卵の国
『卵の国』は『鉄の国』と『魔法の国』のちょうど国境に位置する中立国家であり、その実態は両国に適切な人材を派遣するための育成施設である。
なぜこのような国が設立されたのかーーはるか昔の話である。
当時の『鉄の国』と『魔法の国』は大陸間でも類を見ないほど険悪であり、文字通り血みどろの紛争を繰り広げていた。両国を隔てる国境は月に一度は地形が変わり、もはや境の概念も曖昧化していた。
『鉄の国』の民たちは、扱う本人は非力な身にも関わらず、戦場の遠くから命を奪う魔法使いを嫌悪した。
『魔法の国』の民たちは、不潔不快で本能のままに動き回り、他人の領地に平気で踏み込む鉄の戦士たちを嫌悪した。
そんな血みどろの歴史を時の女王マリサ・メロバは悲しんだ。
『女王』は減り続ける両国の国民を、それを良しとする国家そのものを嫌悪した。
彼女はその奇跡により『鉄の国』と『魔法の国』の国王間に子供を作り、一夜のうちに国境の激戦区に都市を建築した。
その翌日、無人の玉座の間に到着した鉄の国の戦士たちは、目を疑うような光景を目にすることとなる。
――そこにあるのは、ただ一つの卵であった。色は淡白な白色で、何の変哲もなく、孵化を待つ亀が温めるように羽毛に包まれていた。
騒然となるその場に、マリサ・メロバは現れ、戦士たちにこう告げる。
『この卵から生まれし者こそ真の王。…平和と安寧の象徴であり、両国の絆を繋ぐもの』
それ以降、『鉄の国』と『魔法の国』の間で公的な戦争の記録は確認されていない。
…我らが待ち侘びる『卵の王』よ。
あなたの存在を待ちながら、我ら一丸となって励みましょう。
やがて君臨するあなたの玉座に傷がつかぬよう、ふさわしき兵となって守りましょう。
あなたが孵るその日まで。
我らが待ち侘びる『卵の王』よ...。
◇◇◇
その日も朝礼はいつも通り始まった。
鶏が泣き出すよりも前に公会堂に集められ、国家設立の歴史から、自分たちの存在意義を全員一緒になって朗読する。控えめに言って無駄な時間。
「眠い...」
俺が大きくあくびをすると、肩に手が回される。がっしりとしたその腕周りは見知った友人のものだった。
「よっ。今日は随分と眠そうじゃねえか」
「声がでかい...教官に聞こえるぞ」
声の主はセンと言った。
彼の声は本人の軽薄さが外に漏れだしたように重みがなく、風に乗って本意ではない場所まで届いてしまう。俺がいつものように諫めると、彼はにやけ面のままその刈り揃えられた頭部を指の先でガシガシと擦りながら言う。
ただし声のトーンは幾分小さく。
「メルル教官、どうにも虫の居所が悪そうだ。あと二十分はかかると踏んでいるが、どう思う?」
「…十五分ぐらいだろ。何が言いたいんだよ」
「抜け出そうぜ。今日は露店のかわいこちゃんがシフト出してんだ」
「…」
俺は鼻から溜まった空気を吐き出す。そんな事だろうと思っていた。こいつがこういう場面で話しかけてくるときは、決まって脱出の相談か、教官を更に怒らせるアイディアを思いついたという報告ぐらいなものだ。もう一度息を吐いて教官の方を見る。既に朗読のフェーズは所定の時間を大きく上回っており。一部の真面目奴を除いてほとんどは口パクか、つまらなそうに地面を眺めている。教官殿はそんな卵たちを見つけるたびに逆上し、連帯責任で読み上げる章が追加されていく。
俺はセンの顔を見て、ついで教官殿の顔を見る。見知った二人の顔を周回してみる。そして最後に周囲の死んだ顔の仲間たちを見て、決心を固める。答えは当然、ノーだ。理由は二つ。
一つ目はデメリットがデカすぎる事。もし逃げられたとしても俺はいつもより十分程度早く友人の下世話な趣味に付き合わされるのみであり、見えている地雷に近づく道理はない。俺はもう真冬の寒空の下鞭打ちなんてされたくない。わざわざそんな事の為にリスクを侵すものは終生の馬鹿に違いないだろう。
二つ目は俺の性分だ。先述の通り一部の不真面目なモノらは上手いことすり抜けようとしてまんまと地雷を踏み抜いており、まじめな連中は馬鹿を見ている。真面目で勤勉な俺は勿論バレないように口パクだ。こんな時間にまじめに取り組む奴も、逃げ出す奴も、三度死んでも同じ性分で生まれてくる面白みのない卵に相違ない。
以上の事から俺のような優秀な人間はそんな不良少年のいう事に聞く耳を持つはずもない。地雷を起爆させない一番の方法は、そこに近寄らない事であるし、それが見えているならなおさらだ。
公会堂の死角となった勝手口から這い出ながらそう思った。
俺は真面目で勤勉で優秀で馬鹿なのだ。
そういう側面も持っている。
という事にしておく。
「あー、肩こったぁ」
センが廊下に出るや否やそう言って伸びをする。別に公会堂から出たからと言って自由の身というわけではないし、朝礼に参加していない教官と鉢合わせすれば一発アウトであるのだが、彼には関係ないらしい。とはいえ俺もすっかり棒になった両足をプラプラと揺らす。肩回りをゴキゴキ鳴らす。そして二人で歩き出す。
木製の廊下が歩を進めるたびに音を鳴らした。普段なら周囲の喧騒で意識もしないその音も、こういう条件では一際耳に響いてくる。
「ばれない様にしないとな」センが言う。
「当たり前だろ」俺が言う。
特に曲がり角には警戒しつつ、無事廊下の端にたどり着いた。その行き止まりには大きな窓が取り付けられており、そこから外に飛び降りることが出来る。
高さにしておよそ20m。
俺達にしてみれば問題ない。
「よっと」
「はい、楽勝!」
「露店で飯でも買うか」
「そうだな。俺、せっかく露店が来てるなら肉が食いてえ!」
「いつも食ってんだろ…」
よだれを拭いながら笑うセンに思わず突っ込む俺である。芝生を踏み抜きながら一面緑の見晴らしのいい敷地を抜け、また20m程度の壁を登れば街に出られる。街と我らが『学堂』を隔てる直立の壁を上るのは下りるのと違って難儀ではあるが、俺達にしてみれば問題ない。傾斜でもあれば話は別だが。
「よし、登るか」
靴を脱いで裸足になる。
この直立の壁は『学堂』の設立以来ある壁であるので、その壁面にはかつての諸先輩方が残した決して小さくない傷がついている。そこに指をかけて行くというわけだ。授業カリキュラムにある『崖を背景とする高所に奇襲を仕掛ける訓練』において散々やらされた、崖のぼりの応用だ。
と、壁の中腹まで登り切ったその時。
「コラああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
「「!?」」
耳をつんざくような大絶叫。集中していた二人の体は、奇襲を受けた様に硬直してしまう。
そして太陽が真上にあった。
「あ、やべ」
自分の顛末を悟りながら重力に身を任せる。
太陽は嫌なくらいゆっくりと視界の中心から遠ざかり、やがて背中に鈍い衝撃。
受け身も取れず背中から落下した。流石に痛い。
「いててて…大丈夫か、セン」
「すいませんでしたぁ!」
「!?」
腰をさすりながら一緒に落下したセンを横目に見ると、その時には土下座の態勢をとっていた。少しでも処罰を軽くするためだ。この男、あまりにも誇りとかためらいとか足りていない。
そんなザマで『鉄の国』に行けるのだろうか…?
などと思いつつ、俺も早速地面に平伏しようと両手を着く。ことを丸く収める一番の方法は、相手の怒りが頂点に達する前にする、全力の謝罪。『怒髪天を突いた教官から再三喰らっているペナルティを軽減する手法』という僕らの人生という教科書に刻まれた特別カリキュラムにも書いてあるのだ。その復習だ。
「ちょっ、土下座すんな!プライドとかないのか、あんたたちは、もお!」
「ん?」
「この声は…」
頭上から掛けられる声に首をひねる。
なんか、声が思ったより高くないか?いや、一般的な女性は年を経るほど声が高くなると言われているのでそれ自体はおかしくないのだが、想像していた教官殿の慣れ親しんだ声とは何か違うというか。
やけにみずみずしいというか。
いっそ若々しいというか。
恐る恐る顔を上げる。
そこにはどうにも見知った顔があった。
そして二人して顔を見合わせ、ため息を吐く。
「なんだマリンじゃん」
「土下座して損したぜ」
「教官に行ってないよな?」
「チクったら絶交だぜ」
「はあ!?あんたたちはホンッとに…」
特徴的な赤髪を揺らしながらプルプルと拳を固める少女――マリン。
彼女は俺たちと同じ卵の一人で、『魔法の国』志望の同級生だ。最近では珍しくもなくなった戦士と魔法使いの国境婚により生まれたサラブレッドで、その肩まで伸ばした赤髪は母の、切れ長の力強い瞳は父の遺伝であるらしい。性格はあくまで規則の範囲で活発で、周りにもそれを強要したがる癖がある。
俺の中でのイメージは、柵の中で元気に動き回る牡鹿のような少女。
そんなマリンは「じゃあ」と片手をあげて壁のぼりの再チャレンジする俺たちの肩を強くつかむ。
「待ちなさいよ」
「いや」
「待ちなさいってば!教官、もうあんたたちがいないの気づいてかんっかんなんだから!早くいって謝んないと、またむち打ちで死にかけるわよ!?」
「まじかよ」
またしても二人して顔を見合わせる。センは短髪を手のひらでガシガシと擦り、何事か考えている。
俺も腕を組んで天を仰ぎ、どうするべきか考えている。
結論は出た。
十秒もかからなかった。
「ちなみに今土下座したらむち打ちは免れるのかな?」俺が言う。
「それは…難しいかもだけど」バツが悪そうにマリンが言う。
俺はパンと手を打つ。
そうとなれば打つ手は一つだ。
「どうせ罰があるんなら」
「今は逃げるしかあるめえよ」
「あ、あんたたち」
俺の言葉を引き継いで、ニヤッとセンが笑って見せる。その一連の流れを見て愕然と後ずさるマリンであった。
決まるや否や、俺たちはそろって壁を登り始める。先ほどよりほんの少し力を入れて、訓練でそうするように生ぬるく。
そも、マリンの話だと既に校舎内を教官殿が走り回っていて、ここだっていつ見つかるか分からない。マリンが素早く見つけてきたのは、俺たちの行動パターンを知っているからというだけの話だ。
どうせ地獄が待っているのなら、その前にたくさんの幸せを詰め込むのだ。それが俺たちの人生なのだ。
「もう!心配していってるのに!馬鹿!アホ!そんなんだから腐った有精卵なんていわれるのよ!もう庇ってあげないんだからあああああああああああああああああああ!」
足元よりもっと下からもう一人の学友の絶叫が聞こえてくる。彼女なら魔法で撃ち落とすことも出来るだろうに、それをせずに忠告だけするのが彼女らしい。友達でいる理由だ。
俺たちは長い長い壁を登り切り、ようやく見えた石畳の都市を駆けだした。




