第2節5項 北部
――11月4日、バーナード公率いるレーベン勢全兵力である約500弱は、オルギンから北陸道を北上してニブルス高原を目指した。
目標はジグラト最北端の都市、ノーザンブルグ城に至るまでのニブルス地方全域の奪還である。
――ニブルス地方について、少し解説しよう。
ニブルス地方とは、オルギンから北に位置する高原地帯のことである。
西にはジグラト山脈と呼ばれる険しい山脈が、東にはティアマト海というジグラトを囲う大海があり、牧畜が盛んである。
ニブルス高原にはジグラト河という大河が流れており、河は北に流れて、そしてノーザンブルグ城の近くを流れてティアマト海に注ぐ。
ジークたちが進撃している北陸道はその河を沿って通っている。
特筆して大きな都市は2つ。
リドニアの故郷で、ニブルス氏の本拠、ニブルの町。ジグラト河上流域の谷あいに建設されている。
そして、今回の遠征の終点としている、「北都」ノーザンブルグ。ジグラト河下流域に建設されており、都市の規模はジグラトでも5つに入るほどである。
他に、ニブル〜ノーザンブルグ間に「アリエスの森」と呼ばれる原始林があることも知られている。
現地民の間では聖域と言われ、有史以来誰も軍事目的でそこに立ち入ったことは無いというし、立ち入った者には天罰が下ると言われている。
――そして、当然といえば当然なのだが、北部は寒い。まして11月ならばなおさらである。
リドニアの話によれば、ニブルはそうでもないが、さらに北――ノーザンブルグ周辺域では雪が積もるらしい。
と、言うより、ジグラト山脈を挟んで西側、ファブニル地方の方面では雪は降るのだが、山脈を挟むと寒いだけで雪はなかなか降らないらしい。
――と、ニブルス地方の解説はこのくらいである。
ジークらはこれより、このような未だ自然が多く残る極寒の地へと足を踏み入れるのであった――
………………
さて、レーベン勢はそのまま街道を北進し、あと少しでニブルス高原の入口、ニブルス峠だというところで、そろそろ日が暮れようとしていた。
軍団は進行をやめて、野営の準備をし始めた。
「今日はここらで野営だ」
と、ヴェルトが言うので、ジークらも野営の準備をする。
テントを立て、食べ物や飲み物などを持ってくる。
………………
夜になって、レーベン勢の野営地は和やかな雰囲気に包まれていた。
彼らの今日の食事は乾パンと豆のスープ、干し肉、あとワインである。
これでも実は豪勢な方で、酷いほうだと金銭を渡されて現地で調達するように言われることもある。
しかし、そのようなことをする軍隊は必ず負ける。
何故か。兵站を軽視しているからである。
兵站とは生命線であり、命綱。
それを軽視するような軍はそもそも戦争の基礎からできていない。
バーナードはそれをわかっていて、遠征のために莫大な予算を投じて食料を調達していた。
この点において、バーナードは実に優れた武将だと言えるだろう。
ついでに言うと、ファブニルがオルギンで敗北したのは、そういう側面もあった。
彼らは占領地の治安を蔑ろにしたままでオルギンまで進撃してきたために占領地で反乱が起き、そして兵站が維持できず、それに伴って士気が下がったまま交戦したので敗北した。
兵站はどの時代においても必須なのである。
………………
さて。
ジークたちは酒を飲みながら、談笑をしていた。
酒に酔った成人男性の話す内容など少し考えればわかりそうなものであるが、しかしあいにくそんな馬鹿な話を出来るほど人生経験のある訳でもない人間ばかりの部隊なので、リドニアの故郷、ニブルの町について話を聞いていた。
「――僕はね、実は今まで皆に言っていなかったのだけれど、ニブルを取り戻すために軍に入ったんだ」
「ほう」
「ニブルは小さいながらも谷の合間に住宅が建っていて、とてもきれいな町なんだ。そんな町が、ファブニル人に荒らされるだなんて、我慢が出来なかった」
「……故郷が好きなんだな」
「うん。見てもらったら分かると思うんだけど、山が多いジグラト北部特有の町並みだと思う」
「じゃあ期待しておくよ」
「うん!」
と、リドニアとジークはワインを呷る。
遠征のために大量に安く仕入れた物なのだろう、酒場で飲むようなそれよりも味が雑である。
が、こんな時に贅沢など言っていられない。
飲料はこれしか無いのだから。
――そう。
飲料はワインしか無いのである。
この時代、水よりもワインの方が安かったということで遠征軍ではよく飲まれていた。
王都やオルギンのような大都市には水道や井戸がしっかり整備されているのでそれほど水は貴重ではないのだが、それでも遠征となると話は別である。
なので、飲み物は酒類(しかし多くの人はワインを特に好むのでもっぱらワイン)しか用意されていない。
それに、水は腐るが、酒類はそのアルコールのために腐りにくいという長所もあった。
だから、軍の食糧ではもっぱら酒類が飲料として用いられていたのである。
………………
さて。
そんな話をしているジークとリドニアをよそに、ヴェルトは他の小隊のところへ行って、伍長たちと親睦を深めていた。
彼が一番親しいのは、オルギン会戦前夜にも話をしていた、ジーンである。
以前リドニアはヴェルトが史上最年少で伍長になった逸材だとジークに話していたが、実はこのジーンという青年も、彼と同い年で伍長に昇格した逸材である。
「よ、遊びに来た」
「おお、ヴェルト。どうした?部下に追い出されたか?」
「フッ、そんなわけないだろ」
「ハハ、そらそうだ」
と、にこやかに話す。
ヴェルトがジーンの部下たちを見ると、なかなかに見どころのありそうな青年が一人二人はいる。
その中でと、唐紅のサーコートのオレンジの髪でアンバーの瞳の、可愛らしい顔の青年と、藍鉄のサーコートの金髪碧眼、盾に「月桂樹」の紋章がある青年は、オルギンでも特に活躍したと聞いていた。
「君たちは、オルギンでも大活躍したと聞いてる。良ければ名前を教えてくれるか?」
と言うと、気分が良さそうに唐紅のサーコートの若武者が名乗る。
「俺は王国騎士団随一の槍使い、トイルのディアス・トンプソンだ!」
と、トイルという地名にヴェルトが反応する。
「おお、トイルだったか!俺もトイル出身だよ」
「おお!あんたの名前はなんて言うんだ?」
「トイルのヴェルト・イェリントンだ」
「あんたがヴェルトさんか!噂は聞いてるぜ!」
と、同郷だということで盛り上がりつつもディアスとはそこそこに、ヴェルトは月桂樹の盾の青年にも名前を訊く。
「僕はノーザンブルグのレイモンド・ウッドヘルム。よろしく、ヴェルトさん」
「よろしく。……ところで、ウッドヘルムというと、"あの"ウッドヘルムかい?」
「……はい、そうですよ。」
「そうか。……いや、失礼した。よろしく」
ヴェルトが彼に聞いた、「ウッドヘルム」という姓はかつて没落した貴族の姓でもある。
かの貴族は北都ノーザンブルグに領土を持っていたが、50年前のレーベン遷都に伴って権力闘争に敗れ領土を失い、その子孫は今や平民同然の生活を送っているという。
おそらく、レイモンドはその子孫なのだろう。
没落し、騎士となって復権することを夢見て軍に志願したのだろうか、と色々と思いを巡らすものの、邪推だろうか、と考えるのをやめる。
「ヴェルトさんのところってぇと、あの"鬼神"やら"お姫様"やらがいるところだろ?」
と、ディアスが話しかけてくる。
ジークやヴィルもそうだが、どうして自分は年下で部下のはずの人物にタメ口を利かれているのだろうか。舐められやすいのだろうか、それとも教育がなっていないのか。
などと無駄なことを考えつつも、ヴェルトは返す。
「えっと、"鬼神"っていうと、ヴィルのことかい?」
「そうそう、ヴィルヘルム・ハボック!あいつとはいつか一回手合わせしたいと思ってるんだよな」
「そ、そうか、それは血気盛んだな」
などと、一度ヴィルに完封されたことがあるヴェルトは彼の末路が見えて仕方がない。
ヴェルトは苦笑いするのみである。
――と、言ったふうに、ヴェルトはヴェルトで他部隊との親睦も深めていっていた。




