第1節1項 二人の青年
――ジークフリート・カーターは、夢を見る。
焔に包まれたどこかの村。燃え盛る家々、逃げ惑う人々。そして、ファブニルの「邪竜騎士団」の所属を示す竜の紋章を刺繍した赤いサーコートを着た騎士たち。
その中で、ジークフリートも、逃げ惑っている。
夢の中であるというのに焔の熱が伝わってくる。皮膚が文字通り焼けそうなほどに熱い。いや、もはや痛い。
振り向けば、騎士が剣を抜き放ち、彼を追う。
ジークフリートは、逃げようと必死に走るものの、なかなか早く走れない。
と、その時、馬に乗った叔父さんが、彼の身体を馬上から拾い上げてくれ、そのままジークは焔の村から逃げ出す――
――ジークフリートは、こんなふうな夢を幼い頃から見続け、そして成人した今でも見る。
この夢が何なのか、未だにわからないし、夢の中での唯一の顔見知りである叔父さんに聞いてみたこともあったのだが、「わからない」の一点で、今に至るまで何も聞き出せないでいる。
しかしながら、この夢に長年触れ続けた彼の心の中では、ファブニル人という人種はとにかく恐ろしい人種であろうという確信のみが育まれているのであった。
………………
――時は王国暦203年9月29日。
北部ニブルス地方を完全に征服したファブニルが、レーベン領オルギンへと軍を出立させようとしていたのとほぼ同時期である――
その日の朝、このフギンの村の唯一の騎士、リード・ハボックが王都からの緊急の招集から戻ってきて、ある触れ書きを村の掲示板に貼った。
「……なあ、この触れ書きはどういう内容なんだ?」
それが、その触れ書きを見た村人の、第一声だった。
それを聞いて、なるほど王都は平民の生活について何も知らないようだ――とリードは苦笑する。
「ええと、かいつまんで言うと、王国の存亡の危機であるため平民からも兵士の志願者を募る、という内容ですね。どうやら寝泊まりするところやら三食の保証などはされているようですが――」
「冗談じゃねえや」
掲示板を囲う村人のいずれかから、そんな声が上がる。
リードは、ピクッと一瞬その声の方を鋭く見るものの、すぐに困ったような顔をする。
すると、それを良いことに村人たちが次々に声を上げていく。
「――そうだ、冗談じゃない!ワシらだって毎日雨露を凌げる家はあるし、三食を不自由無く食って行けてる!確かに、去年の大飢饉の時はそうも行かなかったが――」
「そのとおり!我々もそんな条件にホイホイ釣られて命を粗末にしたりはせん!それに、我らは今年も年貢を納めんといかんのだ!戦なんざそれこそ騎士様がやるものでしょう、リード様!」
口々に村人がリードに訴える。――いや、果たしてこれを訴えと呼ぶのか。
そして、当のリードはなおも困り顔をわざとらしく浮かべるばかり。
――そんな光景を、2人の青年が遠巻きに眺めていた。
かたや金髪に奥二重の目蓋、翠眼の目を持ち、端正な顔立ちの青年。
かたや黒髪にブラウンの三白眼を持った、やはり端正な顔立ち。
こんな閉塞的な村に、こんな好青年が2人もいるというのはほぼ奇跡に等しいほどだが――
と、いうのは置いておいて、そんな好青年2人は、村人どもに囲まれるリードを見たあとで、顔を見合わせ少し話し込み、村の少し離れたところにある森のなかに足を踏み入れていくのだった――
………………
この村にいる、奇跡の好少年二人組は、森の中にあるいつもの場所――彼らの呼び方で呼ぶならば秘密基地、と呼ばれる場所に向かっていた。
秘密基地、とは大層なお名前であるが、その真実は森の中の、周囲と比べて数メートルほど盛り上がった場所で、そこに雨露を凌ぐことができる程度の穴があるというものである。
正直なぜこんな場所が有るのかについてはよくわからないものの、2人は子供の頃からなんだかよくわからないものの、都合のいい場所、という風に捉えていた。
――なお、これが盗掘された後の古代の墳墓である、ということは彼らはもはや一生知ることはない。
洞穴の入口は盗賊に破壊された侵入口であり、言わずもがな洞穴の内部は棺の安置所である。
盗賊も随分豪快に墳墓を破壊したようで、成人男性2名が並んで入れるほどの広さの侵入口を穿ったらしい。
それで、後年の人もまさか盗賊がこんなに豪快に人の墓を荒らすまいと思ったのかもしれないが――
とはいえ、棺はどういうわけか丸ごと盗まれたようだし、松明があれば壁面に描かれた壁画やら(もっとも、風化していなければだが)に気がつくかもしれないが、昼間の松明の要らぬ時間しかここに出入りしていないのだから、気づかなくても無理はない。
と、そんな「秘密基地」内部に入り込んだ青年二人組は、中に置いてあった木の棒をそれぞれ手にして外の少し開けた場所に出る。
棒は、心なしか剣の形に似せてあるような見た目である。
「さて――」
と、口を開いたのは金髪の青年。
「ヴィル、今日こそは勝たせてもらうぞ」
すると、ヴィルと呼ばれた黒髪の青年が応える。
「ふっ、通算で300回程度しか勝てていない癖に抜かすなよ、ジーク。俺はお前の三倍は勝ってるぞ?」
「何をその程度。つまり4回に1回は勝てるってことだろう?」
と、お互い剣をまっすぐに構え、向き合う。
――先に仕掛けたのは、ジークと言われた、金髪の青年である。
ジークは、剣を左脇に溜めながらヴィルの方に走り込む。
「突撃か。ならば」
と、ヴィルは右足を引いて剣を持ち上げて水平にし、半身になって初撃に備える。
左斜め下から、ジークの剣が斬り上げる。
ヴィルはそれを撃ち落として再び剣を水平に持ってきて、そしてジークを突く。
「――フッ!」
ジークは体を捻ってそれを躱し、ヴィルの剣を下から弾き上げる。
ヴィルの剣が上を向いた刹那、そのまま手首を返してヴィルの左脇腹目掛けて斬撃を放つ。
が、ヴィルは後ろに飛び退いたのでその斬撃は空振る。
間髪入れずにヴィルは大きく振りかぶって正面に剣を振り下ろす。
対してジークは再び左脇に剣を溜めて迎撃の構えを見せる。
振り下ろされた剣は、空中で受け流され、そのままの勢いで完璧にヴィルの左脇腹に入るコースを取った。
が。
「それはさっきも、見た!」
なんと、ヴィルはジークに体当たりした。
「?!」
衝撃でジークは剣を離し、地面に倒される。
そこをヴィルに組み敷かれて喉元に木剣を突きつけられる。
強張っていたジークの体が、急に脱力する。
「チッ、また負けた」
「負けを素直に認めるところだけは評価してやろう」
と、ヴィルは笑いながらジークの喉元から木剣を離す。
「うーん、俺も少しは強くなってるはずなんだけどなあ」
「フッ、馬鹿言うな。俺とお前でこうして稽古する時間はおんなじなんだから、吸収が早い俺のほうが優れてるに決まってるだろ?」
「そのとおりなんだが、そう言われると癪に障るな……」
………………
――この日は、快晴だった。
ただ、冬の到来を民草に教えるような木枯らしだけが吹いていた。
そんな中、秘密基地でジークとヴィルは話している。
「――兵士を募集するってやつ、どうする?」
不意に、ヴィルが言った。
「ヴィルは行くんだよな?リード様の許可も得ているんだろ?」
「ああ。父上は快諾してくれた。けど、お前はどうするんだ?騎士になりたいとずっと言って、ここまで鍛錬を積んできたんだよな?」
「ああ。それはもちろんだ。本当は今すぐにでも出立したいぐらいだ。今晩にも父さんに話してみるよ」
「わかった。そちらの用意ができ次第こちらも旅支度を整える」
と言って、2人は秘密基地を出て、それぞれの家に帰っていった。
………………
――ヴィル。
本名を、ヴィルヘルム。
姓は、ハボック。
ジークフリートの無二の親友でもある彼は村唯一の騎士、リード・ハボックの息子であった。
ヴィルは家に帰る途上、ふと社が目にかかった。
ハボック家が代々信仰している、古い戦の女神を祀る社である。
そこに、濡羽色の美しい羽色のワタリガラスが一羽、佇んでいた。
「冬の鳥、だったな――」
と、ぼそりと呟いたヴィルは、その社の前まで歩み寄る。
ワタリガラスは、一向に逃げる気配はない。
人馴れしているのだろうか。
そんな鴉を脇目に、ヴィルは社で、「私と彼――ジークフリートに、どうかご加護のあらんことを」と祈り、社を後にした。
旅の始まりを確信して。そして、ジークとヴィル、2人の夢の成就を確信してのことである。
ワタリガラスは、社の脇からそれをじっと見つめるようにして、やがてどこかへ飛び去っていった。