サンゴ礁が見たい、フィリピンクラブ
私は50代後半、今は2010年、少し腹が出て、額は少しだけ禿げ上がって来ました。
これからお話するのは、若い時の貴重な経験談です、今から約20年も前の事で、
友達とフィリピンへ行った時の話です。その当時はまだ独身で、フィリピンまでタレントを、
追いかけて行った時、人生で一番強烈な経験をしました。
私は東京国立の駅の近くに住んでいました、その当時の年齢は38歳、
市内の不動産屋に勤めている、平凡なサラリーマンだった。名前は和泉 春樹
そして友達の幸雄は、国立の谷保に住んでいて、大手の電気会社で経理をしている。
名前は富山 幸男普段は「幸男、春樹」と呼び合う仲で、
小学校と中学が一緒で幼馴染、一番仲の良い友達だ。他にも友達は居るが、
皆所帯を持っていて付き合いが悪く、仕事が終わると、幸男と私は独身どうし、
立川までよく遊びに行ったものだった。
国立は文京地区なので、パチンコ屋さんとか、いかがわしい店は無く、
暴力団の事務所も出来たとたんに、住民運動が起こり、さすがのヤクザ屋さんも、
撤退させられる程の街である。
街を歩くと、「先生~」と声を掛ければ、いっせいに振り向く様な所で、画家や音楽家、
小説家や彫刻家や、大学教授など、芸術家や文化人の多く住む街である。
レストランや喫茶店などは、少し気取った様な店があり、頑固なうなぎ屋さんとか、
作家の山口瞳さんの、小説のモデルに成った文蔵とか、居酒屋兆次の店がある。
「春樹、谷保の駅の近くにフィリピンクラブが出来たの知ってる?」といきなり幸男が私に聞いた。
「しらねえな、いつ出来たの?」私はコーヒーを飲みながら返事をした。
ここは二人が、毎日の様に仕事が終わると立寄る店で、国立ではかなり古い喫茶店で、
アンティックな柱時計や、客船の浮き輪や錨など飾ってある。
本格的にネルで、コーヒーを入れてくれる主人が、たまたま高校の同級生だった。
と言うわけで、気軽に来れる店だ。カウンターの中で聞いていたマスターが
「うん、やぼの駅の近くだよ」と私に言った。「マスター知ってたの?・・・」と
私は少し冷めたコーヒーを飲みながら言った。国立に永く住んでいる人は、
谷保のことを「やぼ」と呼ぶ。最近いつの間にか「やほ」に変わったようだ。
「マスター行った事があるの?」と私が聞くと、カウンター越しに
「昨日組合の会合が終わってからさ、皆と一緒に行ってきたんだ」とコーヒーを入れながら言った。
この喫茶店は、ネルでコーヒーを落とす、惹いたばかりの豆に、上から熱湯をそそいで、
泡立てながら入れるドリップ式のコーヒーは美味い。隣でコーヒーを飲んでいた幸男は
「今晩これからちょっと行ってみないか?」と私に言った。私は退屈しのぎに行っても良いと思い
「いいよ」と気軽に返事をした。近くの食堂でいつもの定食を食べ、国立駅前のタクシーに乗り、
谷保の駅へ向かう。「運転士さん、谷保のフィリピンクラブ知ってる?」と私は聞いた。
「はい、知ってます」と返事をするなり車を発進させた。南武線の谷保駅は、
国立駅から大学通りを真っ直ぐ行って、車で8分ぐらい走った突き当たりにある。
国立はよく「こくりつ」と読む人が居る、国立音楽大学は「こくりつですか?」
と聞かれる事が時々ある。国分寺と立川の間の駅だから「くにたち」とつけたらしい。
それでは将来立川と国立の間に駅が出来ると、「立国だ?」(りっこく)・・・・タクシーは、
あっという間に谷保のフィリピンクラブへ着いた。駅から少し手前の住宅街へ入った、
それは二階建てのアパートの一階にあった。入り口のドアの上には、
点滅する豆電球でMAGANDAと書いてある。
意味は分からないが、多分フィリピン語だろう。私たちは、恐る恐るドアを開けた。
「イラッシャイマセ~」中から大きな声で一斉に黄色い声がした、
私は一瞬たじろぎ後戻りをしてしまった。すると着物を着た中年のおばさんが出てきて、
私の手をつかんで、強引に店に引きずり込んだ。店内は薄暗く、目が慣れるまで少々時間が掛かった。
私はそのおばハンに案内されて、舞台のすぐ横のボックスへ座った。
「私がここのママです、よろしく」と言ってメニューを私に差し出した。
ここのママは綺麗な着物を着ているが、太ってお腹が見事にせり出ている。
顔はサルの惑星、まるでモンキッキの様だ。
私と幸男はあまりアルコールは強いほうでは無く、とりあえずビールを頼んだ。
店内は中央に舞台があり、それを囲むようにボックス席がある。
奥にカウンターがあって、30坪程度の店である。
天井には大きなミラーボールが2個、ぐるぐる回りながら、細い光が線になって壁を照らしていた。
私が幸男の隣に座ると「馬鹿、男同士で座ってどうすんだよ、ここは女の子が座る所」
と言って、椅子のほこりを払う様なしぐさをしながら、「あっち、あっち」と言って、
私を向かいの席へ座らせた。やがてボーイがビールを運んできた、
つっけんどんにビールをテーブルに置くと「指名はありますか?と私たちに聞いた」
私は「初めてなので誰でも良いよ」と言うと、しばらくして髪の長い目のクリッとした女が、
私たちのボックスに来た。肌の色は少し黒いが、セクシーなドレスから胸の谷間が覗く。
「イラッシャイマセ、」たどたどしい日本語で彼女は私たちに挨拶した。彼女は私の隣に座ると、
私の手をぎゅっと握って「アンナです」と言うと、つられて「春樹で~す」
私はおもいっきり大きな声で挨拶した。
魅力的な大きな瞳にうっとりしていると「いい加減に手を離せよ」と幸男が笑いながら言った。
私はハッと我に返り彼女の手を離した。久々に若い娘の手を握ったので、心臓はバクバクであった。
すると短い髪のボーイッシュな感じのホステスが来て「お久しぶり」と言いながら幸男の横に座った。
「何?お久しぶり?・・・良くここの店に来てるのか、幸男」と言うと
「シー、ここではジャッキーと言うんだ」と幸男は片目をつぶりウインクをした。
すると、幸男の横に座っていた女が、私に手を差し出して「始めまして、ローズです」
と言ってテーブル越しに私の手を握った。どうやら幸男は常連で、私に内緒で何回も来ていたらしい。
ローズがボーイに向かって、火のついたライターで合図をすると、ボーイが、
カクテルグラスに入った、赤い色をしたドリンクを二つ運んで来た。
「乾杯」と言って、グラスがカチッと音たて、私は小さめのグラスに入ったビールを、
いっきに飲み干した。居酒屋のビールは大瓶だが、ここのは小瓶である、
何杯か飲むとすぐ無くなってしまう。ホステス専用のカクテルも、たった20分ぐらいで、
ドリンクチェンジ、せわしないお店である。「オナマエワナンデスカ?」とアンナが聞いた。
私は「ハルキです」と答えた。先ほどの上ずった声は聞こえなかったのだろう、
幸男の様に、ジャッキーチェン等と名前を変え、嘘をつくのは苦手である。
アンナに話を聞くと、彼女は初めて日本へ来たそうだ、ビザの関係で6ヶ月いるが、
もうこの店に来て2ヶ月たったと言っている。
話をしている間、ずうっと私の手を握ったままだ、私は惚れやすい性格でいつも失敗する。
まさか外人を相手に惚れる事は無いだろう思い、されるがまま酔いに任せてこの場を楽しんだ。
フィリピンクラブ
あれからマガンダに通って4ヶ月になる、この店で今は二人とも常連客で、
フィリピン語のタガログ語も大分覚えた。私を「アコ」あなたの事を「イカウ」と言うので、
時々仕事の時に、お客様にたいして自分の事を「アコ」なんて言ってしまい恥をかく。
フィリピンクラブに行った経験のある人は良く知っていて
「あなたもフィリピンの店によく行くの?」なんて言われて、からかわれる事もありました。
いよいよ私の指名してるアンナも、国へ帰る日が近づいてきた。
私と幸男はローズとアンナを追っかけて、わざわざフィリピンへ行く約束をしていた。
明日はアンナとローズの、さよならパーティーがある。
すでにチケットは買ってあり、2時間でセット料金1万円で、11時からと成っていた。
ローズはマガンダでは売れっ子で、この店ではナンバーワンである。日本には5回も来ていて、
日本語もべらべらで、国に子供を一人残して出稼ぎに来ているらしい。アンナは初めて日本に来たので、
言葉はたどたどしい日本語だが、帰る頃になって大分上達した。フィリピン人は、
歌や踊りを覚えるのは早い、日本の歌の歌詞もすぐ覚える。
言葉も英語、タガログ語、スペイン語をしゃべる。
日本人は何年も英語を勉強しているのに、外人に話しかけられると、しどろもどろに成ってしまう。
当日私たちは、バリっとスーツを着込んでマガンダへ行った。
普段はセーターや、カ-ディガンなどラフな格好をして、飲みに行くが、
今日は愛するアンナの為に、一番上等な背広を着ていた。いつもの様に国立駅からタクシーに乗り、
店に着いたのは11時をちょっと過ぎていた。ドアを開けると威勢の良い「イラッシャイマセ」
の掛け声が聞こえてきた。この店は良く訓練されていて、お客が帰る時ときた時は、
一斉に椅子から立ち上がり、「アリガトウゴザイマシタ」と大声で叫ぶ。
店長が中年の男で、テキパキとした良い店長で、教育が行き届いている。
だが、私がこれから口説こうと思い、顔を近づけた瞬間、席から立ち上がり
「アリガトウゴザイマシタ」の掛け声。肝心な時にいつもはぐらかせられる。
助平心を出して体を触ろうと思っても、ひざの上でギュッと手を握られていては、
思うように動きが取れない。後で聞いた話では、店長が「手を握っていれば、
いくら助平なお客でも体に触れないから、いつも手を握っていなさい」
とミーティングの時に言っていたらしい。毎日決まった時間に、
私のポケットベルに、アンナから掛かってくる。私は嬉しくてすぐ折り返し、
店に電話をしてアンナと話していた。「アナタニアイタイヨ、ゴハンタベタ?」毎日同じ言葉だが、
その声を聞くとついマガンダへ行ってしまう。これも後で聞いた話だが、毎晩店が始まる頃、
店長がボーイにお客の電話番号を、ポケベルに送信する様に命令を出していたらしい。
どうりで毎日決まった時間に、アンナからポケベルが入る訳だ・・・・
いつもの様にアンナが私の横に座った。すると「明日エアポートに一緒に行ってくれる?」
と私の手を握りながら言った。「どうして?」
「だって、私が本当に愛してるお客様は、貴方だけなの」と潤んだ瞳で言われると、つい
「良いよ、何時に行けば良いの?」と返事をしてしまった。もちろん幸男もローズと約束していた。
結局二人は寝ないで、成田まで一緒に行くことに成ってしまった。店内はさよならパーティーだけあって、
満席である。明日帰るタレントは4人、ベテランのローズは何人お客を持っているか分からない。
ボックス席は全部ふさがって、カウンターも、空いている椅子が無かったぐらいだ。
そして私たちの2時間が過ぎ、帰る時間はあっという間にきた。
入れ替えをする為、別のお客が入り口で待っている。
まるで追い出される様に、私たちは店を出た。「アリガトウ、アシタマッテルヨ」と、
アンナの声を背中で聞き店を後にした。私は帰りのタクシーの中で「えらい事を引き受けちゃったな」
とため息混じりに言った。「うん、寝る時間がねえな、6時まで成田だろ?」
「うん、少し酔いを醒まさなきゃ・・・」
私は、タクシーの揺れを体で感じながら、明日どうやって仕事を休もうか思案した。
見送り・・・・
結局二人は、早朝4時に国立インターから中央高速に乗り、成田空港へ向かった。
運転し慣れた私のブルーバードは快調に走る、運転していても眠気は無い。殆んど寝てないが、
愛するアンナの為、首都高が停滞しないうちに都内を抜ける必要があった。
「眠かったら運転替わるからな」と言った幸男は助手席でぐっすり寝ている。
やはり、新宿の手前で車が増えてきた。時間は午前5時半、運転しながら気持ちが焦ってくる。
さすが首都高は朝が早い、代々木あたりから停滞しだした。箱崎から、
錦糸町まで何回も車が止まる。時間はどんどん過ぎてゆく。「間に合うかな?」
隣で寝ていた幸男をチラッと見てつぶやいた。私は片手で幸男の肩をゆすり、「おい、起きろよ」
と無理に起した。私の声で幸男は目を覚ますと、「今何時?」寝ぼけた様な声で言った。「6時半だ」
「ええ?6時半?今どこはしってるの?」と目をこすりながら言った。「錦糸町かな、もう少しで着くよ」
やがて停滞は収まり、高速の標識を見ると飛行機の絵が見えた。しばらく走って、
成田の出口を左に曲がると、空港の正門に到着。入り口のゲートは、厳重に警備されていた。
空港建設反対のテロや妨害を警戒する為に、簡単に空港には入れない。車のトランクも開けさせられ、
警備員が車内までチェックした。「確かフィリピン航空は第二だよな?」と幸男は言った。
空港のゲートを入ると、第二ビルの出発の看板が見える。車は急勾配の坂を登って、
ビルの2階へあがっていった。すると前方いた警備員が、私たちの車を止め
「出迎えですか?見送りですか?」と聞いた。私は運転席のガラスを下げ
「見送りです」と答えると「見送りなら下の駐車場へこの車を入れてください」と警備員が言った。
私は肝心な事を忘れていた、車を駐車場へ入れなければ見送りが出来ない。あわてて車を発進、
下の駐車場へ向かった。ゲートからそのまま駐車場へ行けば簡単に行けるが、
わざわざぐるりと回らなければ空港の駐車場へは入れない。やっとの思いで車をとめ、
フィリピン航空のカウンターに着いたのは8時を過ぎていた。フライトは9時半、
私は焦った気持ちのままアンナを探した。フィリピン航空は、日航のカウンターを借りて営業している。
アンナの居る場所を探すのに、えらい手間が掛かった。「ハルキ、こっちこっち」聞いたような声がした。
アンナが私たちに手を振っている。「居た居た」と幸男に合図してから、私は嬉しくなって駆け出した。
アンナ達はカウンターの前で、荷物の重量を測っている最中であった。私達は中には入れないが、
手すり越しに話が出来た。「アンナ大丈夫?」と私は眠気もすっ飛んで、アンナの顔をまじまじ見た。
上下ジーンズ姿で、髪の毛を束ね、野球帽をかぶっている。私がプレゼントした、指輪がきらりと光る。
アンナが、店に居る時のドレス姿とは違った魅力を感じた。日本へ6ヶ月前初めて来た時は、
ビーチサンダルを履いて、成田に着いたそうだ。店長が空港へ迎えに言った時は、
アンナと仲間のタレントは、貧乏で着てくる服が無かったので、ショータイムに使う衣装を、
着て来たそうだ。店長は「恥ずかしくて離れて歩いたよ」って言っていた。
今は客からもらったプレゼントで、ダンボールの大きな箱が何個もある。
お相撲さんが、体重を量るときに使う様な、量りの前に積んである。
まるでタレント達が、日本中持って行ってしまうぐらいだ・・・私もアンナに、
コンポーネント、テレビ、洋服など大分買ってあげた。
「ちょっと待っててね」とアンナは私の肩を軽くたたくと、量りの方へ戻って行った。
私と幸男は空港は始めて来た、なにしろ海外旅行はした事が無い。
幸男は「さすが成田はでかいな」と関心している。
私も振り返って館内を見渡すと、確かに空港は大きい。それに外人が沢山居る、私はキョロキョロ、
まるでおのぼりさんみたいに、大きなスーツケースを持った人の、歩く姿を追っていた。
「ねえ・・・」突然アンナが私に近づいて来て声をかけた。「荷物が多くてオーバープライスに成ったよ」
と言うなり、目にいっぱい涙をためて私の顔を見ていた。男は女の涙には弱い!
「何?どうしたの?」と私は驚いた顔をして聞くと、どうやら、荷物が多すぎて重量オーバーに成って、
余分な料金が掛かるらしい。「幾ら払うの?」と聞くと「恥ずかしい」と言ってアンナはうつむいた。
「幾ら払うの?」私は心配に成って聞くと、「60キロ」と言った。「え60キロも?」
フィリピン航空は20キロまでは無料で、1キロ超過すると、1200円掛かると言う、
ということは全部で80キロも有る。私以外に客さんからプレゼントで、
テレビやステレオ等を大分貰っていたらしい。そう言えば私にも最初、
「私の家はテレビも何も無い」なんて言っていたのを思い出した。
「全部で幾ら払えばいいの?」と聞いた。
するとアンナは恥ずかしそうに「7万2千円です」と言った。「え~?七万と二千円?」
私はあまりの金額に驚いてしまった。「私6ヶ月働いた給料があります、でも、
借金を全部払うと給料が無くなって、フィリピンで待っている家族に渡すお金が無い」
とたどたどしい日本語で、涙を浮かべて、一生懸命説明している。
私はアンナの為に、現金で5万円を渡そうと思い、封筒に入れた金を用意してあった。
だがその金額では足りそうに無い、私は帰りの高速代や食事代を2万円ほど別に持っていた。
その2万円を封筒に入れ、7万円にしてアンナに渡した。アンナはびっくりした様な顔をしたが、
手の方が先に出ていた。「アリガト」封筒を受け取ると、一目散に内側のカウンターへ帰って行った。
人相の悪そうな、フィリピン航空のの男に、私から貰った現金を出して、
金を払っている様だ。ローズはアンナより更に多くの荷物を持っていた。
大きなダンボールの箱が5個、旅行用のスーツケースが2個も有る、相当な量だ。
結局、幸男も有り金を全部取られた様だった。「サヨナラ、フィリピンで待ってるからね、アイシテル」
と言い残して、手を振りながらアンナ達が搭乗の入り口に消えていった。
私は、アンナが入り口から消えて、見えなく成るまで見送った。そして二人は、
空港の駐車場へトボトボと歩いて行った。「あっ、春樹、そう言えば駐車代持ってる?」
と幸男が突然言った。私は驚いた様な声で「え~幸男、おまえ持ってないの?」と聞き返した。
幸男は「全部ローズにあげちゃったから一銭も無いぜ」とポケットを探る振りをして言った。
私も全部アンナに、現金をあげてしまったので一銭も無い。私達は取り合えず、
駐車場の車の所まで行った。「そうだ、確か車のダッシュボードの中に少し金が有った様な気がする」
と言って私はドアを開け、ダッシュボードから免許証入れを取り出し中を調べた。
小さく畳んだ千円札が二枚入っていた、何かあった時の為に普段から入れておいた金である。
「良かった、これで帰れる」と私が言うと「高速代はどうすんだよ」と幸男が言った。
成田空港の駐車代を払うと、小銭だけが残った。幸男の運転する車は、東京方面にむけ、
ヨタヨタと成田市内を走っている。「腹減ったな、昨日から何にも食ってねえや」
幸男は運転しながら言った。私のお腹もグーグー泣いている。
「立ち食いうどん食べてーな」「おれはハンバーグ」二人は眠いのと、
空腹に攻められ、一般道を走って、やっとの思いで国立まで帰った。
これも後で仲良くなった、マガンダの店長に聞いた話だが、
空港で、タレント達の荷物を測るフィリピン人がいて、実際の重さより少なく航空会社に申告して、
タレントからは大目の金額を受け取り、差額を皆で分けているそうだ。フィリピン航空の職員もグルで、
見逃し料を取っているらしい。これでは飛行機が重量オーバーで赤字に成るのは当然。
旅立ち・・・・
今日は幸男と二人で、アンナとローズに会いに、フィリピンへ行く日だ。
駅前の旅行社から買った航空券とパスポートが、上着の内ポケットに入っている。
それを確かめながら、国立駅で私は幸男を待っていた。「遅いな、幸男のやつ」
5時の約束だが5時30分を過ぎても幸男は来ない。
朝もやの立ち込める大学道りを見渡すと、5部咲きの桜がピンク色に、
まるで墨絵の様に薄っすらと見える。遠く谷保方面を見ると、にかすかに、
信号の点滅が見えるだけである。私は焦って駅の公衆電話から幸男の家に電話した。
すると幸男の母親が電話に出た、「もしもし、幸男はまだそちらに居ますか?」
と私は受話器に向かって言った。「御免なさいね今出ました、そちらに向かっています」
と母親は、申し訳無さそうな声で謝った。
しばらくして、タクシーが私の前に止まった。「悪い悪い」と良いながらタクシーのトランクを開け、
大きなスーツケースを取り出した、馬鹿でかい布製のスーツケースである。それを重そうに持つと、
ガタガタ音をたて、引きずってこっちへ来た。幸男は額に汗をかきながら「パスポートを忘れちゃって、
こんな時間だから、タクシーがなかなか捕まらなくて、タクシーに乗ってから気がついたんだよ」
と言って持っていた小さなタオルで、顔を拭きながら言った。
季節はもう春だが、朝晩はさすがに冷える。幸男は小太りで、普段からかなり暑がりやである。
どうやら、これだけは忘れない様にと、パスポートを枕元に置いていたのが仇になり、忘れて来たらしい。
私達は急いで階段を登り、プラットホームで東京行きの電車を待った。