【2】
御世話係の老修道女マーヤ・ヤーマに連れられて――
私とローランドは、大聖堂の地下へと降りていった。
「聖女猊下、この地下の隠し通路を使ってお逃げください。城壁の外まで続いております」
「修道女マーヤ・ヤーマ、あなたはどうするのです?」
「大聖堂に残って、他の尼僧たちと共に戦います。時間をかせげば、その分、あなた様を遠くに逃がせようというもの」
「そんな!」
「ローランド様、どうか|聖女{ウー}猊下をお護りください。
それと――あなたご自身にもル・ウースのご加護がありますよう」
その祈りの言葉に、傭兵ローランドはマーヤ・ヤーマの手を取ると、
「感謝する、美しき|修道女{ひと}よ」
と、皺だらけの手の甲に口づけをした。
老修道女は、また頬を赤らめていた。
「では聖女さま、私について来たまえ。
美しきマーヤ・ヤーマ女史に誓ったのだ。きみを無事に脱出させると」
老修道女マーヤ・ヤーマは、真っ赤になりすぎて卒倒しそうになっていた。
◆ ◆ ◆
「遅れず、ついてくるのだよ」
「ええ、わかっています……」
(このひと、声はかっこいいのよね……。
姿は|あれ{・・}だけど)
私と傭兵ローランドは、隠し通路を歩く。
真っ暗な中、たよりないランタンの灯りだけが半径1キョリーのみを淡く照らしてた。
そんな、ほとんど闇の中でさえ――
(……やっぱり、このひとゴリラよね?)
護衛の傭兵であるローランドが人間でなくゴリラであることは一目瞭然だった。
比喩でなく。
だって、私の目の前を進む、黒い毛むくじゃらの背中と、筋肉のかたまりのようなたくましいお尻。
人間のものじゃありえない。
つまりは学名ゴリラゴリラあるいはゴリラゴリラゴリラ。
ジャングルの奥地に住む大型の類人猿。
強靭な肉体と高度な知性を持つが、性質は極めて温厚。
そのため『森の賢者』と呼ばれることもある。
……以上、うろおぼえのゴリラ知識だ。
もし人間だとしたら逆に問題だ。
このひと、身に着けているものといえば、肩からななめに掛けた長剣と、背中に背負った物入れ用の皮袋――ただそれだけだった。
ゴリラじゃなかったら、ただの全裸男性だ。
マーヤ・ヤーマが頬を赤らめる意味も違ってしまう。
「聖女さま、足元に気をつけたまえ。木の根だらけだ。足を取られるぞ」
「ええ、どうも……。ありがとうございます」
「ほら、手をつないで」
ローランドは私が転ばないように、手を取ってくれた。
まるで舞踏会でエスコートしてくれるかのように。
紳士だ。さすが森の賢者。
だが、その手のひらは宴会用の大皿ほども広く、指のいっぽんいっぽんが赤ん坊の手首ほども太い。
あらためて人間のものではないと認識させられた。
(さわっても、やっぱり太い……。
ということは幻覚なんかじゃなく本当にゴリラなんだ)
「どうしたのかね、私の手をずっと見つめて。
傭兵の指が珍しいかね?」
「いえ、傭兵の指も珍しいですが……」
問題は、職業じゃない。
私は思い切って訊ねてみた。
「あの、|不躾{ぶしつけ}な質問かもしれませんが……」
「何かね?」
「ローランドさんってゴリラですよね?」
自分で『不躾な質問』と言っておいてなんだけど、これほど不躾な質問も珍しい。
この私の質問に、傭兵ローランド氏は、
「ほう?」
と答えた。
「私をゴリラと思うかね?」
「ええ、まあ……。どう見てもゴリラですし」
ほかに、どう見えると?
「そうだな、聖女さま。いかにも私はゴリラだ。
だが、皆、ゴリラの存在を知らないため、私のことを『こういう姿のひと』だと勝手に納得してくれる。
特に、あの美しき修道女マーヤ・ヤーマ女史などは人種で差別をしない理知的な女性であったため、私を疑問なく受け入れてくれた」
やっぱりゴリラだった!
そしてマーヤ・ヤーマ、少しは偏見と疑問を持て!
「あらためて自己紹介させてもらうとしよう。
我が名はローランド。
誇り高き我が種族の名はゴリラ(学名:ゴリラゴリラゴリラ)。
――遥かなる異世界“地球”から来た」
「地球!? 地球のゴリラなのですか? 異世界ゴリラ!?」
「当然だ。
あらゆる|多元世界{マルチバース}の中で、我が種ゴリラが存在する世界は、ただひとつ地球のみ」
「そうなのですか?」
「そうだ。
だが、そうなると問題はきみだ。
なぜ、きみはゴリラを知っている?
あらゆる|多元世界{マルチバース}の中で、我が種ゴリラが存在する世界は、ただひとつ地球のみだというのに」
しまった。
私はうかつにも、今までずっと隠してきたことを、このゴリラに知られてしまった。
この私の正体を。
「私は、その……」
「当ててみよう。答えはひとつだ。
――君も地球から来た人間なのだろう?」
……正解だ。
私はふたつ前の前世が、異世界“地球”の人間だった。