪を背負って、生きてゆくと宣言しているも同じだ。

 ――こんな事を娘に言わせる自分自身が腹立たしい!

 国王は内心でそう愚痴を零しながら娘の眼を見据える。

「けれど余の考えは変わらんぞ。勇者召喚は認めん。召喚した後も相当、面倒臭い事になるのは目に見えてるぜ。見えすぎている」

「二言目公爵の様な言い方はしないで頂けますか」

「偶然だよ。意図して言ったわけじゃない――と言うか脱線するな。まぁ、何にせよ余は決して認めない。だからお前もその事は諦めるべき――いや、諦めた方がいい」

「諦めたら――世界はどうなりますか?」

「……」

 その言葉にぐっと詰まる。

 苦々しさが蘇る。

 勇者は召喚しない。それは決定事項だ。巻き込みたくはない。――だが、巻き込まずに行ったとして果たして先はどうなってゆくのか。得体のしれない感覚が一つ、ある。それがまるで全てを不安一色に染めてゆく様で――危機感は何故だか拭えなかった。

 もしも。万が一。可能性として。

 そんな言葉が脳内を駆け巡るが――国王はレイラムの視線を見据え返しながらも、静かに告げた。

「――やはり、認めるわけにはいかない」

 レイラムは小さく俯きながら「……そうですか」とか細い声を発する。

 そんな娘に背を向けながら、静かに歩いてゆく。何が正しいか正しくないかではない。何をやるべきかやらざるべきか――どこまでも混沌とした気持ちであった。

 唯一つだけ、可能性が他に。頼るべき神秘があるのだとすれば。

「――聖剣」

 もう一つの神話の力が輝くかどうか。

 そんな思考に国王は「――見つけなくてはな」と芯の篭った声と共に歩き続けてゆく。

 ――限りなく正解に近い回答を模索し続けて。



 二大公爵クダンレック=ザイア・ズランヤは怒りを露わにしながら王城の廊下をどしどしと歩いていた。尊大な表情は憤慨で歪んでいる。

「国王めっ、国王めっ、国王めっ! 何故だ! 何故、認めてくださらんのだ! 勇者さえ! 勇者さえ召喚すれば及ぼす影響は大きい――それも善の方向性にだ! だのに何故だ! どうして国王は神秘の力を振るおうとなさらんのだ!」

 忌々しさを鬱憤のままに放散する姿を見て廊下をすれ違うメイド、従者は率先して中央の道を開き壁際を通り抜けてゆく。怒っている時のクダンレックが厄介という事を知る者達は自ら暴風に突っ込む様な暴挙を起こさない。仮にも王国の二大公爵の一角。権力から言ってもこの国ではトップクラスなのだから当然だ。他の王の臣下、侯爵の地位にいるものでも闇雲にツッコめば痛い目を見る。

 なればこそ。

 そんな二大公爵と対等に渡り合えるのは同じ権力者以外にいないだろう。

「怒鳴るな。怒鳴り過ぎるな、ザイア・ズランヤ公。王に聞こえれば不敬罪に当たるぞ」

 隣を歩くもう一人の二大公爵であるセネード=ヨンヨビクシアに他ならない。

 常に冷静な佇まいを崩さないセネード。そんな彼の振る舞いがクダンレックはいつも気に障る、癪に来てしまう。忌々しげに睨みながら叫ぶ様に言って捨てた。

「不敬罪等知った事か。頑固者の国王がいかんのだ!」

「単細胞ものの貴公が言う事ではないな。なさすぎる」

「黙らんか、二言目が!」

「黙らんさ。黙り過ぎはよくないからな。それよりもいい加減、勇者、勇者、勇者――勇者の一件をこれ以上連呼するのはお奨めしかねるな」

「何を言うか、私が言わずして誰が言うのだ莫迦者め!」

「国王が変に警戒するぞ」

「フン、らしくない心配なぞするな。何を思われようが勇者だ、勇者! 国王陛下はこの英断が出来ぬのだから話にならぬ! すでに勇者召喚を行った国もあるのだぞ!」

「それだとしても臣下が勝手にやった事と訊く。――まぁ、国王自身がやったと言う国も存在すると訊いているがな」

「ああ、その通りだ。なればこそ我が国も遅れは許されん! 勇者召喚――世界が窮地に陥った時、常に勇者の影あり、とまで言われる儀式だ。国を救うには当然の理ではないか!」

「理解は示す。示し過ぎる程にな。――だからこそ議題に上げるな、と言っているんだ」

「……フン」

 心配するふりをして同時に勇者召喚を諦めさせようとしているのか。

 憎々しげにセネード公をしばし見据えると、目の前に佇む彼に向けて大声で「退け!」と怒号を浴びせるとズンズン怒りを露わにして歩いてゆく。

「何とも短気な男だ」

 ふぅ、と嘆息を浮かべてセネードは口元に小さく笑みを浮かべる。

「セネード公爵」

 そこでセネードの名を呼ぶ鈴の音の様な美しい響きが鳴った。

 セネードが声のする方へ視線を向ける。そこにいるのは一人の美女であった。たおやか、と言う表現がしっくりきて。そして大きく胸元の開いた橙色のドレスを着飾る、麗しきドレスすらその少女の美貌を象徴するアイテムに過ぎない程の美しさを持つ童話のお姫様の様な少女をセネードは、セネードのみならず誰もが知っている。

「エイザ様」

 セネードは恭しく、その尊名を口に出した。



 時にして王室会議より20分が経過した。クダンレック公爵は王城の一室にて指を組んで熟考していた。その顔は怒りとは別に複雑な感情が渦巻いている様に見える。

「……」

 脳裏を掠めるその思案は自分にとって大きな選択を意味する。意味せざるを得ない。

「その上、あ奴との会話で思い浮かんだと言うのが腹立たしくてならん」

 ちっと舌打ちし、顔をしかめる。

「顔が怖い事になっているぞ、ザイア・ズランヤ公爵」

 そんな彼を見ながら嘆息を発するのは美貌の姫騎士――レイラムであった。父親との会話を終始済ませた彼女は今、一室にてクダンレックと議論を重ねていたのである。

 クダンレックはレイラムに言われた言葉にムッとしながらも、

「……それは申し訳ない。お見苦しいところをお見せしましたな」

「いや、構わんさ。それより、どうであった、父上との議論は?」

「言わずともお解りでしょう? 進展無し――になりますな」

「そうか。……だが父を悪く思わないで欲しいと言うのが私の言だな」

「思って等おりませんよ。微塵にも、些細にも」

 思うはずなどない。

 勇者召喚を行わない王の決断もまた理のあることと言うのはクダンレックも承知済みであった。されど、それを押しても尚――と言うのが彼の主張であり理念だった。そんなクダンレックの言葉を訊いてレイラムは「――そうか。感謝する」と小さく呟く。

「だが、このままでは次の期限までに勇者召喚は不可能そうだな」

「それは間違いないでしょうな。――逃しても一ヶ月、程度とはいえ一ヶ月と言う期間は長い。それに事態次第で色々と変わりますからな。試せる早い内が一番良いのですが……」

「……ああ」

 許可が得られないのであればそれが必然長引かざるを得ない。

 何よりレイラムが話した限り、本当に父親は勇者召喚を一切認可しないだろう事は簡単に察する事が出来る。そうしてずるずると時期が伸びてゆけば――間に合わなくなる可能性が無きにしもあらず――故に早々に決断を下してほしいものなのだが。

 だからこそ、レイラムは告げる。

「――やるしかないか」

 その言葉にクダンレックは「むぅ」と唸りながらもさして驚いた様子は無い。

 理解していないわけではないだろう。ともすれば理解した上での顔だ。これは珍しいとレイラムは不思議そうな表情で問い掛けた。

「驚いたな。全く、驚かないとは」

「いえ、丁度、私もその選択肢を考えておりましてな。胸糞悪い事に、ヨンヨビクシアの二言目の発言で思い浮かんだ事なのですが――いや、むしろ一番初めに浮かぶべきことではあったのでしょうが――」

「致し方ないさ。原則禁止だからな、コレは」

 レイラムは苦笑を浮かべて呟き、そして決意を灯して告げる。


「――勇者召喚を私達だけで執行する。無断で、な」


 認可なし。本来必須な国王の決断無しで行う。

 それしか道は無いと考え付いたのがレイラムとクダンレックの到達点だった。国王の法を無視して違法を行う。それは限りなく王に反旗を翻す決断である。王の決定を反故にする行為に他ならないという事だ。

 だが前例は生じてきた。

 クダンレックの様な臣下が勇者召喚を極秘裏に行うと言う方法だ。無論、王の反感は免れないがそれでもやるべき価値はある。だが価値が無ければ進退は無い。そんなハイリスクな選択肢であるが故に間違いは起こせない。決して。

「クダンレック。頼めるか?」

「構いますまい。元より、私もしようと決めた選択ですからな」

「そうか。助かる。――本来であれば私がすべき事なのだが……生憎、私には勇者召喚儀式魔法を発動させるだけの才能が無いからな。『あの力』でも、ダメだったしな」

 レイラムは困った様にそう告げる。

 そう、国中が知るところだが彼女、レイラム第一王女には魔法の才能がない。『あの力』が発見された今となっても魔法と同質である以上使役は出来なかった。あの儀式的大魔法を執行するにはレイラムでは発動させる事が叶わない。恐らく起動すらしないだろう。

 何より、

「レイラム様に何かあっては私の出世に――げごふぉんっ、王様に合わせる顔がなくなりますからな! こちらがやるのが当然ですな!」

 大きく咳払いして誤魔化したつもりの様だが明らかにジト目を向けているレイラム。だがやがて「そうだな。お前はそう言う生き物だな」と意味深な言葉を述べた後に、腕組し、

「だが、せめて――そうだな。役に立てない分は補うべく奔走しよう。召喚に必要な供物はこちらで何か神秘性の高いものを用意する。だからお前はなるべく魔力を溜めておけ」

「いえ、一つ私に考えがありましてな」

「考え?」

「ええ。もしも最強の勇者を召喚しようと思えば、私ではまだ心許ない上に属性がいやに影響する懸念もありますから――勇者に相応しい属性の魔法使いに依頼しようかと」

「……なに?」

 レイラムは訝しむ様に眉をひそめる。

 確かにクダンレックが勇者召喚に向いているかどうかで言えば一行の余地ありだが。

 勇者に相応しい、と言うと伝承に訊く勇者の様にあの属性の事を指しているのだろうが、その属性で行けば王宮の宮廷魔法使い辺りになる。今更、そんな事を伝えて父親に情報が洩れる可能性も否定しきれない。何を考えているんだとばかりにレイラムはクダンレックを射抜く様に見つめた。

 クダンレックは何故か射抜く様な鋭い視線に内心びくびくしながらも、ある一枚の報告書を懐から取り出して、レイラムに手渡す。

「……これは?」

「ご覧くださればわかりますでしょう」

「それもそうだ」

 百聞一見に敷かず。レイラムは丸められた用紙をはらりと広げた。

「私の部下が先日、城下町付近で目撃したらしく――現在所在不明で教会側が心配しておった事もありますが……私としては丁度いい人材、いえ、逸材が傍に来てくれたと今では思う次第でありますな」

「――なるほどな」

 報告書に書かれた人物の名前を見てレイラムも納得を示す。

 確かにある分野、その属性にて第一人者の名前だ。クダンレックが推薦するのも頷ける。

「とすれば、依頼金もいるな。相手側の要望に応える必要性もある」

「その点に関しては私が――ひょっとすればどうにか出来るやもしれないかと」

「それはまた奇遇――準備がいいな」

「昔、見かけた骨董品に過ぎないガラクタやもしれませんがな。まぁ、交渉程度なら使えるのではないかと」

「ふむ。では、それを用意しておいてくれ。私の方は依頼金と供物を用意しておく」

「ええ、ええ。よろしくお願いしますぞレイラム様!」

「ああ。お前の方もくれぐれに慎重にな」

「もちろんですとも!」

 クダンレックは心底嬉しそうに何度も何度も頷いた。

 そして顔を赤くして興奮した様子のまま叫ぶ様に言った。

「――そして成功の暁にはどうかこの私の出世の口添えをして頂きたく存じます!!」

 本当に欲深く浅はかな男だ、とレイラムは何とも言えず嘆息を浮かべた。


       2


 あれから三日の刻が過ぎた。

 三日の間にもクダンレックが議論の際に『勇者』を連呼する機械になり、国王が『勇者』を馬耳東風する機械のまま日にちが過ぎ去って三日。

 その間、鬱陶しくなる程クダンレックは『勇者』を連呼し続けた。

 それはそうする事で可能性として国王が判断を覆す可能性に賭けたと同時に、下手に今まで言っていた発言を議題にあげなくなっては国王が訝しむ可能性を考慮した結果である。故に国王は逆に更に悪化したかな、と懸念もしめしたものだが……。

 だがその行動は幸いにして残りわずかな日数を誤魔化す為には機能したと言える。

 少なくとも二人の男は隠れ蓑に上手く潜り込めた。

 王城の城下町セリア・ソネーブ。その右に隣接する都市セトネイローク。王国国内に存在する二大公爵家ヨンヨビクシアのセネード公が統括する領地の治安はまさに平穏と言うものであり夜間に於いてもそれは一切変わらず平穏が守られている。王城近くの都市故に当然と言えば当然だが、それでもセネード公の努力は確かに宿っているだろう。

 さて、そんなセトネイロークに於いて一番、風格ある建物と言えば、屋敷と言えばそれは一つしかない。ヨンヨビクシア公の住む邸宅、ヨンヨビクシア公爵家だ。濃い青を基調とした屋根が特徴の豪華な屋敷――その一室、月明かりが静かに差し込むレンガ造りの部屋にて、屋敷の主セネードは静かに佇んでいた。そのそばにはセネードの信頼於ける数人が並び立つ。

 そして特に注目すべきが一人――。

「準備は整ったのでしょうか?」

「ええ。後は供物と貴女様の証のみです」

「了解しましたわ」

「感謝申し上げます――エイザ第二皇女様」

 ふわりとウェーブがかったロングヘアー。大きく輝く青の瞳を持つドレス姿の美女が一人その場に存在している。その手には黄金の装飾がなされた深緑に輝く宝石のブローチが力強く握りしめられている。

 名はエイザ。

 国王の娘、この国の第二皇女でありレイラムの実妹に当たる美女だ。

 本来は――本来はこのような夜間に、隣の都市とはいえ外出していい身分ではない。それを考えると今頃は王城が大慌てになっている可能性も否定しきれない。魔法人形で身代わりを立てて来たが果たしてそれが何処まで持つのか……。

 さて、何故この第二皇女がセネードの屋敷にいるのか。

 決して逢引などの色っぽい理由ではありえない。

 彼女が此処にいる理由――それは、


「――勇者を召喚してみせます。私が、必ず」


 凛として佇み、静謐ながらも確かな決意を瞳に宿す美女は厳かにそう告げた。

「エイザ様ならば必ず成功出来ます。――大地の竜神の加護あらんことを」

「……はいっ」

 目的は――勇者召喚。

 この場を何も知らぬものが見たならばまず驚嘆するだろう。なにせ勇者召喚の儀式を構築したのは日々勇者召喚を騒いでいた公爵クダンレックを諌めていたセネード公、その人であるのだから。その彼が今こうして勇者召喚を実行に移している――それはまさに驚きに値する光景と言えただろう。そしてやはり――勇者召喚を拒否する国王の様に諌めただろう。


 だからこそ、そんな匂いを匂わせずこの瞬間を待った。


 一切、それを匂わせずむしろ興味も示さない様に振る舞って、その瞬間を待ち続けたのである。加えて、王城ではライバル、クダンレックを焚き付ける事で勇者召喚の話を全て彼に集める事でなるべく自分が勇者召喚に関わりない様に振る舞い続けた。そして今日、ようやく召喚に必要な日は天に昇った。条件は揃ったのだ。


 ――勇者召喚(ムーロルートゥフ・オイタコーヴニー)儀式魔法。


 詠んで字の如く。文字通りにその為の効力しかない魔法。

 魔法の中でも一際異端で強大な大魔法であるとされる。その効力は『勇者を召喚する』と言う実に突拍子もない効力だ。それも異世界から対象を召喚する魔法として関係者には知られている。その特性から空間属性の奥義魔法か、はたまた召喚魔法に類するものなのか、もしくは固有魔法に分類されるのか様々な推測、憶測がなされている。

 だが間違いなく言えるのは成功すれば『勇者』と言う潜在性を宿す存在を呼び出す事が可能と言う事は長い歴史が証明しているのも、また事実。

 同時にその長い歴史が証明する背景を知る故に、関係者は召喚を躊躇うのもまた真実であった。国王の懸念はそこにあり――レイラムらが背負おうとしているのもまたそこにある。

 その魔法が内包する危険性を重々承知の上で。

 彼らはこの魔法に挑む事を決めたのだ。

 そう、彼ら――、クダンレック達もまた、今宵。夜の光が天を満たす刻に。



 城下町セリア・ソネーブ。その左に存在する都市アタルプ・レド・ラーム。セトネイロークとは宿命づけられたライバルの様に相向かいに存在するこの都市は、当然の様に二大公爵の一角であるクダンレックが統治する領土だ。同じ様に豪勢な屋敷を構え、白を基調として部屋の一室、特に広い窓際の一室にてクダンレックは数名の臣下と共に第一皇女レイラムと共にいた。いや、レイラムだけではない。

 更に加えてもう一名――、

「南方に火焔を灯した杖、西方に流水を盛った杯、北方に大地を付着させた硬貨、そして東方に風雲を渦巻かせた短剣――」

 高く美しい声音の人物がいた。その声から女性なのはまず間違いない。顔は深く被ったローブで判別出来ないが月明かりに照らされた白髪がローブの奥で紡がれた月光の絹糸の様に煌めきを発しているのが見てわかる。

「闇夜は当然として――『遥か高き天鏡(エネレス)』の光も塩梅良く差し込んでるわね」

 その少女が見据える先には幾何学的な紋様が描かれていた。

 魔法陣と呼ばれる代物――大規模魔法に必要な特殊な図形だ。それを取り囲む様に四方には火を宿す古びた杖、水を盛られた杯、土が付着した硬貨、そして風が微かに渦巻く杖が設置されている。加えて夜に輝く聖なる光――『遥か高き天鏡』と呼ばれる光が魔法陣に降り注がている事を確認する。曇りのなき、いい夜空だ。

「勇者召喚魔法に必要なものは一通り、揃ってるみたいね」

 少女の言葉に当然とばかりに憤慨を示した態度で鼻息荒くクダンレックが答えた。

「当たり前だ。準備を怠る等有り得んからな!」

「そう。なら、供物は?」

「それならばこれだ」

 そう発言したのはレイラムであった。

 彼女は鞄から一つの瓶を取り出した。その中に存在するものは一言で言えば神秘的と言う言葉が実に相応しい。神秘、とまで呼ばれる産物。どうやら植物の様でふわりと広がる無数の花弁が印象的であり、同時にその花は瓶の中に幻想的な三日月型の輝きを灯している。

「ふーん」

 ローブ姿の女性は感心した様に頷いた。

「中々希少なもの持ってるじゃない。よく見つけたわね?」

「見つけたと言うかな。王城の中庭に大分、前に奇跡的に咲いた一輪だったんだよ。生憎と私以外に気付いたものはいなかったが……」

 数ある神秘性を宿す産物を探したが時間も少なく、探せた中ではレイラムの持ってきたこの希少植物が一番レアであった。

 供物とはこの魔法に於ける勇者召喚の媒体だ。

 それを用いる事で漠然とした勇者召喚に一定の選別性を付与できると言う。レイラムとしては出来るならば本質的に勇者としての機能が高くなるという実例が多かったとされる『不死鳥の尾羽』や『ユニコーンの角』、『竜の鱗』と言う希少な産物を用いたくもあったが、大仰に探せば国王の眼に止まるのもあり致し方なく植物であるこの花を選んだわけだ。一応、供物――捧げものとして刀剣、武器等も用いられる。だが、その場合弊害がある可能性があるらしく過去にそれで勇者を呼んだら破壊性を、暴力を振る舞う勇者が招かれてしまった事例も有り、武具の供物はあまり勧められないらしい。かつてそうやって招かれた勇者は大層世界で暴れて国土を荒らした例もあり対応が面倒くさかったと伝え聞く。

 それに対して植物、特に花等を用いた場合は温厚な性格が反映されたりするとのことだ。それを踏まえてレイラムはこの珍しい植物を選択した。

「……可能か?」

 しかし、植物と言うのもアレではないだろうか、と懸念するレイラムは少し不安そうに目の前のローブの女性に問い掛ける。

「可能よ。十分、重々にね」

「それは吉報だ」

 ほっとした笑顔を浮かべるレイラム。

「ならば後は貴様が上手く、やってくれるか否か――なのだがな」

「……」

 釘をさすかの様な声でクダンレックは問い掛ける。

 目の前のローブの女性。

 この日の為に依頼金を支払い、雇った魔法使い。最強の勇者を召喚するには、召喚者の技量が大きく関わってくる事は言うまでもない。だからこそクダンレックが選択した、丁度この国に、この町に偶然、訪れていた最優の魔法使い。


「任せたぞ――曙光の魔女よ」


 曙光の魔女。司る属性は『光明』。

 勇者として連想する属性はやはり魔を滅する『光』だとクダンレックは考える。だからこそ宮廷魔法使いすら凌駕する教会公認の最優魔法使いを手繰り寄せたのだ。

 金は掛かったし、手間もかかったが――それだけの価値はあると思案して。

「曙光の魔女よ。お前の事情は大体理解している。だからこそ、依頼が成り立つ側面もあったくらいだからな。本来であればお前は頷いてさえくれなかっただろう」

「……」

「今回は『曙光の魔女が召喚する』それ自体に意味が出てくる。わかるだろう? 頭が悪いわけではないだろうし、お前のところの事情も事情だ。だから――「ああ、もう、わかったわよバカ!」」

 クダンレックが紡ごうとする言葉を、声を、煩わしそうに遮る形で曙光の魔女は少しばかり大きな声で言い放つ。色々とやるせない気持ちがあるのだろうか、腕組みをしながらも了承の意を確かに示す。

「キチンとやるに決まってるでしょ! 私の方も色々事情あるし――アンタのいう事も私としてはもしも――本当にもしもの時だけど、意味が大きく反映する。だから、やったるわよ! やってやろうじゃないの! 勇者と言う名の駒が手に入るなら私だって蹴ったり蹴ったりよ!」

「メチャクチャ苛立ってるじゃないか……」

 地団太を踏んでいるのか。ゲシゲシ何かを蹴っているのか知らないが唸る曙光の魔女にレイラムは困った様に苦笑を浮かべた。――それでも曙光の魔女と言う大きな存在が魔法を使役してくれる事はただただ純粋にありがたい。

「――ふぅ」

 曙光の魔女はレイラムから手渡された神秘の入った瓶を持って魔法陣の中へと入ってゆく。そして魔法陣の中央にそれをコトリ、と静かに置いた。

 次いで、ローブの中から一本の小さなナイフを取り出すと、

「っ」

 手の平にそっとナイフの刃を押し当てる。ぷくりと傷痕から楕円状に浮かび上がる真紅の輝きが生まれる。それはまるで宝石の様に赤く、魔性の輝きを発しているかの様であった。曙光の魔女は自らの血液を用いて地面に文字を書き記した。

 書かれた文字は今となっては誰も正式な名を知らぬ神秘の紋様。

「これで、いいはず――だといいなぁ」

「だといいなぁって貴様な……」

 クダンレックが咎める様な視線を送る。

 その視線に対して不満そうな声で曙光の魔女は答えた。

「仕方ないでしょっ。私だって――勇者召喚魔法なんて初めてなんだし」

 曙光の魔女が告げた言葉は紛れも無い事実であった。

 何せ勇者召喚儀式魔法の具体的な詳細は王侯貴族の上層部でなくては知りえないトップ・シークレットである。如何に教会公認の魔女とはいえども、勇者召喚魔法については存在は知っていても魔法陣等の詳細は全く知らないだろう。だから曙光の魔女が悪戦苦闘ないし失敗はないか気に留めるのは間違いではない。当然の事だ。

「は――――緊張するわね、ったく」

 パン、と乾いた音を手で鳴らし、大きく息を吐き出す。

 そして傍に置いてあったクダンレックが模写した勇者召喚儀式魔法の詳細が記された文面の中でも特に注視する部分――詠唱を今一度脳裏に刻みこむ。

「何度見ても、長いわね……流石大魔法と言うべきかしら」

「仮にも空間超越だからな――詠唱が長くなるのも仕方なかろう」

「ふむ。そういうものなのか」

 曙光の魔女の溜息にクダンレックもうんうん頷いて賛同する。唯一、魔法適性が極端に低く才能の無かったレイラムだけがそういうものなのか、といった反応を示した。

「覚えられそう――いや、覚えたか?」

「覚えるのは一度見た時に覚えてるわよ。――唯、流石に、緊張するわね」

「頼んだぞ。ここで失敗しては私の未来が危うい。優秀な勇者を召喚し、世界を救い私が絶大な権力を得る為にな!!」

「モチベーション下がるから、悪いけど黙っててくれる?」

 レイラムの眼にはローブの下で見えない彼女の表情が自分と同じ蔑みのジト目になっているという事がとてもよくわかるかの様であった。いや、間違いなくそうなんだろう。

「ま、アンタの権威はどーでもいいとして――」

 曙光の魔女はローブの下から白く細い右腕を露わにする。

「――勇者召喚魔法。これに関しては私としては、とても興味があるわ。――そして事情もある。ならば絶対成功させてみせたろーじゃない! ――曙光の名の賭けてね」

 その右腕にはキラリと輝く蒼玉の指輪が中指に収まっていた。

 魔法媒体だ。

「――罪も咎も背負って、罰が来るならば甘んじて受けてあげよーじゃない」

 曙光の魔女は理解している。

 自分が非人道的な魔法形式に手出しする事を。その結果、招きよせた対象がどんな感情を抱くかまではわからない。可能性によっては恨み言を言われるだろう。憎しみを浴びせられるだろう。刺殺される未来もあり得ない話ではない。

 ――だが、それでもなお曙光の魔女もまた選択肢を選んだ。

 迷いは捨てた。

 覚悟を持った。

 決意を秘めて。

 ――世界を塗り替える。

 月下は満ちた。部屋に差し込む月明かりが一段と輝きを放つ。白の世界が生まれるのではないかと錯覚する程に眩い輝きが部屋に差し込んでゆく。

 その世界で彼女は。彼女らは願うた。

 それはほぼ同時刻。曙光の魔女と第二皇女の詠唱は綺麗なまでに重なり合った時刻の事。

 願いは口から放たれ言葉として世界の確かな現象となり摂理に干渉を示す。


「――今、此処に我は加護を願い奉る」


 言葉を合図に、ふわりと何処からと知れず微風が舞った。

 それは祈り。

 自らの世界の雄大な加護を求る始まりの言葉。


「揺蕩う流水。抱擁す大地は開闢の弦に、その身を震わせよ。願望と欲望に輪を架け、絶望を隔て、其の礎を此処に築かん」


 水面に投下される一石の如く。

 揺さぶられる大地の賛歌は果たして祝福か激憤か。

 絶望を彼方に、夢と希望を手繰り寄せる。


「流離う風に一縷の希望を、彷徨う焔に一筋の切望を」


 風を掴める時は何時か、炎に抱く幻想は何か。

 掴めぬ夢に伸ばす手は果たしてどこへ伸ばすべきなのか。


「故に届かぬ彼方の光に手を伸ばさん。暗黙に満ちた夕刻、唯々静かに掴めぬ手を伸ばし続けよ。さすれば我らは握り合う」


 掴むのは何であったか。

 掴めるのは何であろうか。それは誰一人分からぬ夢の形によく似ていた。されど、何れ伸ばしたその手は行く先を決める。決定する。


「摂理と制定。満ち欠ける幻想と夢幻の狭間に酔い痴れ、露知らぬ未知を駆け抜けよ」


 果たして世界への異端者は何者なのか。

 異物を投擲する事はどれほどの可能性を広めるのか。狭めるのか。


「我が言に汝の弦が奮われたならば答えよ。幻想を飛び越え、芽吹く大地へ降り立ち給え」


 体中の魔力が大きなうねりとなって体中を駆け巡り、順応しようと蠢くのが曙光の魔女にも第二皇女にも理解出来た。

 世界と世界を結ぼうとしている。

 魔力が無数の糸となって別の次元を手繰り寄せる様な異質な感覚――。


「沿革と嚮後より出で空白の那由多を染め上げ勲を掲げし者」


 繋がり、結びつき、結合わせ、絡み合う感覚。


「勇猛を。勇敢を。勇気を。勇壮を。勇断を下す者」


 望む者は一人。求る姿は唯一つ。


「導を示すべく真理と決意を背負いし者、願下の元すべての壁を乗り越えて、尚馳せ参じよ」


 脈動する意思。鼓動を打つ意識。

 奇跡の神秘が爆発的に膨らんでいく感覚が理解る。濃密な力が凝縮され、圧縮され、今にも形作りそうな想像が容易に浮かぶ空間。


「我が望みに呼応したまえ、求る乞いは世界の救済」


 願いを述べる。形作る定義を定める。


「善を担い、悪を司り、審判を下せし守り手にて――」


 包まれる神秘の力。

 渦巻く願望の集大成。逆巻く概念。取り巻く奇跡を今、顕現させる。


「――果てなき願いを背負い天理の彼方より顕現せよ、気高き魂の現身よ!」


 福音は鳴り響いた。

 願望は燭台に灯された。

 清冽な猛火は輝かしく弾け、壮美な流水は煌めきと共に舞い、森然とした大地は雄々しく四散し、優麗な風は歓喜と共に爆散する。そして空間には何処までも白く純白に輝く光明と、漆黒に揺らめく闇夜の渦が刹那放出しては儚くも美しく明滅してゆく――……。

 そして神秘は、奇跡は具現した。

 次元と言う、世界と呼ばれる頂きの壁を乗り越えて、馳せ参じる大魔法。

 その成功。

 紛れも無く目的は達成せしめられたのである。


 セトネイローク街のヨンヨビクシア公爵家にて第二皇女は見た。

 膨大に蓄積された魔力が霧散し、視界が晴れ晴れとしてゆく空間で、その神秘の証明をセネード公爵共に瞳に宿した。


「……え? ……あれ、風呂は……?」


 茶髪に黒目。この国の人間とはまるで違う少し黄色い肌をした一人の少年の姿。

 タオルケットを肩にかけた今から一っ風呂浴びようとした事は間違いない姿で。

 ――即ち、全裸の姿で。

「……」

 美貌の美少女がある一点を注視して真っ赤になった顔で「え、え? ふぇ?」と言葉にならない声を上げながら少しずつ後退してゆく。

「や、あの、おたくら誰――? って、言うかアレ? 俺の家の風呂場――だよな……?」

 対する少年はまるで――否、完全に何も理解していない様子だが、本能の面が強く警戒信号を叫んでいるのはわかった。彼自身が良く知る本能が身を乗り出して語りかける。


『理不尽で痛い目を見るぞ、逃げろ!』、と。


 少年の本能は素晴らしく正しかった。

 僅か一分後には少年は未知の世界で初めての魔法をその身を持って体感した。冷たさで小声死ぬのではないかと言う程に、じっくりと。たっぷりと。



 そして時間を少し遡り、もう片方。

 アタルプ・レド・ラーム街の二大公爵家の一角ザイア・ズランヤ公爵家。その一室では時を同じくする第二皇女の勇者召喚と同じく、曙光の魔女、第一皇女、公爵を含めた者達はその神秘の具現を目の当たりにし感嘆を声を上げていた。

「成功だ……」

 感嘆極まれり、と言わんばかりの声で誰かがそう呟いた。

 得心がいく。曙光の魔女も納得の光景がそこにはあった。奇跡の具現――魔法が発動した異世界干渉は見事に具象を成し遂げていた。

 佇む一人の姿がある。

 背丈は小さく小柄なのが見て取れる。

 亜麻色に輝く頭髪。目は閉じていて瞳の色はわからないが、全身から放たれる貫禄じみた空気は眼前の人物が放つ気迫なのだろうか。透き通る様な顔立ちは紛れも無く美人と形容して遜色ない姿であり佇まいであった。

「彼が――勇者か……!」

 レイラムが感極まった様に口を開いた。

 それと、同時に眼前の人物が静かに、だが確かにその瞳を見開いた。輝く様な瞳の色彩に思わず見惚れそうになる――。

「――――う」

 ――様子だったのが一転して蒼褪めた。

 三人の頭上にクエスチョンマークが浮かぶ。いったい、どうしたのだろうと彼女らが不可解に視線を注いだ、その中で眼前の人物は突如――本当に唐突に手で口元を抑えながらくるりと後ろを向くと、

「うぉぇええええええええええええええええおろろろろろろろろろろろろろろろろろろ……」

 嘔吐した。

 粘液のねちゃつく様な水の音がよく音のする部屋に響く、響く。三人はその後ろ姿をただただ茫然と、冷や汗を垂れ流しながら見守っていた。嘔吐と言っても無尽蔵に出るわけでもない。やがてその音は止まり、三人が一段落、と安堵をしかけた。

 だが、

「がはっ、ごほっ! ――――けひゅう」

 眼前の人物は力なく、『どさり』というよりも『ぐしゃり』と言う感じで崩れ落ちた。それも嘔吐に上書きで吐血まで起こした後に。

 無言の三人。

 終始無言にしかなりえない約一名。全く微塵も身動きを見せないその姿。

 その姿はそう――まるで死体の様だった。

 耐えかねた曙光の魔女が混乱と共に叫ぶ。


「か、回復魔法――――――――――――――――――――――――――――――!!!!」


 かくして満月の照らす夜――世界に二人の奇跡が、神秘が、勇者が舞い降りたのであった。

 それが齎す福音は――果たしてどの様な影響を及ぼすのか。

 未知に満ち溢れる道が定められたという事以外――今は、まだ、何もわかりはしない。


        3


 見慣れぬ壁面。見知らぬ顔ぶれ。身に覚えのない気候。

 唐突だが少年が直感的に理解したのはそんなところだろうか。だが生憎とそこに思考の余地を挟むだけの時間は無いように思われた――否、実際無いのだろう。

 目の前で恥じらう様に真っ赤な表情を浮かべている美少女。――本当に美少女と言うもので少年は思わず目が釘付けになる程であったのは言うまでもない。生きてきた16年間の月日でもこれ程の美少女は初めて見たのではないだろうか――? それも真っ赤に恥じらった顔でドレス姿と言う異色っぷりだ。少年は状況が理解しきれないまでも唯一言こう思った。

 ――かわええっ! と。

 それでいいのか、と問われれば『それ以外思わなかったんだぜ、仕方ねぇじゃんか』と返そう。女の子と付き合った経験もない彼にとってこの出会いはまさしく記憶に残る一幕だ。

 それも――相手が自分の全裸で恥じらっていると言う変態的場面であれば尚更。

 少年は他人事の様に自分を労った。

 大変だなお前も、と。

 無論――無論、女性の前で全裸を振る舞うと言う意味が――恋人でもなんでもない初見の相手であれば最早致命的なレベルであると言う事を少年も理解せざるを得ない。

 さて、どうしようか。

 どうやって事態を打破しようか。

 眼前の美少女が混乱の最中にある間に考え抜けたことは――この程度の事である。結果、何がどうなるのかと言えば明快だ。状況の説明も出来ず、ただただ隠す事すら忘れて佇んでいたのであれば。それが如何に理不尽であろうとも――事態は一つの方向へ動かざるを得ない。

「あ、あぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 目を回しながら眼前の少女は真っ赤な顔で何かを叫ぶ。高速で唇が動き、何か言葉を紡いでいると言う事がわかる。そして同時にその何かに対してここにきてある種の察しがついた少年は大声で弁明を叫んだ。

「ま――待て、待て、待てって! ちょっと落ち着いて――」

 だが悲しいかな。

 そんな言葉が通じる程の余裕を初心なこの美少女は持ち合わせて等いなかった。

「――歪む鏡を殴打し打ち壊せ『裁き下せし波紋の衝撃(ジャーテブ・ハペーブ)』!!」

 刹那にして音が走り、光が煌めいた。

 少女が口にした言葉は詠唱。この世界に於いて摂理を実現する神秘の具現。空中に瞬時にして描かれた複雑な幾何学紋様は水色の輝きを持ってして、世界に現象を上書きする。自らの力が世界に確かな影響を与え、歪曲では無く摂理を実行する。瞬間、少年は信じられぬものを見たと言って過言ではない。少年が今まで生きてきた中で一度も、ただの一度も見た事が無い現象だ。種も仕掛けも無い場所に大量の水が突如にして唐突に出現した。

 その水量のさること――膨大な水の塊が渦を巻いたかと思えば正方形を形作る様に堅牢に固まってゆくのが見てとれた。だからこそ理解る。

 ――当たったら死ぬよなコレ!?

 少年の懸念は寸分たりとも間違っていない――とまでは断言出来ない。何故ならば浮かび上がったそれはただの水だからだ。形作られはしたが不幸中の幸いにして、その魔法には『強化(エニハンド)』と言う本来必要な魔法が使役されていない――。

 ただし考えてみればわかることだが。

 水と言う存在はそれそのもの大量に用意すればそれで十分なのだ。滝行でも一度経験すればその答えに辿り着く。そうでなくても洗面器に溜めた水を頭から被れば十分だ。水のその物質量だけで――一気に解放すればそれはもうある種の鈍器と変わりない。

「べーとヴぇばっはっ!」

 結果、濃密な質量攻撃を全身に浴びた少年は蛙が潰れる様に地面に叩きつけられた。

 良く分からないが死ぬのか。何か本当に良く分からないが死ぬのか俺は――、と言う意識の元少年は眼前の少女にいきなり殺されかけた。――故にこの場にあと数名いた事が何よりの救いであった事は間違いない。少年は大量の水を頭から打ちつけられながら違和感に気付いてはて、と首を傾げる。

「――エイザ様。危うく殺す。殺し過ぎるところですよ」

 頬に汗を一筋垂らした40代程と思しき高身長のイケメン男性が左手を少年に向けながらそう発言したのを耳にする。そしてその言葉を訊いてはっと意識を取り戻した様に目を見開き自分の手元を一瞥し、地面に全裸で湯上りの様に濡れている少年を一瞥し、ぷぃっと顔を即座に背けながらもどうにかこうにか言葉を紡ぐ。

「も、もももも申し訳ありません公爵」

「いや、私には謝罪はいりませんよ。やったのは『強化』だけですしね」

 男性は少年の方へかざしていた手をゆっくり戻しながら、そう呟く。すると急激に体が冷えてゆく感じがして少年は驚いた。いや、正確には冷たさが如実にいつも通りに伝わってくる感じとでも言うべきか――。

「さ、寒ぃ……!」

 寒さがぐぐっと押し寄せるのを理解する。

 先程まであれだけ水を浴びても冷たさは少し程度だったのに今はいつも通りに寒い。それを訊いて男性は「っと、おお、これはいけない。寒さの方があったか」と慌てた様子で再び手をかざした。するとほんのりと暖かさが体を駆け巡り、先程の普段と変わらぬ寒さが何処かへといってしまうではないか。

「さて、エイザ様。私では無く――彼に言うこと。言うべき事があるでしょう?」

「そ、それはわかっています。ですが……」

 裸で……と消え入る様なか細い声で少女は俯く。

 そんなに恥ずかしがられると何か俺恥ずかしい奴みたいじゃん!

 と、少年は内心憤慨し、そして実際数名を前に裸と言う状況なのでやはり変態的に思えてきて実に嘆かわしい。俺の所為じゃないのに! 絶対、俺の所為じゃないのに! と内心で何度も唱えるも何故だろう――分が悪い様に思えて仕方ないのは。これが集団心理かとでも言いたくなってくる。

 その中、話が進まないなと感じた男性は「誰か毛布を持ってきてくれ」と部下の一人にそう発言する。部下の一人は「おまかせなっし!」と甲高い声を上げると疾風の様に消えてゆく。かと思いきや次の瞬間には「持ってきたっし!」と即座に帰還した。迅い。

「すまんね。今はこれでも巻いておきなさい」

「あ、す、すんません……」

「謝罪はいらない。必要ない。悪いのはこちらなのでね――」

 そう確かに零した男性に対して不思議に思いながらも少年は手渡された暖かそうな毛布を体に巻いて一時的に何を凌ぐ。ああ、なんと温もり深い事か!

「ふむ。さて、状況が少し――いや、私も思わぬタイミングであった事は認めよう。認めすぎる程に。だからまあ――少し部屋を変えて話しても構わないかな?」

 その言葉に少年はしばし黙考した後に小さく頷いた。

 自分としてもこの月明かりしかない場所でこのまま裸の状態で会話と言うのは少し辛かったのでありがたい申し出だ。そして同時に少年は自分の身に降りかかった事に関してすでにある程度の推察が出来ていたが――流石にいざ直面してしまうと驚愕は隠しようも無かった。



 少年――仲津留(なかつる)琥太郎(こたろう)は確かに。確かに風呂を目指していた。

 ローマへの道を目指すとかではなく、ただ純粋に風呂を目指していた。それは紛れも無く間違いようのない事実だ。

 少し癖毛のある茶髪。日本人特有の黒目。生まれつきくすんだ茶色の髪の毛と言う以外は実に平凡な容姿としか言いようがない。ただ学校に通い、ただ緩慢と過ごし、ただ平々凡々と一日一日を経過させてゆく――どこにでもいる様な高校二年生。それが自分だ。幼少期に関しては一概と平凡とは言えない記憶こそあれど――それでも琥太郎は自分がそんなに普通と大差ない人物であると言う事を知っている。

 そんな琥太郎の趣味は漫画、ネットゲーム、ラノベとこれまた典型的な気楽な娯楽が好きというくらいの話。だが、そんな彼だからこそか。効を奏したとでも言うべきなのか。一般人と比べて――そう、ラノベだか漫画だか読む事のない一般人と比べてみて自分が置かれたこの状況に於いて一歩先で理解出来る事がある。

 それは琥太郎にとって一つの夢の様なもの。――世界だった。

 本来ありえないし、二次元の空想に過ぎず、夢物語と思ってきた話。ネット小説でこそ良く見るが自分がそんな事になるなどとは微塵も思わず、ただ娯楽として興じ、そして断じてきたはずの情景が今まさに広がっている。

 一言で言えば。


 異世界召喚キタ――――――――――――――――――――――――――――――!!!!


 それでいいのか、と問われれば『いいじゃん、いいじゃん、滅多に体験できねってこんなの!』と興奮をまくしたてながら答える事だろう。それほどまでに琥太郎の心中は興奮と感動で満ち溢れているのは紛れも無い真実だ。

 何と言う行幸か!

 異世界――ラノベや漫画が好きな琥太郎にとって心躍る世界である。証拠はすでに提示されているから間違い様は無い。先程、彼女――エイザと呼ばれた少女が使ったあのとても寒い思いをした――多分、水魔法なんだと琥太郎は思う。

 やばい。これはやばい。興奮が抑えきれない。

 仮に――仮にだ。例えこの世界が左程ファンタジックじゃなかったりしたとしても、琥太郎は魔法があると言うだけで眉唾物である。だからこれは問題無い。オールオッケーだ。

 ただ、それとは別に考える事案が幾つかある。

 イケメン男性と美少女の後ろを歩きながら琥太郎は色々な考えを張り巡らせた。

 この世界はどんな世界なのか。

 この二人はどう言った立場なのか。

 そして――自分はどんな形で召喚されているのか。

 思考は尽きない。

 ――今の所、俺を優しく持て成してるけど、裏がある可能性も否定出来ないからな。

 一挙手一投足を心掛けなくてはならないだろう。

 そんな奸計を巡らす策士の様な心持で二人の背後「フフフフフ……」と嫌らしい笑いを浮かべながら歩いてゆく。前方の二名が『……どうしたんだろうか?』と不審な眼差しを向けているが琥太郎は気付いていない。――と、そこで琥太郎は唐突に前方のイケメン男性の背中に衝突して「おわっ」と口から声が零れ落ちる。

「い、いった……! お、おい。急に立ち止まらないでくれね――」

 そう不満そうに呟いていた琥太郎はその姿を見てハッと戦慄する。

 目の前にゆらりと。

 イケメン男性とエイザの前に何やら怒気を纏わせて顕現する立派な体躯の男が一人。佇んでいる――仁王立ちで。その尊顔を見てエイザは誤魔化す様に笑い、イケメン男性は乾いた笑いと共に汗をつらっと頬を走らせる。そしてそんな二人を前に男性は一言述べた。

「拒否権無しだ馬鹿娘共――王城まで連行だ」



 ――王城。

 そんな御大層な言葉が意味する通りだな、と琥太郎は心底そう思った。琥太郎としては先程まで確かに屋敷にいたと言うのに今は件の王城に一時間も掛からず――いや、二〇分も経過せずに辿り着いている事自体も驚嘆に値するが。扉を抜けた先――何かオレンジの輝きが発せられたと思えばすでにこんな場所にいるのだから当然と言えば当然の驚きだ。

 さて、そんな驚きに目を見張り、絢爛豪華な王城の内装に目を配る琥太郎の前には黄金と優美な真紅に彩られた一つの椅子がある。

 玉座――まず間違いなくそう呼ばれるものだと理解した。

 すげぇな……。

 何と言うか豪華だ。バカっぽいがそれしか感想が出てこない。

 だが一番の問題なのがその玉座に座る者――察しはつくが恐らくはこの世界、この国の国王と言う事になるのだろうか。目の前に佇む人物はそれだけの風格がある。無駄に。そう、ある意味無駄に風格がある。

 何故、無駄に、という感想が浮かぶのかと言えば。

「七面倒臭い事になったなぁ……」

 これみよがしに聞こえる声で足を組んで玉座に座っているのだ。それも国王の権威の象徴であろう王冠を指でくるくる回しながら、王笏に至っては肩たたきの道具と化している。そんな風に権威を冒涜している男の姿は実に圧巻ではあった。白髪交じりの頭髪に比べ皺こそ入れど若々しさが漲っており、その目は鋭く切れ長であり、端正な目鼻立ち。紛れも無く整った容姿をした壮麗の老人だ。国王専用と思しき衣服が彼の王威をこれでもかと発している。それを全部ぶっ壊そうとばかりに権威の象徴は玩ばれているが……。

 何だよ、この王様……。なんつーかガキ大将がそのまま老人になるまで成長した結果みたいな王様なんだけど……。

 琥太郎がそう思うのも無理はないだろう。

 傲岸不遜だ――だが傲慢かと言えばそうではない様に見える。

 王の威厳に満ちている――かと言えば、自分から権威失墜させる様な立ち振る舞いしか先程からしていない様に感じる。そもそもにして自分から呼んだであろう勇者を前に何であろうかこの招かれざる客が来て嫌気を爆散させている様な様子は。

 いや、正確には扱いをこまる代物を前にした様な、そんな佇まい――。

「おい、小僧」

 そこで不意に国王は琥太郎を呼び掛けた。

 不良ではない。ヤンキーではない。剣呑ではない。だが限りなく素の立ち振る舞いを一切先程から崩さぬまま国王は目の前に立つ琥太郎を一瞥し、王笏で傍から椅子を持って現れた従者の一人と思しき方を指示しながら告げた。

「――立ってるだけ、疲れるだろう。良かったら座っておきな」

「え、あ、ああ……はい。どもっす」

 自分でも言葉遣いが凄いおかしいと理解しながらも恐る恐る頷いて椅子に座ろうとして――はたと止まる。

 ……これ罠とか仕掛けられてないよな? 座った瞬間に拘束する様な罠とか契約発動とかそんなノリはねぇよな……?

 用意された椅子を見ながら恐々とした表情を浮かべる琥太郎。

 それを見て国王は「カッハッハ!」と愉快げに笑いを発してこう述べる。

「安心しておけ。別に何も変な仕掛けはしてないからな。座った瞬間、魔法がぼーん、とか姑息なノリはないさ」

 ――見抜かれてる! 俺の不安かんっぜんに見抜かれてる!

 やるな、国王……と思わず手汗を握る。これは一筋縄ではいかなさそうな気配すらする。とはいえ先程から急遽集められた臣下、及び従者ですら『ああ、警戒しているな』と見抜いているのだから琥太郎が表に出やすいだけでしかないのだが。

 だがまあ、そこまで言い切るのなら座ってあろうじゃないか!

 仮に嘘ならばそれで言葉責めするだけだ。琥太郎は雄々しく「ふんぬらばっ!」と声を上げて椅子にどすんと座した。それを確認すると国王は満足そうに自らの顎髭を軽く撫でる。そして臣下の一人に対して「ラペックはまだか?」、「まだ到着しておりません国王陛下」と一節の会話を交わした後に再び琥太郎に目を向ける。

「さて、すぐつくとは思うが暇だからな。――小僧、相手しな」

「それが人にものを頼む態度ですかね……」

「いいんだよ。余は暴君だからな。理不尽な命令を下しまくって楽しむのさ」

 尊大な物言いに思わず零れ出た台詞をまるで大した事のない様に応答する。本来であれば不敬罪とか色々当たりそうなのにそれを全く気にする風がない。

 何だよこの王様……。

 琥太郎は想像と違う国王像に思わずどう対処すべきか頭を悩ませる。

 そんな琥太郎とは裏腹に国王は淡々と言葉を述べた。

「まずは――ああ、やはりこれだな」

 国王は一瞬の思考を終え、自嘲染みた笑みを浮かべる。


「ようこそ拉致(まい)られた。余はこの世界屈指の王の一人――アークソル・ズヴィヘイド=ヴィード・ザヴァディン=メルスバヴナと言う。――よろしくな異世界人」


 長ッ! そしてツッコミどころ多いな、おい!

 琥太郎は『ようこそ拉致られた』何てワード初めて耳にする。と言うか、本当に名前が長いなと感心してしまう。やはりアレだろうか? 王族と言うものは得てして名前が長々しいのだろうか。どこの異世界も王族特有の名前の長さには感心してしまう。そして一番ツッコミたいのは『屈指の王』とまで宣言する尊大さだが――これに関しては本当に屈指の王の可能性もむげには出来ないので保留にしようと決めた。

「さ。次はお前の番だぞ、異世界人」

「へ?」

 何がだよ?

 琥太郎はぽかんとした表情を浮かべる。すると国王アークソルは手に持った王笏をぴしっと突き付けて一言物申す。

「何が――じゃない。名前だよ、異世界人。余は名乗った――さすればお前も名乗るのが礼儀であり礼節ってもんだろう? よし、命令だ、名乗れ」

「あ、ああ、そう言う事ですか……」

 何か本当変わった国王だな……! 呆れてもきたぜ何か……!

 尊大な様な殊勝なような――境界線が難しい気がしてならない。だが間違いなく傲岸不遜な王であると言う認識は抱いた。そしてそんな王の前で琥太郎は緊張した面持ちで――だが確かに聞こえるハッキリとした声で答えた。

「――琥太郎。仲津留琥太郎だ」

 アークソルはその名を訊くと口の中で吟味する様に動かし、そして確かに頷いた。

「わかった。コゥタゥローゥだな?」

「何か変な動物みたいなんだけど! コタローだよ、コタロー!」

「コッターロ?」

「イタリア語みたいな名前でもなくて! コ・タ・ロー!」

「ふむ。コータローか」

「いや、イントネーションが何か違う! コタローだ!」

 それだと何か『光太郎』とかな気がする!

「唯の冗談だよ。コタローな、コタロー。よし覚えた」

 からかっただけかい! そしてニマニマした笑顔がすっげぇムカつく!

 そんな琥太郎を余所に一転してアークソルは若干不思議そうに嘆息する。

「しかしまぁ……容姿から想像ついてたが、どうにも勇者召喚は得てして倭人族(ラタエネック)寄りで参るな……。発音が相変わらず難しいから困る」

 倭人族――と言うのは種族の事だろうか?

 倭人族寄りって事はなんだろうか? 自分達みたいな日本人の様な一族がこの世界にも存在するのだろうか? それは少し興味深い話だった。そこに関して質問してみたいところだったがアークソルは「ま。それはそれとしてだ」と話を区切ると何処か複雑な色彩を、感情を込めた瞳で琥太郎を見据えると、彼はこう問いを発した。

「慣例的に――こういった場面で一つだけ問い掛けがあるから、訊かせてもらうぜコタロー」

「……何だよ」

 質問はすでにわかっている――つもりだ。

 だが、琥太郎はあえて問い返す。果たしてどの様な内容が、自分の今後を左右するのかそれを訊かなくてはならない。確かめなくてはいけない。胸の中のドキドキをこっそり隠しながら表面上は冷静に――琥太郎は言葉を待った。

「唯一つの問い掛けだ……コタローよ」

 放たれる言葉を推測し、そこからどう判断を下し、考察し、事態を突き動かしてゆくか琥太郎には未知の選択肢が浮かび上がるのだろうか。

 そしてアークソルは重々しく口を開く。


「――勇者になって世界を救うか。さっさと元の世界に帰るか。どちらを選ぶ?」


 それは究極の二者択一であった――。













第一章

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