ジグラト地理誌 第3章「王朝史」
かつて、ジグラトは4つに分かれていた。
西部ファブニル半島を本拠とするファブニル国。
東部オルギンを本拠とするオルギン国。
中部ロードス盆地を本拠とするロードス国。
そして、南部水都ガイウスを本拠とするガイウス国(後のジグラト王国)である。
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この国々の中で抜きん出て強かったのは、製鉄に長けたロードスだった。
そして、ロードスは帝国暦1567年、ジグラト統一を目指してガイウス国に侵攻した。
後に言う、「成立戦争」である。
約4年間に渡る激戦の末に、水都は遂に陥落。
国王ジュライ6世は水都の東のユリシーズ島に逃れ、再起を図った。
その勢いのままにロードスは東のオルギン国も征服しようとし、2年後の1573年にオルギンが陥落した。
しかし、オルギンの遺民たちは徹底抗戦の構えを見せ、ニブルス高原一帯でゲリラ戦を展開し、ロードス軍の進軍を激しく阻んだ。
――一方で、ユリシーズに逃れていたジュライ6世は1574年に再び本島に上陸。
後にジグラト統一の立役者となるレイブンウッド伯やハボック家などの人材を獲得し、反攻作戦を展開。水都を奪還した。
これを看過できなかったロードス軍は大軍を水都に派遣し、ズーデンブルグの丘で決戦となり、水都勢がこれを破った。
そして、この戦いの際に一夜にして丘に砂で城砦を作り上げ、水都勢の勝利に貢献したルキウスという者が「サンドブルグ」の姓を与えられ、以後ルキウスという名は歴代サンドブルグ家当主が襲名するという伝統になった。
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北部ではオルギン残党に悩まされ、南部では水都が力を盛り返してきて斜陽気味だったロードスは、1575年にガイウス山脈のロードス山の噴火によって都ロードスが壊滅し、ついに滅亡した。
その後、ジュライ6世の麾下の将軍たちによって1577年にニブルス高原が完全に制圧され、1580年についに最後の国ファブニルを滅ぼしてジグラトを完全制覇した。
ジュライ6世は王国暦を制定し、統一の都市を元年として、そしてガイウス国の国号を「ジグラト」と改めた。
そうして、ここにジグラト王国が誕生した――
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しかし、亡国の遺民たちの意思は容易くまとめる事はできなかった。
王国暦107年。西部のファブニル半島は蜂起して「ファブニル国」の再建を唱えた。
ファブニル国は王国による度重なる征伐を全て退けてファブニル半島の支配を確実なものとした。
この「ファブニルの乱」をきっかけに王の力は弱まり、王に代わって貴族が力を持つようになった。
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そして、今度はその貴族同士での対立が起こる。
王国暦141年。東部のレーベン半島を領有していたグッゲンハイム侯が水都の老朽化などを口実に自らの領地であるレーベンに都を遷させようという運動を行った。
反対する勢力は変死を遂げ、グッゲンハイム家に圧力を掛けられた結果、翌年に王国は都をレーベンに遷した。
しかし、反対勢力はこれを良しとせず、水都で反乱を起こして南部を占領、「ガイウス共和国」を名乗った。
この経緯があるため、レーベン政権とガイウスは相容れないのである。
――ジグラト地理誌第3章「王朝史」より抜粋――




