第2節8項 ニブル攻略戦
――バーナード・ワーグナーは、焦っていた。
彼にはタイムリミットがある。
すなわち、あと1ヶ月と少し。
何のタイムリミットか。
それは、雪である。
基本的に、ニブルス高原では雪は降らない。
西にあるジグラト山脈が雪雲を防いでくれるからである。
しかし、ジグラト山脈を越えた先にあるノーザンブルグはそうではない。
もし雪が降り始めると僅か1日から2日で行軍が困難になるほどの雪が積もり、手が出さない。
現在は11月初旬だが、12月に入ると本格的に降雪が始まり、3月末まで続く。
それまでにノーザンブルグを陥落させたい。
そして、ニブルからノーザンブルグの距離的にも、そこに到達するまでだけでも15〜20日ほどの時間を要する。
――と、考えると、もはや一刻の猶予もバーナードにはない。
そのためには、役に立たない幕僚どもよりも荒唐無稽なことを考えつくそこらの平民の意見や、貴族のお坊ちゃんの意見の方が重要である。
――遠征が成功したら、奴らにはしっかりと兵法の講義をくれてやらねばな――と、バーナードは思いつつ、筏の材料を用意するための部隊を見ている。
現在、ジグラト軍約250ほどはダミーとしてニブル入口から少し離れたところに陣営を置いて約500人が駐屯しているふうに見せようとしている。
一方で、もう半分の250は陣営から少し外れた森林の中で木を伐採して筏の材料としている。
この調子なら4日後には材料は揃い、もう3日後ぐらいには筏も人数分完成し、ようやく攻略の準備が完了するだろうという見通しである。
………………
――ニブルス氏邸――
「……フィリップ様、なにか妙ではありませんか?」
と、黒髪で茶の瞳を持つ、乾鮭色のサーコートの若い騎士――アルヴィンは言う。
「何が妙なのだ?」
「敵は報告だと500と聞いています。翻って我らはノーザンブルグからの救援含めても200ほど。いくらニブルが攻めにくいといえども流石に慎重すぎるのでは?」
「ふむ……それはワシも気になってはいた。しかし、バーナードのことだ。我らを誘い出す罠やもしれん。」
「しかし、罠にしても何も動きが無いのは不気味です」
「うむ……」
と、ここでアルヴィンはフィリップに言った。
「フィリップ様、私に兵50をいただけませんか」
「50を?何をするつもりだ?」
「私が奴らに探りをかけて参ります」
「しかし、これが罠だったら?」
「そうなれば死に損ないが正式に死ぬだけですよ」
………………
「さてと」
と、戦車に乗ったアルヴィンはニブルの入口からレーベン勢の陣営を望む。
時刻はちょうど昼時。
警備が薄いであろう時刻を狙う。
「行くぞ」
「はっ!」
と、アルヴィン麾下50名はレーベン勢の陣営へと駆けていくのだった。
………………
「敵襲!敵襲!」
と、ラッパの音がレーベン軍の陣営に鳴り響く。
ディアス・トンプソンは得物の斧槍を提げ即座に幕舎から飛び出して、近くにいた戦友のレイモンドに興奮した調子で言う。
「よおし、久々の戦いだぞレイモンド!楽しみだな!」
しかしレイモンドは彼を白い目で見る。
「昼時に敵が来て喜ぶ戦闘狂は王国軍500人といえども君だけだよ、ディアス」
「そうか?まあ良いじゃねえか。敵の数が減らせれるんだからさ」
「そう言われればそうかもな。けど昼飯食べてる最中に来られると腹が立つだろう?」
「……?飯食いながら戦わないのか?」
「そんなのは君だけだ」
と、言いつつもレイモンドも剣を抜く。
――アルヴィンの部隊は敵陣営が柵で囲まれているので容易に突破できないことを悟って弓を取り出す。
「皆、敵に一斉射撃だ。戦車の威力を見せてやれ」
と、ファブニル兵たちは戦車に乗りながら弓を構えて引き絞り、矢を放つ。
「来るぞ!盾構え!」
と、矢が雨あられのように降る。
幸いにも多くの兵が盾で防いでいたので損害は極めて少ないものの、やはり戦車の機動力は厄介である。
「反撃だ!撃ち返せ!」
と、レーベン側も矢を放つ。
すると敵の数名に直撃し、戦車は制御不能となって戦場を離脱する。
「……よし、このぐらいか。お前ら、引くぞ!」
と、アルヴィンの指示でファブニル戦車部隊は一斉に撤退する。
それを見たディアスは立ち尽くして、彼らの後ろ姿を見る。
「……なんだったんだ、アレ?」
「多分偵察目的じゃないかな。ここに陣営を置いてからもう3日経っているし、流石に不審に思ったんじゃない?」
「ふーん……」
………………
――しかし、その日からアルヴィンの部隊は昼時を狙って幾度となくレーベン陣営に接近。
その度に撃退されてはいるものの、数度に渡る偵察で、アルヴィンの中には確信ができた。
――レーベン勢は、現在何らかの理由があって兵を割いている――
それが何なのか、どれだけが離脱しているのかは依然不明だが、しかし絶対に500の兵力がいるような雰囲気はない。
もしかすると割いた兵はオルギンに帰っていったのかもしれないし、もしかするとニブルを無視して回り道してノーザンブルグへと向かっているのかもしれない。
前者であれば敵を一網打尽にする好機だが、しかし後者であればこれは王手飛車取りである。
現在ノーザンブルグの兵力のほとんどは最前線であるニブルに送られているのだから、ノーザンブルグは簡単に陥落する。
そしてノーザンブルグからの部隊とここにいる部隊でニブルを挟撃するのだとしたら――
アルヴィンはその可能性があることをフィリップに伝えた。
「……なるほど、ならばここの兵300のうち、ノーザンブルグからの救援の100を送り返すとしよう」
「かしこまりました」
「バーナードめ、兵力の多いのを利用して詭計を巡らせおって……」
と、フィリップは唇を噛んだ。
――しかし、これが全くの勘違いであることは言うまでもない。
ジークの突拍子もない奇計は、知らず知らずのうちに戦局を優勢に運んでいたのである。
………………
――さて、一方でジークたち含む筏製作部隊は約1週間の作業を経て、ようやく人数分の筏を製作することができた。
ここから先は戦闘である。
――第3夜警時、正確に言うとおよそ午前2時頃、バーナード率いる別働隊50ほどは、夜闇に紛れて戦線を離脱。
迂回してニブルス氏邸の背後にある北峰を踏破するために進軍を開始した。
一方で、夜中のうちに主力部隊は川上から筏を持ってきて川岸に杭を打ち、縄で筏と繋げておいて夜明けと共に川から侵入する手筈を整えた。
………………
――夜明け。
東の山際から、少しずつ上った曙光が、ようやくその頭部を見せ始めた頃、レーベン勢は動き始めた。
一斉に川岸に繋げておいた筏の縄を斬ると、川の流れに沿って筏は動き始める。
「よし、漕ぐぞ!せえの……!」
と、櫂を漕ぐ。
筏の構造として、漕手を保護する形で盾を両側に取り付け、漕手の頭上やその他の乗組員の頭上にもテストゥドの要領で盾を構える。
筏と言うよりも、小さな方舟と呼称するほうが相応しいかもしれない。
そんなものの艦隊が上流から続々と流れてくるので、ファブニル軍は驚愕した。
「な、なんだこれは?!」
「わかりませんが、おそらく敵軍の策略です!」
「ええい、矢を射掛けよ!」
と、矢が雨あられのように降り注ぐが、しかし全く効果はない。
あっという間にレーベン勢は敵の大半が待機していたニブル入口を突破して町の中央分近くまで進入した。
「よし、ここまで来たら筏を川岸に打ち上げる。敵はまだ少数しかいないが、皆下りる時に気をつけろ!」
と、レイドス卿の指示に従って兵たちは続々と筏から下りる。岸辺に打ち上げた筏たちは後々バラして何らかの資材に転用することもできるので、そのまま川に流すような真似はしない。
さて、ようやくニブル市内に上陸したレーベン勢、その数およそ400。
途中で筏が転覆したりして脱落した者も中にはいるものの、それでも十分な数である。
ちょうどニブルス氏邸がすぐ近くの場所。
ここから西へと向かうとニブルス氏邸だとリドニアは言う。
が、ここに来てニブル入口にいた敵主力が到着してきたので、レイドス卿は指示を出した。
「ここで戦力を割く!ヴェルトとジーン、貴様らは別働隊を率いて敵本陣へと向かえ!その他は私に従ってここで奴らを食い止めるぞ!」
「「はっ!」」
………………
ジークたちは走っていた。
目指すはニブルス氏邸。リドニアの実家、と言ってしまうとなんだか妙な感じだが、一応リドニアの実家である。
と、そんなジークたちの目の前に、乾鮭色のサーコートを着た騎士と、それの部下と思しき集団が現れる。
乾鮭色のサーコートの騎士は、唐紅のサーコートの青年ディアスの姿と、藍鉄のサーコートの青年レイモンドの姿を認めると高笑いした。
「フフ、フハハハ」
すると、レイモンドはもちろんのこと、流石の戦闘狂ディアスでさえも顔を引き攣らせる。
「な、なにがおかしい。貴様は誰だ」
と、乾鮭色のサーコートの騎士は高笑いをやめて、今度は狂気に満ちたような目つきで名乗る。
「俺は邪竜騎士団第3軍所属の騎士、アルヴィン・ アンデル。そして、ニブルス峠で貴様らに敗れた将だ」
と、ディアスは耳をほじりながらそれを聞く。
「あ?あー!ニブルス峠の時に真っ先に逃げた大将か!俺、大将首は大好きだぜ!首、早く寄越せ」
と、的を射るどころか全く見てもいない回答に、レイモンドはじめジークやヴィルらもドン引きする。
そして、アルヴィンは顔を真っ赤にして剣を抜くり
「……チッ、話の通じんガキが。首が飛ぶのは貴様らだ!皆、この唐紅のサーコートのガキを殺れ!」
と、ファブニル兵たちは剣を抜いて一斉にディアスに襲いかかる。
が、ディアスは手の斧槍を振り回して薙ぎ払い、そしてヴェルトに言う。
「おい、ヴェルトさん」
「なんだ?!」
「あんたらは先に敵の本陣に行け」
「しかし……」
と、ディアスの方を見るが、彼は多数の敵をも何するものぞと言わんばかりに薙ぎ払い、または突いて圧倒している。
「ここは心配いらねぇ。さあ、敵の総大将逃したら大目玉だせ、"伍長さん"よ」
と、ディアスが言うので、ヴェルトはようやく頷いて、それからリドニアの方に振り返って言う。
「――リドニア、迂回路を教えてくれ」
「了解だよ、"伍長"」
と、リドニアがイジるように笑うのを見て、ヴェルトは照れ臭そうに笑う。
………………
――少しの迂回路を通ってニブルス氏邸に辿り着くと、そこは既に死屍累々としていた。
「……バーナード公に先を越されたか」
と、ヴェルトが呟く。
実は、バーナード公の軍はレーベン勢が筏から上陸し始めた頃には既に北峰にいて、攻撃の機会を伺っていた。
それで、ジークたちと、本陣の守備をしていたアルヴィンたちがぶつかったのを見て、ここが好機と攻撃をしたのだ。
結果として、邪竜騎士団第3軍の幹部たちは悉く戦死、あるいは捕縛され、主将だったフィリップは自刃した。
その後、フィリップが死亡したと知ったファブニル軍は総崩れになった。
ちなみに、ディアスたちと戦っていたアルヴィンだが、なんと命からがら生き延びたらしく、敗残兵を指揮して北都ノーザンブルグまで落ちていった。
――こうして、ニブル攻略戦はレーベン勢の勝利に終わった――




