第2節12項 葡萄酒の美姫
初日が終わって、翌日。
さて、じゃあ伍長の指示をこなしますか――
だなんて気取ってはみるものの、内容は「女の子に粉かけて来い」だなんていうくだらない――くだらないことは無いとはわかっているが――ものだ。
きっかけは、ある誤解からだ。
男で2人、同じ部屋。何も起きないはずはなく……と、勝手に宿の女将さんに誤解されてしまったこと。
全く、甚だ遺憾だ。
誰があの伍長と付き合いたいのか。むしろ聞きたい。
……いや、待てよ。伍長がここから昇格していい官位に就くと、ゆくゆくは美人な妻なんかを貰ったりするのだろうか。
それはなんか抜け駆けされた感じがして嫌だな。
伍長は出会いが全く無くて、そして俺に先を越されて布を噛んで悔しがってほしい。
もしも先を越された場合、なんか煽ってきそうな気がする。上から目線で「まあ、お前らも頑張れや」みたいなことを言ってきそうな気がする。
見たことは無いはずだが、目にはありありとその風景が浮かぶ。
……うん、絶対に伍長より先にパートナーを見つけよう。
………………
階段を下りる。
すると、件の女将とメリアさんが何やら話していたが、俺の姿を認めると話を切り上げた。
何話してたんですか。もう勘弁してください。
「……おはようございます」
「ああ、おはよう」
と、女将さんになんだか気まずそうに返される。
なんなんだ。気まずいのは君たちだけだろう。
俺は全く気まずくないし寧ろ著しく名誉を毀損されて内心ではめちゃくちゃに怒っている側だ。
恨むぞ伍長。
こんな奴原に話しかけに行って誤解を解くだなんて騎士団の訓練よりもキツイじゃないか。
もちろん精神的に。
「……ええと、その……すみません」
「――えっ?」
そんな嫌そうな顔をするな。
確かに、もしかしたら自分の宿でおっぱじめているかもしれない奴に話しかけられたら嫌かもしれないけど。一応客だぞ。
「その、僕この街は初めてで。何か観光名所とかってありますかね?」
「ああ、観光名所ね……」
と、女将はメリアさんと顔を見合わせる。
無いのか。無いんだな。
「あの……一応、ありますよ」
と、言ったのはメリアさんだった。
よし、チャンス到来。
「へえ、どこなんですか?」
「ええと、すぐ近くのウッドヘルムの丘っていう名前のところです。景色が良くて」
「へえー。……あの、もし良かったら、案内してくれませんか?」
「えっ……」
えっ、て何?あなたが言い出しっぺでしょうに。
ちょっと、女将さんの方見ないの。
「……まあ、ちょっと行ってきたら?」
「わかりました!」
おお、ナイスだ女将さん。でかした。
この時ばかりは褒めてつかわす。
さて、ここからが勝負だ。どうやって信頼を勝ち取るか。それが鍵になってくる。頑張ろう。
………………
歩きながら、メリアさんに話しかける。
「そういえば、メリアさんはあの宿に住み込みで働いてるんですか?」
「えっ?ああ、いや、家は他にあるんですよ」
「へえ、そうなんですか」
……話が続いていない気がする。
俺が緊張してるだけなのかな。それとも相手が故意に話題を終わらせようとしている?
いや、或いはどっちもかな。
などと考えていると、どうやら着いたらしい。本当に目と鼻の先だった。
見ると、木がある。大樹だ。おそらくは月桂樹だろう。
そして、その樹の脇からはノーザンブルグ市内が一望できる。
なるほど、これは確かに見晴らしがいい。気に入ったかもしれない。
「……大きな月桂樹ですね」
と、言うと、メリアさんがおもむろに口を開いた。
「……ええ。この樹は私の一族のしるしでもあるんです。丁寧に手入れしているんですよ」
……えっ?
「……失礼。メリアさん、姓はなんと――?」
「ウッドヘルムですが……」
ウッドヘルムといえば、いやまさか。ニブルで共に戦った金髪碧眼の、月桂樹の紋章の入った盾を持つ青年レイモンド・ウッドヘルムが頭に浮かぶ。
「……メリアさん、もしかして、弟っていますか?」
すると、メリアさんは驚愕の表情でこちらを見る。
「はい、いますけど……」
メリアさんに一歩近づく。
メリアさんは一歩下がる。下がるな。
「ええと、それじゃあ名前を当てましょう、名前はレイモンドくんですよね?」
「そうです!……え?」
ドン引きしないで。トリックがあるんですこれは。
ああもう、全部の行動が裏目に出ている。
「あ、いや、その、ちょっと前にすこーし、ある宿屋で知り合いまして。彼に。」
「……そうなんですか?」
「はいそうです、そうなんです。信じてください」
ジーッと、顔を見られる。
誓って嘘は付いてないのでそんなに見ないでください。恥ずかしいです。
と、彼女が疑うような目をやめる。
よし、誤解は解けたかな。
「……なるほど。あの、レイモンドは――弟は、どうでしたか?」
どうでしたか、って難しいな。軍での出来事なんて言うとさすがにまずいし、だからって戦場以外ではそれほど関わりもないし……
ここは当たり障りのないことを言っておくか。
「……とても落ち着いていて、知識も深い。見どころのある青年だなっていう印象でしたね」
「それは良かったです。弟がお世話になりました」
「いえいえ。そんな大したことはしていません。むしろ俺の方が彼に助けられたぐらいです。良かったら、レイモンド君のこと、もっと教えてくれませんか?」
「もちろん喜んで!」
ようやくメリアさんの笑顔を見たよ。
――ありがとう我が戦友レイモンドよ。
君のおかげで俺は窮地を脱せそうだ。
帰ったら酒を奢ってやろう。
………………
――どうしてこうなった?
俺は確かレイモンドの話をしてて、その流れで酒を――?
回らない頭で考える。いや、もう無理だ。思考がまとまったかと思った瞬間に霧散する。
しかし、1つだけはっきりしている事がある。
……メリアさんはとんでもない酒豪だった。
意識が混濁する。もう保つのが難しい。
瞼を閉じる――
………………
昨日の昼過ぎに、一組の旅人が"ノースポイント"にやって来た。
1人は銀髪で一重の眼の若い男の人。
そしてもう1人は金髪で翠色の眼をした青年。
どちらも系統は違うものの顔立ちは実に整っている。
けれど、女将さんはこの2人組に別の感想を抱いたらしかった。
「――ありゃあ王都から来た、密偵の類だろうねぇ」
「えっ、そんなふうには見えませんけど……」
「ああ。銀髪の方はジグラト語を習得した大陸人特有の訛りだったさ。けれど、金髪。あれは王都訛りが出てた。多分、銀髪は本業で、金髪は素人さね。この道半世紀の女を舐めちゃいけないさ」
「ど、どうしますか?通報しますか?」
「馬鹿言うんじゃないさ。ファブニル人の味方なんかした日にはこの街には居られなくなっちまう」
――いいかい、通報はしないけど警戒はしておきな。もしかしたらメリアちゃんみたいな若い女の子を籠絡して情報を取ろうとするかもしれないからね――
あの人たちがただの町娘の私をだなんて、そんな訳ないと昨日までは思っていたけれど、流石は女将さんだった。
ちょうど次の日、金髪の青年――どうやらジークと言うらしい――が、私に観光名所を教えてほしいと接近してきた。
断ると何だか怖いことになりそうだったから、取り敢えずウッドヘルムの丘に案内した。
そうしたら、なんとジークくんはレイモンドと知り合いだったらしいという話を聞いた。
……これで、ジークくんが王国のスパイだと言うことが確定した。
なぜなら、レイモンドは1年前にもうオルギンへ行っているから。大陸から来たのが本当なら最近出会う訳が無い。
けれど、弟が生きていると知れて嬉しかったから見逃してあげることにした。
――その後、宿に帰るとレイモンドの話を聞かせながらワインを2人で浴びるように飲んだ。
ジークくんはすぐに端正な顔を真っ赤にして、呂律も回らなくなって、私の顔ばかりをまじまじと見るようになった。
なんだか小っ恥ずかしい気分になってきたから、ワインを更に飲ませて潰した。
この少し可愛らしい青年がスパイだなんて少し信じられない。
いや、もしかしたらこれすらも私を欺く演技なのかもしれないけれど――




