第1節3項 出立
――ヴィルは、腰に名剣"ハボリム"を佩いて夜の道を駆けている。
向かうはジークの家である。
「――ごめんください。ヴィルヘルムです」
と、息を切らしながら声を発すると、家の中からジークの叔母のたじろぐ声が聞こえる。
「ヴィルヘルム様?!こんな夜分に何故?!」
「ジークに話があります。ジークはまだ起きておりますか」
数秒して、ジークが戸を開ける。
ジークがなにか言おうとしたらしいが、ヴィルはそれより先に口を開く。
「ジーク、明日には発とう」
「明日?!」
「ああ。話が付いた。父上が馬も工面してくれる。こういうのは、早ければ早いほどいい」
「それはそうだけど……」
と、そこにジークの叔父がやってくる。
「話は聞かせてもらったよ。ジーク、ヴィルヘルム様に従ってみたらどうだい?先ほどまでは徒歩でオルギンに行くという話だったが、ヴィルヘルム様について行けばおおよそ2日でオルギンに着く。」
「……それはそうか」
「じゃあ、明日の日の出前に」
「ああ」
………………
――明朝――
村の出入り口のへんに、ヴィルとジークはいた。
ハボック家の使用人が馬を2騎曳いてきて、2人はそれに乗る。
ジークは馬に乗るのは初めてなので、なかなかに苦戦したものの、なんとか乗ってみせる。
見送りは馬を曳いてきた使用人と、ジークの叔父と叔母だけである。
村の人々は2人を認知しつつも、見送りには来ない。
――彼らは農民でしかないし、それ以上でもそれ以下でもないのだから、税やら何やらに追われているのだろう。
――忙しいことだ。
「――それでは」
叔父と叔母が頷く。
手を振るものはいない。
2人は駈歩で路を走っていく。
………………
――さて、2人がたった今出立したフギンの村は、ジグラト本島中東部にあるレーベン半島の北端にある。
ここで、少しジグラトの地理を説明しておこう。
まず、今ジークたちがいるレーベン半島は、ジグラト本島東部に位置しており、王都レーベンが存在する。
そして、王都から西に行き、レーベン半島の付け根とも言うべき位置に、オルギンの都市がある。
オルギンから北へと進むとファブニルに占領されたニブルス高原、南に進むとガイウス占領下の中部トイル城がある。
そして、彼らの故郷であるフギンの村はレーベン半島、王都の北にある。
彼らはまず、南下して王都レーベンに向かい、そこから街道に乗って西進しオルギンに向かうというルートを取った。
――馬を適宜休ませつつ約4時間ほど移動して、ようやく王都の城壁が視界に入った。
………………
――王都レーベン――
この都市は、ジグラトで唯一、設計の段階から城塞ではなく、王都としての機能――すなわち首都機能が考慮された都市である。
戦乱のない時代に築かれ、そのために、外敵を退けるという思想すら存在しない。
一応城壁は存在するものの、外面だけのようなもので僅かに3〜4メートルほどしかなく、その上側防塔もそこまではない。
素人目でも戦となればあっという間に陥落するだろうと推察ができそうなほど、脆い都市である。
しかしその都市機能については最先端のものであると言える。
――上下水道の整備。公衆便所や公衆浴場などの衛生面。そして緻密な都市計画による完璧といえる都市設計。
居住者は約10万人前後。間違いなく、当時世界最大級の都市である。
――『オールト叙事詩』ジグラト地理誌より――
………………
さて、そんな大都市にやってきた2人はというと――
「うう……人が多い……」
「どうなってるんだアレは。そこら辺の路だけでもうちの村の人口超えてるぞ」
「都会怖い……」
――人酔い、と言うのだろう。
早々に安い宿の二階の一室を借りて、部屋に籠もっていた。
「ちょっと俺はご飯を買ってくる」
「いってらっしゃーい」
と、ぼんやりするジークを置いて、ヴィルは外に出る。
ジークたちが泊まったような安宿には食事を出すというサービスがないので、宿泊者はそこら辺で適当に食料を買うことになる。
通りは出店やらがあって、野菜やらが売ってある。
「えーっと、パンと酒と、魚……?!魚が売ってあるぞ?!」
と、ヴィルは驚愕する。
魚は高価で滅多にないので貴族ばかりが食べられるものと聞いていたが――
すると、店のおばちゃんが話す。
「あら、旅の人?」
「あ、はい」
「いいでしょう、魚。ここは港が近くてねぇ、それに王侯貴族さまがここに集まっているからおこぼれが市場にも流れてくるのさ」
「なるほど……ではこれを」
「まいど」
………………
「えーっと、これでいいか……」
と、買い物をあらかた済ませたヴィルの耳に、そこらの噂話が入ってくる。
「おい、聞いたか。反乱軍のこと」
(反乱軍……ファブニル軍のことか)
と、ヴィルは立ち止まり、耳だけをその会話に傾ける。
「やつら、もうオルギンの目前のニブルの町まで進出してるらしいぜ」
「何?オルギンが落ちたら次は王都だろう?」
「ああ。やつらは残酷だから住人は一人残らず殺しちまうらしいぜ」
「なんてこった!鎮西将軍になんとかしてもらわなければ!」
「いや、バーナードが何を出来るってんだ……」
――ヴィルは、大急ぎで宿へ走った。
時刻は第11時。日没直前である。
………………
「――ジーク」
ジークは、部屋の窓から大路を眺めていた。
人の往来は川の流れのようで、さながら大河を眺めているような気分である。
「ああ、おかえり。」
「――ジーク、夜明けと共に出立しよう」
「ん?どうかしたのか?」
「さっき通りで、ファブニル軍がもうオルギンに迫っていると噂が」
「なるほど。じゃあ夜明けに出よう」
「ああ」
――と、ジークはヴィルの持っていた夕餉用の皿を見た。
「これ、魚か?!」
「ああ。市場に売ってた」
「でかしたぞヴィル」
「フッ」
ヴィルは腰の剣を机に立て掛け、2人で食卓を囲んだ。
………………
――夜の帳が下りたものの、大路には未だ人気がある。
ヴィルとジークは窓から外を眺める。
「やっぱり凄いなぁ、王都は。――こんな都を造れる国が、蛮族に追い詰められているだなんて信じがたいよなぁ」
「ああ。この美しい都、きっと俺達で守りきろう」
「そうだな」
………………
――夜明け。
曙光が騎上の2人を照りつける。
城壁の影に隠れる。
そして、城門をくぐって2人は西、オルギンの街へと向かった――
………………
――さて、村から王都へ向かった時は、馬を休憩させつつゆっくりと走って約4時ほど。
今回は馬をかなり飛ばしてオルギンへ向かう。
概算では約9時間ほどで到着するはずである。
余談だが、オルギン〜王都間の街道――通称オルギン街道――は、約1世紀ほど前に建設されたジグラト最新の街道である。
後述することになるのでここでは割愛するが、オルギンと王都間を軍隊は通過することがないので、街道は存外に細く、騎馬が二騎並走するのがやっとである。
海沿いにあるので、潮の匂いや波の音もありありと感じる。
道中には港もあり、魚を王都に運ぶ輸送隊とすれ違った。
しかし、村や集落はほとんど見ない。
海の近くだから農業に向かない土地だとかのもあると思うが、それにしても家がほとんど無い。
実は街道の整備に伴ってその付近の住民はほとんどが内地の、フギンのような場所に移住させられたのだ。
それはオルギンの港からやってきた外国の使者などにみすぼらしい農村を見せたくないという意識だったのであろう。
――もっとも、おそらく仮想した貴賓、ジグラトに最も近い国であるオルビス帝国の使者は、オルビス大乱という大陸での戦乱によりそれどころではなく、今に至るまでついぞ王都、そしてジグラトの土地を踏まなかったのだが――
………………
さて、2人が馬を飛ばして約8時間。
視界の向こうに、河が見えてきて、やがてその向こうに都市が見えてきた。
――この河こそ、ジグラトの中央を南北に走るジグラト山脈から流れる、オルギン河である。
レーベン政権の法典では、「何人もオルギン河を軍を率いて東へ渡るべからず」、つまりオルギンから王都への軍の往来が禁止されている。
その法が存在するため、オルギンにはジグラト王国騎士団の大本営が設置され、それと並んでジグラト軍の本部も設置されている。
オルギンが「最終防衛拠点」たりえるのは、この法があるからなのである。
………………
馬を常歩にさせて、大きな石橋を渡る。
――ジークは橋を渡りながら、これでは軍の往来は厳しいな、と感じる。
橋は騎馬二騎がようやく渡れる幅であり、一般人などは当然通れる。
しかし、軍は――兵は拙速を尊ぶ。
数百人単位の騎馬の軍団は渡河するのに時間がかかる。(もっとも、歩兵ならば河を泳いで渡ったりできそうではあるが――)
――しばらく歩いて、2人はようやくオルギンの都市に入った。
王都を出立してから約9時間ほどであった――