二話、夜空に月二つ
地面に落ちたコートを拾って、サアヤがボクの体を包みこむ。
「抱っこしたまま歩いてもいいかしら?」
布ごしに感じるサアヤの柔らかくて弾力のある腕の中は気持ちいい。断る理由なんて、これっぽっちもない。
「もちろんだよ」
「ふふふ! ありがとうニャーさんは温かいわね」
「うん! サアヤも温かいね」
嬉しそうに微笑んだサアヤに、ギュッと抱きしめられる。ボクも嬉しくなって身体をこすりつけた。
「ねぇ、ニャーさん」
「なぁに?」
歩くテンポに合わせてボクの身体は揺れる。
「私のお家にご招待したいのだけど来てくれるかしら?」
「いいの?」
「ニャーさんは私の命を助けてくれたわ。そして見ることは叶わないと思っていた世界の鮮やかで美しい色を私に見せてくれたわ」
潤んだようにキラキラ輝く緑の瞳に見つめられ、ボクは動くことなくサアヤを見上げる。
視線が絡み合う。
「だからニャーさんに家族に会って欲しいの」
夕焼けの赤と、そよそよ吹く風でサアヤの髪の毛が燃えるみたいに美しい。思わず見惚れてしまう。
「ダメかしら?」
「ダメなんかじゃない! ボクもサアヤの家族に会ってみたい!」
「良かったわ。きっとお母さまたちもニャーさんのことを気に入ってくれるはずだわ」
「だったらいいな」
沢山の色々な人間たちと出会って話がしてみたい。と思ってる。だからサアヤの家族に会って話ができると思うと、細い骨だけの尻尾が自然にユラユラ揺れてしまうほどに嬉しい。
「サアヤの家は近いの?」
「もう少しで着くはずよ。この先の坂を上がったところにあるわ」
崖下まで降りてしまっていたけど、サアヤには帰り道がしっかり分かってるみたいだ。きっと盲目だった分、方向感覚はもちろん他にも色々な感覚が優れてるんだと思う。
岩場を登り林を掻き分け、崖上まで戻ってくると、幸いサアヤを追い回していた魔物はいなくなっていた。
「こんなに沢山お外を歩いたのは初めてだわ」
少し息を切らせながらも、楽しそうに嬉しそうにサアヤがふわりと微笑む。
「うん! ボクも初めてだよ」
「ふふふ! 私たち初めてがいっぱいね!」
「そうだね! 凄くワクワクする!」
「そうね。とっても楽しいわ!」
しばらく歩くと陽が落ちて暗闇に包まれ虫たちがリィリィーと鳴きはじめた。木々の合間からは月明かりが差しこんでボクたちを照らす。見上げると、ぼんやりオレンジ色に仄かに光る月と、その隣に寄り添う巨大な淡く青に輝く岩の塊が浮かんでいる。
「サアヤ、アレはなぁに?」
「私も初めて見たけれど、あれはきっと浮遊大陸ルフトラーガだと思うわ。晴れた満月の夜にだけ見られると聞いたことがあるの」
サアヤは立ち止まって、ボクを頭の上に乗せると両手を空に向かって広げた。
「ルフトラーガは、もう一つの月と言われているわ。大きなダンジョンもあって、最上階にはとても美しい精霊四姉妹がいるそうよ」
「あそこにもダンジョンがあるんだね。精霊にも会ってみたい! もう一つの月、行ってみたいなぁ」
「そうね。私も行ってみたいわ。だってあんなにも美しく輝いているんですもの。きっと素敵なところなんだわ」
「じゃあ。一緒に行ってみようよ!」
「ふふふ。いいわね。お母さまに頼んでみようかしら」
再びサアヤはボクを腕の中に抱きしめて歩きだす。
サワサワ揺れる草の合間を通り抜けると、広い道に道に出た。
「見て! あの岬にあるのが私のお家よ」
サアヤの細い指の先を見ると、木で作られた家が一軒だけ建っていた。
「わぁ! 大きな家だね!」
「お父さまが村長だから、威厳? が必要だとか言って家を大きくしたと言っていたわ。それだけじゃないの。似合わないのに髭まで生やしてるのよ」
クスクス笑いながら話すサアヤは、家族のことがとても大切なんだろう。きっとボクにとっての、爺ちゃんみたいな感じだなんだと思う。
「そっか。爺ちゃんも偉いヤツは威厳があった方がいいって言ってた」
「ふふふ! そうね。でもお父さまは威厳とは程遠いのよ」
「どんな人なんだろ」
ワクワクが止まらなくなって更に尻尾を揺らすと、サアヤは「楽しみにしててね」と優しくボクの頭を撫でた。
家の前までくると、カーテンの隙間から光が揺らめき、人影が動いたのが見えた。次の瞬間、家のドアが勢いよく開き二人の人間がサアヤとボクに向かって走ってくる。
「サアヤ! 散歩に出ていったきり、なかなか帰ってこないから心配したのよ」
「無事で本当に良かった」
二人の人間はサアヤにかけよって「怪我は無い?」と震える指先で、サアヤの身体を触って無事を確かめる。
「お母さま、お父さま、心配かけてごめんなさい。怪我はないわ。この子。ニャーさんが助けてくれたの」
両の手のひらにボクを乗せ、二人の人間……サアヤの母さんと父さんに見せる。
「まぁ! サアヤの命の恩人なのですね」
「それにね。ニャーさんのおかげで、お母さまとお父さまのお顔も見えるようになったのよ!」
サアヤはボクを再び、ギュッと抱きしめて頬を寄せる。
「それは本当なの!?」
「サアヤ、お前! オレたちが見えるのか!」
「はい。お母さまの赤い髪も緑の目も、お父さまの茶色の髪も青い目もモジャモジャなお髭も、しっかり見えてますわ」
「まるで奇跡のようだわ」
「まるでではない。まさに奇跡だ!」
母さんは微笑みながらも涙ぐみ、父さんは何度も頷きにじんだ涙を誤魔化すように太い指で髭を撫でる。
「クシュン……」
くきゅゅるるぅ〜……
と、その時サアヤのくしゃみと、ボクのお腹の虫が同時に鳴いた。
「あら、あらあら、風邪をひいてしまいますわね」
「そうだな。腹も減っただろ。家に入ろう」
父さんが家のドアを開けて、母さんがサアヤの肩を抱いて室内へ入る。
「ようこそ、我が家へ」
「いらっしゃい小さなお客様」
ボクは初めて入った人間たちの家に興味深々で、サアヤの腕の中から首を伸ばして周りを見回す。広めの玄関はツヤツヤの白い石が敷きつめられ、少しの段差を上がると深緑の絨毯の廊下が奥へと続く。
「ニャーさん、ここが私のお家よ。気に入ってくれたら嬉しいわ」
窓からの月明かりの中、廊下を中ほどまで歩いた先のドアを、サアヤが開く。
部屋に入ると、暖炉の柔らかな炎がパチパチ音をたてながら揺らめいて暖かい。家具はツヤツヤに磨かれた焦茶色で、見上げると魔法石がオレンジ色の光を放って室内を明るく照らしてる。居心地がとても良さそうだ。
「凄く素敵な家だね」
「ふふふ! そうでしょう!」
サアヤは、ふわりと微笑んでボクを暖炉の前に降ろす。ボクの体が埋もれるほどの毛足の長い緑色の絨毯は、ふかふかで手触りもいいし暖炉の熱があたって、ぽかぽかと熱が伝わる。
「サアヤもニャーさんも、まずは湯浴みをしてらっしゃい。その間にご飯の用意をしておくわね」
「分かったわ。あ、あのね、お母さま」
走りよって「お洋服をもう一人分お願いしますわ」と小声で伝えるのが聞こえて、母さんが答えかわりに微笑んだのが見えた。
「今日は新鮮な鶏肉が手に入ったから豪華だぞ」
「お父さま楽しみにしているわ。さぁ、ニャーさん湯殿に行きましょう」
「うん」