99.ホークラン攻防戦、開戦
ダンリーはソームズ公領の公都、堅城として知られるホークランの威容を目にして、戦慄を覚えた。
人口は三十万に近い大都市で、城壁の高さは十メートルを優に越える。
海に面しており、北は港湾、南に正門、東西にもそれぞれ門がある。
城壁の要所要所には塔が建てられており、そこには多くの兵士が詰めていて、こちらの攻撃を待ち構えている。
厄介なのは水堀である。深さはここからではわからないが、海から引き込まれた海水が都市を取り囲んでいる。
幅は八メートル程度だが、高い壁と合わせて敵を寄せ付けない。
話には聞いていたが、聞くと見るとでは大違いだ。
王都の城壁も鉄壁だと思っていたが、ここと比べれば雲泥の差がある。
ダンリーはホークランからおよそ二キロ離れたところに、陣営を築いた。
敵は当然、連合軍が攻めてきていることに気付いている。
すでに跳ね橋は上げられ、ホークランは水に囲まれた孤島と化していた。
「これは力攻めでは落とせませんね」
副将のギラタンが淡々と言った。
(何をわかりきったことを言ってやがる)
ダンリーはいら立っていた。
城壁を越えるためにハシゴをかけて兵士を登らせたとしても、死体の山を築くだけであるのは、王都攻めのときに経験している。
では、あのときソームズ公がやったように、攻城塔で攻め込んではどうか。
しかし、攻城塔を城壁に取りつかせるには、堀が邪魔である。
まず堀を埋めなければならないが、それには大量の土が必要になるだろう。
そして埋める作業をしている間、敵が黙って見ているわけがない。上からは矢の雨が降ってくる。
堀はただ埋めただけでは駄目だ。地面をきれいに均さなければならない。均した地面でなければ、攻城塔の車輪が動かないからだ。
敵の攻撃をかいくぐって堀を埋め、攻城塔を城壁に隣接させるなど、とても可能とは思えない。
また、港から物資が入ってくるため、兵糧攻めも不可能である。敵は何年でも籠城を続けることが可能だろう。
ホークランの港を封鎖することができるのは、近くに海軍を持っているタンメリー家だけであるが、シャラミアの再三の要請にもかかわらず、まだ動こうとはしない。
タンメリー家には期待しないほうがいいだろう。
「そんなことは言われなくてもわかってる。じゃあ、どうすりゃいいんだよ!」
ダンリーはいらだって聞いたが、ギラタンはまた、わかりきったことを答えた。
「敵を城外におびき出して、野戦で勝負をつけるしかないですね」
「それができりゃ苦労はない。敵は出てこないだろう。数では圧倒的にこちらが多いんだから」
「ソームズ公は、頭に血が上りやすい性格という評判です。挑発すれば、怒って出てくるかもしれませんよ」
「挑発か……まあ、それしかないかな」
ダンリーはやってみることにした。「ギラタン、おまえはそういうの、得意そうだよな」
ギラタンは首をすくめた。
「ダンリー殿ほどじゃありませんよ。あなたは人を怒らせる天才ですからね」
(言ってくれるじゃないか)
ギラタンがダンリーを嫌っているのはわかっているが、それはお互い様だ。
こんな奴でも、他に優秀な部下がいない以上、うまく使わなければならない。
「挑発はおまえに任せる。声がでかい兵士を集めておけ」
そう命令した。
「おい、腰抜け公、いつまで城にこもってガタガタ震えてやがる!」
「そんなに俺たちが怖いのか! この恥知らずめっ!」
「悔しかったら、出てきて戦ってみろ!」
連合軍の兵士たちは、矢の届かないギリギリの場所から、罵詈雑言を浴びせ続けている。
城壁の上に立つ兵士たちは、それを黙って聞いている。相手にしないようにと命令が出ているのだろう。
だが、どの兵士の顔も怒りに赤く染まっている。
とうとう我慢できなくなった兵士の一人が、言い返してきた。
「閣下をこれ以上侮辱するな! この矢をくらえ!」
そう言って矢を射かけてきたが、もちろん届かない。挑発を続ける兵士たちの、はるか手前に矢は落ちた。
矢を射かけた兵士が上官に殴られているのが見えた。おそらく軍令違反で罰を受けることになるだろう。
ダンリーとギラタンは、そんな光景を離れたところから見ている。
「効果はそれなりに出てるんじゃないですか?」
ギラタンの言葉を、ダンリーは否定した。
「雑兵が怒ってもしょうがないだろ。かえって向こうの士気が高まるぞ。ソームズ公が怒らなきゃ意味がない」
「まあ、そうですね。ひょっとして、ソームズ公は城内の部屋にこもっていて、聞いてないのかも」
「いや、間違いなく聞いている。奴は常に前線で兵士たちの中に身を置く奴だ」
王都攻めの時もそうだった。だからこそ、兵士たちからあれほど慕われているのだ。
ダンリーは、今のやり方では、手ぬるいと感じた。
「これ以上続けても無駄だ。やり方を変えるぞ。僕が挑発の指揮をとる」
ダンリーはそう言うと、ギラタンに指を突き付けた。「僕が人を怒らせる天才だって? いいだろう、そこまで言うなら、手本を見せてやろうじゃないか」
―――
ソームズ公は城壁に立つ塔から、敵が放つ罵詈雑言を聞き流していた。
連合軍が挑発をしてくるのは予想していたことだ。
敵にとって、ソームズ軍がこの堅城に閉じこもっている限りは手の出しようがない。なんとか野戦に誘い出そうとするのは当然だ。
(だが、私はそんな挑発に乗るほど愚かではないぞ、ダンリー)
敵の総大将がアクティーヌ・ダンリーだと知った時も、ソームズ公は決して気を緩めなかった。
ダンリーは王都攻めの時には、拙い戦術で民兵たちの多くを無駄死にさせた。
だが、だからといってダンリーが無能だとはソームズ公は思っていない。
民兵たちを死なせたのは、彼らの命がダンリーにとって、どうでもよかったからだ。
民兵たちは全て王領の民であって、アクティーヌ公領の民ではなかった。
だから平気で彼らを死地に追いやったのである。
一軍を率いる将として、それはもちろん許されざることだ。ソームズ公もダンリーに対しては嫌悪の情しか感じない。
だが、ダンリーは酷薄ではあるが、無能ではない。
王都での戦いでは、結局アクティーヌ家の兵は一人の戦死者も出さなかった。
にもかかわらずアクティーヌ家は、美味しいところだけを手に入れている。
シャラミア女王はアクティーヌ家の領地を加増し、アクティーヌ公を宰相に、ダンリーを大将軍に任命した。
つまり、王領の政治と軍事を、共にアクティーヌ家が担うことになったのである。これ以上の成功はあるまい。
ダンリーの将としての力が非凡であることは、ここから彼らの布陣をながめていてもよくわかる。
連合軍の整然と組まれた隊形は、まったく隙が見当たらない。
兵士たちの動きはきびきびしており、規律が保たれている。
敵は王家の軍の他に、アクティーヌ家、ルロア家、カルデモン家、そして傭兵からなる寄せ集めの軍だ。
五万人を超える寄せ集めの軍を、ここまで見事に統率できる大将は、なかなかいない。
「腰抜け公、出てこいや!」
「ギャハハハ、きっと今ごろ、どうやって逃げるか考えているんだぜ!」
「こんな臆病な領主の下で生きている民衆はかわいそうだな!」
敵の罵る声が絶え間なく聞こえてくる。
悪口を言われて、平気なわけではもちろんない。
誇り高いソームズ公にとって、腰抜けと罵られるのは我慢ならないことだった。
だが、挑発を繰り返している兵士たちの後ろには、闘気に満ちた敵の大軍が控えているのだ。
怒りの感情に任せて、負けることが確実な戦場に出て行くわけにはいかない。
彼は一万人の兵士と三十万人の住民たちのリーダーであり、味方を危険にさらすような真似ができるはずがない。
それからしばらくして、外が静かになった。どうやら、挑発をしていた兵士が引き揚げるようだ。
「なんだ、もう終わりか? もう少し聞いていたかったものだがな」
ソームズ公は、周囲の兵士たちに余裕を見せた。
「我らが反応しないので、諦めたのでしょう」
近くにいた騎士が答えた。
(ふむ、ダンリーも思ったより諦めが早いな)
だが、それから数時間後、また敵陣から兵士たちがぞろぞろと出てきた。
その中には、おかしな衣装を身にまとった者たちがいる。女の恰好をした者までいるようだ。
「何を始める気だ?」
ソームズ公をはじめ、騎士、兵士たちがいぶかしげに見守る中、「人を怒らせる天才」ダンリーの脚本、演出による喜劇の幕が上がった。




