第2節7項 ニブルの町
ニブルス峠での戦闘から約半日。
休息を取っていたレーベン勢は、日が直上から少し外れた頃に、再び進軍を開始した。
ここから伏兵などに気を付けつつ進軍するとなると、ニブルの町に到達するのはおよそ2日と半日程度かかるだろう――
………………
――さて、ここはそのニブルの町――
先のニブルス峠に駐屯していた部隊の指揮官のアルヴィンは、ニブルのニブルス氏邸にいた。
ニブルス氏邸とは、書いて字のごとく開戦前までニブルの町を治めていたニブルス氏の邸宅である。
ニブルの町でもっとも大きく、守りやすい位置にあったので、ここを占領したファブニル軍はここに本陣を置いていた。
「アルヴィン様、フィリップ侯がお越しです」
「はっ」
と、アルヴィンが椅子から立ち上がると、ドアの奥からそれなりに歳を重ねているであろう、白髭の男が現れた。
彼はフィリップ・フェラー侯爵。
ファブニル軍の主力である邪竜騎士団の第3軍の軍団長を務める、いわばナンバー3である。
アルヴィンはその男を前にしてブルブルと震えている。
――もはや後が無い――
と、そう思っていると、アルヴィンが口を開く。
「アルヴィン、よい、座れ」
「は……はっ」
と、アルヴィンが座ると、フィリップが言う。
「……ともかく、よくぞ無事で帰ってきた」
「……申し訳ありません。閣下から預かった貴重な兵を喪ってしまいました」
「うむ。それについては追って然るべき処置をする。しかし、よくぞ生きて帰り火急の事態を報せてくれた。それがなければニブルまで敵が来るまでついぞ気づかなんだであろう」
「はっ……?いえ、伝令は……?」
「伝令……?何のことだ?」
アルヴィンは青ざめた。
そう。なんとアルヴィンが走らせた伝令はバーナードが用意した偽物で、ニブルに情報を与えないようにと手配したものだった。
ここに来て、アルヴィンは全てに気がついて、呆然とした。
それを見たフィリップは不審に思って訊く。
「アルヴィン、どうしたのだ」
「……フィリップ侯、これはおそらくかなり大規模な遠征です」
「なぜそう言い切れる?」
「私の部下の伝令が、おそらくレーベン勢の手の者でした。それだけではありません。奴らの主力部隊の後ろに輜重隊が目視できる限りでも大量におりました。」
「……!北都から更に増援を要請しておく。よくぞ報せてくれた、アルヴィン」
「はっ。あと、それとお願いが――」
「なんだ?」
「――私に、汚名返上の機会をくださりませんか」
………………
一方こちらはニブルに向かう道中のレーベン勢。
ニブルス峠での戦闘から約2日と半日。
ようやく街道がジグラト川の流れに沿うようになってきた。
「ここまで来たら、もうニブルは目と鼻の先だよ。あともう半刻ぐらいだね」
と、リドニアが言う。
確かに、道はそれまでのあまり整備されているように見えなかったそれとは異なってしっかりと手入れされているようにも見える。
「……!あれか」
それから暫く歩き、山あいの曲がっている道を抜けると、ジークたちの目前に、白壁で統一されている町並みが現れた――
………………
――ニブルの町――
ニブルは、ジグラトで最も長いジグラト川の上流の谷あいに、王国成立後に建設された町である。
町の中央にジグラト川が流れ、川沿いにニブルス街道が走り、そしてそこから谷あいの土地に家々が立ち並ぶ。
家々は白い石材を用いた壁で統一されており、屋根の多くはオレンジの瓦屋根。
そして街道から外れていくごとにどんどん標高が高くなっていて、最も高いところでは周囲の山の中腹部ほどに達する家もある。
ニブルス街道に面した大通りから離れると、小さな路地などが多くなり、複雑で狭い構造になっていて、かなり攻めにくい町だと言える。
この町を建設したのはニブルス氏の始祖であり、中部トイル城を現在の形に改修したレイブンウッド伯。
彼がこの地に町を建設したことから、このニブルは代々彼に続くニブルス氏の本拠となっていた――
――「オールト叙事詩」ジグラト地理誌より――
………………
その町の目前でレーベン勢は停止し、軍議を開く。
軍議に招集されたのは先のニブルス峠での面々と、そして町について一番熟知するリドニアである。
全員の揃ったのを見て、バーナードはリドニアに言う。
「では、軍議を始める。――リドニア、まず町の特徴を」
「はっ。では、この机上の地図をご覧ください」
と、諸将はリドニアがあらかじめ机の上に広げておいた図面を見る。
「我々が今いるのはここ――ニブル入口です。ここから進むとちょうど壺のように道が少し狭まり、そして開けたところに町があります」
リドニアが指し示したそれを見て、将軍たちは驚愕する。
このニブルがおよそ天然の要塞であるということに気がついたのだ。
――まず、壺のように山に圧迫されて道が狭くなったところ。
ここならば伏兵を置いて侵入する敵を両脇から挟撃できるし、弓兵で撃つこともできる。
そして、そこを抜けられても、街道沿いには高い建物も多く、砲台として機能するだろう。
そして、敵本陣のあるニブルス氏邸だが、ここに至るまでは小路が多すぎて包囲される可能性が非常に高い。
………………
――リドニアが町の詳細までの説明を終わる頃には、将軍たちをはじめ、ここに詰めている人の凡てが、この天然の要塞を見つけ出した二百年前の英傑レイブンウッド伯の慧眼を畏れた。
そして、畏れた後に眼前のリドニアを見る。
彼はニブルス氏に代々伝わる、「銀の城壁冠」の紋章の入った深碧のサーコートを着て、その顔は面長で目は一重、瞳は翠色で茶髪といった風貌である。
彼はお世辞にもジークやヴィルなどより美形であるとは言いがたいが、しかしその容貌は伝説にあるレイブンウッド伯と瓜二つだという。
皆、彼を見て、そしてニブルの町を見て、古の英傑レイブンウッド伯を想像した――
………………
「――さて、では次に、この町の構造などを踏まえ、作戦案がある者は?」
と、バーナードが言う。
が、誰も声を上げない。上げられない。
――これまでの戦場でもそうだったのだが、全体的にレーベン軍の将軍たちには作戦立案能力が著しく欠如している。
理由は明白で、実戦経験がほとんど無いからである。
生まれてこのかた実戦を経ずに親の階級などで将軍に昇進できた、というケースばかりなのだ。
事実、ここ30年間で実戦は16年前のラズ紛争だけである。
――それに、このニブルに関して言えば、かなり攻略難度は高い場所なので、本当に何をすればいいのか、何が正解なのか分からないのも加わっている。
「「あのっ」」
と、そんな中で、ジークとリドニアが同時に手を挙げた。
2人の目が合う。
「「あっ、先にいいよ」」
と、2人は譲り合いはじめた。
それを、ヴェルトはやれやれと言った顔で見る。
「……ジークから先に言えよ」
「あ……はい」
と、ジークが前に進み出た。
そして、机上の地図を指す。
「川の流れを利用するのはどうですか?」
「……は?」
レイドス卿が、不意に声を出した。
――ジグラト川。
ニブルス高原を南のニブルス峠近辺から北端はノーザンブルグまで流れ、そしてティアマト海へと注ぐ。
長さにしておよそ1400マイル(約200キロメートル)。
ニブルの町は市街地の中央にそのジグラト川が流れていて、町を2分している。
「ど、どういうことだ貴様、説明しろ」
「は、はい。この川のもう少し上流で筏を組んで、それに乗って最初の関門の両脇に迫る山を突破するんです」
「それで、その後は」
「その後、市内の流れが浅いところで筏から下ります。それでそのまま市街地戦を行います。おそらく敵は町には入る前に決着を付けようとするので兵力は市内にはそれほどいないかと」
「ふむ」
と、ジークが説明したところで、バーナードはリドニアの方を見る。
「では、リドニアの案は?」
「僕の案は、ニブルス氏邸の裏にある北峰という山から奇襲を仕掛けるというものです」
「ふむ。ではその案、どちらも採用するとするか」
「はい?」
「その作戦は両立できる。別働隊が北峰から攻め、川から主力が出る。これで行くぞ」
「お、お待ちください」
と、半ば強引なバーナードに対して、レイドスが口を開いた。
「どうしたレイドス」
「い、些か性急では?まだ諸将の合意がありませんし、その作戦を実際に決行できるのかも分かりません」
と、そう言うレイドスに対して、バーナードは返す。
「良いか、レイドス、そして諸将。今ここに、2人の青年がいる。恐らくは兵法も知らぬ者だ。しかし彼らでも考え、そして諸将が集うこの場で発言した。貴公らが何かものを論じるのなら、まず自分たちで策を考えてからだ。自分で考えもせず、しかし人の考えに文句をつけるだけなら誰でもできるのだ」
「しかし……」
「ならば聞こう。諸将らの中に策がある者は?」
しかし、誰も挙手できない。
「――時間もない。この策で行く。」
「はっ」




