78.逃亡
政人たちは裏門から脱出した。政人はタロウの後についていく。
そこでは、木に繋がれた一頭の馬が草を食んでいた。
「申し訳ありません。一頭しか連れてこられませんでした」
「それは仕方ないさ。一人で二頭の馬を制御するのは難しいからな」
タロウが手綱を握り、政人は後ろに乗ることになった。
「はっ!」
タロウが馬を駆けさせた。徐々に王都から遠ざかっていく。
地面がぬかるんでいて走りにくそうだったが、やがて舗装された街道に出ると、スピードを上げた。
「ホークランへ行くのか?」
「はい。その前にまずは、ソームズ公領との境界にある検問所に行きます」
タロウはそこで、すまなそうに付け加えた。「ミーナちゃんをそこに預けて、ホークランまで連れて行ってくれるように、兵士の人にお願いしてきました」
「俺はおまえに、ミーナをホークランまで連れて行くようにと、命令したぞ」
「申し訳ありません。あとでオレに罰を与えてください」
「命令に従わなかったのか」
「命令を破ってでも、御主人様を助けに行くべきだと判断しました。御主人様はきっと王都で捕まっているだろうと思ったからです。それで王都に侵入し、御主人様の匂いを探っていたところ、兵士たちに捕まっている御主人様を見つけたんです」
「なぜ俺が王都で捕まっていると思った? 俺が何をするつもりか、話していなかったはずだが」
「考えたんです。御主人様ならどうするだろうかと。あの時の御主人様は、とても思いつめた様子だったので、危険を顧みずに、女王を問い詰めるのでは、と思ったんです」
「そうか」
(実際には問い詰めるどころか、ただ怒りをぶつけただけだったがな)
「御主人様に初めて会った次の日、オレにおっしゃいましたよね。命令がなくても、自分で判断して、適切な行動を取れるようになれと。だからオレは、たとえ御主人様から罰を受けることになったとしても、命令に背いて御主人様を助けに行くことにしたんです」
(そういえば、そんなことを言ったな)
イヌビトにとって、飼い主の命令に従わないことは、それだけで強いストレスになる。
それでもタロウは、命令に背いた。政人を助けるために。
「罰など与えないさ」
政人はタロウの頭を撫でた。「罰を受けるべきは、俺の方だな」
馬が走るのをやめてしまった。
政人とタロウの二人を背に乗せ、全速力で走り続けていたが、限界がきたようだ。へたりこんで、動かなくなってしまった。
「申し訳ありません。ペース配分を考えるべきでした」
「仕方ない、馬は置いて行こう」
周囲を見回した。まだ時間が早いため、街道を行く人の姿は見当たらない。
だが、追手が迫っていると考えた方がいいだろう。
「もうかなり進みましたから、頑張ってあと三、四時間街道を走れば、検問所に着くはずです」
(フルマラソン並みだな)
だが走らねばならない。
死を覚悟していたはずの政人だったが、一度「助かるかも」と思ってしまったため、死の恐怖がぶり返している。
政人とタロウは走り始めた。
だが、まったく疲れる様子を見せないタロウに対して、政人は三分ほど走ると、もう息が上がった。体力がないのに加えて、靴のサイズが合っていないために走りにくいのだ。
しかもかなりの傾斜の上り坂である。
それでもなんとか力を振り絞って走り続けたが、三十分後にはもう走れなくなった。
「頑張ってください、御主人様。追手が来ているかもしれません」
そう言われて、なんとか足を動かし続けた。
「うあっ!」
政人はつまずいて、倒れこんだ。
「大丈夫ですか!」
「くっ……、足首をひねったみたいだ」
走ることはできそうにない。無理をすると、さらに痛めることになるだろう。
政人の足の状態を確かめたタロウは、政人の前に腰をかがめた。
「オレが背負っていきます」
そうするしかなさそうだ。政人はタロウにおんぶしてもらった。
それから十五分ほど進んだ時だった。
タロウの耳が、その音を聞きつけた。
「御主人様、あれを!」
タロウにうながされて振り向くと、はるか眼下に見下ろす街道を、騎馬の集団が十人ほど、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。向こうも政人たちの姿を認めているだろう。
政人は絶望的な気分になった。
(街道を進まず、森の中を突っ切るべきだったろうか。……いや、それじゃきっと道に迷っていたな。それに、今さらそんなことを考えてもしょうがない)
馬から逃げ切ることは不可能だ。覚悟を決めなければ、ならないようだ。
「もう駄目だ、逃げ切れない。タロウ、おまえだけでも逃げろ」
「その命令は聞けません」
タロウは再び前を向き、走り続けた。「大丈夫です。もう少し進めば、安全なところに出ます」
(安全なところなどあるわけがない)
と思ったが、口には出さなかった。
後ろを振り返ると、追手はさらに距離を縮めているのが見えた。間違いなく、政人たちを認識している。
それからしばらく進んだところで、タロウは鼻をくんくんさせた。
「ここで街道を外れます」
そしてタロウは、道の左側の藪の中に入って行った。
「タロウ、そっちに行くと、検問所から遠ざかるぞ。右に行った方がいい」
「いえ、こっちで間違いありません。オレを信じてください」
そう言われては従うしかない。タロウに任せることにした。
タロウは息を切らさずに走り続ける。足元には獣道があるようだ。
それからしばらくして、タロウが妙な事を言い出した。
「……御主人様、オレは悪いイヌビトです」
「ん? 何を言ってる?」
「でも、どうか……嫌いにならないでください」
政人が不審に思っていると、崖にぽっかりと洞穴が開いているところに出た。
洞穴の幅は大人が手を広げたほどだ。高さはやや低く、入るには、かがまねばならないだろう。奥行きがどうなっているかは、わからない。
タロウは洞穴の奥に向かって、大声で呼びかけた。
「オレだ、タロウだ! 出てきてくれ!」
すると、洞穴の中から十歳ぐらいの少年が出てきた。
頭から獣のような丸い耳がはえており、目の周りには黒い隈がある。政人はこの少年に見覚えがあった。
「ポンチャ?」
政人がそう言うと、少年の顔はほころんだ。
「オイラなんかの名前を覚えててくれたんですね」
忘れるわけがない。
人に化けることができるタヌキビトの少年で、以前に政人の万年筆を盗んだかどで、棒叩きにされそうになっていたところを、助けてやったことがある。
「タロウ、オイラの出番が来たってことだよな」
「ああ、そうだ。すぐに街道に出てくれ。十人ほどの騎馬隊が迫っている」
「わかった」
そしてポンチャは、葉っぱを頭にのせ、両手で印を結ぶと「ドロン」と声を出した。
ポンチャは政人になった。
顔、髪型、体型だけでなく、服装も今の政人と同じく、白黒ボーダーの囚人服になっている。
ポンチャのやろうとしていることを、政人は察した。
「おい、タロウ!」
「検問所から王都へ向かう途中、この辺りでポンチャの臭いを嗅ぎつけたオレは、彼に会ってお願いをしました」
タロウは政人と目を合わせずに言った。「もちろん、この手を使わずに済めば、それで良かった。でも万が一に備えて、打てる手は打っておきたかったんです」
「タロウを責めないでやってください」
ポンチャの声は落ち着いていた。「あれからオイラ、いろいろ考えたんです。オイラの化ける能力を使って何かできないかと。でもなかなか思いつきませんでした。そんな時、タロウからこの話を聞いて『これだ!』って思ったんです。オイラの尊敬する人を助けられるなら、オイラの力には意味があったんだって」
政人は愕然とした。
「俺がおまえに『考えろ』と言ったのは、そんなくだらないことを――」
「ポンチャ、後は頼んだ」
タロウは、政人の言葉を途中で遮った。
「任せろ」
ポンチャは街道に向かって走り始めた。
「おい、待て!」
政人は叫んだ。「タロウ、あいつを止めろ!」
「その命令も聞けません」
そう言って、タロウは政人を背負ったまま、ポンチャとは違う方向に走り出した。
(バカ野郎! 俺は子供の命と引き換えに助けられるような、立派な人間じゃないんだぞ! 間違えてシャラミアに協力してしまったために、大虐殺を引き起こしてしまうような間抜けなんだ!)
ポンチャの背中はどんどん遠ざかり、見えなくなった。
―――
「いたぞ、マサトだ!」
ダンリーは街道の向こうに政人の姿を見つけて、歓喜の声を上げた。一旦は藪の中に入っていったが、道がなくて進めなかったのだろう。また街道に姿を現したのだ。
白黒の囚人服を着た政人はこちらに気付いたのか、街道を右に逸れ、草原に入って行った。
「馬鹿め、馬を相手に逃げ切れるものか」
ダンリーは部下に命じた。「弓を構えろ。射程距離に入ったら、射ち殺せ」
「はっ」
政人は必死に逃げていく。
その背中に恐怖を感じ取ったダンリーは、ニヤリと笑った。
(ふん、口だけは達者な奴だったが、逃げる姿は無様だな)
だんだん政人との距離が縮まっていく。
そして、弓の射程範囲に入ると、部下の一人が馬上で弓を引き絞り、狙いすました一射を放った。
矢は狙いを過たず、政人の心臓を射貫いた。
政人は倒れて動かなくなった。
「でかした!」
部下を褒めると、ダンリーは政人の死体に近づいて行った。
「どういうことだ……?」
政人を殺したはずだ。
だが近づいてみると、その死体は政人とは似ても似つかない、小さな子供のものだった。
頭からは獣の耳が、おしりからは尻尾が生えている。ケモノビトだ。
ダンリーは死体を足で仰向けにした。
「タヌキビトか」
ダンリーは、タヌキビトの少年が政人に化けていたことを理解した。
政人を逃がすために、自らが犠牲になったようだ。
「クソッ! この僕が化かされるとは!」
ダンリーは地団駄を踏んで悔しがった。そして、改めてタヌキビトの少年の顔を眺めた。
「それにしても……なんでコイツはこんな満足そうな顔で死んでやがるんだ?」
ポンチャの表情は、偉業を成し遂げた男の誇りに満ち溢れていた。
そしてその右手には、高級感のある万年筆が、まるで大切なお守りのように、しっかりと握られていた。




