84.残虐女王
「ハナコがずいぶんと世話になったようだな。ありがとう、セリー」
「いや、こっちこそ、ハナコちゃんに編集や校正を手伝ってもらっていたからな。助かったよ。よければウチの社員になってほしいぐらいだ」
「そうなのか。よく頑張ったな、ハナコ」
政人はハナコの頭をなでてやりながら言った。「でも残念ながら、社員にさせるわけにはいかない。これからハナコはずっと俺と一緒だからな」
ハナコの表情は見えないが、おそらく得意気にふんぞり返っているだろう。あるいは嬉しそうにニヤニヤしているか。
ハナコは今、政人のひざの上に乗っている。政人に抱えられるように背中を向けてだ。
目の前に後頭部があるので、話しにくい事この上もないが、ハナコがこの体勢がいいと言ってきたのだ。
二ヶ月も放置した負い目があるので、当分はハナコの好きなようにさせてやるしかない。
政人たちはヘルン新聞社の応接室で、セリーと情報交換をしている。
政人はこれまでの経緯を、セリーに話した。
「大変な目に遭ったのだな」
セリーは心から同情するように言った。
ハナコの肩が震えている。
どうしたのかと思っていると、ハナコは強引に体勢を入れかえ、政人に向き直った。
「辛かったのう、悲しかったのう。でももう大丈夫である。これからは我がそばにいて守ってやるゆえ」
涙声でそう言った。どうやら、政人の気持ちを想像して、感極まったようだ。
「おい、近い! 近い! とりあえず離れろ!」
「御主人様はあいかわらず、初心であるのう。いや――」
ハナコはルーチェにちらっと目をやった。「ひょっとして、ルーチェさんに気をつかっているのであるか? それならば安心するがよい。我の親愛の情は、ペットとしてのものであるから」
ルーチェの顔が赤くなった。
どうやらルーチェとの仲を勘繰られているとわかり、政人は焦った。
「ちょっと待て、その話はしていないはずだが」
「君らの態度を見ていればわかるさ。特にルーチェ。君はわかりやすいな」
セリーにもバレバレだったようだ。だが、一応誤解は解いておく。
「別に付き合ってるわけじゃないぞ。以前よりちょっと仲良くなっただけだ」
「そういうことにしておいてやるのである。あまりイチャイチャされても困るしのう」
「だから、そうじゃないと……おい、ルーチェからも何か言ってやれ」
だが、ルーチェは恥ずかしいのか、顔を伏せた。
「いや、アタシは……その、はい、そうなのかな?」
あまりにも彼女らしくない、煮え切らない返答に、ハナコとセリーは――さらにはタロウまで――ニヤニヤしていた。
(人前でルーチェにこういう話題を振らないほうがいいな)
今まで男性に対して、そういう感情を持ったことがなかったから、自分でもどうしたらいいか、よくわからないようだ。
政人はハナコの体を無理矢理持ち上げ、また後ろから抱きかかえる姿勢に戻した。
気を取り直して、セリーにたずねる。
「ヘルン新聞社の方はどうだ。王領の事件について、どこまで情報をつかんでる?」
「クリッタを中心にしたチームを作って、王領に派遣し、調べさせている。『クロアの大虐殺』については――この名前をつけたのはクリッタだ――記事にして紙面で大々的に扱った。ヘルンの住民は皆、衝撃を受けている。まさかシャラミアがそんな暴君になるとは思わなかったからな。私もそうだ」
「怒った御主人様が、女王の髪をつかんで引きずり倒し、頭を踏みつけたという噂が流れたのである。それが本当なら死刑は免れぬと、我は命令を破って御主人様を助けに行こうとまで考えたのである。クリッタ殿たちが代わりに噂を確かめに行ってくれたが」
(噂というのは尾ひれがつくものだな)
「タロウが助けに来てくれたんだ。牢から出してくれたのは、シャラミアの侍女のティナだ」
「シャラミアは侍女に裏切られたという事か。まあ、当然だな」
(そういえば、ティナは無事だろうか。なんとか借りを返したいものだが)
「クロアの大虐殺については、どれぐらいの人が知っている?」
「この町ではほとんどの住民が知ってるぞ。他の町では……そうだな、ガロリオン王国内なら二、三ヶ月もあれば皆が知ることになるんじゃないかな」
情報の伝達速度が遅いのは、マスメディアが発達していない世界では仕方がない。
「セリー、ヘルン新聞も、そろそろ全国展開するべきじゃないか? ガロリオン王国全土に販路を広げよう」
視界を塞ぐハナコの頭の横から顔を出して、政人は提案した。
「それは私も考えたことがあるが……。ああ、つまり君はシャラミア女王を倒すために、彼女の悪事を国民に広めて、評判を落としたいということだな?」
「そういう言い方をすると、新聞を利用しているように聞こえるが、正しい情報を伝えることは大事な事なんだ。いいかげんな噂ではなく」
「そうだな、やってみよう。タンメリー女公にスポンサーになってもらったこともあって、資金には余裕があるからな」
(今、聞き捨てならないことを言ったな)
「ちょっと待て、それではタンメリー女公に批判的な記事は書けなくなるぞ」
「どうせ今までもそうだったから、何も変わらないさ」
「女公に依頼されて、彼女に都合のいい記事を書くことがあるんじゃないか?」
「それは……まあ、ないこともない。でも嘘は決して書かないぞ。例えば孤児院を建てたことを書いて、女公がいかに慈善事業に力を入れているかをアピールしたりはするが。ああ、それと例のチャバコ草についても、販売の目処が立てば、その記事を書くようにと言われている。広告ではなく、記事としてだ」
(さすがにあの婆さん、情報の有用性を知っているな)
「なあ、アタシたちはこれから、タンメリー女公に会いに行くけど、セリーは女公と仲がよさそうだし、一緒に来てもらったらどうだ?」
立ち直ったルーチェが提案してきた。以前のルーチェだったら、自分は話に参加せず、政人に全てを任せていただろう。
あのとき言ったように、一緒に自分も考えるようにしたようだ。
「そうだな。セリー、俺たちは女公に、ソームズ公に味方するか、あるいは中立でいてくれるように頼みに行くんだが、一緒に女公を説得してもらえないか?」
セリーは「うーん」とうなって何やら考え込んでいる。
「何か不都合なことでもあるのか?」
「確かに私と女公とは、よく会って話をすることがあるが、あくまでも仕事上の付き合いだからな。それに、あの人は情実で意見を変える人ではないぞ。いくら私が頼んだとしても、それが女公にとって、利益にならないと判断されれば、決して頷かないだろう」
「セリー殿、我からもお願いするのである。御主人様を助けて頂けまいか」
ハナコが頭を下げたので視界が開き、政人はセリーと目が合った。
その目には、どうしようか迷っている気持ちがうかがえた。
(おそらく今までは、女公からセリーに頼みごとをすることはあっても、その逆はなかったんじゃないだろうか。だから頼みにくいのかも)
「なあ、女公に利用されるだけじゃなく、たまにはこっちから女公を利用してみないか。『残虐女王』を倒すために」
「『残虐女王』?」
「俺が今思いついた、シャラミアの異名だ。紙面に載せて、この異名を民衆の間に浸透させるのも悪くないな」
レンガルドの王の多くは、異名をもっている。
クオンが王であった時の異名が『白痴王』、神聖国メイブランドの女王、メイブランド・レナが『神聖女王』、ケモノビトの国であるズウ王国の王、ガウハント・リオンが『百獣王』と呼ばれたりしている。
それらの異名を誰が考えているのかはわからないが、民衆たちの間から、いつの間にか広まっていくのだ。
「恣意的な報道で世論を誘導するということか? 私は新聞は客観的で公正であるべきだと思っているが」
「今さら何を言ってる。既にタンメリー女公の提灯記事を書いてるだろう」
「む……」
「完全に客観的な立場の新聞などありえない。俺が元いた世界の新聞もそうだった。多かれ少なかれ、偏りは必ずあるんだ。特に政治問題を扱う場合は、事実だけを羅列しても読者には伝わりにくいので、解説が必要だ。その際、新聞は意見を言ってもいいんだ。もちろん、都合のいいように事実を曲げることは、絶対に駄目だが」
「なるほど、ヘルン新聞として『残虐女王』シャラミアを倒すべき、という意見を持とうということだな」
「そのとおりだ」
(まあ、この国にはヘルン新聞以外のマスメディアが存在しないので、影響力が大きすぎるのが問題ではあるな。第三者によるチェック機能が必要かもしれない)
「わかった、『残虐女王』を倒すために協力しよう。女公との交渉には私も同席する。上手くいくという保証はないが」
「助かるよ、ありがとう」
二日後、政人たちとセリーは、共に公都ハイドルンクへと出立した。




