犬前さん
犬前さんは犬である。
どこからどう見ても茶色の柴犬が警備員服を着ている立派な柴犬だ。おかしいのは大きさだけ。人間のLサイズが合う柴犬は犬前さんだけだ。特別感があっていい。
だが、もともと犬前さんは人間だった。
色々あって人間を辞めたくなったのだが、死にたくはなかった。
人間辞めたいな、と思い続けていたら、いつの間にか犬になっていた。
ある日突然の変化だったので、いるかいないかわからない神様が叶えてくれたのかもしれない。いや、もしかしたら自力で変化か進化したのかもしれない。
とにかく原因不明のまま犬になった。
茶色の柴犬という姿に絆されたのか、犬前さんは割とすんなり世の中に受け入れられた。
いやいや、お前ら全員おかしいだろ、と心の中で思いながら、犬前さんは自分に都合のいい現実を受け入れた。
だって、嫌われるよりは受け入れてもらったほうが嬉しいから。
そんなわけで、犬前さんは今日も明日も警備の仕事についている。
人間だった時からそうだったので違和感はない。
ただ、職場の人達は戸惑いを隠さなかった。
「犬が同僚とかおかしい」と言い出す人も半分くらいの割合でいたし、「犬と同じ給料なんて嫌だ」と叫んだ人もいた。
犬前さんとしては彼らの言い分に納得する面があったりなかったりで、特に異論は挟まなかった。自分が同じ状況になった時、取り乱さない自信がなかったから。
後で聞くところによると、尻尾がしょぼんとしていたらしい。
犬特有の鼻の良さで迷子を見つけたり、落とし物を探したりしているうちに、何となく有耶無耶になって同僚の枠に入れてもらった。ちょっと嬉しかった。
犬前さんが人間だった時の先輩になる伊崎さんが、「良い子だ。よくやった」と顔面をぐちゃぐちゃにしに来ることだけは憂鬱だったが、尻尾が揺れていたので受け入れられていると思われていたそうだ。
人間の時にはなかった現象だ。




