93.ずっと、同じ方向を見て
政人たちはメイラ村という宿場村にたどり着いた。少し早いが、今日はここで宿をとることにした。
旅人の数は少なく、どの宿も空いている部屋が多かった。政人たちは男四人と女三人で、それぞれ部屋をとった。
「このあたりでは、まだ私の顔を知っている住民はいないと思います」
ロッジが言った。「ですが、あまり出歩かないようにはしましょう。王家の役人が我々を探しているかもしれませんから」
だが見たところ、村はいたってのどかで、役人の姿は見えなかった。
王家は官僚の人数が足りていないのである。
王家はジスタス公領を新たに手に入れたのだから、統治のための人員が多く必要なはずだ。
だがジスタス家の文官の多くを、荒れた開墾地へと移動させてしまったため、人が足りないのだ。
代わりに王家から官僚を派遣することにはしたが、ただでさえ人員が少ないので、多くは派遣できない。
しかも新しく来た官僚にとっては、まったく勝手がわからない土地である。
そのため、この村のように目の行き届かない村があった。
官僚の育成のためには、教育制度の整備は欠かせない。
だがガロリオン王国では、教育を受けられるのは貴族や金持ちの子弟だけである。庶民は読み書きさえできない者が多い。
そのため官僚になれる素養のある者は少ない。
これでは、いくら女王や宰相が政策を打ち出しても、思うように実行できない。
とはいえ役人がいないのは、政人たちにとっては好都合なことだった。
政人はこの村にいる間に、ルーチェとの問題にけりをつけることにした。
―――
「よし、今日の訓練はここまで!」
「ありがとうございました!」
ルーチェはタロウとの訓練を終えると、ふーっと大きく息をはいた。
タロウの成長は著しい。最近は十本のうち三本はとられるようになった。
もはやタロウのスピードについていくことは難しくなっている。
ルーチェは勘と経験によって、タロウの動きを事前に予測して動くことで、なんとか勝ちを拾っている状態だ。
近いうちに、タロウには全く勝てなくなるだろう。
ルーチェは焦りを覚えた。
(アタシはマサトを守らなきゃならないのに。戦闘で役に立てなけりゃ、マサトの隣には立てないのに)
「マサトと一緒に間違えてやる」と誓ったあの日以来、なんとか自分も頭を使って考えるように努力してはいるが、やはり頭の出来が悪いのか、難しい話になるとついていけない。
彼女は頭のいい人間に対して、憧れを持っている。
政人がじっと何かを考えている顔を見るのは、ずっと前から好きだった。
その頭の中は、きっとルーチェにはとても理解できないような思考が渦巻いているのだろう。
困難な状況になっても解決策を示す政人は、ルーチェにとっては憧れだった。
だが最近は、そんな政人の顔を直視することができなくなっている。
その原因は……なんとなく見当はつく。
恋愛感情など自分には縁がないものだ、とずっと思っていた彼女だが、どうやらそうではなかったようだ。
しかし、彼女は自分には女としての魅力が全くないと思っていた。
まず、胸が小さい。
顔は自分ではよくわからないが、かわいいなどと言われた覚えがないので、十人並みといったところだろうか。
性格は、これは間違いなく男にモテる要素が全くないと断言できる。
がさつで、ずぼらで、喧嘩っ早い。女らしさのかけらもない。
唯一の長所は、喧嘩が強いことだろうか。槍の腕は、男とくらべても全く引けをとらない。
だが、強いということは残念ながら女としての魅力にはつながらない。むしろ自分より強い女を、男は避けたがるのではないか。
頭も悪い。学問と言えば、せいぜい読み書きができるぐらいである。
「アタシじゃ、マサトとは全然釣り合わないよな。マサトはかっこいいから、女には困らないだろうし」
「全然そんなことはないぞ。俺はまともに女と付き合ったことがないんだ」
「ギャアッ!」
振り返ると、政人が立っていた。
―――
タロウからルーチェが一人になったことを報告された政人は、ルーチェとの関係をはっきりさせるためにやってきた。
ルーチェは恋愛については奥手なようなので、政人から仕掛けなければ進展しそうにないのだ。
ここで好きだとはっきり告白し、このもやもやした状態を終わらせるつもりだ。
拒絶されたらどうしよう、とはあまり考えなかった。
なぜなら鈍感な政人から見ても、今のルーチェが政人のことを好きなのはわかる。それぐらい彼女はわかりやすい。
念のため、ハナコとロッジにも確認してみたが、間違いなく政人に惚れていると請け合った。
ハナコなどは、夜這いをかけるように進言してきたが、さすがにそれはまずいだろう。ちゃんと手順は踏みたい。
しかし、何と言って告白すればいいのか、よくわからない。政人は恋愛経験がほとんどないのだ。
それでも小説や漫画、映画やドラマなどのフィクションでは、そういうシーンを何度も見たことがあるので、気の利いたセリフも知っていた。
そこでいくつかのパターンを想定して、言葉を準備していたのだが――、
ルーチェの様子を見て、その気がなくなった。
いきなり政人が現れたことで、そして独り言を聞かれたことで、慌てふためいている。
顔はゆでだこのように真っ赤になり、あわあわと意味不明のつぶやきをもらし、手に持っていた槍を投げ捨てて屈伸運動を始めた。
いつもの凜とした彼女からは考えられない挙動不審さだ。
(ルーチェは俺よりもはるかに、恋愛についてわかってないんだろうな)
幼いころから女の子らしい遊びには興味を示さず、槍を振り回したり馬に乗ったりしてばかりいたのだ。
政人とは違い、恋愛についてのフィクションや体験談のようなものも、読んだことがないのだろう。
ここで気の利いた言い方をしても、混乱状態の彼女に効果があるかどうかは怪しい。繊細な男女の感情の機微など、理解できない気がした。
そこで政人は、準備していた言葉をすべて捨てた。
「ルーチェ、話がある。こっちを見てくれ」
「え!? あ、ああ、わかった」
ルーチェは動くのをやめ、政人を見つめた。
「ルーチェ、好きだ。付き合ってくれ」
あまりにもシンプルな告白の言葉だ。
ルーチェの赤かった顔が、さらに赤くなった。
「あうあうあうー」
意味不明なことをつぶやくと、両手を顔に当ててうつむいた。
(なんだ、このかわいい生き物は)
普段の荒っぽいルーチェを知っているだけに、羞恥にもだえている姿がいじらしく見えた。
「あ、あの」
ルーチェは、両手を顔にあてたまま答えた。「アタシも、マサトが好きです。信じられないくらいに」
「よかった」
政人は思わず拳をにぎりしめた。駆け出したい気分だった。
(これは現実なんだろうか)
あのルーチェと恋人になるということが、ありえないことに思える。
これが現実だということを確認したかった。
「ルーチェ、顔を見せてくれないか」
「ごめん、恥ずかしくてマサトの顔を見られそうにない」
「そうか」
(まさか、ここまでとは……。だが、無理をさせるわけにはいかないな)
ここでキスの一つでもできればと思っていたが、またの機会にすることにした。
政人はルーチェの隣に立った。政人の気配を感じたルーチェは、とまどった声を出した。
「マサト?」
政人はかつて彼女に言われた言葉を思い出していた。
『もう、絶対にマサトを一人にはしない!』
『アタシも一緒に間違えてやる! アタシも一緒に泣いてやる!』
(ルーチェが隣に入れば、俺はどんな困難にも打ち勝てる)
そう思った。
「ルーチェ、見つめ合わなくてもいい。その代わり――」
政人は、言った。「俺と同じ方向を、見ていてほしい」
ルーチェはゆっくりと両手を下ろした。
「はい」
目の前には、赤い夕陽に照らされた山並みが見えた。
ルーチェはそっと、政人の手を握ってきた。
日が沈むまで、二人はそのまま手を握っていた。




