最大限の感謝を
それからしばらくの間はどうしてもストライフの言葉が脳裏をよぎり、考え事をしてしまって何も身に入ってこなかった。なぜ、私はこんな能力を持って産まれてしまったのか。私には手に余る能力だ。一体何のために。私のせいで周りに被害が及ぶ事になってしまったらどうしよう。どうすればいい?
そんな事を悶々と考えていたある日の事。その日は領主の城に行く日で、全く気乗りはしないが週に一度は行くという約束を破る事も出来ず、渋々領主の城に足を運んでいた。天日干ししたハーブに手を加え、新しい料理を教えていつものようにハーブティーを入れてクロノスの元へ持って行く。初日にハーブティーを持って行った日から、クロノスにハーブティーを入れるというのは最早恒例行事みたいになっていた。最初は嫌そうな顔をしていたクロノスも慣れてきたのか今では普通に受け入れてくれている。
「浮かない顔をしているな」
「……そうでしょうか?」
ハーブティーを飲んでいたクロノスが口を開く。なるべく顔に出ないように取り繕っていたつもりだったが、クロノスに気付かれてしまったようだ。大学を卒業して2年間社会人として勤めていたが、態度に出さないようにするという技術はまだまだ未熟だったようだ。
「言いたくないのであれば言う必要はない」
整った顔立ちのクロノスにじっと見つめられ、反応に困っていると浅く息を吐いたクロノスが視線を逸らす。すぐに話を打ち切ってくれたのはクロノスの優しさだろう。城に仕えている人達には恐れられているが、ただ不器用なだけなのだとつくづく実感する。そういえば会社にもいたなあ。普段ずっとしかめっ面で小言ばかり言うくせに、いざとなったら助けてくれる上司が。周りには口うるさすぎて嫌われてたけど、私は結構好きだったな。
日本での事を思い出して少し心がほっこりした。言える範囲内で打ち明けてみようか。そう思い立って私はそっと口を開いた。
「……詳しくは言えないんですけど、ちょっと最近悩んでいる事がありまして。もしかしたら、私のせいで周りの人達に迷惑が掛かるかもしれないんです。そうなったらどうしようって思ったら不安で……」
なんとなくクロノスの顔が見れなくて俯いてしまう。カチャリ、と音がしてティーカップをテーブルに置いたクロノスの手が視界の隅に映った。
「それはまだ起きていない出来事を憂いているのか?」
「まあ、そうですね」
「ならば考えるだけ無駄であろう。そうならない為に最善を尽くせ」
そうならない為に最善を尽くす――。
その言葉は私の胸にストンと落ちた。そうか、そうだよね。起こってもない事を考えててもしょうがないよね。なんでこんな能力を持ってしまったのかなんて考えていたのが無駄な時間にすら思えてくる。持って産まれてしまったものは仕方ないのだ、変えようがない。けれどこれから起こりうる事はやり方次第でいくらでも防げる、変えていける。最悪の未来が来ない為に出来る事からやれば良いのだ。
そう思ったら急に心が軽くなった。やっぱりクロノスに話して良かった。言い方は冷たかったけれど、行き場のない不安や恐怖を募らせていた今の私には救われる言葉だった。なんとかこの喜びを表現したくて、気付いたら私はクロノスの腰に思いっきり抱き着いていた。
「ありがとう存じます、クロノス様!」
「っ、こら、よさぬか」
驚きに目を見開いたクロノスが慌てて私を引きはがそうとしたが、私はヒシッと腰にしがみついて離れなかった。周りの護衛騎士や側付き達は驚き固まっている。
「やめません! これはありがとうのハグです、最大限の感謝の印です!」
「ハグとはなんだ、意味がわからぬ」
「こうやってぎゅーってする事です」
「其方はまだ幼くとも女であろう、慎みを持ちなさい」
「今は良いんです!」
しばらく押し問答を繰り返していたが、やがて諦めたクロノスが私を引きはがすのを止めて私の服を掴んでいた力を緩める。行き場をなくしたクロノスの両手は所在無げにだらりと両脇に下ろされている。
「……もう好きにするがよい」
ふふん、勝ったね。
眉間に深く皺を寄せ深い溜め息を吐きながら力の抜けた声で呟いたクロノスに、心の中でガッツポーズをする。クロノスからは布団を天日干しした時のようなお日様の匂いがした。心行くままに抱き着いて満足げに笑みを深めていると、後ろからクスクスと笑う声が聞こえた。見ればカファロが堪え切れずに笑いを漏らしている。
「クロノス様に抱き着くとは、ソフィアは大物だな」
「他の方はしないのですか?」
「しないだろうよ。というか基本的に人前で抱き合ったりなどはしない。自宅で家族が抱き合ったり、恋仲同士が人目を忍んで二人きりの時に抱き合ったりはするがな」
「だからよせと言ったのだ」
呆れたように言うクロノスに、悪戯を思いついた子供のようにカファロはにんまりと笑う。
「ですがクロノス様、そんなに嫌がってませんよね。本当にお嫌なら子供一人引きはがすくらい簡単でしょうに」
「……ほう。カファロは余程仕事が好きと見える。よかろう、ならば明日までに終わらせねばならぬ書類があちらにある。思う存分仕事をするとよい」
クロノスが指差す先には執務用の机に幾重にも積み重なった書類の山。それを目にしたカファロの顔からサッと血の気が引いていく。
「いや、私は護衛任務がありますので……」
「案ずるな、今はまだ二の刻にも満たぬ。時間はたっぷりあるであろう?」
「しかし私に任せるよりも、慣れている者に任せた方が……」
「誰が其方に書類仕事を仕込んだと思っている。出来ぬとは言わせぬぞ」
「……はい」
護衛騎士なのに事務作業やらされてたんだ、カファロさん……。
容易く言い包められてしまいガックリと肩を落とすカファロを哀れに思っていると、その様子を作業しながら窺っていた側付き達が「クロノス様に勝てるはずがないのに、馬鹿な男ね」と呆れたように呟いていた。まあ、最初にクロノスを揶揄っていらぬ厄介事を招いたのはカファロだ。自業自得と言えばそれまでである。
心行くまでクロノスにハグを贈って満足した私は不機嫌そうに顔をしかめているクロノスから離れ、今日の分の報酬を受け取って城を後にした。カファロは嫌がってないと言っていたが、どこまで本当なのだろうか。あのしかめっ面が照れ隠しなだけだとしたら、随分とクロノスは可愛らしい人だと思うけど。自宅への帰路の途中、そんな事を考えていた私はクロノスの不機嫌そうな顔を思い出して思わず笑みが漏らした。
腰に子供を引っ付けたまま不機嫌そうにぶすくれているクロノスが書きたかっただけです。すみません。
一旦溜まった文章全部吐き出したので、また溜まったら載せていきます。