第5節3項 ファブニル征伐:出征
王国暦205年7月20日。
夜明けとともに、オルギンの総長直属軍団約400は北上し、ニブルの街を目指した。
――ここで、遠征軍の陣容について、今一度説明しよう。
まず、現在ニブルへ移動しているジークの軍400は、ニブルで待機しているディアスの二番隊100と合流して500の大軍勢――北陸道方面軍――となる。
この北陸道方面軍は旧ノーザンブルク城跡のファブニル駐屯軍を撃破した後、北陸道を道なりに進みラズへと向かう。
そして、ノーザンブルク駐屯軍の撃破と共にトイルへと伝令を走らせる。
トイル方面軍はその伝令の到達次第、ロードス盆地を進軍してラズへ向かい、北陸道方面軍とそこで合流する。
伝令によって時間差で進軍するのは、各個撃破されることを避け、敵が戦力を二方面に分散させるためである。
この工夫はトイル方面軍は、副長直属軍団200とシュナイダーの三番隊100による計300の軍勢からなるため、総勢400近いと想定されるファブニル軍に集中砲火を浴びせられては損害が大きくなる、と踏んでのことだ。
なお、レイモンドの一番隊はトイルでガイウスの侵攻に備えて留守をすることとなっているため、この遠征には参戦しない。
――と、これが対ファブニル征伐に動員される軍勢である。
そして、予備戦力として王都にロバートが200の兵を待機させ、状況に応じて兵を前線を送る。
……しかし、懸念点もある。
この千近い軍勢は動員できる兵力を限界まで結集させたものであり、莫大な戦費と膨大な兵糧が必要になる。
そのため、ここで失敗するとグングニルはもちろんレーベン政権が足元から瓦解する。
失敗の許されない遠征である。
………………
――トイル城――
レイモンドとヴェルト、そしてエリーが城壁の上から外を見つつ、話している。
彼らの視線は、ロードス盆地、そしてその遥か先にあるファブニル本国を捉えている。
「暇ですねえ伍長。僕は留守番なので伍長もっと暇ですけどね」
「俺に言われても困るんだよ……」
と、ヴェルトは苦笑する。
すると、エリーが嘲るように言う。
「ふっ、あなたは実力不足だから外されたのではなくて?」
「な――」
と、レイモンドはエリーを睨む。
「まあまあ、落ち着きなさいな2人とも。レイモンドは強いしこれまでの戦いでの経験もある。だから対ガイウスの最前線であるここトイルの守将を任されているんだ」
「そ、そうだそうだ!僕は実力不足なんかじゃないんだぞエリーさん!」
「お前が暇だなんだと言い出したんだろレイモンド……」
「いやあ留守番が楽しみになってきましたよあははは」
「調子のいい奴め」
「全くですわ。掌がどこにあるのかも知らなさそうですわね」
と、そこに三番隊隊長のシュナイダーがやって来た。
「おやおや皆様、こんなところで井戸端会議ですか?端にしては目立つ場所ですがね、ンフフフ」
「シュナイダー卿、また茶々を入れに来たので?」
「茶々を入れるとはなんと酷いですねぇ、ウッドヘルム卿」
「卿は辞めていただきたいな、シュナイダー卿」
「ンフフ、いえいえ、摂政閣下の"婚約者"の弟御とあれば、卿と敬意を払う言い方でなければならないでしょう」
「姉さんはジークさんの婚約者なんかありません」
「そう言い張ってるのは卿だけでしょう。周りは噂しておりますよ?摂政閣下がお屋敷にレイモンド卿の姉上を"お囲い"になられていると」
シュナイダーはいつにもまして挑発的である。
レイモンドは薄ら笑いを浮かべているものの、こめかみには青筋が立っている。
「――ああ、そういえば、卿もお噂が立っておりますよ。そこなサンドブルクのご令嬢のお屋敷に毎晩通っておられるとか」
ヴェルトが、レイモンドの方を振り向く。
「レイモンド、それは本当なのか」
「……それは、本当ですが――」
「詳しく説明しろ」
かつての貴族院トップ、そして貴族院が瓦解した現在も数百の私兵を動員できるほどの権威を持つサンドブルクに、レイモンドが懐柔されているのではないか――
ヴェルトはレイモンドに疑いの目を向ける。
レイモンドは俯くが、その時、チラリとエリーと目が合う。
「――副長、これは誤解ですわ」
「誤解……?エリーさん、説明してくれ」
「ええ、そもそも私とレイモンドはやましい事は全くしておりませんわ」
「ほう、毎晩通っておられるのに、何もしておらぬとは、そのような言い訳が通るとでも?」
「ふん、シュナイダー卿にはわからないかも知れませんけれど、この私と、こんな没落した卑しい身分の男が釣り合うはずがありませんわ。むしろこっちから願い下げですわよ」
「……ふむ、それは確かに」
「フフ、失礼ですよ、副長殿」
レイモンドは笑うな、と言いたいところだが、立場が立場なだけに何も言い返せない。
「しかし、そうなるとどうしてレイモンドを家に上げてるんだ?」
「ああ、自分の上司――まあ、一応の、ですけれど――であるレイモンドの住処があまりにもボロボロの小屋だったので我慢できなかったのですわ」
「ボロボロの、小屋――?」
「ええ、オルギンで一番目立つところにあるあの――」
「……兵舎のことか?」
「ああ、あれが兵舎だったのですね、始めて知りましたわ」
「……」
つまり、エリーはレイモンドの貧乏生活を見ていられないと思って屋敷の一角を貸し与えてやっただけで、レイモンドなぞそこらに転がる石ころのような人間で恋愛対象にすらならない、ということらしい。
「……なるほど、エリーさんの言い分は理解した。しかし、エリーさんとしてはただの親切のつもりかも知れないが、屋敷に上げたということは、ルキウス卿などはレイモンドを石ころとは思っていないのではないか?」
「父上が――?ふっ、父上も伯父上も、こんな血なまぐさい人間に娘をやろうとは思っておりませんわよ。常々田舎者を屋敷に上げるなと言われますもの」
「そう、か――」
ヴェルトは少し言葉に詰まりつつ、レイモンドを見る。
レイモンドはこのなかにいる誰よりも愕然とした表情をしていた。
「……わかった。皆、これ以上はレイモンドの名誉のために追及しないでおこう」
「フフ、かしこまりましてございます」
「レイモンド、疑いが晴れて良かったですわね」
「……うん、そうですね……」
………………
――さて、場面は戻して、こちらは北陸道方面軍。
オルギンを出立した総長直属軍団は4日かけてようやくニブルに到達した。
到着するとすぐに待機していたディアスと、ケリーと合流し、詰所に向かった。
「――いやはや、大軍だと移動が遅いな……」
「まあ、急ぎでもねえんだから良いじゃねえか、ジークの兄貴」
と、ディアスは笑うが、ケリーは反論する。
「なに言ってんのよ。早くしないと敵軍に動向を掴まれちゃうじゃない」
「そりゃあそうなんだけどよ、強行なんかして脱落者が出まくったらそれはそれで本末転倒だろ?」
「兵は拙速を尊ぶ、と言うでしょ」
「なんだそりゃ」
ケリーはやれやれ、という顔をする。
「ほんとにアンタは学がないのね。昔の将軍の有名な格言よ」
「格言ってなんだよ」
「……本気で言ってる?アンタ一応騎士の家の出でしょう?」
「勉強は嫌いなんでな。武芸だけやって、勉強の時は抜け出してたんだよ」
「その結果が今の体たらくでしょうに。この戦いがおわったら、もっと勉強しなさいな」
「……」
「返事!」
「……はあい」
「総長からも何か言ってあげてくださいよ」
「……ディアス、戦術書ぐらいは読もうな」
「嫌だー!」
ディアスは足をジタバタさせる。
「……いいとこのボンボンってのは、やっぱり碌でもないのね」
「かもな」
さて、何はともあれ、二番隊を加えた北陸道方面軍がニブルを出立し、ノーザンブルク跡へ向かうのは明日。
ファブニル征伐の前哨戦が、始まろうとしていた――




