第6項4節 月明星稀、烏鵲南飛
――9月23日、未明。
3日前の夜にトイル城を出陣したグングニルの軍勢700は、ようやくロンディニウムに到達した。
しかし、すぐに突入ではなく、郊外の森にひとまず入って作戦会議を行っている。
「レイモンド、市中の様子はどうだ」
「はっ、市中に放った密偵の報告によれば、ロンディニウム駐屯軍は全く動く気配を見せていません」
「よし、こちらの動向は察知されていないようだな。」
「おそらく」
よし、と呟く。
「先陣は伍長の軍勢が切ってくれ。それに続いて一番隊、二番隊、三番隊と突入、そして最後に俺の手勢が入る。」
「了解した」
「わかったぜ!」
「承知しました」
「行きましょう」
「あ、それと――絶対に狼藉は働くな。もしこれを無視して狼藉を働いたものはどのような理由であれ斬る、と厳しく伝えておくように」
「はっ」
………………
ロンディニウムは、何度も述べているとおり、ガイウス湖北岸にある港町である。
しかし、アゾレス家もガイウスも、この町に城壁を建造しなかった。
ロンディニウムは取るに足らない都市だったからである。
……もっとも、現在はその見方も変わってきて、アゾレスが城壁を築こうとしていたが、それも戦乱で工事が止まり、西側の一部のみにしか建造されていない。
そのためロンディニウムは東と西、そして北のどこからでも侵入することができる。
今回副長直属部隊が突入するのは、北側方面である。
しかし、それに対してガイウスの駐屯地は市街地の東にあるため、接敵にはそれなりに時間がかかるのであった。
「――しくじったな。東の敵駐屯地を先に潰しておくべきだった」
と、ヴェルトは呟く。
「レイモンドの一番隊とディアスの二番隊に、市内の制圧は任せる、我々は敵の駐屯地を制圧しに向かうと伝えてくれ」
「はっ!」
「行くぞ」
ヴェルトをはじめとする部隊は馬を走らせた。
………………
「ヴィル」
真夜中だというのに、サラがヴィルを揺り起こした。
「ん……?サラ、どうした……?」
と、ヴィルは目を擦るが、すぐに市中の騒ぎが耳に入ってきたようで、目を覚ました。
「何の騒ぎだ?」
「ジークが、来た」
それだけ聞くと、ヴィルは黙った。
そして、黙々とチェインメイルを着込み、月白のサーコートを羽織り、そして壁に掛けてあった"ハボリム"を手に取った。
「……じゃあ、行こう、サラ」
「うん」
サラも、白縹のサーコートを羽織り、剣を手に取る。
そうして、2人は家を飛び出した。
………………
――ヴィルたちの家は、比較的湖に近い南側の地区にあった。
グングニルの侵入してきたのは北側。
「ジークのいる本陣は、おそらくガイウス湖を一望できる北の丘の方だろう」
「もしかしたら、東の駐屯地の方かも」
「その可能性はあるな」
と、2人が話していると、それまで雲に隠れていた月が、ロンディニウムを照らした。
「………………サラ」
ヴィルは、呆然と、サラの名を呼んだ。
その目は、道の向こうを捉えている。
「ヴィル――?」
サラも、その目の方向を見た。
――メイド服の女の影が、月明かりに照らされている。
「メイド服……」
思い当たるのは、一人だけ。
「バーナード公の時の――」
と、言い終わる前に、その女は飛び込んできた。
ヴィルはチッ、と舌打ちして、"ハボリム"を抜き払う。
サラもそれに続く。
メイドの女は、構えているヴィルのハボリムを靴で蹴った。
「――?!」
女の靴には、おそらく鉄板か何かを仕込んでいる。
いや、そもそも靴自体が金属――?
と、一瞬考えた、その瞬間。
女のスカートの裾から、ナイフが飛び出てきた。
「うっ――?!」
反射的に仰け反る。
しかし、ナイフはヴィルの顔ではなく、中腹部を捉えている。
死ッ――
が、そのナイフはサラの細身の剣によって弾き落とされた。
ヴィルは即座に回避から反撃に切り替えて、浮いたままになっていた剣を女に振り下ろす。
しかし、女はそれを飛び退ける。
「助かったよ、サラ」
「……鈍ってるみたいね、ヴィル」
「だな」
と、ヴィルは構え直す。
女は、ナイフを逆手に持ち直して再び飛び込んでくる。
ガキン、と金属音が響く。
火花が散る。
と、サラが女を突く。
しかし、女はバク宙をして逆にヴィルの後ろに回る。
「なるほど、そういうのもあるのか……!」
女はヴィルの背中にナイフを刺そうとするが、ヴィルは回し蹴りをして女を弾き飛ばす。
女は、横腹を抑えている。
ヴィルは、その様子を見て、女に声をかけた。
「……なあ、あんた」
「ヴィル」
サラの声が、珍しく驚きを含んでいる。
しかし、ヴィルはそれを無視して話す。
「あんた、セオドア公の手の者だろう?」
しかし、女の返事は当然ない。
「これは提案なんだが――」
「見逃してくれないか」
サラがヴィルの顔を見る。
目は少し見開かれている。
「ヴィル、何を――」
「俺たちは、ジークを殺したい。あんたとしても、ジークが死ねば好都合だろう?」
女は、黙っている。
「だから、ここは目を瞑ってくれないか」
しばしの間、お互いに沈黙が流れた。
「…………できない」
と、沈黙を破ったのは、女だった。
「――君、しゃべれたのか」
ヴィルは意外だ、という顔をするが、女はナイフを構えてヴィルに飛び込んでくる。
夜の闇の中に、金属音だけが響く。
と、月が雲の隙間に隠れた。
月光がないので、相手が見えにくい。
コツコツ、という女のヒールの音だけを頼りに、女の斬撃を防いでいく。
と、不意にヴィルが後ろに数歩吹き飛ばされた。
「ヴィル?!」
サラがヴィルのいるであろう方に走っていく。
が、背後から女の足音が聞こえる。
「――ッ」
振り向いて、直感のままに突きを繰り出す。
ガキン、と細身の剣とナイフがぶつかり合う。
サラは、片手間に女と剣を交えながら、背後のヴィルに声をかける。
「ヴィル、大丈夫?」
「ああ、蹴りをもろに喰らっただけだ」
――と、その時。
2人と女が戦っていた通りに、グングニル兵がやって来た。
「……ん?あそこに誰かいないか?」
「言われてみれば、誰かが戦ってるみたいですね」
という声が聞こえてきたので、ヴィルは舌打ちする。
「――なあ、あんた、今夜はこれで手を打とう。流石にグングニルの大軍勢と戦いたくはないだろ?」
ヴィルの声は少し焦りの混じったものだった。
「……」
暗闇の中の女の返事はなかったものの、それ以上彼女がかかってくることはなかった。
「行ったか……?」
ヴィルが呟く。
すると、彼の後ろにグングニルの兵が近づいてきた。
「なあ、あんた、大丈夫か――」
ヴィルは、その言葉の言い終わる前に、振り返って彼の胴を一閃した。
「……?」
"ハボリム"の斬撃は、チェインメイルを切り裂いて、彼の胴体を上と下に泣き別れにさせた。
「な――伍長――」
その兵の後ろを見ると、あとの仲間が4人いた。
「……なるほど、五人組か」
変わらんな、とヴィルは呟く。
そして、一歩、また一歩と彼らに歩み寄る。
「ひ――来るな――」
ヴィルは、見下すような視線を、彼らに浴びせる。
そして、一人、二人、三人、四人、と瞬きをする間にすべて斬り伏せてしまった。
「……サラ、お前は東地区から北の丘に向かってくれ」
「東……」
「ああ。おそらく東のガイウス軍は既に敗走している。なら、東側の軍は追撃に出ているはずだ」
「手薄な方に行け、と?」
「ああ。そっちのほうが確実だ」
「ヴィルは?」
「俺は、敢えてみんなと会ってくるよ」
「……わかった」
「……じゃあ、また後で」
「うん」
サラは、東の地区へ走っていく。
ヴィルは、そのまままっすぐに北の丘へと歩いていった――




