第1節8項 前夜
ヴェルトたちが兵舎に帰ってきたのは10時(午後3時半頃)ほどだった。
そのヴェルトたちが帰ってきて最初に目にしたのは、熱狂に包まれる中庭だった。
何が起きているのかは大方分かってはいたものの、覗いてみると、やはり案の定ヴィルとサラであった。
聞けば、6度戦ってあの「姫」と互角に渡り合った新人がいるというのである。
「おう、ヴェルト」
と、ヴェルトに話しかけたのは伍長仲間のジーンである。
「ああ、どうしたジーン」
「聞いたぜ。あの新人、どっちもお前のところなんだろ?」
「ああ。まあな」
「いや、あれは凄いな。平民の出ながら少なくとも1人で正規の騎士団員3人分の実力がある。よくもあんな大型新人を3人も連れてこられたものさ」
「いや、俺はただみんな嫌がる役を買って出てるだけさ。お前嫌だろ?騎士が平民の力を借りて戦するなんざ」
ジーンはその言葉に苦笑する。
「……まあな」
騎士とは、プライドが高いものなのだ。
はっきりと言ってしまえば、貴賤を重視しないヴェルトが異常なだけで、普通誇りも騎士道もない平民なぞを使いたくはないのだ。
しかし、ジーンは続ける。
「――だが、彼らならすぐに騎士になれるさ。少なくともそこらの正規兵よりも使い物になる」
「……生きていればな」
ヴェルトとジーンは黙って、傾いた日を見た。
………………
「――あ、そうだ。」
部屋に戻って寛いでいたとき、不意にヴェルトが口を開く。
「どうした?」
「お前ら、今晩なにか予定あるか?」
「……晩?特に無いけど……」
「飯を食いに行こう」
………………
――夕日が既に沈まんとする直前でも、中庭では兵たちが訓練をしている。
聞けば、郊外の演習場でも多くの兵たちがもっぱら弓の練習をしているらしい。
そんな中、バーナード公ら高級幹部らは決戦前夜、最後の軍議を行なっていた。
無論、ヴェルトも出席している。
やっていることは、昨日の軍議の内容の最終確認である。
まず、ヴェルトやジーンらが指揮する一般兵、そして義勇兵約50名はこの騎士団のある丘に立て籠もり抵抗する。
バーナード公率いる騎兵30とレイドス卿の率いる精鋭30は市街に伏せて丘に取り付いている敵軍の背後を奇襲し大打撃を与えて、これを撤退させる、という作戦である。
肝心になるのは、丘の軍がどれだけファブニル軍の猛攻を耐えきれるかである。
先述のとおり、丘に配置される兵は僅かに50。
敵軍は少なくとも200はいると、物見は報じている。
――4倍の戦力差をどう補うか。
それは、ヴェルトら現場の人たちに委ねられる。
………………
最終確認が終わったあと、静かにレイドス卿が言った。
「閣下、恐れながら、具申したき事が」
「――言ってみろ」
「はっ。――もし、もしもの話ですが――もしも、丘の兵や伏兵隊などに甚大な損害を被ることがあれば、街に火を放ち敵を巻き添えにすべきかと」
――沈黙。
ここに集う人たちは何も戦ばかりの戦闘狂ではない。
戦略的にジグラト全域を見通して作戦立案をすることができる「将」である。
その提言に一応の合理性があるのかもしれないとはもう思う。
オルギンの市街は広範囲に渡って広がるジグラト第2の都市であり、ここが全て焼失するとなるとそれは3日以上に続くであろう。
そして、ファブニルは東ジグラトにおける拠点を確保できず、南下してガイウス占領下トイル平野に侵攻するにも王都へ進軍するにも補給の点において不安要素となる。
だが――それはつまり、レーベン勢もジグラト諸島における拠点を王都を残し、その全てを喪失するということでもあり、そして王都での決戦になるということでもある。
「……私は、反対です」
声を上げたのは、ヴェルトだった。
レイドス卿はヴェルトを睨む。
「……何を以て反対とするのかね」
「……オルギンには、未だ6万人の住民がおります」
「それが?」
「――避難はおろか、明日戦場になることすら彼らは知りません。そんな彼らを見殺しにすると言うのですか」
「そうだ。全ては大義のため。やむを得ん」
「卿の言うそれは――!」
と、ヴェルトは言いかけて止めた。
それを言えば――言ってしまえば、終わりだ――
と、そこをバーナードが抑える。
「もう良い、ヴェルト。――レイドス、それは本当の最終案だ。勝利が絶望的な状況にしか用いん」
「はっ――」
レイドスはヴェルトを睨んだままだった。
………………
――しくじったかなあ
と、廊下を歩きながらヴェルトは一人ごつ。
レイドス卿はバーナード公の腹心で、王国騎士団内では公に次ぐ権力を持っている。
その人の策(と呼べるかどうかすら怪しいものだったが)にケチをつけたのだ。出世街道からは明らかに外れてしまった。
「はぁ……」
と、自室の前に至ると、そこにはジーク、ヴィル、リドニア、サラの4人かを既に待機していた。
「やっと帰ってきたな伍長!さ、飯行こうぜ」
と、顔を輝かせるジークを見て、ヴェルトは笑う。
「あんまり食べすぎるなよ。お前らが思っているより俺は金が無い」
「生々しい……」
と、ヴェルトらは日の落ちたものの未だ東の空に茜のさすオルギンの市街に繰り出して行った。
………………
少し歩いて、一行が到着したのはヴェルトの行きつけという居酒屋であった。
「……ヴェルト、本当にここが――?」
と、リドニアは不安げにヴェルトを見る。
が、ヴェルトは平気な顔をして、
「ここだ」
と言うばかりである。
――まず、このような店は庶民、平民が通う場所であり、貴族など特権階級の者が立ち入って良い場所ではない。
或いは下級兵士ならば、店内にいるかもしれないが――
「さ、行くぞ」
………………
店に入り、席に就いた5人はまず注文することにした。
「えーと、ジークとヴィルとサラはもう成人してたよな?」
「うん」
「……」
サラはコクリと頷く。
「よし、全員酒は飲めるな……普通にワインで行くか」
「……あ」
「どうしたサラ?」
「蜂蜜酒……」
「蜂蜜酒だな。わかった」
と、ヴェルトは店員に注文を伝える。
「ワイン4つと蜂蜜酒1つ、それと何かつまみを」
「はいよ」
………………
酒とつまみの鶏がやってきた。
乾杯……と行きたいところだが、少し待ってくれ、とヴェルトが言う。
ヴェルトは一瞬逡巡しつつも、重々しく口を開く。
「……その。――明日、恐らくファブニル軍がここに到達する」
卓上に緊張が走る。
つまりはレーベン政権とファブニル軍の決戦であり、そしてジークらにとっては初陣――が、明日遂に始まるのである。
「敵は強大だ。斥候の報せでは我々の3倍もの兵力を擁しているという」
「だが、ここで負ければ、全て終わる。――国が、じゃない。その前に、人生が終わる。だから――」
「明日、絶対に5人で生き残ろう」
「「「「はい(うん)!」」」」
乾杯をして、酒を飲む。
ジークとヴィルにとっては、これが生まれて初めて飲む酒であった。
………………
2時間後――
「この部隊、酒癖が悪いな……」
と、ヴィルは呟いた。
「んでな、俺は卿に言ってやったのよ!「それには賛同致しかねます」ってな!」
「へ、へぇ……」
「スゥ……スゥ……」
「ああもう、「姫」、寝ないでよー。だから2杯目は無理だって言ったのに……」
卓は、顔を紅潮させて自慢話をしだすヴェルトと苦笑いしているジーク、潰れてしまって眠っているサラと、起こしながら片手間にワインを飲むリドニアという混沌を極めていた。
飲んでみてわかったのだが、どうやらヴィルはかなり酒が強い方のようだ。
だから唯一この醜態を冷静に見つめられる。
と、そんな惨状を目にしたヴェルトが不意に立ち上がる。
「よおし、もうお開きだ!帰ろう!」
「ええー、なんで急に?」
「もう金が無い」
サラ除いた3人は、即座に立ち上がった。
………………
帰路。
ヴェルトとジークは肩を組んでフラフラ歩き、リドニアはそれについて行く。
唯一あまり酔っていない(比較的)、ヴィルはもはや潰れて立てないサラを背負って歩く。
(思ったより重いな……)
などと、ヴィルはかなり失礼な事を思いつつも口には出さない。
サラは帯剣しているからだ。
彼女の名誉のために補足しておくが、サラはそこまで重いわけではない。
ヴィルは女性を背負ったり抱きかかえたりしたことがないので、女性は羽のように軽い、という半ば偏見に近い価値観があったのだろう。
――もしそんなことをサラ、いや全ての女性の目の前で言おうものならヴィルはたちまち全身の、骨という骨を粉砕されてしまうことであろう。
と、ヴィルは後ろから頭を小突かれる。
「イテッ……何すんだ」
「……早く歩いて」
前を見ると、かなりヴェルトたちとの距離ができていた。
「うるさいな……人1人背負ってるんだから移動速度が遅くなるのは当然だろ」
剣の柄で小突かれる。
ヴィルはビクッと体を震わす。
「チッ、どうなっても知らんからな!」
と、ヴィルは全力で走ってヴェルトのところまで駆けていく。
が、そのとき、背中をポンポンと叩かれる。
「サラ、まさか……」
「……吐きそう」
「オイオイマジか……」
………………
――なんだかんだがあって。
ようやく5人は部屋に帰ってきた。
ジークは二段ベッドの上段に寝転がって、天井を眺める。
決戦は遂に明日に迫っていた――
酒癖が悪いお姫様。




