女性を守るのが男だ
「大智ー!早く起きないと学校遅れるわよ!」
少しずつ世界に色が戻っていくのを感じながら、ぼんやりと目を開ける。寝起きの頭では状況をうまく認識できないが、ただ一つ──急がなければならないことだけは理解できた。
自室の扉を開けて階段を降りるうちに意識が覚醒していき、次第に自分の置かれた状況を理解する。背中にじっとりと嫌な汗が流れた。
「母さん、今何時!?」
今年一番の大声だったかもしれない。自分でも驚くほどの声量に母も目を丸くしたが、すぐに腕時計を見て答えた。
「もう八時二十分よ」
「なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよ!?」
「うるさいわねぇ。起きなかったあんたが悪いんでしょう?」
普段ほとんど動かない僕の表情筋が、今ほど動いた瞬間はないだろう。それほどまでに、僕の通う学校は遅刻に厳しいのだ。
「僕すぐ出るから朝食はいらない!」
「えぇ、せっかく作ったのに……」
母の声を背中に受けながら、僕は駆け出した。
ここまで全身で風を感じたのはいつ以来だろう。小学校低学年のかけっこが最後だったかもしれない──そんなことを考えていると、視界の端で何かがキラリと光った。
普段なら気にも留めないだろうが、なぜか今日は異様に気になる。
「どうせ遅刻は確定だし、ちょっと見てみるか」
短絡的な思考に任せて、僕は光が差した路地裏へ足を踏み入れた。
そしてすぐにそれを目にする。
あまりに非日常的すぎて、脳が理解を拒んだ。
刃物を持った男。涙目でこちらを見ている女性。
平凡な高校生が目にするべき光景ではないのは明らかだった。
足は震え、頭は「逃げろ」と叫んでいる。出口に顔を向けかけた、その瞬間。
「……助けて」
か細い声が耳に届いた。
かつて父は言った。──「女を守るのが男だ」と。
その言葉を思い出した途端、恐怖は霧散した。
まったく、この体質と父の教えのせいで、自分の命を落とすかもしれないというのに。
それでも身体は、ゆっくりと事件現場へ歩を進めていた。
刃物を振りかざして威嚇する男。
だが、もう僕に怖いものはない。
「僕の命に代えても、この女性は絶対に守る」
そう心に誓い、拳を振り抜いた。
──そして。
「あなたの勇姿、この目でずっと見届けていましたよ!」
気づけば、そこにいたのは金の髪をなびかせ、聞けば心震える天女の声を持つ、絶世の美女だった。