地下室と蓄音機
父が亡くなった。
突然のことだった。交通事故だったらしい。
青信号を渡っているところへ居眠り運転のトラックが突っ込んできたとのことだった。
市内の公立高校に通う秀樹の下に、その報告が入ったのは昼食を食べ終えてちょうど眠くなる頃合いの五限目だった。
五月の暖かい陽光が差し込む廊下に呼び出された秀樹は、慌てた様子の担任から事故の話を聞いてもすぐには実感がわかなかった。
心と体が宙に浮いたようなふわふわとした感覚の中、秀樹は担任の言葉をただ無機質に自身の鼓膜で受け止めた。
しばらくして母が学校に手配したタクシーに乗って学校から警察署へと向かう。
警察署へ向かう車中でも、秀樹は夢心地のような不思議な感覚がまとわりついたままで、それは警察署についてもやはり拭えなかった。
警察署の入り口につけてくれたタクシーの運転手に「ありがとうございました」と声をかけて、警察署へと入ると、秀樹はすぐにロビーに母の姿を見つけた。
ベンチに腰掛け項垂れる母の姿は憔悴しきっているように見えた。
秀樹が近づくと母も秀樹に気付いたようで、その涙で腫らした目を向けて震えるように言った。
「秀樹・・・、パパが、パパが・・・、あああ」
いつも笑顔の母が悲痛な声を上げて泣き崩れる様子は秀樹の心をきつく締めあげた。
「お母さん・・・」
何をどう言ったらいいかわからない。
秀樹はただ困惑して母の肩にそっと手をあてる。
そこへ制服を着た男性の警察官が二名やってきて、そのうちの一名が丁寧な口調で声をかけてきた。
「・・・西島さん、息子さんが来られたようですね。ご案内いたしますのでどうぞこちらへ」
秀樹は、ふらつきながら立ち上がる母を支えて案内をする警察官の後に続く。
秀樹と母は、そのまま警察署の奥にある霊安室へと通された。
「おつらいかと思いますが、ご遺体の確認をお願いいたします」
お香の匂いが漂う薄暗い部屋の中には白いシーツをかけられた小さなベッドがあり、その横へと警察官が歩み寄る。
白いシーツはいびつな形をしており、そこに横たわる者が人であることは容易に想像できた。
嗚咽をあげる母の肩を支えて、秀樹はベッドの横に立つ警察官の後ろへと進んだ。
すっとめくられたシーツの下からは、眠るようにベッドに横たわる父の顔が現れた。
「あああ、パパ・・・」
そこにある姿がまさに父であるという事実に、母の最後の希望はいともたやすく打ち砕かれたのか、母はそのまま床に座り込んでしまった。
寡黙だった父。
朝もいつもと変わらず「行ってきます」と一言、玄関でつぶやくようにして家を出て行った父。
その父が今はこのなじみのない異空間で眠っているのだ。
「間違いありませんか?」
母は既に答えられる様子ではない。
警察官もそう思ったのか、その問いは秀樹に向けられていた。
「・・・はい、間違いありません」
秀樹は、自分でも驚くくらいにすんなりとその言葉を口にした。
「そうですか。・・・この度は誠にご愁傷様です」
静かに発せられた警察官の言葉。
秀樹はその言葉に反応を示さず、ただ静かに父の横顔を見つめていた。
その後、秀樹と母は警察官から遺体検案の説明を聞き、父の遺品を受け取ってから帰路についた。
検案は時間がかかるため結果は明日になるとの話もあったが、正直なところ、遺体を見た後からの記憶はかなり曖昧であった。
母は家に着いてしばらくの間、横になっていたが、それでも秀樹に「何か食べないとね・・・」と言って台所に立った。
何かを食べたいという気持ちはなかったが、何かしている間だけでも母がつらい気持ちから解放されるのならばと、秀樹は「ありがとう」と一言返した。
リビングのソファで何をするでもなく、ただ横になっていた秀樹はふと棚に飾られたビートルズのレコードに気をひかれた。
それは父が大好きだったレコードで、地下室にある蓄音機で時折聞いていたものであった。
秀樹は棚に近づき、そっとそのレコードを手にとった。
年季が入ってくたびれたジャケットに英字で色々と書かれていたが、何が書かれているかは読めない。
だが、秀樹は次第に小さい頃に見た、地下室でこのレコードを聴いているときの父の姿を思い出す。
「小学校に入るまではよく一緒に色んなレコードを聞いていたな・・・」
そうつぶやくと秀樹はリビングを出て地下室へと向かった。
こじんまりとした四畳半のスペースに蓄音機とレコードのラック、それから一人掛けのソファーが一つ。
そのソファに座る父と、その膝の上に載ってレコードを聴く自分。
色褪せた記憶が蘇ってくる。
秀樹は蓄音機の電源を入れると、持ってきたビートルズのレコードをセットしてソファに座った。
ほどなくしてレコードの独特な柔らかい音が室内に響き始める。
曲が流れてからしばらくして、秀樹は大粒の涙を流して泣いた。
父が一番好きだと言っていた曲。
『レット・イット・ビー』
地下室に流れるその曲が、秀樹の心をただただ優しく包み込んだ。




