第1節7項 市中
――その朝、兵舎は不気味なほどの静寂に包まれていた。
リドニアとヴィルと共に朝の散歩から帰ってきたジークがヴェルトに聞く。
「なぁ伍長、なんか今日はやけに静かだけどどうしたんだ?」
ヴェルトは視線を一瞬落としたあとで、答える。
「――さあな」
「……」
「……」
リドニアはヴェルトの顔を見て視線を落とす。
サラは無表情で例の(子供向けの)ジュースを飲んでいる。
「……?」
ジークとヴィルだけが顔を見合わせた。
………………
――さて、ジークとリドニアとヴェルトは今日、市に出てきていた。
「いやあ、ごめん二人とも。仕事あったろうに」
「いや、良い。お前がナマクラを掴まされないかどうかが心配だからな」
「……俺、そんなに騙されやすそうに見えるか?」
「うーん、騙されやすそうとは思わないけど、行動から田舎者だとバレて、ふっかけられたりしそうではあるね。……それを騙されるっていうのかな?」
「辛辣だな……」
――などと言いつつ、一行はオルギンの「武器商通り」にやってきた。
………………
「武器商通り」は書いて字のごとく、武器屋が集中している通りのことである。
地味な場所ではあるが、かなり上質な武器が多いため、隠れた名所らしい。
ちなみに、ヴェルトによると「防具通り」もあるという。
――なぜそれほどまでに武器屋や防具屋が集中しているのか。
それはオルギンの街の形成・発展に大きく関わる。
そもそも、オルギンはジグラトにおいて金属器の製造が始まった場所だと言われている。
そして都市国家オルギンは青銅の力で一時期東ジグラトを席巻した。
海を渡ってきた異民族ファブニルが鉄の製法を持ち込んだ後はそのアドバンテージを失ったものの、製鉄技術を修得し、それにより現在まで栄え、そして鉄が有るために鍛冶職人が集まり、武器・防具の製造も盛んになったのである。
――「オールト叙事詩」ジグラト地理誌より――
………………
――さて、ヴェルトによると、武器商通りには中小様々な武器屋が店を出しているが、その中でも最大規模の店にまず見に行く、ということだった。
石畳を歩く。
王都もそうだったが石畳というものがどうにも田舎暮らしだったジークには新鮮で、一方でどうにも慣れなくもある。
街道の通る主要都市は大体石畳が敷かれていると聞いてそれはもう驚きを持ったものである。
「――ジーク、着いたぞ」
――その建物は大きかった。
オルギンでは珍しい、石材を用いた建築である。
そして入り口の上には大きな看板があった。
「……"サイモン"?」
「ああ。ここがジグラト最大の武器屋、"サイモン"だ。ヴィルの例の名剣みたいな業物ではない限りほぼ何でもある」
「ほう」
「さ、行くぞ。時間があまり無い」
………………
建物の中はまるで貴族の邸宅のような(見たことはないが)絢爛さで、床は大理石、壁は白亜の石で造られている。
従業員は十数人はいるらしく、店内を巡回している。
そしてその壁には剣、槍、斧、槌などが掛けてあり、いかにも武器屋らしい内装ではあった。
あまりの取り揃えの多さに剣ばかりのコーナーなど、武器種ごとに場所が分けられていて、そして武器だけでなくチェーンメイルやサーコートなど防具も揃えているようだった。
店の運営方法などを考えても、現代で言えば、スポーツ用品店のようなものなのかもしれない。
「……そういえば、お前はどういう武器が欲しいんだ?」
「あー……いや、決めてなかった」
「なんたる無計画……とりあえず要望を挙げてみろ」
「うーん、まあ特にこだわりはないけど……その
ヴェルトが持ってるやつみたいなのが良いな」
「俺のか?ジーク、お目が高いな」
と、ヴェルトは腰の剣を手に取って見せる。
その剣は品格は流石にヴィルの"ハボリム"には劣るものの、そこらの量産型とは違いそれなりに値が張る業物のようである。
「まぁ、けどこれは残念ながらここにはないだろうよ。」
「やっぱり職人に依頼して鍛えてもらったのか?」
「ああ。これは俺が騎士に叙任された時の物でな」
「騎士に……」
「僕のは親から贈られたやつだけど、なんだかすごい宝剣らしいよ」
と、リドニアのそれを見ると、もはや鞘から豪華な宝剣である。
「……」
ジークはもはや随伴の人たちが参考にならないと悟り、黙って剣のコーナーを眺めはじめた。
そして素朴な、一般的なショートソードを買う。
「それだけでいいのか?盾とかいらないのか?盾便利だぞ?」
「いや、いいよ。」
「そうか……」
どうやら盾持ちの仲間を増やしたかったらしいヴェルトはあからさまに落胆する様子だったが、ジークはそれを無視してカウンターに向かった。
………………
その帰りに、ヴェルト一行はあるところへ向かっていた。
たどり着いた先は、武器商通りの隅にポツンとある小さな工房だった。
「ここは……?」
「まあ、入ればわかるよ」
――と、中に入ると、中年の、いかにも職人らしい、顔が浅黒い顔つきの男がこちらを向いた。
「いらっしゃい!――なんだ、ヴェルトさんじゃないですか!」
「ウィンターさん、ご無沙汰してます」
「ウィンター……?」
「ほら、サラのお父さんだよ」
「……!!」
と、サラの父は視線をヴェルトからジークに移した。
「ヴェルトさん、この青年は?」
「ああ、うちの隊に新しく入った新入りのジークです。サラさんとも良好にやってますよ」
「ああ、そうでしたか!ジークくん、うちの娘をよろしく」
「あ、はい」
――と、サラ父とヴェルトたちは小一時間談笑をした。
どうやら先ほど言っていたヴェルトの業物は彼の作で、その時の縁でサラを登用してもらえたということらしい。
「平民から兵士へだなんて恐れ多いことでしたけれど、召し抱えてくださったのが人格者で有名なバーナード公とヴェルトさんで幸運でした」
「いやいや、娘さんの実力が高かったからですよ。彼女の実力は一人で王国騎士団員十名に匹敵するほどです」
「いやはや、ご謙遜を」
と、話を聞きながら、ジークは改めて我々の置かれている厚遇について意識する。
ヴェルトは平民だとか農奴であるとかに関わらず(本人は人数不足を誤魔化すためのかさ増しに過ぎないと言っていたが)実力のある者を召し抱え、貴族のリドニアとなんら変わらない待遇をしている。
もちろん他の人の下ではそうも行かないだろう。
訳アリの者たちがヴェルトの下に多くいるのは、ヴェルトなりの配慮なのかもしれない。
「――ではウィンターさん、またお会いしましょう」
「はい。娘をどうか宜しくお願いします」
「もちろんですよ」
小一時間の後で、ヴェルトたちはその場を後にすることにした。
………………
――一方で、ジグラト軍兵舎の中庭――
ヴィルとサラはヴェルトたちが外に出ている間にここまで5回の模擬戦を行なっていた。
ここまでの戦績はヴィルが3回、サラが2回勝利している。
周囲の兵たちはもはや自分たちの稽古を止めて2人の模擬戦に見入っていた。
「――じゃあ、行こうか」
「……」
サラは何も言わず、しかしヴィルに対して木剣を構える。
――ヴィルが芝生を蹴る。
初撃は下から右の脇腹目がけた斬り上げ。
ひらりと躱す。
このような軽快な動きはやはり軽歩兵ならではのものであろう。
追撃する。
が、刹那、サラが剣を横薙ぎに切り払う。
しゃがむ。
が、サラはそれを見逃さず、すぐさま突く。
転がって避ける。
彼が立ち上がった瞬間、剣が眉間めがけて突きつけられるが、即座に払って逆に脇腹を突く。
が、側転で躱される。
――側転などはいくら軽歩兵といえどもやすやすと出来る技ではないので、流石にサラの鍛錬によるものなのだろう。
それなりに重たい鎧を纏っているというのに、なんと敏捷な事なのだろう、とヴィルはもはや感心していた。
――しかし、これを見ている他の兵士たちが注視していたのは敏捷性などではない。
ならばどこを――
それは、両者の圧倒的な「基礎力」の高さである。
もっと具体的な例を挙げれば、両者体勢が崩れてからの立ち直りが早く、そして次の斬撃を繰り出すのが素早い。
もちろんその斬撃も一撃で並の兵を昏倒させうる威力がある。持っているものが木剣でなくて真剣であれば当然絶命するであろう。
並の兵士はこれができない。
次の技を繰り出そうにも装備の重さ、体力の問題、そして集中力の低下がそれを妨害してくるし、そもそもあのレベルの素早さ、威力の剣撃を幾度となく防ぐのは難しいだろう。
だから、彼らの驚異的な身体性に関してはさほど関心がなく、その基礎力にこそ注視するのだ。
――基本的に、ヴィルやサラたちの戦闘スタイルとして、軽装備で身軽に動き、斬撃を耐えるのではなく回避し、そして攻撃は一撃離脱戦法に重きを置いている。
………………
――模擬戦は、一撃一撃が――真剣ならば――どこに喰らっても致命傷となりかねない威力を持つヴィルがリードしている。
ヴィルが斬撃を主体とする攻撃に対して、サラは刺突を主体として攻撃し、ヴィルが積極的に攻撃するのに対して、サラは受けて流して逆転の一手を繰り出すのを狙っている。
――サラの腹にヴィルの斬撃が入る。
サラは腹を抑えて後ずさりする。
が、浅いと見て追撃する。
しかし、これは罠だった。
サラはヴィルが好機と大きく剣を振りかぶった瞬間に剣を繰り出す。
――剣がヴィルの左脇腹に当たった感触がした。
「しまっ――」
が、身を翻そうにも足は既に踏み込んでいる。
ヴィルは細身の木剣に胴を斬り落とされてしまった。
「――」
ヴィルは敗北を悟って膝をつく。
周囲の兵たちから歓声が上がる。
ヴィルとサラは引き分けに終わった。