第1節2項 吐露
――ジーク。
本名を、ジークフリート。
姓を、カーター。
彼はれっきとした騎士の血筋ではない。それどころか、そこらの百姓の子である。
一応家はこの村の中でもそこそこに豊かな地主で、カーター家の下には幾つかの小作人がいる。
言うなれば、本百姓というものである。
しかし、少々豊かといえども、ハボックの家のように特権階級ではなく、あくまで農民でしかない。
――家はそこそこの広さの木造である。そこに、叔父と叔母と住んでいる。
だが、叔父はどうやらこの村の人間ではないらしい。
十数年前、どこかよその村から移住してきて、そこで地主の家の娘――今の叔母と結婚し、婿入りしたらしい。
それに伴ってジークのルーツも不明である。
どこから移住してきたのか、どこで生まれたのか、と叔父や村人たちに聞いてもそれ以上は固く口を噤む。
ジークもそれを知ったところで詮無きことと思っているので、それ以上追及はしない。
彼は自分のルーツについて正直どうでもいいのだ。
彼を彼たらしめているのは自分だけなのだと信じているし、自分のルーツを知ったところで、自分を今さら変えられるとももはや思っていなかった。
ここに至った今、彼の中にあるのはきっと騎士になってやるという意思だけであって、それ以外はほとんど何もない。
彼は目標にひたむきな人間なのだ、とも言えるが、ある意味ではそれ以外に何もない人間なのだ、とも取れるような人格なのである。
………………
ジークは、家の前で、しばし立ち止まり、深呼吸してから、ドアを押し上げた。
「――ただいま」
すると、ちょうど夕食の用意をしていた叔母さんがおかえりなさい、と返す。
「今日のご飯は何だい?」
と、ジークは食卓を見る。
食卓には豚肉をホワイトソースで煮た料理が並んでいる。
ついで豆を炒めたものやらサラダやらが並んである。
「今日は豚肉かぁ」
「あら、駄目なの?」
「いや、大好物だよ」
「ふふっ、でしょうね」
と、叔母さんは微笑んで見せる。
叔母のこういうところが尊敬すべきところなのだろうな、と思う。
排他的なこの村に、急にやってきた外部者の叔父を受け入れた上に結婚までして、さらに叔父と血が繋がっていない連れ子まで容認し、なおかつしっかりとその子を子供として扱ってくれるのだ。
ジグラト広しといえどもこれほどに素晴らしい人間もなかなかにいないだろうとすら思ってしまう。
「ジーク、悪いけどジョンさんを呼んできて。書斎にいるはずだから」
「はーい」
ジョンとはジークの叔父のことである。
彼は村の中では2人しかいない文字が読める人の1人でもある。ちなみに、もう1人はヴィルの父のリードである。
ジョンは中央などに作物を売り、儲けたお金で本を買い込んでいた。
「――叔父さん、ご飯だって」
「ああ、すまない。今日はなんだった?」
「豚肉だよ」
「やった」
叔父は、どこか子供っぽいところがある人である。
未知を見れば、興奮するし、好きなものが食卓に並ぶと少しはしゃぐ。
幼さが未だ抜けないところが魅力でもあるし、だからこそ、包容力の塊のような叔母と結婚できたのかもしれないが――
………………
――いつもは、食事の最中は一家団欒といった雰囲気であるカーター一家であるが、今日は不気味なほどに静かであった。
ジークは、意を決して、件の兵役について話すことにした。
スプーンが、そっとテーブルに置かれる。
「……叔父さん」
叔父さんは――ジョン・カーターは、静かに、ジークと同じ翠色の瞳を彼に向ける。
「……わかっているよ。兵役の件だろう?」
「……」
「僕は、ジーク、君がどうしても行きたいのなら止めない。」
「本当に?!」
「ただ――君に言わないといけない話がある。それを聞いてから、どうするか最終決定するんだ」
「……わかったよ」
そうして、ジョンは、深呼吸を一つして、語りだす。
………………
「――まずは、僕の生い立ちから話そう。」
「叔父さんの……?」
「ああ。――僕はかつて、元々ファブニルとの国境の町、城砦都市ラズに住んでいた。」
「一応言っておくが、僕もジークもファブニル人ではなく、れっきとしたジグラト人だ。けど、ラズで知り合ったあるファブニルの将軍と親密になった。」
「ライト・アイゼンブルグという若い将軍だ。彼は武一辺倒の武将ではなくて学識があって、文字も読めたので僕は彼に懇願して色々と教えてもらったんだ。」
ジョンは続ける。
「そして、忘れもしないあの日――16年前のその日――ライト将軍は僕にある秘密を教えてくれた。」
「秘密……?」
「ああ。ファブニル軍が、このラズを襲撃し、大規模な軍事行動を起こすという話だった」
「!!」
………………
そう――後の時代では「ラズ紛争」と呼ばれるファブニル軍による大規模な軍事行動――
――ライト将軍は、ラズの襲撃のために自ら町を幾度となく訪ね、町の図面を覚え、そして僕のことも少なからず利用したと言って謝罪した。
だが、将軍は私に上等な馬を譲ってくれ、それで逃れるように言った。
自分が育てた弟子を自分で殺すのは忍びなかったのかもしれない。
――ともかく、実際に僕がラズを出立した次の日にはファブニル軍が攻めてきて、城砦都市は間もなく陥落した。
それで、頼るあてもなくトボトボとロードスの方に逃げていたら、ふと親戚の家が――弟の家族の住む村が近くにあることを思い出したんだ。
………………
――村の目の前まで行くと、黒煙が高々と上っていくのを見た。そこで、僕は村が既に襲撃されていて、おそらく生存者は少なく、自分にも危機があるのだと悟り、しばらく逡巡した。
しかし、「もしかしたら」まだ生きているであろう人を見殺しには出来なかった。
――村に駆け込んだら、すぐさま掠奪をしていたファブニルの兵士と鉢合わせて、追いかけ回された。
逃げ回る中で、奇跡的に弟の子供――そう、ジークを発見して、なんとか小脇に抱えて逃げた。
それだけしか、生存者はいなかったはずだ――いや、僕がそう信じたいだけなのかもしれないけどね――
……知っての通り、最終的にはファブニル軍はラズの町の南のロードス盆地でバーナード将軍率いる王都からの征伐軍に敗北して、ファブニル軍の動きは沈静化した訳だが、ラズ周辺の村はその全てが焼失してしまった――
………………
ジョンは、長くため息を吐く。その目は閉じられている。
そして、その目がゆっくりと開かれる。
「僕は、君が戦場に行くことに反対はしない。だが、戦場とは死の場所だ。誰かを殺すかもしれない。そして、誰かに殺されるかもしれない。その覚悟があるのかい?」
「……」
ジークは、しばし沈黙したあとで、コクリ、と頷き、そして「ああ」と返事をした。
「……そうかい。」
ジョンは小袋を取り出した。
質量と、そしてチャリン、という金属音からして、恐らくは硬貨が入っているのであろう。
「これを、君に渡そう。僕が貯めておいたへそくりさ」
「こんなに――」
「うちの一族はリードさんのところのヴィルヘルム君みたいに人脈や身分的な援助がないからね。これでも足りないんじゃないかな」
「いや、助かるよ。ありがとう」
袋を受け取って、ジークは立ち上がる。
「――ジーク」
「ん?」
「彼――ヴィルヘルムは騎士の家の者だ。彼の人脈などを頼るんだ」
ジークは一瞬真顔になるものの、微笑む。
「わかっているとも。」
………………
――ハボック邸――
リード・ハボックは、予感があった。
恐らく、今晩にでも息子は最前線の都市であるオルギンに向かうと言い出すであろうという予感が。
自分は別に息子はゆくゆくは騎士になるものだと信じているし、遅かれ早かれ出征することにはなるから、それに関しては咎めない。
が、やはりその時が近づくと緊張はする。
「ただいま帰りました」
ヴィルヘルムが帰宅した。
おおよそあの農民の息子とチャンバラでもして帰ってきたのだろう。
ヴィルがリードのところへやってくる。
「父上、その――」
リードはそれを手で制止する。
「言わずとも、わかっている。まずは、夕餉にしよう」
「わかりました……」
………………
――食後。
リードは使用人に倉庫に行かせ、一振りの剣と月白のサーコート、銀貨の入ってある革袋を持ってこさせた。
「オルギンに行くのだろう?」
「……はい」
「ならば、これらを餞別として与える。陛下の御為に存分に戦うがいい」
「……はっ」
と、リードは剣を渡す。
剣は超高級木材であるローズウッドを使った黒みがかった、高級そうな質感漂う鞘で、そもそも外面だけでも尋常ではない。
「この剣は――?」
「わがハボック家に伝わる"ハボリム"だ」
「"ハボリム"――?!」
ヴィルは驚愕のあまり剣を凝視する。
ハボリムとは、約二百年前の刀匠のハボリムが鍛えた剣のことで、もはや世界に十数本しか残っていないとされる幻の名剣である。
ヴィルはひそかにこの剣に憧れていたので、半ば奪い取るようにそれを執り、鞘から剣を引き抜く。
刀身の色は通常の剣の銀色ではなく、白磁色をしたものだった。
そして刀身そのものは幅広で重厚な印象、なにより驚くべきはなんと鍔がなく刀身の末尾の部分がそのまま鍔のような形状になっている。
――常識を逸脱した、正に幻の剣と言うに違いない一振りである。
ヴィルはその剣の魔性とも言うべき魅力に対して、暫くの間憑かれたようにそれを眺め続けていた。
「……ヴィルヘルム、この剣で、陛下のために戦うように」
「……」
「ヴィルヘルム」
「――はっ」
「ヴィルヘルム。この剣で陛下のために存分に戦うように」
「はっ!」
と、しかしヴィルの心は手許の名剣にしか無いのであった。
………………
――リードは夜中、祠に向かった。
夕刻にヴィルが参詣した古い神の祠である。
リードは祠の前に立って祈願する。
「――我が神よ、どうか息子にご加護のあらんことを――」
そして、そんなリードの様子を、鴉が一羽、夜中だというのに空から眺めていた――