第5節8項 老翁
――ロードス、ファブニル軍陣営――
ブランデンブルク卿は、丘の上から日の出を見ていた。
すると、オリヴァーがやってきた。
「卿、早起きですな」
「ほほ、歳を取ると早くに目が覚めてかなわんのです」
「しかし、こうして美しい日の出を見られるのは良いことではありませんか」
「いやいや、眠りが浅くなるのはなかなか不愉快ですぞ?」
などと、ブランデンブルク卿は笑って見せる。
と、2人は西南の方角からこちらに近づいてくる軍団に気がついた。
「あれは――?」
「……トイルからの軍?いや、そんなまさか、あの惨敗から立て直したとでも――」
すると、2人のもとに兵士が走ってきた。
「急報です!こちらに接近する軍勢が――」
「そんなものは見ればわかる!問題は、あれが何者かだ」
「トイルから出陣してきたグングニルの軍勢です!総数は350と推定されます!」
「350……」
オリヴァーは、頭を殴られるような衝撃を受けた。
先の戦闘で我々は100近い首級を挙げたというのに、まだ補充が効いたとは。
我々はもしや、殺しても殺しても湧いて出てくる化け物と戦っているのではあるまいか。
「ブランデンブルク卿――」
歴戦の老人の方を向いた。
卿も、難しげな顔をしていた。
「……これは不利ですな。ラズまで退きましょう」
「はっ。全軍に指示して参ります」
「それと、退路には少しの伏兵を仕込んでおいてくだされ。それで敵に警戒させて追撃を阻止します」
「はっ」
………………
――進軍中のトイル方面軍――
馬に乗って進軍しているヴェルトのところに、シュナイダーがやってきた。
「副長殿、早馬からの報せが。敵が後退を開始したそうです」
「後退……?」
「はい。おそらくは撤退でしょうな。追撃なさりますか?」
後退。追撃。
前回はそれで敵の伏兵に両翼が潰された。
「……いや、深追いすることはない。我々はファブニル軍が陣を置いていたところに着陣して様子を見るぞ」
「承知しました。」
と、シュナイダーは列の先頭の方に馬を走らせていく。
これが撤退の動きで、大した待ち伏せがないのはおそらく間違いないのだが、この先はシュナイダーが伏兵に遭ったロードス回廊。
我々に土地勘がない以上、むやみに深追いすべきではないだろう。
………………
――ブランデンブルク卿――
この老人の本名は、アルヴィン・ブランデンブルクという。
余談だが、彼の孫もアルヴィンという。しかしながらこの戦争で戦死してしまった。
ノーザンブルクでジークが殺害した、アルヴィンという騎士こそが、彼の孫である。
彼のルーツについては、ファブニルの将軍ですら多くを知らない。
ブランデンブルクという姓がジグラトに無いものなので、外来人であろうということしかわからないのだ。
……彼はジグラトから遥か東、オルビス大陸で生誕した。
しかし、彼の生まれたのはかつては大陸に覇を唱えていたオルビス帝国の末期の国境地帯であった。
もはや軍は機能せず、国境を越えて騎馬民族が国内に侵入し、略奪を繰り返す。
彼は自衛のために義勇軍を結成し、騎馬民族を追い返して地域を守っていた。
しかし、最終的に、内乱によって帝国は崩壊し、その上彼は暫定政府によって反乱分子扱いされてしまった。
彼は憤り、かつての敵だった騎馬民族を従属させて暫定政府と戦をし、オルビス大陸中を荒らし回った。
そうして、手がつけられなくなった彼に対して暫定政府は彼に「ブランデンブルク伯」の爵位を与え懐柔したのである。
――しかし、それで終わりではなかった。
暫定政府は、数年で崩壊したのである。
反乱軍のリーダーでオルビス帝国の皇室の末裔だったシャルルは皇帝に即位すると同時に暫定政府に与して反乱軍に抵抗したものに指名手配を出した。
失職した挙げ句にまともな仕事につけなくなった"ブランデンブルク卿"は、仕方なくジグラトへ亡命し、大陸の紛争が伝わっていないファブニルに根を下ろしたのである。
………………
――ロードス回廊――
ブランデンブルク卿をはじめとしたファブニル軍は、山あいの細い道――回廊と、呼ばれている場所――に、差し掛かっていた。
「ブランデンブルク卿、あと少しで回廊を抜けます」
「しかし焦りは禁物ですぞオリヴァー殿」
「はっ」
と、その瞬間。
草むらから、ブランデンブルク卿の馬に向けてナイフが飛んできた。
卿は避けようとするものの、ナイフは馬の脚に直撃し、卿は転がり落ちた。
「ブランデンブルク卿!」
オリヴァーが駆け寄ってくる。
ブランデンブルク卿は立ち上がって、やれやれ、と衣に付いた土を払う。
「オリヴァー殿、刺客ですぞ。」
「なんと……皆、周囲を警戒しろ!」
と、ブランデンブルク卿が携帯していた杖をついて歩き出したその時。
再び草むらからナイフが飛んできた。
次は、的確に卿を、背後から捉えている。
――しかし。
そのナイフは、杖に弾き飛ばされた。
「……ほっほ、同じやり口が二度通じるとでも?このアルヴィン・ブランデンブルク、そこまで老いてはおりませんぞ」
と、卿はどこにともなく言う。
すると、草むらからメイド服の、無表情な女――ゾーイ――が現れ出てきた。
「ふむ、女の刺客、ですかな……大陸には白昼堂々と暗殺を仕掛けてくる女の刺客はいませんでしたから、あなたは立派ですな」
「……」
ほっほ、と卿は笑う。
ファブニル兵たちが、メイド服の女を取り囲む。
「皆、手出しは無用。――さぁ、どこからでも来なされ」
すると、ゾーイはスカートの中からナイフを取り出して、卿の心臓目掛けて飛び込んでくる。
「ふむ、少々下品なことをなさりますな」
しかし、相手の間合いに入った瞬間にただならぬ殺気を感じて、ゾーイは本能的に横に飛ぶ。
杖の中に仕込まれていた剣が、寸前まで彼女のいたところを斬る。
「ほう、これの仕掛けを見破ったのは大したものですな。大したことのない者はここで終わるのですよ」
「……」
卿は仕込み杖の鞘を左手に持って、鞘と剣を互いに下段に構える。
ゾーイは再び飛び込む。
相手の剣の斬撃をナイフで受けて、蹴りを入れる。
しかし、老人は蹴りを避け、左手の鞘でカウンターを繰り出す。
ゾーイは上に跳んで、そして鞘を蹴ってバク転する。
「ほほう、どうやらあなたは軽業師でもあるようだ」
と、老人は笑う。
ゾーイはその笑顔目掛けてナイフを放つ。
払い落とされる。
が、同時に投げたもう一つのナイフが腹を狙う。
「むん」
老人はナイフを鞘で受ける。
すると、鞘にナイフが綺麗に刺さっている。
「おやおや、これでは鞘を新調せねばなりませんな。……ナイフはお返しします、このナイフ、それなりに値が張るようですし」
と、老人はゾーイのナイフを投げて寄越す。
ゾーイはそのナイフをキャッチする。
「お嬢さん、諦めたらいかがです?こんな年寄り、放っておいてもあと数年で死にますぞ?」
「……」
ゾーイは、構わず無表情で再び飛び込んでくる。
「ふむ、それが答え、ですか。剣で会話とは風流だ。さすが、水都の生まれですな」
ゾーイの攻撃が一瞬止まる。
「おや図星で?となれば、あなたはガイウスのセオドア殿の手の者でしたか。」
「……」
ゾーイは攻撃を止めて後ろに飛び距離を取った。
「ほっほ、剣で会話をするのでしょう?そう離れては声も聞こえぬというもの。さあ、来なされ」
――と、その時。
回廊の出口の方から、喚声が聞こえてきた。
「オリヴァー殿、何事か」
「邪竜騎士団と交戦していたはずのグングニルの軍勢が、回廊出口から現れました!」
「…………なんと」
ブランデンブルク卿は、ゾーイとオリヴァーを交互に見て、そして言った。
「……オリヴァー殿、私を置いて行きなさい。今なら包囲はまだ緩いでしょう」
「しかし、ブランデンブルク卿は――」
「いいのです、年寄りはいつか死にますから」
と、ブランデンブルク卿は笑う。
オリヴァーは、下唇を噛んで、そして絞り出すように叫んだ。
「今から敵の包囲を脱する!全軍、突撃せよ!」
すると、その号令で、凄まじい速度の軍勢が走り去っていく。
その中に、ブランデンブルク翁と、ゾーイだけが取り残された。
「……さあ、戦るとしましょう」
ゾーイは黙ってナイフを構え、老人に飛び込んでいく。
老人は右手に構えた剣でナイフを受け、左手の鞘でゾーイを狙う。
しかし、すんでで避けられる。
何度も剣とナイフが斬り結ぶ。
しかし拮抗状態はいつまでも続くものではない。
ゾーイは、鞘が自分の脇腹を狙ってくるその瞬間にナイフでそれを打ち落とし、左手を蹴って鞘を飛ばした。
「……!」
ブランデンブルク翁は、後ろに何歩か飛び退き右手に持っていた剣を両手に構えて、ゾーイの最後の飛び込みを待った。
ゾーイは右と左にナイフをそれぞれ逆手に持った。
――飛び込んでくる。
右のナイフの攻撃は受けた。
しかし、左のナイフの攻撃は躱しきれず、鎖骨に深々とナイフが刺さった。
「ぐっ……これまでの、ようですな……」
翁は、膝をついた。
「ふふ、やはり歳など取るものじゃあないらしい……」
と、口角を少し上げた翁だったが、しかし、笑顔は次第に消えていった。
――そうして、翁は力無く、最後の声を絞り出す。
「俺はただ、故郷を守っているだけで良かったのになあ――」
翁の首がうなだれる。
ゾーイは、彼の命の尽きたのを見て、その首を掻き斬った。




