第1節6項 模擬戦
「おーい、リドニア。交代だ」
「あ、了解です」
と、ヴェルトが部屋に帰ってきて、交代でリドニアが出ていったのは、第9時を過ぎた頃であった。
日は傾きつつある。
――そういえば、面白い話を聞いた。
リドニアは、その姓をニブルスという。
ニブルスという姓は、北のニブルス高原の領主、ニブルス伯爵家のみが名乗っていい姓なので、それを不思議に思ったジークが尋ねたところ、なんと彼はそのニブルス伯爵の子息だと言う。
なんでも、故あって両親の反対を振り切り、軍に志願したというのだ。
ジークは、貴族の位にいながら兵士として戦おうとするリドニアに、尊敬の念を持った。
………………
――ジークとヴィル、ヴェルトは談笑をしている。
サラはというと、ヴィルの剣を分捕って隅から隅まで観察していた。
聞けば、サラはオルギンの鍛冶屋の娘らしく、やはり名剣などの類いに興味が少なからずあるらしい。
ヴィルは己の剣が名剣"ハボリム"だと告げた瞬間に目にも止まらぬ速さで奪い取られてしまったので、この麗人はかなりの腕の剣士だな、と確信したまである。
――サラは、鍛冶屋である父親が昔騎士を志していていたが、その夢は叶わなず、その代わりに娘を騎士にすべく鍛え上げ、そして店の客だったヴェルトやら騎士団幹部やらと親しくなり、半ばコネ――と呼ぶと少し外聞が悪いのだが――のような形で軍に入ったらしい。
しかし、コネなどと先ほどは述べたもののその実力は確かなものらしく、ヴェルトが賞賛していた。
「――サラは王国軍最強の兵だ。俺でも太刀打ちできん。」
「そうは見えないけどな……」
「俺も最初はそうだったよ。しかしこれが強くてな。――そういえばヴィル、話は変わるが、お前リードさんに鍛錬とかつけてもらったのか?」
「いや、父上にはあまり」
「?じゃあどうやって鍛錬を?」
「それはジークと毎日木の棒で」
「ふうん。じゃあお前ら2人とも強いのか?」
「それはもちろん――」
「――いや、俺が圧倒的に強い」
ジークが言い終わる前にヴィルが言葉を被せてきたので、ジークはチッ、と舌打ちする。
いや、ジークとヴィルでは圧倒的な力量差が存在するのは事実ではあるのだが――
「そんなに強いなら、ちょっと腕試しでもするか?」
「え?どこで?」
「中庭だよ」
と、ヴェルトは窓の外の中庭を親指で指す。
………………
――ジーク、ヴィル、ヴェルトの3人――と、あとサラは、中庭にいた。
中庭は芝生が貼られていて、4人以外にも何組かの兵たちが訓練に励んでいた。
ヴェルトは人数分の木剣を持ってきてそれぞれに渡す。
「……あ、私専用のやつあるからいらない」
「そうか、わかった」
と、サラは普通の剣よりも細く軽い剣を持ってきた。
なんでもサラが自分の剣を模して自分で彫ったものだそうだ。
どうやら姫様は手元も器用らしい。
「一応保護用でチェーンメイルとサーコートを着て……よし、これで準備完了だ」
ヴェルトは先ほどの勝色のサーコートを着て、フード部分を脱ぐ。
サラは白縹のサーコートで、同じくフードを脱ぐ。
ちなみに、ヴィルは月白のサーコート、ジークは倉庫にあった備品のうち、最近仕入れたらしい新品の水色のサーコートを持ってきて羽織る。
――こうするとかなり騎士らしく見える。
一つ、違う点があるとすれば、ヴェルト以外は盾を持たないことであろう。
「……盾、いらないのか?」
「いや、使い方がよくわからないし要らないよ」
「そうか……ま、良いんだが」
と、ヴェルトは構える。
「さ、誰からでも良いぞ。かかってこい」
「……じゃあ、まず俺が」
と、ジークが進み出る。
「よし。じゃあサラ、審判頼む」
「ん……」
両者は向き合い、サラがその中点に立つ。
「……始め」
と、ジークがヴェルトに向かって走り出す。
――ジークやヴィルは剣術を知らない。
彼らがやっているのは「剣」であって、それまでの実戦経験の蓄積から考え出され、理論づいた「剣術」ではない。
ヴェルトはそういった類の「剣術」に基づかないその行動に当惑したが、しかし冷静に、胴体を丸々覆う程の大きさの盾をジークの方に構える。
ジークはその盾に向かって突っ込む格好になる。
すると、ヴェルトは盾を構えたままでジークに突進した。
「!」
ジークの体が盾に弾き飛ばされる。
ヴェルトが追撃する。
突く。
ジークは剣で流す。
左手の盾がジークの横腹を狙って飛んでくる。
が、飛び退いて躱す。
ヴェルトがそこを突いて追撃する。
弾く。
ジークが剣を振り上げる。
しかし、これは悪手だった。
ヴェルトの盾は全く無防備になってしまったジークの腹目がけて突進する。
「グハッ」
転倒する。
組み敷かれる。
喉元に木剣を突きつけられる。
「そこまで」
完封である。
………………
――ジークは、芝生の上で大の字になっていた。
あれほどヴィルと研鑽を重ねたというのに、あっさりと負けてしまったことがたまらなく悔しい。
「うん、悪くない。しかし初見の敵に対して慎重になりすぎたな。もっと積極的でもよかった」
「伍長、次は俺とやろう」
と、いつの間にか雑な口調になっているヴィルが言う。
「ああ。――伍長。なんか新鮮だな」
「伍長になって久しいんじゃないのか?」
「こいつらが俺にそんな敬意を持つと思ってるのか?」
と、ヴェルトはサラを指さす。
サラは無表情で、目だけ逸らした。
「ああ……」
「――まあいい。んじゃ、ジーク、審判頼むぜ」
「おう」
むくり、とジークは立ち上がってヴェルトとヴィルの中点に立つ。
「――始め」
――ヴィルが駆け足でヴェルトに向う。
ヴェルトは警戒しつつもヴィルに近づき、そして盾を構えて突っ込む。
――ヴィルが右に避けた。
そして、避けた瞬間にヴェルトの横腹を蹴った。
「?!」
ヴェルトは横腹を少し押さえつつ下がる。
驚いただけで傷すらない。
ヴィルが追撃する。
盾の持っていない右手側から執拗に攻める。
ヴェルトが対応しようと旋回した瞬間、ヴィルの右足が伸びた。
ヴェルトは盾を蹴られ、勢いづいて弾き飛ぶ。
「ハッ――」
ヴィルの方を見たときにはもう遅い。
眉間に剣の切先が突きつけられる。
「――そこまで」
………………
「――いや、参った。なるほど、これは強いな」
と、ヴェルトは笑う。
剣術で重要な「理」はないものの、しかし実戦向きだと言われればそうだ。
おそらく、彼がれっきとした剣術を習得することができれば、その時こそ最強になれるだろうに。
「……」
と、さっきまで興味なさそうな顔をしていたサラが、やはり無表情ではあるもののヴィルの元にやってきていた。
「ん?サラもヴィルとやりたいのか?」
コクリと頷く。
「よし、じゃあ一戦――と言いたいところだが」
「?」
「日が暮れる」
太陽の方を見る。遠く地平線のすぐ近くまで太陽は傾いていた。
「サラさん、日が暮れたなら仕方ない。また明日にでもやろう」
「……うん」
と、4人は部屋に帰っていった。
………………
――日没後――
夕餉を済ませて、多くの兵たちは自分たちの部屋にいる。
それはジークたちも例外ではない。
「――あれ?」
「ん?どうかしたかい、ジーク」
「いや、伍長はどこに行った?」
「ああ、多分会議だよ」
「会議?」
「うん、最近毎日あるんだ。まあ戦時だしね」
「ふーん」
………………
――王国騎士団大本営詰所――
ここには約20人の伍長と、5名程度の将軍格の人物たちが詰めていた。
議題は無論、迫るファブニル軍への対策と作戦案である。
と、まず斥候が口を開いた。
「――現在ファブニル軍先鋒隊はオルギンから約2日の位置、本軍はそこから更に半日行ったところで野営を行っております」
「その規模は」
と、将軍が聞く。
「はっ……推定になりますが、恐らく300〜350程度かと」
どよめく。
と、いうのも、現在レーベン勢――王国軍の持ちうる兵力が約100、その全てがここオルギンに集っている。
その約3倍。
籠城戦は3倍の兵力を要する、といえどもこの戦力の差は絶望的である。
部屋は沈黙に包まれる。
ゆっくりと、最奥に座っている将軍――王国騎士団団長兼兵府(軍事を司る機関)の長官である、バーナード・ワーグナー公爵その人――が声を発する。
「……レイドス卿、作戦案を」
と、その脇に控えていた将軍が進み出る。
レイドスと呼ばれた将軍は机の上に地図を開く。
オルギン市街の地図である。
そして、その地図の上に木で作った駒を置いていく。
黒い木材のものが敵、白のものが我が方であろう。
「まず、斥候の情報から、敵方がニブルス街道から侵入してくるのはほぼ確定、そのまま街道を通過してオルギン川の突破を目指すでしょう」
と、黒い駒が街道を進み、やがて白い駒の集中している場所――言わずもがな、ここ大本営であるのだが――を包囲した。
「しかし、街道の突破には我が方が妨害をするためまずこの城丘の攻略を目指すでしょう」
と、レイドス卿は白い駒を3手に分けた。
「そこで、市街地にバーナード公の近衛部隊、騎士団精鋭を潜ませ、完全に城丘の攻略に着手した敵方を背後から挟撃、打撃を与えます」
「ふむ……」
「バーナード公、手数の少ない我らが勝利するには、籠城では厳しいものがあります。この作戦しかありません」
と、他の伍長たちも彼の作戦に同意する。
「確かに、レイドス伯の作戦案しかありえません」
「私は賛同いたします」
と、レイドスは最奥の将軍――バーナード公爵――を見る。
「――よし、ならば作戦はこれに決定する。伏兵のうち、近衛部隊は私が、騎士団精鋭はレイドス伯、城丘の部隊はヴェルトに指揮を委ねる。」
「はっ!」
「諸君、王国の興亡はこの一戦にある。頼むぞ」
「はっ!」
………………
――ヴェルトは部屋に帰ってきた。
皆既に寝入っている。
ジークとヴィルは同じ二段ベッドで、サラはいつも通り一人で二段ベッドを独占している。
他の仲間なりの女性への気遣い(軍という場においてあまり性別を理由に厚遇は出来ないのだが)である。
そして、リドニアは下段、ヴェルトはその上段のベッドに寝転がる。
「昨日まで邪魔でしか無かった3つ目のベッド、ようやく役に立ったな……」
月明かりも天井まで射してこないので昏い。
ヴェルトはその天井に、星座を浮かべる想像をする。
――寝息が一つ増えた。