犬前さん4
犬前さんには人間だった過去がある。
過去があるということは記憶もあるし歴史もある。
時代として団塊ジュニアと呼ばれる人数が多かった世代だ。
学校では体罰が当たり前で、少し上の世代は校内暴力が当たり前で、猫が学ラン着てなめんなよ、と鉢巻きしめていたら人気が出た世代だ。テレビのCMだとハイリハイリフレハイリホ~♪ という独特の曲に合わせて出てくる巨人がハンバーグをくれて「大きくなれよ」語りかけてくる世代だ。象が踏んでも大丈夫、な筆箱が流行った時代だ。
証明できそうな記憶はいくらでもあるのだが、今の時代に話すとドン引きされる時代だ。
とにかく同級生が多かったので、全員の名と顔が一致しなくても不思議に思われない世代でもある。
そして、大学を卒業する時に就職で苦労した初期の世代でもある。
犬前さんは男性だったので、なんとか就職先は見つかった。
就職氷河期と言っても男女雇用機会均等法があっても、男性が有利な時代だった。
面接官は「女は要らない」と明言していたし、圧迫面接という異常なレベル高圧的面接では「で、君はうちの会社にどんな利益をもたらしてくれるって言うの?」なんてことを社会人経験のない学生でも普通に聞かれたし「そんなありきたりの答えしか言えない人、要らないんだよね。替えはいくらでもいるし」と言われても事実、替えになる人間がいっぱいいた時代だった。
それに加え、女性だと下着の色やら異性経験やらまで聞かれ、泣きながら帰っていく人も見かけたほど酷かった。
今の時代だと許されないような質問も当然のように言われたし、入社してからも後輩がいないので何年も下っ端扱いだった。罵倒されることも日常茶飯事だし、親の介護で休暇なんて話すら聞いてもらえなかった。
疲れ果てて求人情報雑誌を見たけれど、碌なものがなかった。
あの頃は第二新卒なんて言葉は存在しなかったし、中途どころか新卒の募集要項に「三年以上の経験者限定」なんて無茶苦茶な記載もあったし、数か国語の語学堪能者(ビジネスレベルの会話と文章力必須)を時給八百円で募集していたバイトもあった。
どうしようもなくなって退職を決めたころ、最高学府卒業者がサラ金に就職したという話題がニュースにのぼった。
世の中の全てがおかしく見えた。
口下手だったり人見知りだったり真面目な人ほど悩み苦しみ、この世から旅立った人もいた。若い同級生の葬式は、何度参列しても悲しかった。
大学の卒業式の時、誰かが言った。
「人数の多い俺たちの世代をこんな風にあつかったこの国は確実にダメになる」と。
その予言めいた台詞は数十年後、事実になりつつある。
犬前さんも、介護の現実を目の当たりにして思った。
人間が壊れるまで投薬するだけの国は本当に良い国なんだろうか、と。
病院に通ううちに顔見知りになった同じ認知症の親族の介護をしている人が、人間だった犬前さんに言った。
「認知症の薬を処方箋通り飲ませるよ良いよ」
なんでそんな当たり前のことを言うのだろう、と不思議に思いながら頷いた犬前さんは、その数年後に違う事実を知った。
認知症の薬というのは成分がきついので、老人の身体が持たない。なので、処方通りに飲ませていたら大体の人は数年で死ぬ。合法的に介護を終了できる唯一の方法なのだ。
犬前さんは母に生きていて欲しかった。けれど、自宅に引きこもって会話も成立しない相手の介護は正直きつかった。
母が死んだとき、心のどこかでほっとした。
そんな自分が許せなかった。
人間を辞めたくなった最初のきっかけだった。
その後、生きていくために何度も履歴書を書いては面接に行った。
職歴に空白がある人間は要らない、と言う人もいたし、面接終了後に即日投函された履歴書が返送されてきたことも、また、お祈りメールも数えきれないほど貰った。
運よく採用してくれた警備会社が何番目の面接だったのかすら記憶にない。
年上の先輩が多くて深く事情を聴いてこないこともあり、居やすかった。
犬になっても雇用継続してくれることも有難い。
犬前さんは人生に絶望していたけれど、死にたくはなかった。
人間は辞めたいと思ったけれど、死にたくはなかった。
外見は変わってしまったけれど、今も生きている。
猫のようになめんなよ、と世の中にメンチ切る度胸もなく、ハンバーグをくれる巨人ほど大きくなれず、象が踏んでも大丈夫なほど頑丈にはなれなかった。
でも、もう少し頑張ろうと思っている。




