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犬前さん3

 制服を着た犬、というのは好まれるらしい。

 犬前さんは子供と一部の大人とに好かれている。犬好きに悪い人はいない、と妄言を吐きながら近寄ってくる不気味な人もいるが、犬が好きなら犬の邪魔をしないで欲しいと思うのだ。

 犬前さんは警備の仕事をしている。

 母が死んでからようやく見つけた仕事だ。人間だったころに苦労して何度も履歴書を書き証明写真も貼り付け面接を受け、そうして日雇いのバイトから始めた仕事だ。

 今でも正社員ではない。契約社員という立場にある。

 犬になってからは周囲が好意的に接してくれるため、仕事はやりやすくなった反面、とても窮屈だ。

 子供からは「犬のおまわりさんだ」と指さしながら叫ばれることが増えた。

 おまわりさんではなく警備員さんだが、小さな子供に一々訂正するよりは手を振ったほうが喜ばれると知った。

 制服を着た女子学生に一緒に写真を撮ってほしいと言われることも増えた。バエとかチルとか意味不明のことを言われるのは困るのだが、彼女たちは写真数枚で満足して勝手に解散していくので黙認している。

 犬前さんはハエの一種になったわけでもなく、花のように散るわけでもないのだが、同じ日本人のはずなのに意思疎通が難しい。

 一番困るのは大人の自称犬好きの人で、こちらは日本語が通じているようで通じていない。

「あの、ドッグフード食べます?」と遠慮がちに聞いてくる人はまだマシな部類で、「肉球ありますか?」とか「尻尾はどうなっていますか?」とか、最悪は制服を脱いで全身を見せて欲しいという要望まであったが、どれもお断りした。

 どこの世界に仕事中に全裸になりたい人がいるんだろう。

 犬前さんは柴犬になったが元人間である。食事の好みは人間時代と大差なく、羞恥心もある。毛深くなっても耳が頭上に移動しても尻尾がはえても心は人間のままなのだ。

「犬好きに悪い人はいないでしょ?」と当たり前のように言われても、非常識な要求を突きつけるのは十分迷惑な人だろう。

 あと、注目されることが増えたので、悪いことができなくなった。

 ちょっと赤信号を無視して横断歩道を渡りたくなっても、ワンカップ大関を煽りながら帰りたくなっても、なんならコンビニに立ち寄ってアイスを買うことくらいでさえ、「犬だ」「犬だね」と周囲の注目を集めている以上、迂闊なことはできないのだ。

 人間だった時はどれも大丈夫だった。

 誰も中年のくたびれたおっさんなんて見ないから。

 もしかしたらそこらの道端で倒れても「自己責任だね」と言われて放置されたかもしれないくらいに存在感が薄かった。

 このあたりのことだけ、人間だった時のほうが良かったな、と思う。

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