歴史の授業
「ソフィア様、先生がお見えです」
思考の波に身を任せていると不意に声を掛けられて意識が浮上する。声を掛けてきたのはミリアのようだ。
「お通ししてちょうだい」
私の返事を聞くとミリアはひとつお辞儀をして私の元を離れ、扉を開けに行く。開いた扉から入ってきたのは、すみれ色の長い髪を後ろで一つにまとめた年若い男性だった。
「ごきげんよう、ストライフ先生」
「3日ぶりですね。またお会いできて幸栄です、ソフィア様」
紅茶の入ったティーカップをテーブルに置いて挨拶をすれば、薄灰色の瞳が優しく微笑み優雅にお辞儀をする。彼はストライフ。教養を身につける為に最近雇われた家庭教師だ。
「今日はどんなお勉強をするの?」
「そうですね。ソフィア様は学び始めてまだ日も浅いですし、まずはおさらいを兼ねて歴史から行ないましょうか。お席をご一緒しても構いませんか?」
同席を求める声にもちろん、と頷いて席を促す。ストライフが座ると同時にミリアが彼の前に紅茶の注がれたティーカップを置いた。
「まずは復習です。この世界は古の神によって創られた、というのは覚えていらっしゃいますね? 古の神は太陽の神と月の女神を創りました。始まりの神、始祖神の誕生です。太陽神と月の女神はいつしか深く愛し合い、4人の子供を授かります。春の女神、夏の神、秋の女神、冬の神。これが季節の始まりです。そして太陽神と月の女神、そして4人の子供達はこの世界に植物を創り、動物を創り、人々を創り、遥か天上から見守っていらっしゃいます。と、ここまでが前回までのおさらいになりますね。神々の名前は覚えていらっしゃいますか?」
あー、なんか記憶にあるかも。えーと確か……。
「太陽神アポトロス、月の女神セレフィアーナ、春の女神フィルルミリア、夏の神デュオニソス、秋の女神ヘレスティネー、冬の神エーシュリオンです」
「大変素晴らしいです。ソフィア様は優秀ですね」
見た目子供でも中身は24歳なのでこれくらいどうという事はないのだが、褒められれば悪い気はしない。あれ、そういえば古の神の名前の記憶がないな。
「古の神には名前はないのですか?」
「ございます。ですが古の神は神々の中でも最も尊き存在ですので、王族しかその名を知る者はおりません」
「どうして?」
「はい、ここからが本日の授業になります」
興味津々な私を見てストライフはふふ、と笑みを漏らした。
「神々の手によって創り出された人々は、地を耕し、動物を生きる糧とし、木を切り倒して建物を作りました。そうして人々はどんどんと増えていき、やがて6つの国に分かれたのです。その中でもこの国アルダイアは大昔、とても大きな戦乱がございました。民を思い、守り、栄えさせて行くべきはずの王が、怠惰を極めこの国を混沌の時代へと陥れてしまったのです。民から税を巻き上げて贅沢の限りを尽くし、結果貧民が増え土地は衰え、この国は亡ぼうとしておりました。そこで立ち上がったのが英雄王アトラスです。英雄王アトラスは太陽神アポトロスに愛されし御方でした。神のお導きによって神々の世界に招かれた英雄王アトラスは、アルダイアの現状を嘆く古の神に混沌の時代を終わらせる事を約束し、神の子に選ばれました。神の力を得た英雄王アトラスは王族を討ち倒し、新たな王となりこの国に繁栄をもたらしました」
……すごい、めっちゃおとぎ話じゃん。
中世の洋画とかギリシャ神話とかそっち系にありそうな話に思わず胸が弾んだ。日本の感覚だと完全に作り話だけれど、こちらの世界ではなんだかありえそうな話だ。
以来、アルダイアでは大きな戦乱は起きていないらしい。そう付け加えたところで話すのを止め、紅茶を口に含んだストライフがふと憂いの表情を見せる。
「……ストライフ先生?」
心配になって声を掛けると、どこかに意識を飛ばしていたらしいストライフはハッとして取り繕った笑みを見せる。
「なんでもございません、失礼致しました。ええと……ああ、そう。神の子となった英雄王アトラスは神の力を使い、民を導き平和をもたらしたのです。神の子は古の神からその御尊名を拝聴する事が叶う唯一の存在であり、膨大な知識と長命を得るといわれています。ですがそれも永遠ではございません。世代交代を繰り返す内にその力は徐々に失われていきます。今でも王族は長命ですが、英雄王がいた時代よりは短くなっているそうです」
「今の王族の寿命はどれくらい?」
「英雄王アトラスの時代と比べれば大分短命になったそうですが、今は個人差はありますがおよそ150年から170年は生きるといわれています」
150年?! 十分長命だよ!
驚きに目を瞬いた。え、だって150年って。こっちの平均寿命は知らないけど、日本でだってせいぜい100歳が限界なのに、150年って。これで短命になったとするならば、英雄王アトラスは一体何年生きたんだろうか。……ダメだ、想像できない。
ぐるぐると頭を混乱させていると、ストライフがふふ、と楽しげに笑った。
「歴史のお勉強はここまでにして、次は文字のお勉強を致しましょうか」
話についていけてないのを見通されてしまったが、正直ありがたい。これ以上のファンタジーな話は飲み込むのに時間が掛かる。キャパオーバーだ。
少しの休憩を挟んで、文字の授業をした。日本語とは全く異なる字で、どちらかというとローマ字寄りだ。母音と子音があり、それを組み合わせて文字となる。歴史の授業では混乱したけれど、文字の授業は英語やフランス語などの外国語を覚えると思えばまだついていける。私は黙々と文字の勉強をした。
六の刻を知らせる鐘が鳴り、勉強を中断して昼食を済ませる。朝食の時も思ったけど、この世界の食べ物ってあんまり美味しくない、味が微妙すぎる。日本での記憶のせいで私の味覚だけ違うとかあるのかな。今度調べてみよう。