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埋もれた短編

いきなり魔法と言われても

作者: 平松冨永




 ガコン、と取り出し口に落ちてきた缶コーヒーの音と同時に、オレは路上に膝を着いた。

 すさまじい量の真綿が突然頭上から全身に降ってきたかのような、周囲の空気がいきなり大量の水に置き換わったような、とてつもない重圧。呼吸がうまくできず、四肢が自由にならず、圧迫感と鈍痛で視野が暗くなる。

 声が出ない。

 目の前の自販機に縋り付く余裕もない。

 両膝から細く尖った痛みが走り、脳に届く直前に、オレの意識は途切れた。




「……」


 遠のく頭痛に呼ばれるように、目が覚める。

 微妙に傾いた金属ポール。停められた自転車。自販機コーナーの屋根。前方に投げ出されたオレの右腕。顔の下、コンクリとの間には、暑くて脱いだジャケットの生地の感触と左腕。


「……あー」


 呻き声が出た。

 何度か瞬きをする。できた。

 視界に入る右手の指を、一本ずつ意識して動かす。

 手首を返し、手のひらをコンクリ路面に着ける。できたので力を込める。右肘と肩が少し上がった。


「よっ……」


 体の下敷きになっていた左腕を、動かす。手のひらを下に向け、両腕に力を入れると、上体が浮いた。

 そのまま、ゆっくり半身を起こす。

 謎の圧迫感と全身麻痺、頭痛はない。意図して深い呼吸を繰り返せば、自然にできた。


「……いってぇ」


 ぶっ倒れて打ったあちこちが、痛い。

 両膝、左肩と左肘、左手の小指側、腰の左側面、ここらは多分、青あざになってる気がした。

 右の手のひらも少し、擦りむいてるかもしれない。


 ああ、びっくりした。

 ニュースで聞いた春の熱中症だろうか。確かに今日は今年最高気温で、水分補給をしようと自転車を停めて、水やスポドリが欲しいほど喉は乾いていなくて、飲みきれる缶コーヒーでいいかとスマホのタッチ決済を。


「やべ」


 そうだ、スマホがない。右手で持ったまま、しまう前に倒れて。


「どこいったんだ」


 両手を着いたまま、視線を動かす。ゆるっと首を左右に振れば、自転車の前輪脇に転がる背面カバーがあった。

 うわ防護フィルム傷だらけになってそう。端の塗装、カバーごとガリガリ欠けてねえだろうな。




 四つん這いになってスマホを拾い、体は大丈夫そうなので反転して地べたに座り直す。ついでにグシャグシャになってたジャケットも拾い上げ、軽く振るって抱え直した。

 スマホはフィルムが斜め線だらけになっていたが、本体は無事っぽい。着信通知がチカチカしている。


「……あー、ついてねえ」


 全身を触って確かめると、両膝と左半身の打撲とかすり傷、との予想そのままだった。安いデニムの膝が白くなって糸が分かる。最悪だ。Tシャツも左の裾が汚れてるし、いやまあ大怪我や重傷負うのに比べたら軽微なモンだろうけど。

 背にしていた自販機に振り返って、取り出し口から缶コーヒーを手にした。プルタブを上げ、少しずつ飲む。微糖ブラックの薄い甘さと苦さに、安堵の息が漏れた。


「……熱中症にカフェインって、やばいんだっけ」


 いやもう普通だし、熱中症じゃなくただの立ちくらみだったということに──いや、違う病気だったらもっとマズいんじゃね?


 立ちくらみ、症状、対策とかで検索してみて、ガチでやばかったら救急車呼んだ方がいいのか、と思いつつ、スリープモードになっている斜線スマホの電源を入れると。


「なんじゃこりゃ」


 画面いっぱいに、謎言語がびっしりと表示されていた。




 慌ててスクロールしてみるが、延々と、とにかく延々と上から下まで横書き表示の謎言語が続く。なんだこれは、契約同意書画面か。表示設定は日本語のはずなのに、外国語に切り替わったのか故障か。


「ぬおおおおおおおお」


 人差し指で何回、下から上にスワイプして謎言語表示を先送りしまくっただろう。なにせ電源を入れ直そうと、スマホ自体を振ろうと、なにをしようと、他の画面が全く出てこないのだ。明らかにショップ駆け込み案件な事態なのだが、この時のオレは冷静さを失っていた。


「スクロールバーくらい表示しろぉぉぉ!」


 ガンガン送る。バンバン飛ばす。同意にせよ非同意にせよ、一番下まで行ってタップすれば消えるはずだと信じて。


「せめてアルファベットぉぉぉ!」


 見たことのない記号が、じゃんじゃん上昇しては欄外へ消えていく。いやマジで、どんな内容かもさっぱり見当がつかない。文字化けというには、全文字まるきり見覚えのない形状です何語ですかこれは。


「きたーぁ!」


 延々と繰り返し、人差し指が攣りそうになる頃、ようやく文字列が終わる。謎言語が記されたボタン表示が左右に二つ。はい/いいえの順でいいのだろうか。YES/NOだってそうだから、基本的には左が肯定だろう。


「知るか! いいえ一択!」


 右のボタンをタップした。




 瞬間、スマホ全体から虹色、いや玉虫色か構造色のような煙が吹き出す。いや煙でも湯気でもないカバー越しにも左手に伝わる熱がない。


・■■がインストールされました・


「はああぁああああっ!?」


 おい待てなんだそれ、キャンセルだクソが、と罵りかけたオレの全身の内側で、次々に線香花火が弾けていく。

 いやなんだそれ、と言われそうだが他に表現できない。内臓や骨の形に血管の流れ、神経に沿って何百何千と火花が散って、筋肉と脂肪と毛穴と表皮、汗腺の数だけ、いやこれ細胞の数か、とにかく数えきれない小爆発がオレの体内で繰り返される。


 いきなり降ってきてオレの全身に染み込んだ「重さ」が、化学反応している。

 そう自覚した直後、世界が暗転した。




 気が付いたら、オレは自販機に縋り付く格好で俯せに倒れていた。傍らには倒れたコーヒーの空き缶。飲みきっていたからこぼれていない。

 左手はスマホを掴んだまま、左肘には脱いだジャケットが引っ掛かったまま。缶コーヒーを買った自販機横に停めた自転車は、倒れも傾きもしていない。


「……」


 オレは両膝を曲げ、スマホを握り込んで両手を着いて体を起こす。立ち上がり、瞬きをし、深呼吸をして、全身を揺すった。

 ふと見下ろしたデニムの膝は、今朝穿いた時からまるで変わっていない。

 右の手のひらを開く。どこも擦りむいていない。

 スマホに目をやる。防護フィルムは無傷で、貼り込み時にできた1ミリくらいの気泡が二つある、見慣れたホーム画面が映っている。着信通知なし。時刻は決済時に見たあれから、三分後。缶コーヒーを買って、プルタブを上げて飲みきるのにかかったと思しき経過。

 なんの痛みも苦しさもない、なんなら今朝より元気な健康体。


「……■■って、要は魔法ってことか」


 原因も理由も因果も不明だが、オレは「魔法が使える」ことだけ、何故か理解していた。

 アレだよ、ネット小説とかで見た「転生したことを自覚した主人公」状態だ。

 ただし前世の記憶はこれっぽっちも伴っていない。異世界の知識もまるでない。別人の人格が混入したとか憑依されてる感覚も、一切ない。

 オレはオレ自身でありオレ個人であって、「魔法が使える」以外の誤差はなかった。




 ええと。

 魔法、使ってみるか。使えるんだから。


「ファイア」


 なんとなく右の人差し指を立てて、呟く。

 変化、なし。


「……メラ」


 以下同文。

 あ、自販機が唸り出した。


「……サンダー」


 あ、ささくれできてる。


「……イオ」


 後ろの道路を、トラックが通り過ぎる。


 ──オッケー、いきなり攻撃呪文は危険だった。突然の放火魔や自販機停電で損害賠償沙汰にならなかっただけ、良かったとしよう。


「エアロ」


 微風すら発生しません。


「アイス」


 涼しくもならず、氷も出現しません。


「ルーラ」


 オレは微動だにせず、自販機の前です。


「……キメラの翼」


 それはアイテム名だ、落ち着け自分。


 あ、やべ。他になんかなかったっけ。呪文、呪文。

 おおそうだ、オレの左手には文明の利器があるじゃあないか、レッツ検索検索ゥ。




 ダメでした。


 日が暮れるまで、延々と古今東西ファンタジー小説やゲームや漫画の呪文を唱えまくってみましたが、なんの異常現象も起きませんでした。

 黄昏より某様、美の女神イーノマータ、精霊は一体も我に力を貸さず、黒棺も天使も顕現しませんでした。

 呪術も必殺技も否定能力も現れず、風も嵐も贋札も吹き荒れません。無能力者のままですおっかしーなー。

 あれか、杖も指輪もないからですか。スマホ握ったまんまじゃ無効ですか。

 どうしよう、このままじゃオレは天下無双の厨二病ごっこを自販機前で披露してるだけの激痛学生だ。


「……帰るか」


 一先ず、腹が減ったので自宅に帰ることにする。空中浮遊も瞬間移動もできないので、至って普通に停めていた自転車で。

 Tシャツでは肌寒かったので、ジャケットに袖を通してスマホをしまい、ハンドルを掴むとスタンドを蹴り上げ、サドルにまたがる。


 オレのゴールデンウィーク初日は、サイクリングと缶コーヒーと勘違いで終わったのかもしれない。




 帰宅後、サブスクで異世界アニメを網羅し──ようとしてその膨大さに諦め、適当チョイスしてみた。

 魔法少女はポーズ付きで頑張ってみた。

 お経を唱え、指を攣らせつつ真言や忍術に挑んでみた。

 特撮の掛け声や変身ポーズ、抜刀の構えもやってみた。

 自室の外から家族に心配された。


 魔法は悪魔の管轄かもしれない。

 Wikipediaに頼りながら、邪悪すぎないあれこれを試行してみたら、気が滅入った。

 違う、オレがなりたいのはモンスターじゃない。

 魔法使いだ。




 可能な限り挑んでみて、すべてに敗退したオレは仮説を立てた。

 地球にある言語の発音じゃ、無理なんじゃね?と。

 あの謎言語を再現しないと、一生魔法は使えないんじゃね?と。


 直後、オレは筋肉痛の体をベッドに投げ出した。

 絶望した。


 だって、スクロールに夢中で謎言語を一つも覚えていない。

 せめて部分的にでもスクショ保存しておけば、と思っても超絶手遅れだ。チャンスの神様は前髪以外はツルッパゲだったのだ、こんちきしょう。

 デニムや怪我が治ったのはあれか、初回ログインボーナスだったのかああああ。




 そして寝不足と筋肉痛と、底抜けに落ちた家族の信頼というろくでもないものを手に入れて、オレのゴールデンウィークは終わった。

 その後、オレの生活と人生は、劇的な変化を見せていない。普通の学生生活に戻るうちに、どうにか家族のなまあたたかい目は平熱に戻った。




 変なくしゃみをすると、五分だけ動画の英語ナレーションが日本語に聞こえて、字幕の機械翻訳の限界を知れたり。

 ゲップが出た瞬間、四大元素精霊っぽいものが寝ながら流れていくのが目に映って消えていったり。


 オレのいびきか歯ぎしりで突如、流星群が発生したりしたらしいが、あの日から至って普通に暮らしている。


閲覧下さりありがとうございました。

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