第3節4項 水都の変
――翌日。
朝から軍議を行なっていた諸将たちのもとに、密偵のひとりが参上した。
「公爵閣下、トイルと水都からの情報です――」
「……」
と、耳打ちを聞いたバーナード公は、驚きの表情を浮かべた。
「……このタイミングで、ガイウス国内で内戦……?」
どよめき。
バーナードの放った密偵は、もう数ヶ月前に、ガイウスの水都騎士団団長セオドアと領地問題で対立していた貴族が暗殺されたことを報じている。
なら、今回のそれは一体――?
「どういうことだ、詳しく説明せい」
と、レイドス卿の言葉で密偵は事の顛末を話し出した――
………………
――遡ること数ヶ月前。
それこそ、ジークたちがノーザンブルグに潜入している頃。
その頃、ガイウスでは折からの、水都騎士団団長のセオドアと、水都でかなりの影響力を持つ貴族との領地を巡る紛争が激化していた。
その貴族は議会で演説を行い、セオドアが議会からの承認なしにレーベン政権との停戦条約を結んだことは一種の反乱行為だと非難。
しかしその僅かに半日後、水都から領地に帰還する帰路でその貴族は事故死した。
明らかにセオドアの陰謀である。
しかしこれによってセオドアを怖れた貴族らは彼を非難できず、一旦この件は沈静化した。
――しかし、つい先日。
水都で反セオドアの勢力が挙兵し、セオドアをはじめとした騎士の打倒を唱えた。
これまで武力で押さえつけていた貴族らの不満が爆発した形らしい。
密偵によると、貴族対セオドアの決戦ということで、セオドアは3日前から軍を率いてトイルを発っており、トイルには僅か100の軍しかいないという。
………………
――この急事において、バーナード公は即座に全戦力を招集した。
そして、遠征開始は条約の失効日である2日後、6月22日。
それまでに戦の支度を整えるように諸将に通達して、軍議はお開きになった。
しかしジークはわからない。
なぜ条約などというものを遵守するのか。
もしも後の2日で内戦が終わったら?
千載一遇のチャンスを逃すよりも、条約とやらを守ることが大切なのだろうか。
まあ、これもたらればの話だし、おそらく平民出のジークには理解できぬ理もこの世にはあるのだろうとは知っている。
ジークはそんなことを考えつつ、グングニルを招集した。
………………
ジークは集まった15人のグングニル構成員に、ここからの行動などを説明した。
「――と、そういう訳で、明後日には我らはここを発ってトイルへと出征する。皆、戦支度をしてくれ」
「了解した」
「ようやく戦だな、ジークの兄貴!ワクワクしてきたぜ!」
と、逸るディアスに、レイモンドが呆れたような顔で言った。
「ディアス、落ち着け。暴れるな」
「ちぇっ、レイモンドはつまらんなぁ」
「お前が暴発しているだけさ」
この2人の仲の良さは見ていて微笑ましいものがある。
戦馬鹿と冷静沈着の青年。
対比的なようで、うまく馴染んでいる。
「あ、ジーク。」
と、ヴィルが話しかけてきた。
ジークはその翠眼をレイモンドたちからヴィルの方へと移す。
「ん?どうかしたか?」
「いや、今夜俺とお前とサラさんとメリアさんで飲みに行かないか?」
ジークは挙がってきた名前に苦笑いする。
「サラさんとメリアさんって……ヴィル、お前わかってるのか?」
「いやあ、わかっちゃいるけど4人で行きたくてな」
「ふっ、それなら付き合うよ」
「よし来た」
………………
――ガイウス領、クレオスの街――
5人ほどの集団が、路地裏を走っていた。
彼らはいずれもチェインメイルを着込み、上質なサーコートを着ており、小太りの中年を守るように後の4人がその周囲を囲う。
その正体は、反セオドア派の貴族の1人、トーマス卿という貴族だった。
しかし、彼は今逃げている。
セオドアの軍勢からである。
中部トイルから6日かけてクレオスに着陣した彼らの軍勢は圧倒的な力でトーマス卿の軍勢を軽々しく蹴散らしてクレオス市内に侵入した。
トーマス卿は最後の砦である水都へ逃れて、態勢を立て直そうとしているのだが――
「閣下、駄目です。ここも敵が……」
路地裏から大路を覗いた側近が、首を横に振る。
「くっ、包囲されたか……?」
と、トーマスが引き返そうと振り返ると、4人いたはずの部下が、全員斃れている。
「おい……?おい、おい!」
返事はない。
と、トーマスの後ろに人が立った気配がした。
おそらく先ほど大路を覗かせた側近の1人だろう。
「おい、ここからすぐに離れるぞ」
と、言い終わらぬうちに、トーマスの背に何かが突き立った。
声もなく振り返ると、朱殷の服を纏った無表情の麗人がナイフを刺している。
「貴様……まさか、奴の……」
その女は、背に突き立てていたナイフでトーマスの喉笛を斬り裂いて、首級をトーマス卿の着ていたサーコートを切った布で包んでセオドアの陣に帰還してきた。
………………
「――閣下、確かにトーマス卿の首でございます」
と、銀朱のサーコートを着た、長い髭の将軍――セオドアの右腕、アントニヌス――が、首を両手で持ち上げ、しばし眺めてから言う。
セオドアはそれを聞いて、ゾーイ――無表情の麗人――に向けていたグレーの瞳を微笑させる。
「よし、これで残る敵対貴族は水都の僅かな者たちのみとなったな」
「中核人物のトーマスをここで仕留められたのは大きいですな、閣下」
「うむ。ゾーイも、よくやってくれた」
ゾーイは頭をペコリと下げる。
その所作は、着ている服と同様に、しっかりと作法を学んでいる使用人のものだった。
セオドアはアントニヌスに目を向けて、話す。
「さて……水都をどうやって攻めようか、アントニヌス」
「東のレーベンどものことも心配ですし、やはり速戦即決が肝要かと」
「うむ、そうだな……」
セオドアは、顎に手を当て、幕舎の中から天を仰いだ。
………………
「……ヴィル」
「……なんだ、ジーク?」
「これ、予想できただろ、お前」
「……本当にすまない」
ジークとヴィルが揃って見る先には顔を真っ赤にしたサラと、杯片手にサラに上機嫌で話しているメリアがいた。
メリアは弟――レイモンド――の魅力とやらをサラに熱弁しているのだが、その声はベロベロに酔ったサラには届かない。
そのサラは蜂蜜酒を飲みまくり、今にもぶっ倒れそうな雰囲気があった。
と、サラがヴィルに杯を差し出してきた。
「……?なんだこれは」
とヴィルが聞くと、サラは言う。
「……ヴィルも飲みなさいよ」
ヴィルは苦笑する。
「飲めって、それは蜂蜜酒だろう?俺は葡萄酒しか受け付けな――」
しかし、そんなことを言い終わる前に、サラはヴィルに近づいてきて、口を無理やりこじ開けてそこに蜂蜜酒を流し込んだ。
「サラさ――?!」
メリアとジークがドン引きの視線を向ける中、サラはドンドンとヴィルの口に酒を流し込んでいく。
「ヴィル、あんなあらしの酒が飲めないっていうの?」
「――ゴボッ――ゴボッ」
ヴィルは最初こそバタバタと手足を暴れさせていたものの、次第に諦めて脱力してきた。
杯が彼の口から離されたと同時に、ヴィルは咽て咳をする。
「ゴホッ、ゴホッ」
と、ヴィルはサラを睨みつける。が、何も言わない。
ジークはそれを見て、息を呑んだ。
ヴィルは、本当に怒った時、無言になる。
これが何とも怖い。普段は比較的よく喋り、少しの笑顔が眩しい好青年が人を睨みつけて、何も言わないのはとにかく恐ろしい。
ジークも一度経験したことがあるが、土下座してなんとか乗り切った。
ちなみに、その時ジークが何をしたのかというと、剣の稽古で珍しく勝ったので煽り散らかしたのだ。
「……」
すると、サラもようやくヴィルの様子が違うことに気がついたらしく、慌てふためきはじめた。
そして、ようやくか細い声を絞り出した。
「……ごめん、やり過ぎた」
すると、先ほどまでサラを睨みつけていたヴィルの顔はすぐさま笑顔に戻る。
「いいよ、気にしないでくれ。俺が食わず嫌いだから一口飲ませようとしてくれたんだろう?ありがとな」
ジークとメリアは、この豹変にギョッとした。
先ほどまで彼女を睨みつけていたとは思えないその笑顔。
ヴィルは、自分に好意を向けてくる人物や自分をしっかりと尊重しようとする人物に対しては、実に寛大なのだ。
だから敵だと言えど人を殺すことに少しの抵抗があったジークと違い、ヴィルはすぐに人を殺せたのだろう。
しかし、珍しく冷や汗をダラダラと流しているサラは、そんなことには気が付かずにヴィルに同調する。
「う、うん。蜂蜜酒も美味しいよ」
「うん、そうだな。意外と悪くなかったよ」
……しかし、ノーザンブルグ潜入前の時点では互いに互いのことをそれほど好意的に捉えていなかったはずだが、一体どこでそんなに仲良くなったんだか、と、ジークは思った。




