第2節16項 炎上
――人々がその事変に気がついたのは、第10(午後5)時ほどのことであった。
「……ヴィル、あれ――」
と、窓の外を眺めていたサラさんが、珍しく俺の名前を呼んだ。
しかし、なにやら様子が変なのですぐに窓の外を覗く。
「……あれは……?」
火の手が、市内各地で上がっていた。
「ノーザンブルグ虐殺」が、始まったのである――
………………
市庁舎前の広場は、死屍累々としていた。
おそらく、数万人の屍がそこに広がっている。
唐突だった。
広場に集められた市民たちは、四方八方の道から突入してきたファブニル兵たちによって悉く殺された。
剣で斬られて、或いは突かれて死んだもの。
槍で貫かれて死んだもの。
はたまた斧で骨ごと断ち切られたもの。
鎚で打ち殺されたもの。
或いは逃げ惑い、最終的に中央に追い詰められて圧死したもの。
躓いて、そのまま雑踏に踏み抜かれて死んだもの。
そして、なんとか逃げようとする市民を遊び感覚で殺していくかのようなファブニル兵たち。
逃げる市民に背後から襲いかかる者。
家に押し入って隠れていた住民をいたぶって殺した後で家の家財を盗む者。
女を捕まえて狼藉を働く者。
追い剥ぎをする者。
子供だろうと老人だろうと女だろうと構わず殺していく。
屋根に上って、市民たちに矢を射掛ける者もいる。
松明を持って、家々に火を放っている者もいる。
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
――その中で、なんとか城門まで辿り着いた者たちもいる。
しかし、その者たちも結局堅く閉ざされた城門を開けられず、後ろから迫るファブニル軍に絶望しながら、末期を迎えた。
………………
ジークたちは、"ノースポイント"の外に出てすぐに、絶句した。
夕焼けよりも紅く街が燃えている。
これは、なんだ――?
「こ、これは、なんなの、ジークくん……」
「わからない……ちょっと俺見てくる。メリアさんは絶対にここにいて」
「う、うん」
走り出した。
メリアさんはさっき市庁舎にみんな集まっていると言っていた。市庁舎なら走ってすぐに辿り着く。
――市庁舎の近くまで来た。
しかし数万人が集まっている割には静かだ。
しかもなんだか血の匂いがずっとする。
広場を覗いた。
赤黒い液体が地面一帯を覆っていて、そして地面にはかつて人だったであろう肉塊たちが数え切れないほどいた。
市庁舎の広場の石畳はもはや見られないぐらいに屍が積み重なり、その上を踏むと肉の感触がする。
「オエッ……」
吐く。
もう耐えきれない。
何が起きているのかさえ分からないのに。
と、そこに、乾鮭色のサーコートの、黒髪茶の瞳の若武者が歩いてきた。
サーコートは、邪竜騎士団の所属を表す竜の紋章のついたもの。
と、乾鮭色の若武者は俺の顔を覗き込んで何かに気がついたらしい。
「……!貴様!ニブルス峠とニブルの時の小僧――!」
……ん?
こいつ、ファブニルの騎士か?
顔を見る。確かに、峠とニブルで見たような顔だ。
気がついたときには、自分でも驚くほど低い声が出る。
「……貴様か?」
「は?」
「貴様が、これを……!」
剣を抜いて乾鮭色の男に斬りかかる。
しかし、かわされた。
間合いを取る。
「貴様らファブニル人が、彼らを殺したのかと聞いている!」
アルヴィンは嘲るように笑う。
「だったらなんだ?だからどうした?戦争とはこういうものだ。そこらに生える雑草どもを踏んで何が悪い?」
「こんなもの戦ではない!」
「いいやこれが"戦争"だ!」
「民たちを蔑ろにして、何がっ!」
再びアルヴィンに斬りかかる。
アルヴィンは斬撃を受けて横に避ける。
「民だと?それを言うなら民はお前たちが嫌いなようだが?」
「なんだと?」
「貴様も見ただろう?平和に暮らすノーザンブルグの市民たちを」
「ああ。しかしそれがどうした?」
「奴らは当初、俺たちの入城を喜んで出迎えた。」
「!!嘘だ!」
「いや本当だ。これで王国に税を納めなくて済むと言ってな。全く愚かな奴らだ。」
「その出鱈目を言う口を閉じろ!」
と、斬りかかるが軽くいなされる。
こいつ、強い。
「民など所詮はそんなもの。いくら忌み嫌っていても、その時その時が良ければ長年の因果などすぐに忘れる。目先しか見えぬ愚か者だ。」
「愚か者だと……?」
「そうだろう?俺たちを蛮人蛮人と呼んでいたくせに、王国よりかはマシだと喜んで出迎える。抵抗すらせずに城門を開いて俺たちを出迎えたさ。民などはそのレベルの低能の雑草なんだよ。守る価値もない」
「ええい!黙れ!」
「戦争を美しいものだと解釈する小僧ごときには解らぬだろうな。」
胴を切り払う。
しかし避けられる。
「ぐうぅ――!」
反撃の突きが来るが、逆に相手の剣を撃ち落として突き返す。
が、それは避けられ、胴を薙ぐ一撃が飛んでくる。
剣で受けつつ後退する。
そこに突きが飛んでくる。
顔面を狙ったそれを間一髪で避けるものの、右の頬をかすめ、耳をかすめたのでそこから血が垂れる。
が、突いたその直後、伸び切った腕を下から切り上げた。
腕が宙を舞った。
「ぐわぁ!!」
悲鳴。
そのままジークは相手の胴を左から一刀両断する。
「グハッ、グッ……」
その場にゆっくりと膝をついたアルヴィンを見下ろしながら、ジークは何もしない。
そのまま、血が流れ出るのをずっと見守っていた。
「小僧が……俺を殺せても、この地獄からは逃げられんぞ……せいぜい、その身体を燃やして死ぬがいいわ……」
やがて、アルヴィンは冷たい地面に倒れた。
それを、ジークの翠の眼が見つめる。
そうして、冷たい声が出た。
「……メリアさんを助けに行かないと」
………………
――宿屋"ノースポイント"――
今やこの宿屋にも、火の手が回ってこようとしていた。
しかし、メリア・ウッドヘルムはジークを待つ。
それに、広場へ向っていた女将さんも心配だ。
と、そこに3人のファブニル兵が現れた。
メリアは隠れようとしたが、宿は既に火に包まれていて、入れない。
右往左往していると、ファブニル兵がメリアの姿を認めて近づいてきた。
その顔は下衆のそれで、彼らがメリアを捕まえて何をしようとしているのかは自明だろう。
メリアは護身用に持っていたナイフを構えて後ろへ下がっていくが、ついに壁に当たった。
すると、メリアの手首が敵兵に掴まれる。
ナイフをはたき落とされた。
――誰か――
と、その瞬間、その敵兵の心臓が剣で貫かれて、敵兵は斃れる。
「え……?」
その奥には、ジークが立っている。
ジークは、出来うる限りの微笑をもって言う。
「――メリアさん、助けに来たよ」
視界がぼやける。
ああ、良く無事で――
と、ジークはそのまま2人の敵兵に斬りかかる。
敵兵は反応する間もなく斃れた。
ジークが剣を収めてメリアに歩み寄った。
そして、手を差し伸べる。
「……遅れてすまなかった。行こう、メリアさん」
「……うん」
――ジークくんは、私の手を取って歩き出す。
城外へ脱出するらしい。
「待って、ジークくん、女将さんは――」
何も言わずに振り向いたジークくんの顔が、悲愴感に包まれていたのを見て、私は全てを悟って、泪を流した。
………………
――ヴィルたちは、放火を目にしてすぐに、宿の前の道が悲鳴で埋め尽くされたのを聞いて、窓から階下を見た。
なんと、ファブニル兵たちが逃げ惑う住民たちをひたすらに殺害していた。
「サラさん!今すぐ助けに行こう!」
と、サラさんを見るが、サラさんは窓の外を見たまま固まって動かない。
何度も呼びかけて、ようやくこちらの方を向いたサラさんの顔は、いつもの無表情ではなく、恐怖に包まれた顔だった。
「サラさん、早く助けに行かないと!」
「う、うん……」
心の中にあるものは多分俺もサラさんも一緒だ。
だけど、それを押し殺さないと騎士とは言えない。
階下に飛び出て、殺戮を行なっている敵兵を一刀のもとに斬る。
サラさんもそれに続いて敵兵を一突きして殺す。
だが、それを上回る速度で市民たちは殺されていく。
「早く逃げろ!」
と、市民に言う。
市民は感謝を述べて城門の方に向かったが、次にそちらに向いた時、彼らは既に死体になっていた。
見ると、城壁の上に弓兵がいた。
彼らは城門に寄ってきた市民たちに矢を射掛けていた。
――どうか足掻いてもこの地獄から脱出できない。
多勢に無勢だ。
せめて遠征軍が来てくれれば、或いは――と思ったが、アリエスからどれだけ急いでも丸一日はかかるだろう。
はっきり言って絶望的状況だ。
もはやここで死ぬしかないのか。
呆然としながら空を仰ぐ。
夕焼け色の空に黒煙が立ち上る。
その空に、1羽のワタリガラスが飛んでいた――




