氷の令嬢はさっさとお帰り願いたい!
完全に日も昇った真昼間の時間帯。
この時間は謁見を求める者たちで、屋敷内は喧騒で慌ただしい。
別の目的で来訪した者は、この騒ぎに一体何事かと思うことだろう。
しかし私にとってはもう慣れたものだった。
「リーザ殿! この私と是非婚約を——!」
片膝をついて、婚約を懇願する一人の男性。
事前に専属のメイドから伝え聞いていた話では、私と同じく貴族出身の人間で権力者。
顔立ちも良く、おまけに性格についても評判が良いらしい。
だが私は決まってこう言い放つ。
申し訳ありません——と。
面会されても私には結婚する気が微塵も起きない。
いや——面会したからこそ、よりそんな気も起きないというか。
それに私と婚約したいという殿方の理由も、地位のある家名だからこその欲深き物他ならない。
勿論、その思考は相手もひた隠しにして、顔にも態度にも出さないように望んで来てはいるけれども。
それだけでは足りないの————だって私には相手の心が読めるのだから。
口頭では「好きです」とか平気で言って来るくせに、内面では私の持つ家の名や権力にしか興味が入っていない。
だから相手の打算を知った私はいつもの口調で当然の如く、しかし相手の感情を逆撫でさせないように丁寧に断りを入れる。
角が立ったのが原因で相手に逆恨みされるのも怖いし、家柄的にも風評被害遭うのはいい迷惑。
だから細心の注意を払っていた。
そうして私の婚約破棄記録は数人から数十人。
数百人と向かって右肩上がりに昇り続けていく。
私だって貴族の令嬢である前に一人の女性だ——婚約相手は自分で決めたい。
だがそんな私の願望など露知らず。
こんなにも次々と、流れ作業のように婚約を断っていくものだから。
いつしか私にはこんな異名がつけられていた——”氷の令嬢“と。
こうした婚約の申し込みが後を立たない。
今日も今日とても私の元に同様の用件の者たちが現れる。
「レグル・ライラード殿にナイト・バルザック殿…………毎日のように熱心で——凝りませんね」
「そう、熱心——未だ冷めぬこの熱い心は貴女が燃え上がらせているっ! イェーイッ!」
「私はライラード殿と違い常識人です。好意を抱いている相手の前ではしゃいだりしません」
自分はまともだと主張する割に私の都合の考慮なく、毎日来訪して来るあたり鬱陶しくて同類なんだけど。
私の隣で優雅の立っているメイドに目配せをする。
「エクス。早々にお帰りになられるようお伝えを」
「かしこまりました。リーザ様——」
「ちょ、ちょ、ちょっ! マッテヨ〜! 今日で最後だから! ボクは今日でこの婚約に決着をつけに来たんだ!」
「決着? 諦めてくれるということですか?」
「もちろん! これ以上付き纏うこともしません!」
本当かな? でも自覚はあったんだ。
レグルはこんな感じだけども、ライラード家は何百年もの間子爵の地位を有している。
長年築き上げたその地位を、後継者であるレグルは乱用し好き放題行っているようだが。
「しかしライラード殿。貴方には相思相愛の意中の相手がすでにいたのでは? 私などにかまけていてはその方にも——」
「その通り! さすがはリーザだ! 貴女には私の全てが見えている! 仰る通り私は他に好意抱いている女性がいる! でもリーザとも心が通じ合う相思相愛! あぁ〜! なんて悩ましいのだろうぉ!」
悩ましくて頭が痛くなるのは寧ろ私なんだけどね。
他に想いを寄せる女性がいるのに婚約とか、少なくとも私は考えられなかった。
だから回りくどく、やんわりと断りを入れているのに話が通じない。
「私の瞳はすでに貴女様しか映されていないっ!」
——大嘘だ。
今も貴方の頭の中は別の女のコトと焦燥で一杯。
平然と空気を吸って吐くように嘘を積み重ねる。
今も私に見透かされているのを察した上で、敢えて声高々にオープンにしている。
すでにレグルは全てを曝け出した無敵人間と化していた。
浮気者の彼に勝機があるとはとても思えないけど、毎日毎日冷やかしに来るのはいい加減やめて欲しい。
「とんだ茶番ですね、ライラード殿。リーザも呆れているのが分かりませんか? 不埒な貴方と違い私は身も心も全てリーザに捧げることができる——さあ!」
ナイトは”私の心を読んで下さい!“とばかりに手を広げて私を待ち構えていた。
平然を装っていても気持ち悪さも相まって、ちょっとだけ顔が引きつっているのが自分でも分かる。
彼は自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた——それは私に対しての挑戦状でもあり。
——”読めるものなら読んでみろ!“その裏返しでもあった。
ナイト・バルザック。
彼も同じく貴族の出身らしいが、私の透視能力は効かず得体の知れない不気味な部分も多い。
だがそれ以上に彼の行動は生理的に受け付けない、今みたいにね。
私は二人に対しては何度も、何度も、何度も。
婚約破棄を言い渡していたはずなのに、次の日になったら何食わぬ顔でまた来訪してくる。
もう良い迷惑だった。
レグルは人畜無害だとしても、ナイトの存在は厄介。
透視が効かない。心が読めない。考えが見えない。
遠ざけても遠ざけても、懐へと潜り込もうとしてくる。
ああもう!
二人ともさっさとお帰り願いたいのに!!!
「まあまあ! お二人ともそう邪険にせず! ナイト君にはわりぃけどぉ〜! ボクは本当に決めに来たんだから——」
宣言と同時に、レグルが前に出て笑みを浮かべる。
すると途端に近くから、地面を叩く音が鳴り響いた。
「——な、ナイト殿……?」
物音のした方向へと視線を向ける。
そこには地に突っ伏すナイトの姿が。
認識した途端、私自身にも異変が起きる。
——な、何だ…………っ!
視界がぐらっと、揺らぎ始める。
その場で立っていられず、身体の力が抜け私はへたり込んでしまった。
「——え、エクスっ……!」
私はエクスに助けを乞うが、彼女も同様で苦しそうに蹲っていた。
「ふっ、ふふっ、ふはっはっは!!! 思ったより簡単だったなぁ!」
場にいる全員が屈した現状を見て、レグルは高々と嗤った。
自信に満ち溢れた表情。
だけどそれは”決めに来た“宣言をした時からそうだった。
一瞬隠し切れないとばかりに歪んだ笑みが垣間見え、この展開を望み予見していたようだ。
「君たちの肉体及び精神はこのレグル・ライラード様が支配させてもらった!」
私の元へと近づいて来るレグル。
彼はこの状況に嗤いが止まらず、もう関係ないと鬱憤を晴らすかのように口を滑らし始めた。
「バカ目。これでリーザを傀儡の嫁にして、彼女の持つ力後ろ盾、全てボクたちライラード家の物だ!
どんな形であれリーザと結婚するという条件さえ満たせば父上もレティアと一緒になるのを黙認して下さる約束だ!」
歩みを進める半ば、嬉々としていたのか——ひっひっひっ!
感情を抑制できず、奇妙な声音を上げながら私の身体へと手を伸ばそうとする——と。
「——なッ! い、痛い! 痛いっ!」
何かを打ちつけたような音が耳朶に鳴り響く。
先ほどまでの威勢の良さは完全に消え去り、急に泣きそうな声色で握られた腕を離すよう懇願した。
私に触れようとしていたレグルの腕は瞬時に取り押さえられ。
骨まで握りつぶされてしまいそうな腕力と、重圧を前にしてレグルは完全に縮み上がっていた。
「貴方の悪事もそこまでです。レグル・ライラード」
私に触れようとした寸前。
これまで横たわっていたナイトが、タイミングを見計らったかのように瞬時にレグルを止めに入っていた。
「な、なぜだ!? なぜお前はボクの意思と関係なく動けるっ!?」
レグルは目を見開いて、その声は弱々しく振るわせて明らかに動揺していた。
そんな彼に向けて、ナイトは得意げな顔をして言い放つ。
「私には洗脳は通じない。なんせナイト・バルザックは“解除者”だからね! 洗脳だけでなく呪いの類も解くことは可能だ」
不敵に嗤い、哀れみと侮蔑の視線を送るナイト。
少女が彼の思考を読もうとしても通じなかった理由——それは。
“透視能力”そのものを弾いてしまっていたからだ。
「お、おのれぇ〜、このボクを見下してんじゃねぇ〜〜!!!」
「悪いね! 君がまた面白そうなことを考えていたから利用させてもらった」
怨嗟の混じった悲痛な声を上げる。
だがナイトを妬ましいと思う感情だけが表に出るだけで、それ以上の抵抗を見せることを良しとしない。
「ライラード殿、感謝するよ。君が道化のおかげでリーザを伴侶に迎えることができた————さてと、お姫様を起こすとしますか」
「ま、待て……ナイト——」
「思いの丈をぶつけたいのなら相手になろう——レグル・ライラード。最もその気概が君にあるのならの話だがね」
「くそっ……クソぉ、クソがぁ〜〜!!!」
悔しさのあまりレグルは自分の両腕を地面に叩きつけた。
ナイトに抑え込まれ痛感される体格差、己の非力差。
力技ではどうしても勝てないと、レグルは本能的に悟ってしまっていた。
「これでリーザを洗脳から解放すれば私の手柄。さすれば彼女は私の手中へと——」
コツコツ、と音を立てながら眠る少女の前まで歩み寄る。
ナイトの解除の力は他者に触れるだけで正気に戻る。
彼はゆっくりと自身の腕を私に捧げようと伸ばした——満足げな表情で。
だが——
「なるほどそういうことだったのですねっ!」
一声によって周囲の空気が変わった。
それは時間すらも凍てついたと錯覚させるほど。
辺りに蔓延する圧力。二人の視線が音源へと向けられる。
ただ人物を確認した後、一人だけはどこか空気感が緩んでいた。
「おや? エクス殿? これはこれはお早いお目覚めで。レグル殿の貧弱な洗脳では効果は薄かったのかな?」
「そ、そんなはずはない! 洗脳は私だけの唯一無二の力! お前以外に洗脳能力に耐性がある者など他にいてたまるか!」
「ほう。では何故エクス殿は五体満足で有らせられるんだ?」
「お二人とも我が主に対し、私利私欲なもてなしを振る舞っていただき恐悦至極の存じますわ。私たちも頂きっぱなしでは癪に触りますので、そのお返しをせねば参りません」
そこには何事もなかったかのように、気品のある優雅な振る舞いを忘れずに。
淡々とした口調でメイドとして振る舞うエクスの姿があった。
「そうですよね? リーザ様?」
エクスが問いかけを行う。
すると——
「はい、そうですね。しっかりと借りは返さないと失礼に値しますよね」
唐突に魂の抜けた人形が、むくりと起き上がる。
血の気の引いた不健康体二名の顔を私は見やった。
メイドのエクスは後でどうとでもなる、彼女が起き上がった時そのような思考に至ったナイトもその声を聞いて息を呑む。
「おはようございます。レグル殿、ナイト殿。あらあらどうされたのですかお二人とも! 揃いも揃って青ざめて! 何故私が平然としていられるのか不思議に思われているようですねぇ!」
「そ、そそ、そのようなことは決して……ないの、ですよ——お身体に支障が無く何よりで…………」
「ナイト殿? 無理しなくとも結構ですよ〜。そもそもの話、私に洗脳なんて効くはずないじゃないですか」
「——へっ……?」
予想外のそもそも論に間抜けな声を上げたのはレグルだった。
彼は自分の力を過信し、慢心し過ぎている。
確かに洗脳自体は強力な力であるのは違いないけれど。
洗脳は他者の心理を利用し、惑わすことで起きる現象に過ぎない。
なら尚のこと私には効かない、効くはずがない。
「——レグル殿、私透視能力者ですのよ?」
「——あ、あぁ……!」
人の心を読めるほど、精神的な攻防に長けているのに洗脳に掛かるはずがない。
衣服についた汚れを軽く叩きながら、私は淡々と告げる。
盲点——今更気付かされた自らの不覚に、自我を崩壊させるレグル。
乗り込んだ舟は泥舟だったナイトも思考停止寸前で呆然とするばかりで。
この場には微妙な空気が流れ続け、それは二人の表情が物語っていたのだった。
「お疲れ様です。リーザ様」
自室で一息吐きながら、エクスの淹れてくれた紅茶を口にする。
あったかい紅茶に心が落ち着き、さっきまでの騒ぎが忘れられる——コトはないのだけれど、限りなく遠い記憶として隅に追いやられて行く。
「おいしい……エクス、また腕を上げたわね」
「これが私の仕事ですから——おかわりはいかがですか?」
「ありがとう、頂くわ」
器が空になったのを見逃さず、二杯目を尋ねるエクス。
さすが仕事が早い。此度の騒動と同じく全てを察していたかのようにね。
あの後私たちに思惑を見破られたレグルは、ライラード家が期待していたような成果を上げられず、次期ライラード家頭首の家督からも脱落。烙印を押されレティアという彼の思い人からも、呆気なく別れを告げられたそうだ。
身から出た錆というか——それだけに留まらず。
お調子者のレグルが、自ら計画を漏らしていたのをナイトは聞いていたらしい。
始める前から成功を確信し、誰が見てるとも知れない場所で自慢げに独りでに語っていたそうだ。
ナイトも最初からレグルの洗脳あっての計画だったようで、根幹が崩れて簡単に頓挫。
私——リーザの救世主として、身を以てしてレグルの魔の手からお守りする! はずが——
そもそも窮地にすら陥っていないという。
初めから洗脳なんて全く掛かっていない。
私が事実を明かした後、バツが悪くなったのかナイトもあっさりと引いて行った。
言葉にならない空気感のまま時間だけが過ぎて行く。
後に彼はどこへ行ったのやら、行方知れずのままとなっていた。
「それにしてもエクスには洗脳が効かなかった——なぜかしら?」
「さあ、どうしてでしょうね! リーザ様!」
少し怒った様子に「ゴメンゴメン!」と軽いノリで謝る。
恐らくは私のせいだ。
普段からエクスに対しても透視を使用していることから、精神的に強くなり自ずと耐性を身につけていたのだろう。
現に私に仕える使用人はエクスで四人目。
最初の三名は心身ボロボロになって辞めてしまったし、エクスは見込みもあった。
精神的に耐え続け、忍耐力が強かったのだろうな——と、今となればそう思う。
良く言えば怪我の功名というやつだ。
「とはいえ、私はれっきとしたリーザ・フォードの使用人です。あの程度の洗脳恐るるに足りません」
「そうね、見事だったわ。よく私の意図が理解できたエクスにはよしよししてあげるっ!」
エクスの頭を抱き抱え、わしゃわしゃと頭を何度も撫で回した。
飽きない。何度でも触り続けたい。
艶やかな髪の触り心地を堪能しながら、花の良い香りが鼻腔をくすぐる。
半永久的に続けられる自信はあるけど。
エクスからすれば焦ったく感じたのか、「リーザ様、そろそろ……」と一通り終えたと勝手に判断されてスゥーと抜け出された。
最高の感触を失った私は両腕をぷらぷらさせ持て余す。
「当然です! ですがリーザ様! 今後はあのような真似はおやめ下さいませ。幾らリーザ様であってもわざわざ自らを危険に晒す必要はないでしょう?」
「ならエクス。私が敗北を喫すると——そう感じたの?」
「あり得ません。リーザ様があの程度の者どもに敗北など……」
「なら何の問題もないじゃない?」
「問題ならあります。リーザ様の大根役者っぷりに合わせるこちらの身にもなっていただきたい」
ぷいっ、とそっぽを向いて不満を露わにするエクス。
言ったね。今はっきりと主人に向かって、大根で白くて滑稽な演技であったと。
それを言うなら、主人の余興に付き合うのもメイドとしての役割でしょ!
少なくともレグルとナイトは騙せてたのだから、ちょっとくらい遊んだって良いじゃない。
あの二人は特に面倒だったから、心を折りに行こうとして一芝居打ったというのに。
長年、私と時間を共にし透視能力も知っていたからこそ気づけたわけであって、初見なら絶対にエクスも分からなかったはず!
メイド服を着させていても、相変わらず小生意気なとこは変わっていない。
これは主人と従者としての仕置きが必要みたいね。
「エクス。私があの二人に言い寄られていた時、貴方が何を考えていたか、ここでハッキリさせましょうか?」
「——なッ、ハッ………………!」
「さてさて、あの時のエクスの感情は——」
「ず、ずるいですよ〜、リーザ様ぁ〜!」
エクスは私の身体を揺らしながら泣き叫ぶ。
普段は見せない姿。駄々をこねて子供みたいに。
あの瞬間の感情を知っている私は密かに微笑んだ。
私に言い寄られることへの嫉妬心も、愛おしく思う感情も。
心を読もうとせずとも、自ずと理解してしまう——彼の表情がそう物語っていた。
まだまだ鍛えようがある。
以前彼は言っていた——私はリーザ様に釣り合うような男ではないと。
だから私は彼に自信を与える。
次なる悪い虫が近づいてくる前に、エクスを立派に育てる。
願望である理想の男の娘メイド——としてだけではなく。
エクス自身が求める到達点に至るまで、私は待ち焦がれ続けるわ。
そして言うまでもなく此度の一件で、"氷の令嬢"の異名はさらに拡がりを見せて行った。
最後までお読みいただきありがとうございます!