第2節14項 六万人と四人と
「おい、聞いたかジーク」
と、夜寝る前に伍長が聞いてきた。
「ん?何がさ」
と聞くと伍長が答える。
「なんでもヴィルとサラの奴ら、ファブニル軍の練習に混じって剣術を教わってるらしいぞ」
「……はぁ?」
ついに気でも狂うたかヴィル。と、サラさん。
いや或いは伍長の眼がおかしくなった可能性もある。
「何を言ってる、気は確かなのか伍長」
「俺の気は確かだ。気が狂っているのは奴らだ」
……流石にこれには絶句する。
彼らが強さを求めている戦闘狂であるのは知っていたが、まさか死の危険すら顧みずに敵に教えを請うとは。
むしろ尊敬したい。
「まあ奴らのことだ。なんとかなるだろうけどな」
……それに関しては同意する。
彼らはしぶとい人間らだ。バレたとして、何だかんだでボロボロになりつつもこの街から脱出しそうな感じはある。
そも、彼らが剣技で誰かに敗れるなどと想像できない。
「……そういえば」
と、伍長は言う。
まだ何かあるのだろうか。
「お前、メリアさんとどうなったんだ?」
「あー……」
何と言うべきだろうか。
文字が読めないから教えてもらっているだなんて言えない。
いや、言うべきだろうなあ。一応任務に必要な進捗ということだし。
「……文字を」
「ん?文字?」
「う、うん。文字を教えてもらってるんだ」
と、伍長は虚を突かれたような顔をする。
「あー……そうか。お前文字読めなかったのか」
「……うん、そうなのよ」
「メリアさんは文字読めたのか?」
「みたいだね」
「なるほど……没落したとは言えど、やはり根は貴族か……」
「一応の教養もあるみたいだよ」
「へえ。まあかつては北部一帯を領有してたウッドヘルムの末裔なだけはあるな」
――ウッドヘルムの末裔。
文字を読めず、したがって歴史を知らないジークには、ウッドヘルムという血筋がどれだけのものなのかイマイチわかりかねる。
「伍長、ずっと前から思ってたんだけど、そのウッドヘルムってのはなんなんだ?」
「あー……そこからか。まあそらそうだよな」
と、伍長が苦笑する。
「昔はウッドヘルムといえば、五大貴族の一つだった。五大貴族ってのはサンドブルグ、グッゲンハイム、アゾレス、ダルトン、ウッドヘルムだ。」
「サンドブルグってのは俺でも知ってるぞ。"砂の砦"の逸話だろう?」
"砂の砦"とは、子供でも知る有名な物語である。
ルキウスという青年が王様を戦に勝たせるために砂を固めて砦を作り、結果王様は勝てたのでルキウスを貴族に取り立てた、という物語である。
これは史実の物語で、王国の成立に大きく寄与したそのルキウスという青年は戦後サンドブルグという姓を与えられて貴族になった。
「――ああ。そのサンドブルグが最も大きくて、それ以外は正直ショボい。――まあ、アゾレスは正直国政には大きく関与していないんだけれどな――けれども、そのパワーバランスが一変した事件があった。」
「ほう」
「……レーベン事変、という内戦でな。グッゲンハイム家が無理やり都をレーベンに遷都しようとして、その私兵が反対派のダルトンとウッドヘルムの兵と衝突した。」
「……結果は?」
「今の都がレーベンであることが答えだ。結局勝ったグッゲンハイムはサンドブルグに次ぐ勢力を持つに至り、敵対したウッドヘルムはお家取り潰し、ダルトン家は仲間たちと旧都ガイウスで反乱してガイウス共和国を作った。」
「……」
メリアさんの顔を思い出す。
ここに潜入してから早3日。
メリアさんはよくレイモンドの話をする。その顔はいつも笑顔だった。
しかし、その笑顔は、大変な苦労の末のものだったのかもしれない。
と、すると、彼女が心の底で願っていることは、或いは――
「……ジーク?どうかしたのか?」
「ん、ああ。レイモンドのことを考えていた。」
「レイモンド……メリアさんの弟か。あれはかなり将来有望な青年だな」
「うん……」
無事にこの街を解放できたら、その時は、彼ら姉弟を会わせてやらなくてはならないらしい――
………………
さて、夜が明けて翌日。
「おはようございます」
「あら、おはよう、ジークちゃん」
と、女将さんに挨拶すると、女将さんが返してくれる。
当初意味不明の嫌疑をかけられて俺を不審がっていた女将さんだが、メリアさんから色々聞いたらしく、ようやく話をしてくれるようになった。
女将さんは意外にも気さくな人で、一度仲良くなったらとことんフレンドリーに接してくれる。
いい傾向だ。
と、ちょうど建物に入ってきたメリアさんと鉢合わせる。
メリアさんは俺の姿を認めると微笑んで挨拶する。
「あ、ジークくん、おはよう」
「おはよう、メリアさん」
昨晩伍長に言ったように、メリアさんには文字を教えてもらっている。
騎士にもなって文字を読めないだなんてお笑い草だから、いつか勉強しようと思っていたところ、なんと文字が読めると言うので、喜んで教えてもらっている。
メリアさん曰く、「ジークくんは真面目に勉強するから飲み込みが早いね」とのことだ。
嬉しい。
――と、言うわけで今日も今日とて文字を永遠に書くのが俺の仕事だ。
伍長、すまない。外は寒いだろうけど頑張れ。
………………
「くしゅん」
冬の街の中でくしゃみをする。
何だか誰かに呼ばれたような気がしてならないが――
「……多分寒さのせいだな。」
気にせずに歩く。
北都の大路は人が多い。
流石に約6万人を抱える北部随一の都市なだけはある。
人は温かい。
市場に物を買いに行っても、井戸端でも、人々は笑顔をたたえている。
ジークも、すぐに住民と打ち解けたらしいし、今まで訪れたあらゆる都市の中では一番に住み心地のよい場所だ。
もう定住したいぐらいだ。
――さて。
そんなことを考えてはいるが、我々の本来の目的はノーザンブルグの現状や敵軍の配置などを探るためだ。
抜かりはない。既に練兵場や敵将の宿泊所の場所まで分かっている。
あと敵主将、ホメロスの宿舎だけ分かれば任務はほぼ完了なのだけど――
「おい」
後ろから肩を掴まれた。
恐る恐る振り向くと、なんだか屈強そうなファブニル兵と、奥にそれがもう2人隠れている。
まずいなあ。ここで死ぬかもしれない。
「……なんですか、あなたは?」
「しらばっくれるな。貴様が最近そこらを嗅ぎ回っているネズミだな?ともかく、こちらに来てもらおうか」
とても困る。
こうなったら仕方がないな。
敵兵が一瞬目を離した隙に剣を抜いて頸を斬る。
とにかく奔る。奔ってどこへ行く?
"ノースポイント"はもうマークされているかもしれないから帰れない。と、するとジークやメリアさんに危害があるかも知れないが、そうなった時用にジークとはあらかじめ話をつけている。
きっとしらばっくれるはずだ。
……追手が来ているな。ここで処理しておくか。
路地裏に入って角を曲がる。
追手が追いかけて角を曲がった瞬間、物陰から飛び出して頸を刺す。
もう1人いたが、そちらもついでに殺す。
背中に剣を投げて心臓に直撃させた。
……なんとか撒けたけど、ここから城を脱出して、今頃アリエスの森近くにいるだろうジグラト軍の元まで行かなければならない。
「馬が要るな」
………………
追手を撒きながら厩舎に辿り着いた。
適当な馬を借りるか。いやもう買い上げてやろう。
と、管理者らしき人物に近づく。
「すみません、馬が欲しいのですが」
「あ?欲しいってあんた……買うんだったら金貨50枚はくだらねえぞ」
無言で袋を渡してやる。
それを開いて見た管理者は驚愕の表情を浮かべた。
舐めるなよ、それはイェリントン家のなけなしの財産の金貨100枚入りの袋だ。
まとめて貴様にくれてやる。
「こ、これはあんた……」
「もういい。時間がない。なんでもいいから早く馬をくれ」
「お、おう」
と、管理者は一番ガタイの良い馬をくれた。
なかなかやるじゃないか。
「感謝するぞ、おっさん。俺は王国騎士団の伍長、トイルのヴェルト・イェリントンだ。後でジグラト軍が来たら頼って来い」
「はっ……?!」
管理者は呆然としている。
構わず馬を飛ばす。
目指すは北都へ進軍中のジグラト軍である。




