第2節3項 密約(下)
――ルキウスらははじめ、先頭のその若い男を誰かと思っていたが、その真紅のサーコートを認識して立ち上がった。
真紅とは、ガイウスでは武門の長のみが身に纏ってよい色。
その色を見てから、ようやくルキウスらはその若い男が件の梟雄、セオドアであるとわかった。
セオドアは、そのまま上座の、ルキウスの対面に立って、そして口を開いた。
「ようこそお越しになった、ルキウス公。私がガイウス騎士団団長、セオドア・ブラックモアです。」
「これは失礼。私はサンドブルグ家第13代目の当主、ルキウス・サンドブルグです」
と、セオドアが手を差し伸べるので、ルキウスはその手を掴んで握手する。
ルキウスは、セオドアの微笑の顔に、同じく軽く笑みを浮かべるが、しかし、腹の奥では警戒を怠らない。
「さあ、席へどうぞ」
「では失礼」
と、ルキウス、カルロス、エリーが座ると、セオドア、アントニヌス、そしてもう1人の側近――どうやらガイウス騎士団第三軍団の長、サラエボ・スミス男爵らしい――も着席する。
セオドアの下女らしき女性は立ったままである。おそらく、立ち振舞い的に護衛あるいは秘書かなにかであろう。
………………
と、着席して間もなく、いきなりセオドアは本題に踏み込んだ。
「さて――今回はどのようなご要件で?」
ルキウスの隣のカルロスとエリーは、固唾を飲んだ。
セオドアという男は、相当に策略家――あるいは政治家なのかもしれない。
軽めにジャブを打ち込むなどせず、初っ端、油断しているときからストレートを打ち込んできたのだ。
しかし、そんなことは予想している、といわんばかりにルキウスの顔は穏やかである。
「ええ、そのことについてですが、単刀直入に言いましょう。――休戦を申し込みたい」
「……ほう」
流石にセオドアの顔色は変わらないが、これには、アントニヌスも驚きの顔をした。
まさか、そんなことを言いにわざわざ敵地に来るとは――
セオドアらガイウス軍幹部の予想では、大方降伏か同盟かのいずれかであろうということだったが、どちらでもない、「休戦」である。
「……詳しくお聞かせ願えますか、ルキウス公」
「ええ。知っての通り、我々はオルギンにおいてファブニルを撃破しました。これによってファブニルは大打撃を被ったものの、我らも少なくない損害を払いました。つまり、その傷を癒す時間が欲しいのです」
これは、半分本当で、半分事実である。
少なくない損害を払ったのは事実だが、傷を癒やすもなにも、先の貴族院での決議で貴族の私兵を徴集すると決まっているので、戦力的には当てがある。
――だが、それだけではガイウスにとって到底メリットはない。どころか、敵に「戦力が無い」と暴露したのだから、これを好機と攻め込んでくる可能性も大いにある。
「……それは、我らに何の利が?」
と、当然セオドアは聞く。
先述のとおり、ガイウスにとって何のメリットも無い。まさに皆無である。
そこで、ルキウスは手札を徐々に切っていく。
「――そういえば、セオドア公は今、水都の貴族らと諍いがあるそうですな」
「……」
セオドアは口を噤むが、彼が水都の穏健派の貴族、通称「水都派」のメンバーの1人と土地の所有権を巡って諍いがあるのは事実である。
そして、それを発端として、水都ではセオドアを罷免しようという動きがあることも――
「ルキウス公、何のお話か。関係ない話はやめていただきたい」
「アントニヌス、よい。――ルキウス公、私を脅すおつもりか?」
「脅すなどとんでもない。我らはむしろ、公を手助けしたい」
「……?」
と、ルキウスは懐から、1枚の羊皮紙を出した。
「これは……?」
見ると、何かの領収書のようだ。
「……"鉄剣50本"、"投槍100本"……これは、武器……?」
「まさに。セオドア公、"サイモン"はご存じか?」
「サイモン……無論です。ジグラト最大手の武器商人、そしてその資産を盾に貴族にまで上り詰めた――いや、まさか」
「ええ、推察の通りですよ。もはや周知の事実ではありますが――サイモン家は、レーベン政権のみならず、ガイウスをはじめファブニルにも武器を密輸している。」
「……何が言いたいのです」
「つまり、休戦を容れてくれるならば、私から働きかけて、サイモンの力で武器の支援をしてもいい」
「!!」
ルキウスはさらに畳み掛ける。
「そして、我がサンドブルグのコネクションでセオドア公の政敵、いわゆる"水都派"の中に内通者を送り込むことも可能」
「……」
「どうですか、セオドア公」
数分前にはそんな馬鹿げた提案は蹴ってやろうとしていたセオドアだが、ここに来て、なんとこれを受け入れない理由がほぼ全て潰されてしまった。
「……いいでしょう。その提案、乗った」
「ありがとうございます」
さっそく、セオドアは印章を持ってきて、ルキウスが差し出した紙に印を押した。
――ジグラト王国(ガイウス側からの要請でレーベン政権と書き換えられたが)は、10月20日から245日後まで、ガイウス共和国軍との一切の戦闘を一時中断する――
"レーベン政権公爵 ルキウス・サンドブルグ"
"ガイウス共和国公爵 セオドア・ブラックモア"
………………
サンドブルグ一行が安堵しつつ、オルギンへ帰る道中の馬車を窓から見つつ、セオドアはアントニヌスに言う。
「――水都との戦支度を整えておけ、アントニヌス」
「はっ。ようやく穏健派の貴族どもを一掃するのですな」
「ああ。――しかし、よもやサンドブルグが協力するとは想定外だったがな」
「レーベンもそれほどに緊迫している、ということでしょうな。それとも――」
「……まあ、それについてはもう手は打ってある。案ずるな」
「はっ」
………………
――そして、2日後。オルギンの大本営に「ガイウスとの休戦成立」という大ニュースが飛び込んできて、そしてその3日後、「北部奪還の遠征の開始は2週間後だ」という公式発表があった。
大本営、そして兵舎はいよいよ盛り上がりを見せる。
――ようやく今まで辛酸を舐めさせられた蛮族のファブニル人どもに逆襲ができる、と思わない兵士はいなかった。
もちろん、ジークやヴィルもそういった熱狂の中にいる。
2人をはじめ、兵士たちの日々の訓練はますます熱気があるものになっていき、日に日に練度は高く、そして士気も向上していった。
「……凄い熱狂だな、リドニア」
と、ヴェルトは窓際で外を見ながら、酢を水で薄め蜂蜜を入れたドリンクをリドニアと一緒に飲んでいた。
「ええ。これならファブニルとの戦いもある程度
安心できますね」
「ああ。リドニアも、これで当初の目的を達成できるな」
コクリとリドニアは頷く。
以前は故あって軍に入った、と言ったが、その理由は自らの故郷のニブルの町と、その住民たちを守りたいというものであった。
………………
――リドニアが両親らと共に王都へと逃れた時のことである。
リドニアは町の人たちに一言もなく逃げていったことに罪悪感を感じていた。
そんなときである。ファブニル軍がニブルの町に進駐し、掠奪を働いているという話を聞いたのは。
――戦争であれば、掠奪などは致し方ない。飢えてレーベン領に侵入してきたファブニルであればなおさらだが――
リドニアも、そんなことはわかっていた。しかし、実際に自らの故郷が蹂躙されるというのは、やはり耐え難いことである。
だから、リドニアは故郷を解放するために軍に入ったのだ――
………………
リドニアは、そんなことを考えながら、飲み物を飲む。
蜂蜜を入れているので酢の酸味の中に甘味がある。
ヴェルトも窓から外を眺めつつ飲み物を飲む。
「……?」
と、ヴェルトは、窓の外に1つの人影を見た。
それは、遠目でよくわからなかったが、朱殷の服で、それなりに高身長の女らしき姿であった。
女は、見た限り一般人ではあったが、しかしヴェルトはその足取りの訓練されたものを見逃さなかった。
そもそも、この城丘には民家などないのだから一般人が来ようはずもない。
「……」
「ヴェルト?」
しかし、ヴェルトはどうにもその正体を掴めなかったし、あるいは普通の一般人の可能性も否めなかったし、なによりこの時間を邪魔されたくなかったので、それを見逃した。
――しかし、この無能とも取れるような判断が、彼の命を救うことになった。
………………
――女に、王国騎士団の中でも手練と名高い3名が近づいた。
「お姉さん、少しいいですか」
女は3人の方を向く。
「なにか?」
その顔は、無表情ながらも大人びた端正な顔立ちで、黒髪ロング、赤い瞳の麗人であった。
「こんなところで何をしているのですか?」
と、男どもは敬語ではあるが声はドスが効いている。
が、女は物怖じする様子も困惑する様子もない。
「……」
と、女は目にも止まらぬ速さで袖からナイフを取り出して1人の頸を刺した。
「!!」
他の2人が剣の柄に手を掛ける間もなく、女は2人の頸にそれぞれナイフを投げて絶命させる。
「……」
女は黙ってナイフを手に取り、その場を後にした――




